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笑う魔女 11

 ロス地中海の北側、沿岸部に設けられた広い道の上。


 今日も馬車の車輪は実に楽しく、『The road(ロード・オブ) of the gif(・ザ・ギフト)ts』を転がっていた。広く、平坦で、この世にあるすべての車輪が笑顔を浮かべるほどの道。そこを温かい潮風につつまれ走っているのだから当然だ。


 一方、道路わきでそれを見上げる草花たちは、自分のいる場所が世界でもっとも不遇なところなのだという顔をしていた。どうにもこの地方の土壌は栄養が少なく、硬く、ともすれば土そのものがない。ところどころに見える灰色の岩肌は、土壌が海へ流出してしまったことをあらわしている。1年をとおして雨が少なく暖かいここは、人にとって楽園のような環境であっても、植物の楽園とはいいがたかった。


 そんな道へ護衛つきの馬車隊が列をなしている。4頭立てで幌なしのちいさなものから、8頭立てでたくさんの荷物をおおきな荷台で運んでいるもの。大商館の紋章が描かれているものもあれば、運ぶ物資が貴重なゆえ、あえて中身がわからないようにしているものもあった。もちろんそういう馬車のわきには決まって騎兵が目を光らせていたから、盗賊側が襲うには目印に困らなかっただろう。


 もっともいくら道徳心が低い盗人だろうと、こんな大規模の馬車隊を狙うことはない。20騎近くもいる騎兵や、各馬車に分乗している冒険者に屠られてしまうから。それでもこれらを襲うとすれば、それは害獣だ。『盗賊型害獣』という人によく似た獣たちは、みずからの命がなくなることなど頭の中にないようで、考えなしに突っこんできては冒険者たちの存在意義を証明する骸となり果てるのだ。


 今日も襲撃があった。それは2、3分程度で完全に鎮圧され、彼女たちの出番はなかった。彼女たちというのは、馬車隊の列の中央にいる、カールメヤルヴィの魔王たちだ。


「盗賊型害獣のこと、まだ怖いと思うかしら?」


「うーん、そうだね。まだ怖いかも。でも腰を抜かすより前に、逃げることくらいはできそうかな」


「上々ですよ、イーダさん。逃げ足が一番大切です」


 他の幌つき馬車とは違い、幌を開け放った状態で彼女たちは進んでいる。本当は閉め切るはずだったのだが、魔王が「温かい風を感じたい」などとごねたせいで、ずいぶんと見晴らしのいい状態になっていた。御者台には冒険者のマルコとロペ。魔王たちを護衛するという大役を肩にかつぎ、はたして我々よりも強いだろう彼女らに護衛などいるのかという疑問を頭の上に浮かべ、慣れた手つきで馬車を駆る。


(今って冬なんだよね? やっぱりカールメヤルヴィって寒いんだな。……いや、ここが暖かいのか)


 害獣の襲撃の話題も早々に切り上げ、イーダは広く視界に広がる海を見た。


「魚の家」や「波の道」など、海をあらわす詩的な言いかえ(ケニング)はたくさんある。今見えるのは、沖の岩場に波が白く砕かれている風景。きっと数十年物時間が経ったら、あの岩場は波にけずられ姿を消すのだろう。だとすると海は「大地をけずるもの」なんていいあらわしてもいいのかもしれない。もう少しおしゃれにするなら「碧い大地の傷」とかだろうか?


 もしくはたった一文字であらわすこともできる。ケニングではなくルーンを使うのだ。「(ラグ)」は水や湖、海をあらわするルーン文字。もちろんその文字を適当なあき地に刻んだからといって、そこが海になるわけではないのだが、ルーン文字を使った魔法というのは言遊魔術(ケニング)と同じく自由度が高い。一文字の意味を魔法の効果に乗せることもできるし、音価――その文字がどのような音声をあらわしているのかを、普段使う言葉と対応させながら魔法の詠唱をしたっていい。たとえば(ラグ)ならラテンアルファベットの「L」だから、ほかのルーン文字と組み合わせれば「湖」を「ᛚᚪᛣᛖ(Lake)」と書ける。そうやって意味をたくさんこめると、魔法は不思議と強くなるらしい。


(魔法か……)


 間違いなく、今自分がもっとも心を惹かれていることがらだ。この世界のいろいろなしくみを知るのはおもしろいのだけれど、やはり地球にはない(少なくとも自分は知らない)ものが手の届くところにあったら、目線がくぎづけになるに決まっている。フォーサスがショートケーキなら、魔法はいちごみたいなものだ。


(ケーキの上の果物、ね)


