笑う魔女 23
記憶の中、最初にうかんだのは、まだ天界で行われていたチュートリアルの最中の光景。
「『Disable』とは、少々味気ない表現ですけれど……。でも私は固有パークをその状態にしておくのがよいと思っておりますわ」
ステータス画面をともにのぞきこむのは、女神たる転生勇者案内人。彼女は最後まで力を慎重に使ってほしいとお願いしていた。
「……ああ。確信が持てるまで『Enable』しないよう、努力する」
しかし勇者はその力を使いたかった。一刻も早くこの力をモノにして、人類の脅威を減らしてしまいたかった。つまり最初は、モンスターに好かれたいというよりも、人に尊敬されたいという欲望を胸に彼は動いていたのだ。
「勇者様のお力は、時に現実を改変してしまうことがありますの。この固有パークの文面からでは読めませんが、どうしても消せない懸念点があるのですわ」
「懸念点というのは?」
「つまり、一見既存のモンスターを使役する能力に見えますけれど、実は『勇者様を慕う存在を生み出す』という創造の力なのかもしれないと」
「……俺は使役者ではなく創造者かもしれないのか?」
おおきな差異だ。なんとなれば『獣と人の道』という名の固有パークの存在意義まで変わってくる。今ある者へのかけ橋ではなく、かけ橋の先にいる者もセットで生み出す概念、という意味になるのだ。もし誰かに「それは出来レースの一種だ」などといわれた時、礼二には反論できる気がしなかった。
「……気をつけて行動しよう」
その言葉を残し、礼二は天界を去った。心には早く使いたいという欲求もあったが、地上におりた彼は約束どおり、しばらく『獣と人の道』を有効化しないと決めてすごした。
その後1年ほど、彼は冒険者ギルドに所属し、そこでめざましい活躍をしてみせる。とくに圧倒的な戦闘力が高く評価され、若くしてCランクまでのぼりつめていた。
(そろそろか……)
周囲は彼に一目置き、今や意見まで求められるほどだ。元々「対話が可能なモンスターを探したい」と口にすることで伏線を張っていたから、今なら冒険者たちに受け入れてもらえると考えた。
だからとある日の夜、彼は能力を有効化した。明日から新しい世界が広がるのだろうと予想し、期待へ胸をふくらませながら。
しかし最初の1か月間、変化はとくにあらわれなかった。自身の五感になんら変わったところはなかったし、戦ったモンスターが仲間になりそうな雰囲気をかもすこともない。礼二は今か今かと気をもみながらすごしたため、その1か月がずいぶんと長く感じた。
そんな彼へ最初におとずれたのは、ちいさな違和感だ。戦いの最中、対峙したモンスターの特定の個体から「仲間になりそうな雰囲気」のようなものを感じたのだ。実際には倒したからといって仲間になるわけではなかったが、モンスターとの交流を待ち望んでいた彼にとって、ささいな変化もおおきな喜びだった。
なんども繰り返すうち、徐々に感覚は強くなっていく。ちいさな違和感が生まれて1か月半をすぎたあたりから、もはや仲間にする時はそう遠くないと確信できるほどまでになっていた。ここまでくると我慢できず、いろいろと試したくなる。たとえば「最初から戦わなければ仲間になるのでは?」という疑問を実戦で試してみたいと思ったことなど。とはいえ味方の冒険者へ戦闘の中止を主張するも、聞き入れられることなどなかった。当然だろう。相手は害獣なのだ。
さらに半月が経過した時、おおきな進展があった。モンスター側の言葉が理解できるようになったのだ。キーキーと騒がしくしていただけのゴブリンの群れは、実は敵への威嚇の言葉を繰り返していたのに気づいた。
だから戦闘前に相手へ声をかけた。ところが結果はかんばしくない。想像と違い、モンスター側から「気味が悪いやつ」やら「なんで話せるんだ?」やら、歓迎とは程遠いリアクションが返ってきたからだ。それでも時間をかけて説得すればなんとかなると思ったが、冒険者たちがそうはさせてくれない。「害獣を逃がす前に確実な駆除をしたい」というのがその理由で、ゴブリンたちはいつもどおり死骸の山になり果てた。
