笑う魔女 27
「かかってきな!」というおたけびは、どうやら味方に届いた様子。1対3での戦いを覚悟していたロペの視界、敵のむこう側に、すらりと立つのは黒服の男。
「あんたは⁉︎」なんて声を上げてしまったが、聞かなくてもわかる。たぶんこれがイーダの肩に乗っていたカラスの正体、つまり4大魔獣のひとりたる『黒い羽根の二羽ガラス』なのだ。
当然敵もそれに反応した。
「あらあら?」
「はぁ? なによそれ。ひとり増えてもまだこっちが有利なんですけど」
「ドードー! ベベ! そいつまかせるからね!」
亜人たちはまたガラガラと声を立てる。ロペにはその内容を知る手段はないが、反応でよく理解できた。
(吸血鬼らしきやつふたりは油断、狼亜人は油断なし。ヤバいのは目の前のこいつか)
「そっち2体、まかせます!」、カラスへ言い放ち、人の狼は亜人の狼へ飛びかかる。姿勢を低く、体をひねって槍を持ち、足元を左から右へ横薙ぎに。
ブォン! はずれ。次を構える暇はない。
「このおぉっ!」、敵から縦の振りおろし。一撃もらえば即あの世行き。
それはごめんだと左手を上げ、石突きを相手の目の前に出す。
「っつ!」
攻撃の阻止成功。同時に足を踏み入れてみぞおちを石突きで一撃。フォン! しかし、これもはずれ。信じられないくらいに速い。ならこちらも。
「—— <速力強化>!」
魔術を一節、次の敵の反撃を後ろっ飛びにかわすと、目の前の空気が引き裂かれて悲鳴を上げた。連撃されるのを防ぐため、次は穂先を相手の喉にむける。
「あっ! この!」
立ち止まる相手。防御は成功した様子だ。でも油断する暇などくれはしないだろう。実力は互角だ。
亜人なる生物がこんなにも小器用に避けるとは。
(援護が欲しい!)
狼女の背後では、カラスが吸血鬼姉妹の間に立っている。自身の左右を目だけで警戒し、しかし戦いの最中と思えないくらいに背すじをのばした姿勢で。
(なにをして——)
いや、これ以上意識をむけるのはまずい。視野の焦点を目の前の敵に戻し、相手の攻略方法を考えようとした直後、吸血鬼姉妹がカラスへ飛びかかるのが見えた。
「いただきます!」
「死んじゃえ!」
ああクソ、なに余裕をかましてるんすか。あの体勢じゃ避けられるはずない。
ロペがそう思った瞬間、カラスの男は手のひらとこぶしを「ぱちん」と合わせる。
「――<獣化せよ>」
バササッと羽音を残し、男は消えた。変わりに舞うのは2羽の黒鳥。
「え?」「はぁ⁉︎ なに⁉︎」、吸血鬼姉妹の攻撃はなにもない空間を薙いだ。そして驚き、足を完全に止めたのは失策だった。
彼女らの上空で2羽のワタリガラスが翼をたたむ。そして急降下して、みずからを刃に変えた。
「——<剣よあれ>」
ジャッ! 砂利道に勢いよく足を踏み入れたような摩擦音。同時に吸血鬼は苦痛の声を上げる。
「あぁっ!」
「きゃぁ!」
ダメージに脚をふらつかせるふたり。しかし黒い鳥が許す気配はない。まわりを舞うように飛ぶと、囚人を鞭で打つかのようになんども突進を繰り返した。
ジャリ! ジャリ! っと肌を切るには物騒な音を立て、容赦なくその連撃は続く。
(あんなことできるんすね、魔獣って……)
だめとわかっていながら、ロペはその光景に目を奪われてしまった。幸いなことに目の前の亜人も、自分の背後から連続して聞こえる仲間の悲鳴に集中力をそがれている様子だった。
全身が刃と化したワタリガラスの突入。それも執拗なまでの攻撃。もし自分が拷問死するのなら、あの刑罰だけは避けたいものだ。
「……ドードー、ベベ」
狼の亜人は忌々しそうに背後を気にしているのに気づき、ロペは槍をおおげさに構えなおす。
「俺を見てないと危ないっすよ?」
「クズ人間……!」
拮抗状態に持ちこめれば勝てるだろう、そう考えた矢先、彼は重大なことに気づいた。
「っつぅ! でも! こんなことで、私たちは、死にませんよ!」
「痛っ! このくそカラス! 吸血鬼が、これで死ぬかぁ!」
(ああ、嘘でしょ。あいつら回復してる……)
吸血鬼たちは傷を負う端から肉体を再生させていた。青い草に飛び散る赤い血は人間ならとっくに致死量だ。なのに防御態勢をとって、カラスの刃の舞いが終わるのを待ち構えている。
翼から抜けた宙を舞う黒い羽根。その数が場を飾るのには多すぎるくらいの枚数になった時、2羽のカラスは合流してひとりの男に戻ってしまった。地面に片膝と片手をついた姿勢で。
「いたた、ひどいですよぅ?」
「はあ……。終わり? 意外と体力ないんだね、お兄さん?」
(ああ、2対1じゃ殺しきれないっすか……)
圧倒的に優勢だったが、吸血鬼の持つ回復力にはおよばなかったのだろう。状況を理解した狼の亜人が、安どの表情とともに「次はこちらの番だ」という殺意をむけてきた。
「いやほんと、きっつい相手っすね……」、ロペはこんどこそ万事休すなのだと、生涯最後の言葉を探したのだが、口から漏れ出たのは素直な感想。これならふたたび背すじを流れる冷や汗のほうが、よほど雄弁だったろう。
しかし――
「それはどうかな、狼よ」
(……え?)