 時にそれはすっぱいのかもしれない。魔法のしくみを知ることや魔術の勉強をすることは、勇者に対抗するためでもあるから。そして赤い。血が流れるのだろうから。


 それを口に含み「甘酸っぱい」といえる日がくるのかどうかはわからないけれど、世界を味わうのにためらいはなかった。自分はまだこの世にきて1年もたっていない、赤子のような存在だ。いろいろと口に入れては怒られて、を繰り返すのだろう。


 空の太陽とは裏腹に、気持ちへちいさく影が差す。イーダは心の話題を変えようとシニッカへ語りかけることにした。


「クルス枢機卿、今回の件は『勇者だけのせいじゃない』みたいなことを言っていたよね? 勇者に協力する誰かがいて、しかもそれが枢機卿の地位を狙う人だって」


 話題を変えると決意しておきながら、結局依頼の内容を質問するのだから、潮風に意思があったのなら彼女の不器用さを塩辛く笑っただろう。


「そうね。枢機卿は世界に12人だけ。しかもホスエ・クルス・グラキアの受け持つ教区ってセルベリア東側の大半になるから、その権力たるやすさまじいものよ。だから彼には政敵も多い。今回彼の教区内で発生した勇者災害が、誰かの陰謀だったとしても不思議はないわ」


「それって、彼がシニッカへ『生まれながらに持つ大切なものをひとつ』差し出すくらいに大変なものなの?」


 イーダがしたのは枢機卿本人の前で決して聞けない質問。エル・サントバコロでこんな話をしたのなら、神の信徒に対する不敬になりかねない。多くの人々から白い目で見られること請け合いだろう。事実会話の過激さに気づいたマルコとロペは、熟練兵士同士が戦場でする合図のように目くばせを交わし、互いに無言のまま聞いて聞かぬふりを決めこんだ。


「ええ。どうやら彼にはライバルがいるらしいの。セルベリアの首都はカラ・グランデというところなのだけど、そこの大司教ナタニエル・ドミンゴ・アギレラは名声も実績も枢機卿にふさわしいとうわさされているわ。『10年生まれるのが遅かった』とか『空位がないから大司教に甘んじている』なんて言われるくらいにはね」


「じゃあ、その人が勇者に協力しているってこと?」


「少なくともクルス枢機卿はそう思っているみたい。まあ、彼にしたって大司教にしたって、それなりの地位にあるのだから世渡りがうまいわ。つまりは組織の中でのし上がる力が強いの。だからふたりとも、悪いうわさのひとつやふたつ持っている」


「たとえば?」


 ここまできて「聞かない」などという選択肢はない。イーダはそう思って会話を続けたが、御者台のふたりは「もうやめてくれ」という気分だった。会話の内容がどんどん不届きになっているからだ。マルコにいたっては心の中で両手を組み、「神よどうか魔王と従者の会話が私の耳に届かぬよう、強い風でも吹かせたまえ」と雑なお祈りまでしていた。


 しかしフォーサスの神は日常のささいな場面にまで顔を出すたぐいのものではなかったらしく、それまで草木をゆらしていた風は舌を出してどこかに消える。


「枢機卿は賭けごとが好きらしいわ。数年前に勇者が持ちこんだ『トランプ』は世界中で流行しているのだけれど、火つけ役になったのが彼だっていわれている。テキサス・ホールデムの名手で、これまで金品を巻き上げられた商人が数多くいるって」


「そ、それって教義的に大丈夫なの? テクラ教会って結構お堅い印象があるけど」


「別に禁止はされていないわ。いいんじゃない? それくらい」


「いいのかな……。あ、ドミンゴ大司教のほうは?」


「彼は動物、とくにヤギが好きらしいわ」


「え? それって悪いことなの?」


「ええ、あまりよくないわ」


「……?」、不思議そうな顔をする少女。正直ピンときていない。そこへ、よせばいいのに銀髪のベヒーモスがそっと耳打ちした。「()()()()()()()にヤギが好きなんですよ」


「えぇ⁉︎ それって……」


 まだ15歳のイーダでもその意味が理解できたのだから、それより年上の御者台のふたりが気づぬわけもなし。ついに不敬罪かなにかで首をはねられるたぐいの話題がこの場へ登場したことで、彼らは耳をふさぐ物がないかと探した。とはいえ今さら耳をふさいでは、今まで聞いていたことがばれてしまう。


 そこで彼らふたりは無視を決めた。「最初からなにも聞こえてはいない」のだ。万が一、魔王が宗教裁判にしょっぴかれてしまったのならそう発言しようと腹を決めた。


 ただ、魔王も連行されるような立場ではない。ついでに「人の陰口をたたいて終わり」という種類の人間でもなかった。


「彼らをフォローしておくと、そんなことでは足元がゆるがないほど教会と信徒に多大な貢献をしているのよ。枢機卿のほうは組織運営の手腕が飛びぬけているわ。テクラ教会が広い教区から集める寄付金って、大なり小なりどこかの誰かが懐に入れてしまうものなのだけど、司教の異動を厳格化したことで汚職は相当に減ったらしいわ」


