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笑う魔女 18

 豊かな草原(プラドリコ)という名前の由来のひとつ、郊外にあるオリーブとアーモンドの木が植えられた段々畑。存在するだけで「この地域はご飯がおいしい」とわかる景色をながめていると、昨日冒険者ギルドの酒場で食べた食事たちを思い出した。


 野菜や果物、肉と魚と貝、分厚いチーズにスペイン風オムレツ(トルティージャ)。たくさんのお酒がそれらと一緒に机を着飾っていた光景は、食べ物の博物館にいるみたいだった。魔界の王宮でそのことを思い出したのなら、きっと比べてしまう。そして骨53号の耳障りな顎骨を鳴らす音とともに、「魔界はなんらかしらの建物の建設予定地だ」とつぶやくだろう。豪華な装飾の博物館に比べ、ここはまだ整地すらされていない雑草がのび放題の場所なのだと。


(あったかいなぁ)


 昨日正体を明かしたことで、今日はペストマスクもなし。顔を太陽の息吹になでられて、うっかりすると歩きながら昼寝しそうだ。魔界ではこの時期にこんな晴天なんてめったにない。いつも雪をもたらす雲か、雪をもたらそうとしている雲のどちらかに支配されているから。


 ここにいると、これから血が流れるだろうことを一時忘れさせてくれる。


(でも……)


 でも自分たちは戦いにむかっている。この風景に戦火がおよぶなんてこと見たくない。だからこうして歩いているんだ。


 晴天の下、イーダは少し顔を曇らせる。ここのところ彼女はずっとそうだった。勇者との戦いの日を待っている間、いろいろな風景や光景を見ながら、ふと我に返るのだ。家を出た後に鍵を閉めたか心配になるような、もしくはテスト前の休日のような、どこか落ち着きのない心。今までの勇者災害に対応してきた時とはあきらかに違う心構え。


 戦う覚悟はある。勝てるであろう手段も用意した。


(……大丈夫)


 もう50回は繰り返したであろうその台詞を、また心でつぶやいた。


 プラドリコの街に別れを告げて、イーダたちはロード・オブ・ザ・ギフト——見事に整備された広い街道を進んでいく。レージ率いる害獣の群れ、スタンピードを迎え撃つためだ。冒険者400人ともなると、それを支援する人たちや馬車なんかが100人くらい必要になるから総勢は500名以上。くわえて石でできた身の丈4メートルもあるゴーレムまでいる。


 冒険者たちが持つ剣や槍の間を、のっしのっしと歩く巨人。全部で5体という数は集団の数に比してかなり多いらしく、「緊急事態じゃなきゃこんなに集合しないっすね」とはロペさんの弁だ。


 イーダは自分がその「緊急事態」へ自分が参加していることに心臓の鼓動を速めた。


 今回の敵は強い。少なくとも熟練冒険者たちが浮き足立つくらいには。でも参加するみんなの表情は明るいものだ。端々に緊張感がただよいはじめているけれど、今はまだ気負うべきでないと脚に言い聞かせながら歩いているようだった。


(まだだよ、イーダ。まだ戦意を高ぶらせるには早いよ。戦いはこの道の先にあるんだから)


 彼らのまねをして心を落ち着かせるため、自分で自分の名前を呼ぶ。そんなことするなんて、映画か小説の中にいるみたいだ。だとしたら私という登場人物は、この戦いでどんな役柄をあたえられているんだろう?


 少し先を歩くシニッカとマルコさんの後ろ姿。彼女らは「魔王」と「プラドリコの冒険者の代表」だ。自分の左どなりを歩くヘルミは「辺境伯」で「ベヒーモス」。右にいるロペさんもAクラスらしいから、「プラドリコの冒険者代表の相棒」なのかな? とそんなふうに思う。


 イーダが「肩に乗るフギンはなんて役柄だろう」と考えていると、ロペが口を開いた。


「助かったっすよ、イーダ。魔王様はさすがっすね。人の盛り上げかたっていうのを知っている」


「同意するよ。私たちをまぎれこませておくっていう、ロペさんの保険は大当たりだったね」


 そう答えると、木の根の色をした長いくせっ毛が「へへっ」という照れ笑いを飾る。青い空を背景にした茶色の髪が、自然の縮図のようにも感じた。まあ視界の3分の1くらいは、肩にいるワタリガラスの胸の毛でおおわれているけれど。まるで風景を切り取ろうとシャッターを押した時、動物が不意に写りこんでしまったなんていうおもしろ写真のようだ。