人型になったカラスの魔獣は、ゆっくりと立ち上がる。その手からは粘り気のある赤い血が地面へ落ち、地面を伝って吸血鬼の足元に続く。
そして指の間には、8面体の赤黒い石。
(——魔石!)
ロペも魔法の心得があるからわかった。敵の血を存分に吸ったあれは魔術導線だ。魔力のとおり道を相手の血管の中にまでのばし、今からなにかをしようとしているのだ。そして、
「——照らせ、<ᛋ>!」
カラスは魔石を握りしめ、吸血鬼にとって致命のルーンを放った。
「ああぁ!」
「あ! あえ⁉︎」
閃光と、ジュゥゥと肉の焼ける音。
(太陽のルーン⁉︎)
太陽の下でも動けるほど強い吸血鬼は、太陽を体内に取りこんでも動けるのだろうか?
「ああぁぁ! ああああぁぁぁっ!」
「うぁっ! うわぁぁっ! あぎゃぁぁぁ!」
ふたつの断末魔が戦場に響く。怨嗟と苦痛とを混ぜ合わせて、真っ黒になったような悲鳴が。
彼女らが消えるまでの短い時間に、彼女らの一生分の絶望が凝縮されたような絶叫だった。
ほどなくその音は止み、色彩の抜けた姉妹が灰色を地面に落としていく。
「あぁぁ、嫌、嫌です……」、姉が手をのばす。しかしひじから腕がぽろりと折れ、さらさらと崩れてしまう。
「苦し……痛……」、妹は徐々に薄れる白い光の中、自分の胸に手をやり、そこにおおきな空洞が開いているのを知った。絶望の表情をして震えながら、その穴をじっと見ている。
太陽が短い日照を終えると、ザラザラ、そんな音とともに吸血鬼の姉妹は完全に灰になった。地面に落ちた灰色の粉は、山を作ることすらなく、戦場の喧騒がもたらした風に吹かれ消えてなくなる。
「え?」、振り返る亜人の狼。彼女は呆けた表情で、両手をだらんと下げ、亡骸すら残らなかった仲間の死を見おろした。
「ドードー? ベベ?」、戦いの最中に戦いを忘れる事態。新米冒険者なら誰もがとおる、仲間の損失という最悪なこと。
「ドードー! ベベ!」
亜人独特のガラガラとした声が、同じ響きで繰り返された。ロペはそれが、今死んだ吸血鬼の名前だろうことを理解し、自分に背中をむけ無防備となった亜人へ複雑な感情をいだく。
おおいに皮肉だった。はじめて亜人が口にしたことを理解したのが、命を奪う直前だったなんて。
でも同情を戦場に持ちだすことはない。それは彼の体が覚えていた。
「ごめんな、嬢ちゃん」
ドズッ! 肉を貫く鈍い音が、戦場の真ん中にひとつ。
槍の穂先は胴の中央、背骨のやや左へ。力いっぱいに心臓を貫いて、せめて痛みがこの亜人なる生物を過度に苦しめないようにと祈りながら。
ずるりという槍が引き抜かれる音、そしてどさっという骸が転がる音。そのふたつの音を残し、狼型の生物は2度と動かなくなった。
「…………」
うつ伏せになってくれたおかげで、その死に顔は見えない。将来この戦果を誇る日もくるのだろうが、今はそういう気分ではない。
顔を上げると、カラスの魔獣は先ほどと同じく背すじをのばして立っていた。手からひと掴み分の灰を落とし払っている。先ほど太陽のルーンを使った残滓だろう。
「助かったっす。本当にヤバかった」
放置されたスパゲッティのような、冷えてからまり固まった感情をどうにかしようと、ともかくロペは礼をのべた。
「ちいさな狼よ、ご苦労だった。だがまだ終わっていない」
「そうっすね」
味方の中央の集団は壊滅したが、魔王たちと勇者は戦っている。それに他の4つの集団は、いまだ激戦の最中だ。
「私は勇者を倒しに行く。お前は他を助けてやれ」、言うが早いかカラスは飛び立つ。ひと仕事終えたという情緒もなく。
「ええ、了解です」、背中を見送り、ロペも踵を返す。もういちど戦場を駆け、仲間を助けなくてはならない。
今さらながら痛みを思い出した体へ鞭を打ち、血まみれになった大地を蹴った。
今夜一緒に祝杯を上げる人数は少しでも多いほうがいい、そうやって自分を納得させながら。




