笑う魔女 15
「ふん」、勇者たる礼二が鼻を鳴らしたのは、戦った敵が弱すぎたから。相手は冒険者たち。枢機卿からの依頼を受けて、亜人を率いる自分を殺しにきた連中の先鋒だった。
先遣隊、とはいうものの、かなり逃げ腰の連中だったといえる。顔を見るだに逃走をはかるその姿は、冒険者の「危険を冒す」姿にふさわしくないとすら感じた。だから容赦なく追撃をしたし、そいつらの腕をヴァンパイアの姉妹へあたえるのに躊躇などない。彼女らがバリバリ音を立ててそれを食べているのに対し、眉をひそめることもない。
礼二はその光景を傍目に、早く関心を新しい魔石へうつす。
8面体の特別な魔石。先日摂取したところ、あきらかにレベルアップのような効果があった特別なアイテムだ。
今回は2つも手に入った。前回分をあわせると3つだ。
「トランピジャス、本当に助かる。まさかこの短期間で2つも追加してくれるとはな」
「俺もなかなかだろう? 教会ってやつは金に目がくらんでいるっていわれているが、どうやらそのせいで見落としが多いらしい。今回も俺の仲間の盗賊がうまくやったぜ」
「そいつも俺たちの仲間になってくれるかな?」
「さぁな。それは俺たちのこれからの戦果次第じゃないか? 俺たちが世界を相手にできる集団だってことをしめせば、自然と人はよってくるさ」
「……勝ち馬に乗ろうって連中と、お前を同列に考えたくないさ」
トランピジャスはお礼の言葉に照れくさそうなそぶりを見せた。礼二は仲間——亜人たちが彼を見る目が、「どこか憎めないやつ」から「有能なのに威張らない仲間」へとレベルアップしているのを感じ、口の端を上げる。前回彼に怒ったフェフェが笑顔でお礼を言っているし、彼のお気に入りであるオークロードのヴィヴィにいたっては肩を組んで労いの言葉をかけていた。
ヴァンパイア姉妹の食事が終わるまでしばし談笑していた礼二たちは、話題を魔石に戻す。
「今回は誰に食べさせたものか……」
「ねえ、レージ様。今回もレージ様が食べてほしいな。フェフェ、それを食べるの少し怖いから」
「やはり『おおきすぎる』と感じるのか。みんなもそうか?」
「アタシも嫌だね。他のと違ってうまそうじゃないんだよ」
「私はニンゲンのお肉でおなかいっぱいです」
「ベベも! もう入らないよ!」
そう答えた各々の判断に、トランピジャスが背中を押す。
「誰も手を上げてない、って理解で正しいか?」
「ああ、そうだ」
「安心したぜ。そうしたら止めていたところだ。そいつはレージが食べるべきだぜ。そいつを盗んだやつから聞いたんだが、人間の作ったものだから元モンスターの亜人たちに害があるかもしれないってさ」
「なら悩む必要もないな」
手の上にある赤黒い石をまじまじと見る。ここにもモンスターに対する悪意がうず巻いているかもしれないと思うと、自分たちを差別した人間に対する怒りが心に逆まわりの黒いうずを巻いた。
(いや、みんなの前で怒りの顔をするべきじゃないか)
思考をそらすため、目線は今回刻まれている文字へ。前回と同じくルーン文字だろうか。トランピジャスに顔をむけると、勘づいて「ああ、そうそう」とメモを取り出した。
「今回のは『エア』と『スリサズ』で、『地球』と『いばら』をあらわすらしい。一気に食べるなよ?」
「それはふりか?」
礼二は飴玉を放るようにふたつとも口へ。そして飲みこんだ。さすがにまわりから悲鳴のような声が聞こえて、ちょっとした罪悪感にさいなまれることに。
「レージ様! ちょっとは慎重になって!」
「レージってそういうとこあるよな……」
