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笑うノコギリエイ 前編1

挿絵(By みてみん)


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 女子高生がひとり歩いていた。


(どうやったら、人生っておもしろくなるんだろう)


 雨の日の夕方、人混みの帰り道。年齢にそぐわない考えが頭の中を往復する。右脳から左脳へ入り、また右脳に戻るそれは、彼女の人生のように答えを出さなかった。


 めずらしくもないセーラー服、学校指定の学生カバン。コンビニで買った安物の傘を差し、どこか疲れて見える茶色の革靴を履き。彼女へ他の学生と違う個性をあたえるものなどなにもない。前下がりのボブカットも校則どおりに黒髪で、あか抜けた印象をあたえるものではなかった。


 唯一、青春の最中にあって人生のおもしろさへ頭を悩ませていることだけが、灰色の道で彼女を一意の存在にするだけだ。年齢はまだ15歳。おそらく大人は彼女に対し「人生を語るには若すぎる」と言うだろう。


 しかし彼女は「15年も悩んだ」のだ。


 ネグレクト、とまではいかないが、彼女に無関心な両親のもとで育ち、家族愛に見放された日々。なんとか気を引こうと勉強も運動もまじめに取り組んだが、そのたびむなしく豆腐にかすがいで穴を開けるばかりだった。


(どうやったら、笑顔でいられるんだろう)


 傘は雨をはね返してくれるが、寒さは防いでくれない。それほどおおきくないから、学生カバンを濡らしシミの色に泣かせている。


(高校に入ったら友達を作ろうと思ったのに)


 学校でも人に話しかける努力をしたが、そもそもコミュニケーションが苦手でうまくいかなかった。会話の初歩、『話しかける』という1歩目の行為が苦手なのだ。自分の脚が鉛でできているのではないかと思うくらいに、下手くそなのだ。


 勉強のできは悪くなかっただろうと自分でも思う。実際まじめな堅物(かたぶつ)である彼女は、中間テストの前に同級生から頼りにされた。けれど、それが終わったらヒソヒソ話の酒の(さかな)だ。「あの子って友達いるの?」なんて具合に。


 だから勉強や小説に現実逃避した。そして、それにまじめにむき合えばむき合うほど、自分がみじめに思えてしまった。


(このままじゃ、だめなんだろうな)


 自分を変えるべきだろうか。たとえば好きな読書やめて、あまり興味はないけれど有名インフルエンサーの動画配信でも見るようにすれば、少なくとも学校で話す話題が手に入るだろう。


 手に持つ傘が誰かの傘を引っかけないように気をつけながら、そんな卑屈な考えを浮かべてしまう。


(誰かと笑いながら一緒に帰るって、どんな気分なのかな。……友達を作れるように、もっと頑張らなきゃならないのかな)


 雨の日は苦手だ。肩が張って頭痛がしてくるから。それは勉強熱心な自分におとずれた肩こりからくるものなのか、それとも学校で感じているストレスからくるものなのか。


 まだ15歳なのに肩こりやらストレスやらって……。そう考えると、よけい足どりが重くなった。自分の脚にからみつく、鉛よりも重いこの金属はなんだろう? 少なくとも金ではなさそうだ。今の自分はきらびやかさとは程遠いのだから。


 赤信号、古びたホビーショップの前に立つ。ショーウィンドウに映るマスクを着けた自分のむこう側には、店主が作ったのであろう船や車の模型がずらりとならんでいた。少々埃をかぶっているそれらがシャッターで隠されていないのは、パンデミックの影響で模型が売れ、この店がつぶれないで済んでいるからなのか。


(いっそ開き直って、小説以外にもひとりで没頭できる趣味をたくさん持とうかな。プラモデルとか……でも、難しそうだな)


 目線の先、ならぶ作品たちの真ん中。「私を見て」とばかりに主張するのは、ひときわおおきく精工な船の模型だった。


 それは帆船じゃなくて、スクリューで進むタイプのもの。全体的にのっぺりしていて、灰色。きっと鉛よりも丈夫で軽い、鋼鉄かなにかで造られているんだろう。陸の上を重そうに歩く自分と違い、海の上を颯爽と駆けていくのだろう。そう思ったからか、これはたぶん軍艦のたぐいじゃないかと感じた。


(あれ? これは人間?)


 よく見ると、筒状の塔みたいなところに人影があった。ちいさい――100円玉くらいの、船長さんらしき人たち。そろって双眼鏡をのぞきながら、あたりを観察している様子。驚いたのはその塗装の細かさだ。ご丁寧にも肌の色と髭の色まで塗分けれられていて、作った人のなみなみならぬ情熱が伝わってきた。


 こんなものまで作るのか! なんて、今日はじめて心がくすぐられのを感じる。


(ああ、これが()()()()()っていうんだ。いいなぁ。人間がこのおおきさなら、船は……50メートル以上あるのかな?)


