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笑う魔女 28

 激しい破壊音とともに、緑の盾がまた霧散する。これで4枚目。ひとつ砕かれるたびに少なくない傷を負うヘルミは動きが鈍ってきた。


「ヘルミ! まだ大丈夫⁉︎」


「元気ですよ、ここは戦場ですから!」


 強がりかそうでないかといったら、両方だろう。あの傷が痛くないわけないし、戦乙女(ヴァルキュラ)が戦場を愛さないわけがない。


「<(ハグル)矢となれ(細い兜の葦)>!」


 シニッカは攻撃にまわっている。勇者の動きを止めるべく、氷弾、雹弾、石弾を使って。でも魔王だからといって魔術が無限に使えるわけでもない。頬を伝う汗に、脂汗が混じっているようにも見えた。


(ジリ貧なのかも)


 勇者の攻撃に対する防御は予想以上にうまくいっているけれど、相手もすきを見せてくれない。いくら鞭を振っても当たってくれないし、当たったとしても()()()()()()()()()。それに周囲のあちらこちらには、勇者の生み出したバグモザイクが。まかり間違ってあの中に飛びこんでしまったら、ベヒーモスと魔王と従者のひき肉が調理もされずに地面へ提供されるだろう。


(シニッカ、どう思う?)


 青歯魔法の力で魔王に問いかけを。


(よくないわ。プランBはどう?)


 戦いの中で、イーダたちは相手の攻撃を分析していた。敵の「ヴァナルガンド」という攻撃は、勇者の腕から出る衝撃波といってよかった。これにはふたつの種類がある。


 ひとつは広域を巻きこむ斬撃。半径15メートルくらいの範囲を、無数のかまいたちが襲撃するようなものだ。でも魔法の盾が壊されるほどの威力はない。ヘルミの防御魔法は彼女の巨体全体と、そこにはりつく自分たち2人を守ってくれるから。


 もうひとつは、やはり幅15メートルくらいの貫通力が高いもの。『(ベオーク)』を破壊して、ベヒーモスに出血を強いる。その衝撃力は巨大な魔獣の突進を止めるほど。これを出されれば守勢にまわるしかない。


 ただその攻撃は勇者の側にも準備が必要らしく、動きが2~3秒止まるからなんとか避けられる。


 踏み出した場所にあった、バグモザイクに足を切られなければ、だったが。


「っつ!」、巨獣の口から漏れ出す苦痛。同時にぐらりと姿勢を乱す。


(まずい!)


 見逃してくれる相手でもない。勇者は深呼吸をすると、両腕を振って強く咆える。


「<狼の激流(ヴァナルカンド)>!」


「ヘルミ避けて!」


 バギィィン! 踏ん張るヘルミはなんとか姿勢を整えて、4本の足で大地へ深く噛みついた。が、彼女から落ちた血が、あたりに赤い水たまりをいくつも作る。


「<(ベオーク),( )ᚩᛁᛖ:ᛣᛁᛚᛈᛁ(オレ キルピ)>!」


 魔獣は間髪入れずに5枚目の盾を構えた。「おかわりですよ?」と勇者へ微笑み、血で真っ赤になった脚を堂々と地面に突き立てて。


 でも猶予はない。事態を変えないと間違いなく負ける。黒く醜い水晶と自らの血を死に装束に、ヘルミが倒れるところなど見なくもない。


 イーダは逡巡プランBの内容を思い起こし、そして決断した。


(わかった、プランBでお願い!)


(承知よイーダ)


「ヘルミ、作戦は(ベオーク)よ」、魔王がベヒーモスへ暗号をつぶやく。


(サカリ、聞こえる⁉︎ プランB!)


Selvä(了解)


 自分は離れたところにいるカラスへ指示を。


「タフだな、魔獣。だがもう終わりは近いと見た!」


「あら勇者、つれないじゃない。まだはじまったばかりでしょう? <体力よあれ(駆けるたてがみの脚)>」


 作戦の開始を告げたのはシニッカだ。言遊魔術(ケニング)を1節唱えると、ぴょんと自宅の玄関から出るほどの手軽さで巨獣をおりた。彼女の前には驚き躊躇した勇者の顔。それに舌を出して微笑むと、彼女の得意とするところの「逃走」を開始する。


「<加速せよ(羽をたたむ隼)>!」


 姿勢を低く、ついで疾走。オオミチバシリ(ロードランナー)もかくやという速度で戦場の中央を目指して逃げていく。あっという間に遠ざかる背中を見たイーダは、あまりの脱兎っぷりに「ふふっ」と声をもらした。