そのころから礼二は、仲間に「奇行がすぎる」という印象を持たれる。どうしてもモンスターと会話をしたくて、戦闘を止めてみたり、時には仲間を力ずくで抑えこんだりしたからだ。
無理をした結果、けんか別れしたパーティーすらあった。
そんな苦労を重ね、固有パークを有効化してから3か月たったある日。振り返れば「運命の日」と呼べるものがついにおとずれる。仲間とともにワーウルフの集団と戦っている最中に感じた、1体の死体から伝わる不思議な雰囲気。その体から流れる血がこちらへ手をのばしている、そうとしか表現しようのない特異なもの。
「君が、そうなのか?」、まだ戦闘中にもかかわらず、礼二は死体へ手をのばす。呼応するように血の色をした感覚の手は、彼へとのびていく。
礼二は迷うことなく、それと手をつないだ。
次の瞬間、つむじ風のような強い魔力の流れ。そしてチリチリと音を立て出現する、ちいさな黒水晶。それが死体の横へ円を描くように広がっていくにつれ、魔力の流れは竜巻のような勢いとなる。
「くっ⁉︎」、礼二は目を閉じ、それを耐えた。ほんの数秒後、風は突然霧散して、ぬるい夏の風に似た残滓が彼の頬をなでる。
「なにが――」
言葉を言いかけた口が、開いたまま止まる。視線の先、黒い円の中。フェフェ――その時にはまだ名前のない、獣人によく似た女性型のモンスターが座りこんでいたのだ。
「君が……」
自分を見上げるその瞳は、不安と警戒心にゆれていた。それはごみの日に捨てられたおもちゃの人形のようで……。
礼二はそれが庇護を求めていると思い、つい手に持った武器を落としてしまう。
「危ねぇ!」
だがその行為は戦場での油断となった。別の個体から横殴りにされ、あわてて受け止めた腕の上、金属籠手が軋みを上げる。
「ぐぅっ!」、崩れた姿勢で無理やり蹴りを入れ、敵を吹き飛ばした直後、視野の隅で動くもの。
今発生したばかりの彼女が、猛然と襲いかかってきたのだ。
「待て! 俺は敵じゃない!」
「レージ! なにしてる! 殺されちまうぞ!」、彼の身を心配し、仲間が援護に入る。
「手を出すな!」、しかし礼二はそれを拒絶し、戦いの中で対話をはじめた。
「俺の名は礼二だ! 君を殺したりしない! 話を聞いてくれ!」
「っ⁉︎ 私の言葉がわかるの⁉︎」
「よせレージ! どうしちまったんだ!」
状況は混沌とした。
生き残りのワーウルフが冒険者たちへ襲いかかり、礼二のもとから引きはがしてしまう。戦力の中核だった礼二が戦いを忘れたから、残りの者には高い負担となる。結果、戦いは激しさを増した。
しかし戦場の中心では、狼の少女と勇者が会話をはじめている。一方は警戒と困惑で動きを止め、一方は繰り返し懐柔の言葉を叫んで。
「あ、あなたはなにものなの⁉︎」
「君の味方だ! お願いだからその爪を下げてくれ!」
「でも! あなたの仲間は私の仲間と戦ってる!」
「違うんだ! 彼らはまだ知らないんだ!」
――しばしの後、戦いは終わった。残されたのは6名の冒険者とひとりの勇者、そして1体の亜人なる者だけ。仲間の死に亜人はうなだれ、座りこみ、戦意を喪失していた。
「レージのやつ、どうしたんだ? まさか敵の魅了か?」
「ええ、ありうるわね。まずいかも。速攻であそこのワーウルフの首をはねないと」
「……レージは俺が助ける。女のお前さんは、あの女型狼を。同性ならチャームが効きにくいはずだ」
「わかったわ。そっちはまかせたわよ」
「よせっ! 俺は正気だ!」
仲間を救おうとした冒険者たちと、それへ強い反発をしめす本人。
ほどなくしてそれは戦いに発展し、最後に残ったのは、ひとりの勇者と1体の亜人だけになった。




