笑う魔女 14
「素敵よ、イーダ。正直あなたが悪だくみを組み立てるとは思わなかった」
「うん。一番意外に思っているのは私だろうけど」
静かな宿屋の部屋の中、会話の脇で、かちゃかちゃ、ちゃらちゃらと音が鳴る。
目線をむけずに答えた黒髪の少女の手には、それほどおおきくない、赤いベルベットの袋。光沢のある表面が、ちいさくて固い複数の中身に内側から押され、つやの表情をたえまなく変えている。先ほどから机の上で小気味いい音が続いているのは、彼女がそれをずいぶん長くもてあそんでいるためだ。手首には怪我の治療のため包帯を巻いてあるが、傷口が痛むだろうことも気にせずに。
対面に座る濃紺の髪の少女が、その行為の理由を聞く。
「今のあなたに題名をつけるのなら『冷静さを探す少女』かしら?『心ここにあらず』があなたをあらわす詩的な言いかえになりそう。それともベルベットの手ざわりが気に入ったの?」
「そうだね、少し落ち着かないな……。あと、手ざわりはね、かなり気に入ってる」と、答えながら黒髪の少女ははにかんでみせた。実にところ、他にできることなどないように思えていたから。
「ほどほどになさい。傷口が開くわ」
「うん、そうだね」
そう、今はできることがない。
「…………」
手持ちぶさたの体現者たるイーダは、ふたたび袋をもてあそぶ。かちゃかちゃ、ちゃらちゃら、手と手の間でくすぐったそうにもだえるそれを、見るともなく見おろしながら。
高級素材の質感を熱心に分析しているわけではない。事実今の彼女には、鮮やかな赤い袋が彩度の落ちた古い布切れに映っていた。「高校受験で面接の順番を待つ時も自分はこうだっただろうか?」などと考えることもない。過去を振り返る気分ではなかった。
今心を支配しているのは、期待が1割、不安が4割。自分の考えた作戦がうまくいってほしいけれど、もしだめだったらプランBはどういうものを用意しよう、そんな内容だった。
残りの5割は自問自答だ。はたして私は正しいことをしているのか? いや決してそうとは思えない。でもこれからやろうとしていることを、今すぐ放り投げたいか? 否、それこそそうは思えない。
彼女がいるのは灰色の海だ。つまり道の先に目的地がない思考の輪廻の中だ。どこまで行っても色が変わらない水中を両手両足でかきながら泳ぎ続けている。空気ボンベと足ヒレをつけて、灰色の航路を進んでいるのだ。そしてぐるぐる同じところをまわる。
なんでそうなっているのか、自分ではよくわかっている。
そりゃそうだ。だって答えはもう出ていて、今は時間が経過するのを待っているだけなのだし。
(……うまくいくかな)
そう、戦いの是非を自問自答する時間はとっくに終わっていた。結論は「私は戦場に立つ」だ。賽は投げられたのだ。
今思い悩んでいるのは、自分の作戦がはたしてうまくいくかという心配だった。
これまでに思いついた作戦を味方に伝え、洗練させた後に協力をあおぎ、それでも心配でなんども話し合いを経ている。シニッカに「鍛冶で鉄を打つ前に、隣家へ騒音のデシベル数とお詫びの品を提供するタイプ?」などとからかわれるまで。
だから実のところ、自分自身の準備は終わらせてしまっている。今やることがない理由は、悪だくみのしこみに時間がかかるから。後は仲間次第なのだ。
じゃりっ。指が袋に深くめりこんで、ずっと視線だけをむけていた手元に意識がむいた。ベルベットの袋とその中身。それはネメアリオニアで倒した勇者マルセル・ルロワと戦うために魔界の対抗召喚機が用意したもの。彼女を倒す時には使わなかったから消費されずに残っていた。
その時の光景が脳裏に浮かぶ。あの夜の戦いはうまくいった。でも今回はどう?
「……シニッカ、私はうまくやれるかな?」、口から不安がこぼれ落ちる。
「うまくやろうとしなくていいわ」
「え?」、意外そうな声。しばらくぶりに、イーダのもとへ灰色以外の感情——今回の場合は「驚き」が帰ってきた。
「『上手にやろうと考えるな、要点を一突きせよ』って、地球の偉い人が言っていた」
「それは誰?」
「戦争に勝った男よ。ああ、青井和虎はその人のこと好きでしょうね」
「……イギリスの人か」
ウィンストン・チャーチルかな? と予想すると、社会の教科書か資料集に載っていた白黒写真が脳裏に浮かぶ。腰に手をやりひどく不機嫌そうな顔で写った世界的にも有名な1枚。「撮影直前に葉巻を取り上げられたからあんな顔したんだよ」と社会の先生が教えてくれたっけ。
「ふふっ」と笑みがこぼれる。さっき不安を吐露したものと同じ口とは思えない、イーダは自分でそう感じ、少しだけ照れくさくなった。魔王に、いや友人に、面とむかってはっきりと元気づけられたと感じたのもあった。
得意技の「目をそらす」を、お気に入りの手ざわりをもたらしてくれているところへうつす。真っ赤なベルベットの袋が放つケシの花のように愛らしく妖しい色が、自分の手の間で極上のつやを放っている。
……こんなに鮮やかな色をしていたなんて、今の今まで気づかなかった。
「イーダもヘルミと同じくらい、図太くていいと思うの」
やわらかく少しいたずらっぽい、いつもどおりの友人の声がして、イーダは顔をあげる。
シニッカの視線の先には、2枚がさねの大盾やら分厚い鎧やらの脇で寝息を立てているカールメヤルヴィ辺境伯の姿。今回の作戦では、一番大変な役割だというのに……幸せそうな寝顔をしている。つややかな銀髪と、ととのった顔立ちのおかげで、寝ているだけでも様になるのは少しずるい。
まあ、髪の毛が数本、口に入っちゃっているけれど。
イーダは視線を青い髪の友人へ戻し、おおげさにすました顔をして言った。
「図太くて、ね……。ハルコだからとか言わないでよ?」
「あはは! それは考えていなかったわ」
窓際でじっとしていたカラスが1羽、上がるはずもない口の端を上げた。