 命のかかった局面だというのに。


 もちろん勇者は怒った。イーダの目には、まさしく怒髪天を衝く形相の彼が、髪の毛と殺気を逆立てて魔王を追跡するのが映った。


 シニッカの逃げ足は速いけれど、おそらく勇者のほうが優速だ。ほんの数秒で追いつかれてしまうだろう。


 狙いの場所まで彼を誘導しなくてはならない。ささやかな罠をしかけたあの場所まで。


「ヘルミ! 追って!」


「荒っぽくなりますよ! <加速せよ(羽をたたむ隼)>!」


 ベヒーモスの返答にイーダは座席をしっかりつかむ。にもかかわらず急加速が慣性の力で体を背もたれへ押さえつけてきて、自分がぺしゃんこになるのではないかと感じた。慣性が弱まったあとには強い風圧。空気の壁は分厚く、かろうじて目を開けていられるくらい。でもそんな視野にシニッカの窮地が映りこんだから、彼女は両目をしかと見開いた。


 目的地までまだ数十メートルはあろうかというのに、勇者が追いつき魔王へ爪を振るう。


 でも、走りながらであれば、


「<狼の激流(ヴァナルガンド)>!」


「――<(ベオーク)>!」


 あれは盾で防げるほうのやつだ。


「ちいぃっ! なら壊してやる!」


 勇者の追撃は止まらない。2回3回と爪を振るい、魔王を防御魔法の上から打ちのめす。幾重にもなった勇者の殺意が三日月を描き、ガキン、バキンと緑の盾をけずった。いくら直接斬られていないからといえ、シニッカは攻撃を受けるたびに押され、飛ばされ、地面に転がる。時々回避して見せても、直後に礼二の殺意がますます怒りを帯びて彼女の体にあざを作っていった。


 なのに彼女は笑っている。致命傷にいたらない斬撃など恐れていないかのように。トレードマークのペストマスクを千切り飛ばされても、取り出した医療用のこぎりをその直後にへし折られても。地面に叩きつけられてもすぐに起き上がり、長い舌を出し入れする。


 そして攻撃と攻撃の間にあるちいさなすきを見つけると、木々のすきまを縫うように目ざとく反撃をした。


「<(ソーン)刃よあれ(傷の蛇)>!」


 足元の草を鋭利な鞭にして、勇者の脚にからみつかせる。相手が普通の戦士なら両脚をズタズタにできるだろうが、勇者にとっては一時の足止め。「効くかよっ!」と蹴り上げる片脚をひらりと避けて、彼女はふたたび長い舌をぺろりと出した。


 勇者を馬鹿にした、のもあるかもしれない。けれどあれは、こちらへの合図だ。


(追いついた!)


 突き進むヘルミが勇者の背中に届く。「Päivää(こんにちは)!」


「なっ⁉︎」


 質量と速度の暴力だ。緑のカバはおおきな笑顔で頭突きをかまし、無防備な勇者を吹き飛ばす。衝突実験用のマネキンよろしく、彼はくるりとまわって飛んで行き、学校のプールの端から端くらいの距離を経て、ようやく地面に叩きつけられた。


「ヘルミ! もう1回!」


「もちろんです!」


 勢いそのまま倒れた敵へ。意識を失ってくれるのなら、それでこちらの勝ちだ。そうでないのなら罠の位置まで飛ばす。目の端には飛びのいて地面へ倒れるシニッカの姿。彼女はこれ以上戦えないだろうけど、上空には2羽カラスの姿もある。


 だからきっとうまくいく。


 勝利の確信といえるまでに自信を深めたイーダだったが、直後彼女は戦慄した。太陽の高い時間に、街角を曲がったら殺人鬼に会った、そんな顔だった。


 あれほどの一撃を食らっても、勇者はすでに立ち上がってこちらへむき直っていたのだ。


「かわしてヘルミ!」


 それしかない、そう思ってイーダは叫んだ。


 強いほうのヴァナルガンドがくる。次にヘルミが被弾すれば動けなくなるだろう。シニッカはもう動けない。サカリもこの距離では間に合わない。


 勇者が両腕を振るのがスローモーションのように見えた。スポーツ選手にしばしばおとずれるという「ゾーンに入った」状態なのか、それともただの走馬灯か。できることならこの遅くなった世界で、ベヒーモスの見事な回避の一部始終を見たい。そう思ってみても、速度の乗った重い物体は進行方向を急に変えられない。


 巨獣からの「Negatiivin(できません)en」という味気ない返答を覚悟した時、イーダは思いがけない言葉を聞いた。


()()()()()()()()()


「え?」


「<(ユル)矢を放て(弓弦の雹)>」


(弓のルーン⁉︎)


 敵の攻撃を妨害し、なんとか攻撃をそらすつもり。一瞬のうちにそう予想して、一瞬のうちにそれが間違っていることに気づいた。体に感じる風圧と内臓が押し下げられる感覚、耳元で鳴るびょうびょうという音が「矢になったのは私だ」と語っていたから。