 目線をほんの少しだけ下げる。船長さんたちのいる筒状の塔には、その側面に堂々と鎮座するマスコットが描いてあった。もしこれが予想どおり軍艦なんだとしたら、軍人さんは意外と茶目っ気のある性格なのかもしれない。


(これは……魚なのかな?)


 目をクリッとさせてニカッと笑う、丸っこくて変なやつ。ちいさなヒレがついていて、ノコギリのような長い鼻を持っている、魚であろう()()()


 笑う()()()と目が合って、マスクの下で頬がゆるむのを感じた。


(君は楽しそうだね)


 しばし見つめ合う。もし店主が出てきて「嬢ちゃん、作ってみるか!」なんて言ってくれたら素敵だろうな、そう考えながら。


 ……信号が変わりそうだ。


(また明日ね、お魚さん)


 渡り慣れたスクランブル交差点。人々の足音と雨が傘を叩く音。いつもの静かな、孤独な夕暮れ。


 でも、そこに混ざる嫌な音。


 ざわめき、金属音、そして――


「逃げろぉ!」


 怒号。


 後ろから突き飛ばされ転ぶ。振り返ると、目の前をよぎるおおきな影。


 同時に、すさまじい金属音がした。


 鋼でできた獣の断末魔のような、自分が廃物処理場のプレス機の中にいるような、現実離れした音。


 それに混ざって、刃のような冷徹さをたずさえたちいさな音。なにかが折れる時のものと、なにかがすりつぶされる時のもの。


 雨の中を孤独とともに歩いていた少女の身に、それらは襲いかかった。


 通りすがりのサメのように、気まぐれな牙を突き立てて。


(…………)


 最初、少女はなにも感じなかった。いろいろな物が崩れるガシャガシャという耳障りな音も、鼓膜が麻痺した時になるぼわーんという感覚が、山にかかる雲のように頭を覆っていたからだ。そうやって痺れてしまった聴覚と一緒に、視覚までもが仕事をあきらめている。


(……なにが、どうしたの?)


 わかるはずもない。たった2、3秒に凝縮された数多の情報を、それも不意打ちのように突然あらわれたものを、ただ帰宅するために体を動かしていた脳が処理することなどできないのだから。


「う、うぅ……」


 10秒以上経過しただろう。ようやく聴覚が雨の音を拾い出し、視覚も目の前の光景を正しく認識しはじめた。


 両腕に力を入れて上体を起こすと、目の前にあったのは、元は四角かったであろう金属の塊。ゆがんで折れて、見るに堪えないおおきな残骸の姿だった。


「あぇ? あ……なに?」


 問いに答えてくれる人はいない。それは少女が孤独だったからではなかったが、すっかりひとりでいることに慣れてしまった彼女は、こんな時に状況を説明してくれる友達がいたらなあと、どこか夢見心地のまま考えていた。


(……あれ? 力が……)


 四肢に脱力感を覚える。睡眠に落ちる前のけだるさと同じ感覚だ。とくに両脚は動かそうとしても動かない。そこだけ先に寝入ってしまったかのように、なんの反応も返してくれない。


(家に帰らなきゃ)


 睡眠中の脚をゆすって目覚めさせようと、手をのばそうとして、彼女は視線を落とした。


 赤く染まっているセーラー服の先、スカートが粘りのあるシミに覆われている。そしてその先にあるのは、大量のがれきだけ。


「あ……え?」


 手をのばしても膝にすら届かない。冷たい金属片が、ぬるっとした液体とともに手を邪魔しているから。


「あっ!」


 突如体を襲う嫌悪感。


 起こってはならないことが起こった、そう理解した瞬間。


 だって、そこに残骸があるのなら――


「ああっ! ああああ!」


 ――私の脚は、どこに行った?


「うあああああぁぁっ! 痛い! 痛いいぃぃっ!」


 両脚からくる激痛が、彼女を大声で叫ばせた。彼女にはただ、そうするしかなかった。


「やめてぇっ! 離してよぉっ! 離して! 離せぇぇぇっ!」


 腕をのばして残骸を押しのけようとする。けれどびくともしない。ここから早く遠ざかりたいのに。下半身を温める大量の血液が、()()()()気持ち悪いのに。


「ぐぎぃっ! 死んじゃう! お願い! やめでぇぇぇっ!」


 激痛は焦燥に変わる。早くここから逃げないと、殺されてしまう。


 痛い、痛い、痛い、痛い。死にたくない、死にたくない、死にたくない……。


 想いとは逆に視界がぼやけ、金属の塊を押しのけようとした腕にも力が入らなくなっていく。


(嫌だ、こんなの、嫌だ!)