悪ノリが過ぎたようだと考えていると、前回と同じ変化が体にあらわれる。すでに道路整備が済んだ都市へ、こんどは高い位置を走るモノレールやら、遠くの場所へ行くための空港やらが建築された気分だ。やはり不快感はなく、自分が強くなっているという自覚だけがあった。
しばらく仲間のブーイングを聞きながら、都市計画の完成を待ってステータスを開く。やはり強くなっている。前回よりも1.5倍ほどのびている能力値すらあった。
(『ᛠ』と『ᚦ』か)
そして「その他の属性」欄に追加された2文字。
「トランピジャス。ルーン文字っていうのは何文字あるんだ?」
「ああ、それだがなんかルーンにも種類があるらしくてな。よくわからんが25から30くらいらしい。どうしてだ?」
「すべて集めたらなにかあるのかもな、と思ってな」
「そりゃ楽しみだ!」
とはいえ、まず先にやることがある。先日の冒険者拠点の村を潰した時と今回の先遣隊撃破、そして冒険者時代の経験から自分たちの力を推し量れた。
プラドリコにある、おおきな冒険者ギルドを相手にしても負けないだろうことだ。
「ちょうどいい機会だ。みんな、聞いてくれ」
まわりの視線が礼二にむけられた。周囲の警戒をしていた者も、聞き耳を立てながら言葉を待つ。
「俺たちの目的は、人間との共存だ。でも今はむこうがそれを拒んでいる状態なんだ。だから俺たちのことを認めさせるには、人間たちが無視できない場所に打って出る必要がある」
「前に言っていた『こちらに顔をむけさせる』んだね? フェフェたちのことをちゃんと見てって。でもどうするの?」
「拠点を手に入れるのさ。たとえば魔石の産地が近くて、人の往来が多くて、それなりの規模の街がいい。そうすると、答えは当然『プラドリコ』だろ?」
みなの表情が変わる。胸の内から湧き出た感情が首から頭頂部へ抜けていくと同時に、顔へ希望の色が強く出た。まるで主人の帰りを待っていた飼い犬が、ドアのむこうに飼い主の足音を聞いた時のように。
「じゃあアタシらは、ついに攻勢に出るんだな⁉︎」
「そうだヴィヴィ。俺たちならできる。あいつらの街を魔石みたいに飲みこんで、俺たちの勢力を世にしめすんだ!」
「やろう、レージ様! フェフェたちが怒ったら怖いって、人間に知ってもらおう!」
「いいですね、悪い人は食べちゃいましょう!」
「煮ても焼いてもおいしいもんね! やっちゃお!」
主要メンバーの盛り上がりは集団全体に波及した。それは森の木々をゆらし、住処としていた鳥が一斉に飛び立つほど強いうなり声になる。
そして全員の顔を見まわした亜人たちのリーダーは、すっと息を吸いこむと、大声で宣言したのだ。
「行くぞみんな! 亜人の行進だ!」
影のかかった片側の目が、輝かしい未来を見て金色に燃えた。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
森の上、黒い鳥が飛ぶ。とある光景を記憶するために。そして思考を働かせている。
森にだかれる村でさえ寒さに凍えてしまうのならば、いったい誰がそこに住む者を温めてやれるのか。家に火をつけろとでもいうのか? それとも死ぬまで耐えろとでも?
害獣どもの行進がはじまり、もうすでに2つの村が被害を受けた。2つとも屈服――無抵抗と食料提供の約束をさせられ、実質的にモンスターどもの手に落ちた。
今、森に囲まれた3つ目の村が危機に直面している最中だ。
曇り空の下、カラスが翼で風を噛みながら黒いくちばしを地上にむける。彼の口が普段の人型であったのなら、もうなんども舌打ちをしただろう。目線の先に、おびえきった村民、うつむく数名の冒険者たち、そして支配的な存在感で立つ害獣どもを見すえながら。
(交渉はうまくいっているのか?)