(題名は……そうだなぁ。あ、「カラスの鳩胸」にしよう)


 そう書きくわえた画像をウェブにアップロードしたら、ページを開いた人はみんな怪訝そうな顔をしてくれることだろう、なんて考えている彼女の表情は、曇りから再び晴れに変わった。


 そんなふうにニヤニヤしている少女の顔は、ロペのほうをむいたまま。その行為は茶髪の青年へ好意的な印象をあたえるのに十分だ。


「イーダ、笑顔カワイイっすね」


「え? しょんなことないよ?」


 一生男慣れすることがなさそうな返答。ふたつある「な」が「にゃ」にならなかったことすら奇跡だった。


「いやぁ、なんかホッとするんすよね。これから戦わなきゃいけないから、どうしても緊張するんすけど……でもイーダは深刻そうな顔をしないっすから。普通の顔をしているか、笑っているか。暗い表情を見せないっすもんね」


(さっきまで暗い表情だったような気もするけど……)


 もしかしたらアジア人顔の私の表情は、みんなに伝わりにくいのかも。だとしても、これはこれでお得なのかもしれない。今日はみんなの心をネガティブに引っ張る要素なんていらないのだから。


「子どもの頃に好きだった物語を思い出すんすよ。『ブラー・スキンナ』って知ってます? あれに出てきた、ええと、あの魔女の名前ってなんだっけかな?」


 ブラー・スキンナは先日読んだ呪術の本に書いてあった、そしてエル・サントバコロ大聖堂の天井画にもあった、悪王を多種族が倒す英雄譚だ。そこに出てくる魔女といったら、白樺の梢がよく似合う悪魔種の彼女だろう。


「ザ・カニング?」


「そうそう! 彼女って、主人公たちがどんな窮地でも飄々としているじゃないすか。今になって思うと、あんな人がパーティーにいたら頼もしいだろうって。イーダさんも全然動揺しないから」


「それなら、私たちの魔王様こそそうなのかも。誰が取り乱していても、彼女が取り乱すことはないから」


「へぇ、やっぱすごいっすね」


「それに私はロペさんこそ立派だと思う。私、あんな人数の前に立ったら緊張しちゃうもん。それにみんなの士気を考えて行動できるんだし」


 イーダは数日前サカリに使用した新スキル「照れくさいから相手をほめる」を使用した。どうも会話に困った時の対応策ばかりが充実していく彼女は、「前世の自分からしたら相当な進化なのだと」短絡的な確信を得る。悪いことに相手が「へへへ」と嬉しそうにするものだから、私はついにコミュニケーションの極意を発見したのかもなどと、この世に存在しない手段を発見までしてみせた。


 それを肩の上の教師がめざとく見とがめる。


 先ほどまで視界の3分の1にとどまっていた黒い毛玉は、生徒に自重をうながすため、その存在を強調していく。具体的にいえば、視界の3分の2を支配するために上体を倒した。たまらずイーダは手でそっとよけようとしたが、教師は愛の鞭を振るい、その手の甲をおおきなくちばしでビシビシと攻撃した。


「あ、痛い! 痛いよサカリ!」


 感嘆符がついただけの無味な感想に、カラスは少々「気に食わない」と思いつつも攻撃をやめる。そして元の位置に戻ったと見せかけて、依然視界の2分の1を支配した。


「大丈夫っすか?」


「うん、彼、今は意識がむこう側なのかも」


(私は今、こちらにいるぞ)


 教師たるサカリの思考たるや、地球において安物のホラー映画の1シーンか、イーダの故郷でもある日本で見られる「メリーさん」のような雰囲気となってしまっている。ただ、彼が気に食わなかった理由はイーダの増長ではなく別にあったため、それはしかたのないことでもあった。


(記憶が正しければ、Lope(ロペ)という名は「狼」の意だったな。実に油断ならん)


 そして気に食わん。


 駄々をこねる子どもと化した魔獣の半身は、もう半身に課せられた勇者の動向を注視するという任務を放棄しない程度に、自分の教え子へ「悪い虫」が近づくのを阻止しようと浅はかな決意をいだいた。

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