 にじむ世界の中、最後の力を振り絞って両腕に力をこめる。しかし――


 ジュゥッ! 肉の焼けただれる音とともに、両手が青い炎に包まれてしまった。


「う……うあぁ……」


 声にならない声が出る。目の前には炎に焼かれる両手が、ぶらぶらとゆれて死んでいく。


 ああ、手まで失った。これではもう、あらがえない。


 紐の切れたマリオネットのように、彼女の全身から力が抜けた。


「……やだよぅ……」


 ぐらり、頭が天を仰ぐ。灰色の空が無感情に見おろしてくる。


「やだぁ……」


 仰むけに倒れ、後頭部を打った。さかさまの人々が目をそらしている。


(ああ、誰も見てくれないんだ。私、ここにいるのに)


「しにたく……ないよぅ……」


 頭がガクリと横をむく。開きはじめた瞳孔の中、映るのは遠くにあるホビーショップのショーウィンドウ。


(お魚さん……)


 今日の帰り道、笑いをくれたそいつ。そいつだけは、まだ彼女を見ていた。


(ああ、お魚さん。私、嘘をついたよ……)


 火傷した手から、大切に握っていた意識が遠くにとおくに逃げ去っていく。いつの間にか、痛みも消えた。


(私に()()は、ないんだね……)


 そして、ぷつん、意識が消え失せる音。それは楽曲が終わった時と同じような、終焉の響きをしていて……。


 この日、飯田春子(いいだはるこ)という名の、ひとりの女の子が死んだ。


 艦橋(セイル)に描かれた笑うノコギリエイが、ショーウィンドウに(したた)る雨で泣いているようだった。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


「――ら! ほら見て! いいね! いい子きたよ!」


「落ち着けよアイノ。飾り窓を見るおっさんじゃねえんだ」


「僕にツバを飛ばさないで、アイノ」


 意識の遠くでさざ波のような声が聞こえる。ここは彼岸なのだろうか。


「あの(むすめ)、ひどく頼りなく見えるな」


「私にもごく普通の人間に見えます。シニッカ様、彼女は?」


「猫の仔か、虎の仔か。どうかしらね?」


 ぼやける視界のカメラが、徐々にオートフォーカスを働かせる。同時に意識もそれにならって、体を動かせる程度まで輪郭を取り戻す。


 春子はなんとか両腕へ力を入れ、上体を起こした。と、数メートル離れたところに数名の人影が見えた。声の主は、あの人たちの様子だ。でも薄暗くてシルエットしか見えない。


(ここ、どこ?)


 ぼんやりとあたりを見まわす。


 暗い壁をした、広い地下室に見えた。もっと直感的には、水を抜いた水族館の水槽の中に落とされたように感じた。いろいろなところに穴が開いて、黒くて鋭利な水晶があちこちに突き刺さっている。あいた穴から差しこむ光が、この場所を暗黒から救っている。いや、それだけではない。どういうしくみかわからないけれど、青色の光が部屋のあちこちに焚かれているから、水の中のような印象を受けたのだ。


 あの光はなんだろう、あの黒い水晶はなんだろう? 見たこともないものがたくさんあって、グラリグラリとゆさぶられる脳。そして頭蓋骨の中にあるその器官は、片隅で無視できない恐れをいだいている。


 ここは死後の世界ではないか、と。


(……死んじゃったの?)


 気力が出ない。力が入らない。腹がヒクヒク痙攣(けいれん)し、引きつった笑いを浮かべているかのようだ。


 ガクリと肩が落ちる。つられて落ちた視線の先には、白いセーラー服、紺色のスカート。そして、車の残骸に潰されたことを思い出し、震えている()()()両脚。


 あの時、失ったはずなのに。


「あ、ああぁ……」


 ポロポロと涙がこぼれてくる。脚が戻った安堵感。でも戻るはずのないものが、そこに存在する非現実感。


(……私、死んだんだ)


「う……うぇぇ」


 制御できない感情が、ただ涙腺だけに働きかけた。


「ぇええ、ひぐっ……うぇぇぇ……」


 悲しくてどうしようもない。私はまだ、なにもしていない。なにひとつ手に入れたことがない。


 泣いて震える春子を見て、まわりの人影たちは軽口をやめた。みな一様(いちよう)に少女を見つめている。


「下がっていなさい」、まわりにそう言って、人影のひとりが春子に近づいた。涙のすきまから見えるのは、部屋と同じ青い色をした女の人。


 彼女は春子の目の前に立ち、膝を地面につけ、そして両手で体を包みこむ。


「大丈夫よ、たぶんね」


 急に聞こえたやさしい声と、体全体をつつむ温もり。心をかき乱された春子は、その人にすがるしかなかった。


「……えぐ、痛かった、怖かった。し……死んじゃったっ!」


「よく頑張ったわね。私が一緒にいるから」


 自分をだきしめる()()()の人は、それ以上なにも言わなかった。そのかわりに背中をさすり、頭をなで、黙って一緒にいてくれた。


 体の震えがおさまるのには、まだ時間がかかるだろう。


 でも、死んではじめてやさしさに触れた。


 今の春子には、それだけで十分だった。


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