冒険者のひとりに焦点をあわせる。盗賊風の衣装の男だ。彼は害獣連中に混じった裏切りの冒険者――トランピジャスへ身振り手振りでなにかを訴えている。彼がトランピジャスを会話相手に選んだのは当然だろう。言葉が通じるのに聞く耳を持たないレージと、言葉すら通じない害獣たち相手では、交渉などという行為は成立しえないからだ。
事前の話では、勇者レージと害獣たちへ進撃をやめるように伝える手はずだったはず。くわえて、それが失敗した時のためになるべく多くの情報を聞き出す役割もある。
とはいえ、話し合いの雰囲気はひどく一方的に見えた。
勇者レージが折れた剣に手紙をむすび、それを盗賊工夫の男の足元に放る。そしてするどく村の入口を指さす。「今すぐそれをもってギルドに伝えろ!」といわんばかりに。
(これでは交渉といえんな)
今の口の形では出ないはずのため息をつく。取り囲む大気すらも同じ気持ちか、気流が変わって体が流された。片翼を持ち上げてそれに応じると、揚力が減ってぐぐっと高度が下がる。おかげで村長らしきオークの女性が、必死に命乞いをする――彼女だけでなくこの村全員の安全を訴える声がよく聞こえた。真冬の風が木々をゆらし、屋根をこするような物悲しい響きの声だ。
悪魔の舌が唇をなめる。毒のように甘いそれは、好む味から程遠い。眼下の光景において、奪う者と奪われる者が逆であったのなら、甘美な昼食となっただろうに。
(まあ、無下に殺されはせんだろう)
しかし彼女らはしばらくの間、住み慣れた村が害獣に支配されるという恐怖と屈辱に耐えなくてはならないのだ。そこには同情もあるし、なんなら共感性によって得られた怒りもある。手が届かない歯がゆさも……。
ともかく今は自らの役割を優先するべきだ。この体――記憶で得た情報を、遠く離れた思考の口から仲間に伝えなくてはならない。
「――<意識を切り替えよ>」
魔法の発声器官が言遊魔術を1節放つ。刹那視界は切り替わり、目の前には日記を開けてペンを手に持つ黒髪の少女。
「どう? サカリ」、彼女は机の上に陣取るフギンへ心配そうな顔をむけた。
「敵位置はプラドリコの北50キロ、ロブレド村。村民に犠牲なし、冒険者は5名戦死。冒険者トランピジャスは勇者たちと行動をともにしている。彼は冒険者ギルドとの決別を口にした」
「敵の数はわかる?」
「昨日と変わらず約200」
「了解。戻ってサカリ、気をつけてね」、彼女は魔界の言葉で気づかいを口にする。勉強熱心だとは知っていたが、いつの間に覚えたのだろうか。
「了解。……<意識を切り替えよ>」
少々の名残惜しさをたずさえ、また敵地に意識を戻す。高度が下がったままだから、こんどは声がよく聞こえた。
村にいた冒険者たちは、殺戮をまぬがれた馬に荷物を積み撤退しはじめている。盗賊風の男はトランピジャスへ振り返り、心残りをその所作で語った。
それに対し、裏切りの冒険者は「俺はこっちでレージたちとお前らとの橋渡し役になるよ」と応じる。
(橋渡し役か……)
この場合、橋を渡るのはどちらの勢力なのだろう? ラグナレクと同じなら、橋を渡ったのは巨人たちだ。となると攻める側、つまり勇者と害獣がこちらに歩を進めるのが道理か。
もっとも、あれは橋を往来する友好的なできごとではなく、橋を一方的に渡る敵対的なできごとだった。事実、その橋は巨人を渡した後に崩落したという。物語の中では、世界の崩壊が不可逆的であることを暗喩していたのだ。
と、ふわっという感覚が上昇気流の来訪告げる。気まぐれな風が、カラスへ「もう難しいことを考えるのはやめようぜ」と語りかけてきた。だが、そうもいかない。というより、そうしたくはない。
両の翼で風をつかみふたたび高く舞い上がると、くちばしの中でつぶやいた。
「これからが楽しいのだ」
敵は橋を渡ると決めた。過去ギャッラルホルンが鳴らされた時、神の時代の終わりがきたと神話に伝わる。
では今回はどうなる? 亜人たちの時代がくるのか? 少なくともやつらはそうしようとしている。
では我々はどうする?
…………。
簡単なことだ。
渡っている最中に、橋を落としてやればいい。やつらはニヴルヘイムなりヘルヘイムなり、好きな冥府へ落ちるがいいのだ。
カラスははばたき、黒い瞳に戦意を輝かせる。
敵のうろ暗い未来を想像し、口の中の蜜はほどよい甘さとなった。