 攻撃に巻きこまれないよう、ルーンで空に打ち上げられたのだ。


「ヘルミ!」、はるか下に巨獣が見える。おもわず手をのばす。


「そんな台詞、聞きたくないのに!」


 ブラックサンタと対峙した時の、思い出すと笑ってしまうひとこと。けれど今のはきっと、本物のひとこと。


 ――あれは捨て身の攻撃だ。


 でもそんな作戦を立てた覚えはない。戦果のために仲間の命を支払う気など毛頭ない。


「かわしてぇっ!」


 でも緑の皮のベヒーモスは、堂々と地面を蹴って勇者に突進していた。頭突きをした時と同じ笑顔の真ん中へ、ふたつの瞳を夏の森のような緑色に光らせて。四肢からも胴体からも、なんとなれば頭部からも激しい出血があった。だから雨が降れば水風呂にできるほどおおきな足跡と一緒に、人間なら数百人分の大量の血液を残して猛進した。


 地面を鳴らして走りながら、彼女は笑う。恐怖のあまりそうなってしまったのでもなく、戦いの空気に頭がおかしくなったわけでもなかった。


 ただただ我慢できなかったのだ。


 これから目の前の『勇者』なる、この世で最も強い生物をあざむけるのを。


「<狼の激流(ヴァナルガンド)>!」


 幅15メートルの衝撃波がくる。ふれれば次こそ、盾ごと意識を持ってかれるだろう。――だから彼女は人型に戻り、姿勢を低くした。不正なほど強い力を頭の上へやりすごすため。


 そして勇者の懐に飛びこんだ。


「チェックメイト」、そんなふうに「ヴァナルガンド」と韻を踏み、腰にぶら下げたままだった斧へ手をのばす。全力の一撃を放った勇者は、その直後にすきを見せるから。


 斧に手が届いた。渾身の力で殴りつけるため、踏み出した右脚に体重を移動させる。相手がこれからどんな顔をするのか、彼女は楽しみにしていた。


 そんな彼女の目の前に、ぎらりと光る長い爪。


「予想済みだ」、上から冷徹な声をかけられる。


 ドズッ! 同時に鉄鎧が貫かれる音と、胴体に発生した複数の激痛。


 ベヒーモスは、さっきまで顔の前にあったはずの勇者の爪が、今や自分の体に深々と突き刺さっているのを理解した。左肩に1本、左肺に2本、脾臓のあたりに1本と肝臓に1本。


「かはっ……」


 どうやら読まれていたようだ。足元の緑の草が、流血で真っ赤に染まる。


 彼は必殺の一撃を放たなかった。技の名前を叫んだだけで、致命の一撃を手元に残しておいた。おかげで自分は串刺しになり、即死しなかっただけの死骸になろうとしている。


「あう……ああ」、のどの奥からあふれ出た血を止めるようなしぐさで、彼女は右手のてのひらを口に当てる。


「子どもだましだったな。先に死んでもらう」


 勇者は深く刺さった自身の右手を死にかけの体から引き抜き、首をはねるため振りかぶった。重い一撃、こんどこそ確実に命を奪う一振りの殺意を、長い爪にまとわせるため。


 おかげで発生した時間が2秒。戦乙女に言わせれば、それこそ「予想済み」。


 彼女は短く言葉をつづる。


「<ᚻᛖᚪᛚ(Heal)>」


 ヘルミの口から、脱色する8面体の石が4つ転がり出た。今しがた口元を押さえた時に放りこんでおいたものだ。地面に落ちるころにはすっかり灰色になり、草にはじかれ粉々に砕ける。


「それはっ⁉︎」


 勇者は自分が先日飲みこんだ特上の魔石と同じ形だと気づき、目で追ってしまった。しかしそれは悪手で、なぜならほとんど殺したはずの戦乙女が一瞬でその顔に血色を取り戻し笑ったからだ。


「<(ウル)獣化せよ(我は魚にあらず)>」


 ベヒーモスに戻ると同時に、そこへ雄牛のルーンを刻む。


「しまっ――」


 そしてドシン! ふたたび巨大な頭突きを食らわす。今日はこの男をさんざん吹き飛ばしてやったと、いたく上機嫌な顔で。


(これでよし。サカリさん、出番ですよ)


 今ので()の位置へ彼を放りこめただろう。先ほどつぶやいたとおり、もうチェックメイトなのだ。次は青い空に影を落としている、黒い鳥の手番がくる。


 彼は隼より速く急降下して、勇者が落ちるより早く人の姿で地面へ立った。すかさず飛んでくる獲物を()()()に叩き落とすため魔術を唱える。


「<(イス)盾よあれ(武器の大地)>」


 氷の壁を展開し、まずは勇者の高さを地面の位置へ。ドサリという音を聞いたら、次に彼は大地と敵とを縫い合わせることにした。


「しばれ<(ソーン)>!」


「ぐっ!」


 無数のいばらが勇者を拘束して自由を奪う。しかし声がしたから、まだ意識があるのだろう。


 ちらりと上空を見ると、ヘルミに撃ち出されたイーダはまだ空の上にいた。頂点に達してこれから落下しようとしているが、はじめて身一つで飛んだと思えないほど落ち着いて見える。


「今だイーダ」、青歯王の魔法を使って、彼女に合図を送った。


(わかった!)


 返答は力強く、カラスもまたにやりと笑った。

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