笑う魔女 20
夜営地がうなる犬のように殺気立つのは、モンスター側に裏切った冒険者が亜人(と主張されている)仲間を連れて交渉にきたからだった。普段は人語を解さない害獣が相手の冒険者たちにとって、敵が主張する「戦闘開始時間の提案」と「戦いの前の会話時間を要求」など奇異に映ったし、罠ととらえる者もいるほどの警戒心を生んだ。それぞれのパーティーが戦闘準備をし、起動した5体ゴーレムを中心に5つの戦闘集団を編成する程度には。夜営の準備を終えた支援部隊の馬車も後方に下がっている。
草原が焼かれる結末を暗示するかのように、濃い色をした夕焼けの下。もし帰宅時間を告げるカラスがまかりまちがって空に声を響かせたのなら、それを合図に命の奪い合いが発生しそう。そんな緊張感を片手に持ち、しかしイーダはもう片手に「興味」という名の感情を持っていた。ただし懐におおきな戦意を忍ばせ、いつでも抜き放てるように準備しながら。
(これが亜人……)
ペストマスクの両目ごしに見えるモンスターの姿。ゴブリンを大柄にして、もっと人間に近づけたような見た目。首元にある装飾は群れの中で高い地位にあったことをしめしている。ゴブリンロードか、それに類する者の証だ。プラドリコにくる前の道中で、壊滅したゴブリンの巣穴を偵察した時、そう教わっていた。
たしかに目の前に立つそれ――亜人は、人の顔、姿かたちをしている。少なくとも、イーダにはそう思えた。一緒にいるワータイガーやデュラハンだってそうだ。100パーセント人間である「裏切りの冒険者」とならんで立ってこちらをむいているから、比較だってできる。
それは魔界でも他の地域でもよく見られる、オークや獣人やその他の不思議な種族たちによく似ていた。
——でも。
決定的になにかが欠けている。不気味の谷に落ちた気分になる。彼女たちの声がどう聞いても獣のうなりで、翻訳されて自分の脳に届かないから、というだけではない。亜人なる者は人類というよりはやはり別の生物のほうが近く、ショッピングモールのマネキンが作り物の肌と人工繊維の表情筋を手に入れたような違和感があった。
イーダはその理由を注意深く探った。砂浜のどこかに落とした真珠を探すような懸命さで。命を差し出し、差し出される相手に対し、「なんか嫌だ」などという態度は許されないと思ったから。
「提案は今伝えた2点だ。受け入れられないってなら、別にそれでいい」
裏切りの冒険者、の割には誠実さを感じさせる交渉人。彼が「橋渡し役になる」と言っていた人物であることは、イーダたちもサカリから聞いている。
「トランピジャス、お前たちの提案はわかった。ひとつ目の『戦いは明日』については受け入れよう。どうせこちらのやることは変わらない」
マルコが即断したことにイーダは「いいの?」と疑問をいだきつつ、すぐに理解した。敵の言葉を信じるなんてどうやってもできないし、ならいつでも戦える状態で夜警を立たせることになるからだ。もし本当ならそれも好都合。相手に吸血鬼がいるのはわかっているから、自分たちも日が明けてから戦いたいとも思っていた。
「だが、ふたつ目、『戦いの前に会話をする』については、俺が答えることじゃない。当事者の魔王様が判断されることだ」、マルコは振り返り、目線を魔王へ。対するシニッカは意外そうな表情を浮かべる。
「戦いの前に会話をはさむのは別にいいけれど、それをマルコじゃなくて私と? 交渉をするのなら、グレニャスとするべきよ。この集団のリーダーは彼なのだから」
「いいや、レージはあなたと話をしたがっている」
「そう……」
およそ敵の使者にむけるものではない困り顔。イーダはシニッカのそんな顔をあまり見たことがなくて、なんだか芸能人の付き人がサインを求められて困惑しているように感じ、肩から力を抜いた。どうやら今は戦意を胸から取り出す時ではない。もし唐突にその時がきたら、シニッカのことだ、うまくみんなを駆り立ててくれるだろう。
「なら構わないわ。なんとなくだけれど、勇者が私になにを伝えたいかわかるもの」
「ご理解いただき、感謝する」
「使者のあなたに失敗をさせるのも悪いからね。でも、間違ってもその場で噛みつかないと約束してもらうことはできる? もちろん、目に見える形で」
言葉にイーダはピンときた。特定の音——たとえば餌の袋がガサガサいう音を聞くと尻尾を振る犬のごとく意図を理解して、腰に下げたカバンから魔法誓約書を取り出す。自動筆記型の高価なもの、悪魔が悪意を記すのに便利な契約書だ。
相手はそれを見て一瞬目の色を変え、すぐに目をそらした。そのまま両目をつむり、思い悩む表情を浮かべる。
(なんだろう、今の目)
使者が持つにふさわしくない狩人のような眼光だった。しかしその理由を考える間もなしに話は進んでいく。
「承知した。誓約を交わさせていただこう」、正面に戻された顔と、真っすぐな目。狩人から誠実な人に戻った様子だ。そしてそれを見てはたと気づいた。
目だ。亜人なるモンスターたちに持っている違和感の正体は、彼女らの瞳だ。
その目には人類の持つ輝きがない。もっというなら、人とは違う輝きを感じる。人類の瞳が水晶でできているなら、亜人のそれは祭りの屋台で売られるプラスチック製の装飾品だ。光を反射した表面はキラキラ輝くが、奥行きがない。光を吸いこみ中で反射させ、また外に出すという深さが感じられない。あたえられた刺激に対し、決まった反応しか返さないのだ。それは魂がないようにすら思える。
イーダは顔をむけず、視線だけでオークロードを観察した。緑がかった金色に、爬虫類のような縦線が入る瞳。時々使者へ低いうなり声を出して語りかけるたび、バラエティー番組の過度な演出みたいにギラリと光が表面をなめる。
(ああ、作り物なんだ。……って私!)
相手の存在を否定するかのような思考に、イーダは自分自身で驚き目線を戻した。
(わ、私はなにを考えて……)
敵だからって存在まで否定するのはやりすぎだ。でも……でも自然とそう感じてしまった。それに彼女たちが勇者の固有パークによって力を得たという予想が間違っていると思えない。もしかしたら勇者に必要とされたからこそ、この世にいるのかも……。
じゃあもし、私たちが勇者レージを倒してしまったら? 主人を失った彼女たちの存在そのものは、誰が保証する?
——じわり。あごの奥に乾くような感触。めまいを覚えるくらい特異で不快な、泥のようななにか。ギジエードラゴンの騒動で女王を裏切った魚人、コナー・ギタレスが責められていた時と同じ感覚が、奥歯より奥から口元に広がる。
(うぅ……気持ちが悪い)
「俺は正しいと思ったことをやっているという自負がある。だからあなたとの契約も堂々と受けたい」
イーダを現実に引き戻したのは使者の決意の言葉だった。マスクの下で口を開け、不快感を息とともに吐き出す。
「それに、俺は仲間の勝利を疑いたくない」
トランピジャスは執拗に自分の意思を述べた。400名の敵に囲まれていてもそう言えるのは、信念と度胸があるからなのだろう。
そんな彼に——
「うれしいわ」
悪魔の王は舌をちらつかせ、微笑みを返した。