「あ、異動ってそういうためにするんだ! それってすごいね。ちょっと世の中の仕組みを知れた気がするよ!」


「まあそれだけが理由ではないけどね。ドミンゴ大司教はいわゆる『戦う聖職者』よ。ロス地中海の東側沿岸には大海賊団があったのだけど、彼は10年かけてそれをほぼ壊滅させたわ」


「え⁉︎ それもすごい話だね。そういうのって国王の軍隊の仕事だと思っていた」


「実際に戦ったのは冒険者や傭兵だけれどもね。彼らをまとめあげたのが当時ちいさな港町の司教をしていた彼よ。マルコやロペも知っているんじゃないかしら?」


 いったん言葉を区切った魔王は青い瞳を御者台へむける。つられたイーダも目線をちらり。冒険者たちは前をむいて硬直していた。


(あ、聞こえちゃってたか……)


 目線を戻す。魔王とベヒーモスが舌をちろちろさせているものだから、はぁ、とひとつため息が出た。会話のこんな細かい部分で蜜を味わわなくてもいいだろうに。それともそれほどまでに美味なものなのだろうか。


 こんどは目線をカラスの半身――今日近くにいるのはフギンのほうへうつし聞いてみる。


「サカリも今、おいしい顔をしているの?」


 人の言葉を発するとはいえ、姿かたちは完全にワタリガラスそのものだから、舌が出ているわけではない。


「夜食中の気分だ」


 でも味わっていた。


「みんな悪い子だよ」


「あはは! いつかその言葉はあなたの頭に戻って刺さるわ」


「ぐぬ……」


「なんにしても――」、シニッカは少しまじめな顔をした。彼女がこういう顔をする時は、ちゃんとまじめに受け止めるべきことがらを教えてくれる。


「大司教の『ヤギ好き』っていうのは、根も葉もないでたらめよ。それこそ彼をねたんだ誰かの手によって作られた話なの。でもね、政敵というのはそういうものを最大限に利用しようとする。枢機卿のほうもそう。彼がトランプとテキサス・ホールデムを広げたのはおそらく事実だけれど、それはもともと娯楽の少ない貧しい村への寄贈品としてだったの。だけど賭けごと狂いの悪人として酒のつまみにされてしまっている」


「そうだったんだ」


「彼らを疎ましく思う連中って世界中にたくさんいるの。地位の高い人々にとって宿命みたいなものね。権威を失墜させたいという意思が集まってしまうのも当然よ」


「ああ、本人たちがどうあれ、悪意が集まっちゃうんだね」


「そうね。ゆえに彼らを公の場でばかにしてはいけないわ。とくに魔界に住む私たちって、悪意が返ってきやすいから」


 道徳の教科書のように、魔王は従者へ教訓を伝える。「わかった」とうなずくイーダの横で、ヘルミがほほえみカラスはうなずく。


 その光景を見るまでもなく感じ取った御者台のふたりは、ほっと胸をなでおろした。少々いじわるな行為をされてしまったが、悪魔という存在の心中にも倫理観や道徳心があることをようやく実感できたからだ。


 マルコは手元の手綱をにぎりなおし、若干ななめに歩いてしまっていた馬車馬を正しい進路に乗せる。物騒な話は終わり、のんびりとした旅路が続くのだと感じながら。


「でもさシニッカ」


 話の続きがあったことで、冒険者たちはふたたびぴくりと背すじをのばした。


「そのふたりは対立しているんでしょ?」


「そうでしょうね。あなたたちが席を外した後、当の枢機卿本人からも大司教の話が出たもの。『お気をつけください、彼は油断なりません』って」


「じゃあどちらかが、今回の騒動で『この世界を踏みにじる』行為を手伝っているかもしれないんだよね? この世界の住人に尊敬されているのに」


「ええ、それは否定できない」


「だとしたら、そういう人を裁くのってどうしたらいいんだろう?」


 黒髪の少女の質問は「するどい」というよりも、藪の中の蛇をつつくようだった。太陽が明るく照らす海岸線へ、残骸の船を打ち上げる大波のようでもあった。


 その問いに、カールメヤルヴィ(蛇の湖)の主人は深海のような青い目をむけて答える。


「そういう存在に代償を支払わせるのが、魔王という者の役割なのよ」


 御者台のふたりは、ついに体をふるわせた。とくにマルコはそうだった。今回のできごとに冒険者の代表として参加しているのだ。


 彼は目線をそらし、なぐさめに地中海をながめた。セルベリア出身の彼が見慣れた風景を目に入れて、ひとときでも緊張を晴らしたいと思ったからだ。


 おかげで彼はすぐに冷静さを取り戻した。


 海のケニングに「大陸をとりまく()」という言葉があると知らなかったから。

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