笑う魔女 10
如月寺礼二。ちょっと変わった苗字を持つ、日本人の転生勇者。現在の年齢は20歳くらいとのこと。黒髪黒目でやや高身長、容姿は「まあいいんじゃないか」といわれる程度にはあるらしい。
彼は2年前から1年前まで冒険者ギルドに所属しており、その高い戦闘能力によって高い評価を得ていた。見習いのGクラスから一番高いAクラスまである冒険者の階級において、彼のランクはCクラス。これはある程度の才能のある人が20年ほどかけて到達する人生の終着点だ。彼はそこに20倍の速度で到達したことになる。しかも純粋な戦闘力だけで比較すると、Aクラスであるマルコさんよりも強いのだそうだ。もう1年くらい冒険者ギルドで仕事をこなしていたのなら、間違いなく最高ランクに達していただろう。
しかし、そうはならなかった。彼はギルドから姿を消し、モンスターとの共存という道を進むことに決めたという。
「『架け橋になる』と発言したにもかかわらず、むこう岸からしか橋をのばしていただけません。『間に立つ』と言っているのに、むこう側とは手をつなぎ、こちら側には短剣をむけてしまいます。聖職者として、このような強い言葉を使うのは悪いことと思うのですが……彼の生きかたが『正しいこと』だとは思えません」
クルス枢機卿は、慎重に言葉を選んでいるようだった。怒りやいらだちというよりは、失望のようなものを押し殺しているように感じる。表情もシニッカとあいさつを交わしていた時と違い、あくまで落ち着いているけれど、目線は床に下がったまま。
彼はにっちもさっちもいかない現状をなんとか納得しようと、自分に語りかけているのかもしれない。それは冒険者たちも同じ様子だった。
グレニャス――冒険者のリーダー、マルコさんが口を開く。
「我々も彼――レージと行動をともにしたことがあります。しかし彼は敵――害獣の眼前でも、時々そいつらの『人権』とやらを主張するのです。彼は非常に高い戦闘能力を持っていましたが……しばしば戦いをやめ、急に対話をうながしてきました」
「グレニャス、あなたのいう『時々』とか『しばしば』というのが気になるわ。毎回そうだったわけではないという意味?」
「はい。どういう判断基準だったかはわからないのですが、彼にいわせれば『直観や感覚でわかる』とのことでした。ですから我々もその点を追及したのです。しかし聞けば聞くほど彼のいらだちはおおきくなってしまい……」
「勇者レージは怒っていた?」
「ええ、そうです。我々の行動を非難し、止めようとすることまでありました。『対話を経ない戦いなど蛮行も同然』だとか。いったいなんのために我々と行動をともにしたのか、そしてどんな基準で戦う相手と戦わない相手を決めていたのかもわかりません。結局街に戻る前に彼とは別れ、それっきりです」
「そう……そして問題が発生したと」
「ええ……」、マルコの声色には、失望ととまどいの響きが乗せられていた。モンスターという人類にとっての『絶対悪』に対する勇者レージの行動が理解できないのだ。
イーダは手元の日記帳に目を落とす。今回はメモを取りながら会話を聞いていたから、依頼の概要をもういちど整理するため、最初から読み直すことに。
(…………)
書かれているレージの主張はこうだ。「自分がいればモンスターとも会話が可能なのだから、対話を進めるべき」
これはちいさな村から依頼された、ゴブリン退治の最中の言葉だという。
おそらく固有パークなのだろう。彼はコミュニケーションができないはずのモンスターと意思疎通をはかれる。すべてではないようだが、少なくとも一部とは会話ができるようだとマルコさんたちは言っていた。もし本当だとしたら夢も未来もある話だ。今まで敵だった生物と手を取り合えるのかもしれないのだから。
しかし判断基準のあいまいさ以外にも問題があった。まわりの人々から見ると、会話しているように見えないことだ。一応、害獣たちも鳴き声を出して礼二さんの問いかけに応えるものの、その内容がわからない。けれど彼はその鳴き声を、まるで人と会話するように理解しコミュニケーションをする。
もし自分がモンスターと対峙している時、そのような状況に遭遇したらどう思っただろう。男が害獣に話しかけ、相手は真意のわからないリアクションをする。のんきにも「ああ、彼は会話できているんだ。このモンスターとは戦わなくていいんだ」なんて思えるだろうか。
(さすがに怖いかも……)
百歩譲って、その時は剣をおさめたとしよう。次に礼二さんは「彼らは君らを攻撃しないから、この場を立ち去ろう」なんて提案をしてくる。それは害獣を見逃すのと同じだ。今日野放しにされたモンスターが、明日人を襲わないなんて信じることは難しい。でも駆除しようとしようものなら勇者は烈火のごとく怒る。そして相手の味方をするなんて言い出すのだ。彼の強さは間違いないから、無視するわけにもいかない。
冒険者は依頼をこなさなくてはならない。でも、そこに同行した勇者はそれを止めさせる。
(さすがに強引すぎるし、配慮もなさすぎるように思えるな)
冒険者パーティーと勇者のディスコミュニケーションは、その後どんどん溝の深さを増して、ついには決裂することとなった。
でも……。
でもそれは、あくまで冒険者たちの言い分だろう。自分たちは彼らの言葉しか聞いておらず、勇者の言葉を聞いていないから。
平和を叫ぶことって、悪いことじゃないと思う。彼の伝えかたや行動に問題があるのであって、根本的な生きかたに問題があるわけではない。たとえばパーティーに着ていく服を間違えたからって、その人のすべてが否定される必要はないのだと。
イーダがそんなことを考えたのは、心の奥底での葛藤があったからだ。もしかしたら、相手を「悪」だと断定してしまえば物事はシンプルに考えられるのかもしれない。あいつが悪いのだから、自分は自信を持って行動すればいいのだと。しかしイーダにはそれがひどく難しく思えた。相手に安易なラベルを貼りつけたところで、はたして自分は納得できるのかと。そのラベル――たぶん射的の丸い的のように単純なものに対して、殺意の矢を射かけることは正義なのだろうか。そんな短絡的な行動が、枢機卿の言った「正しいこと」なのだろうか。
――そもそも「悪」ってなんだろう?
人を殺めるのに必要な、概念上の属性が「悪」だというのなら、その属性を付与した者こそ「悪人」なんじゃないだろうか……。
心の置き場が見つからない。しかし勇者対策の話し合いはまだ終わっていない。
冒険者のひとり、サブリーダーのロペさんが口を開いた。
「実は彼の振る舞い以外にも、いくつか懸念事項があるんすよ」、少しくだけた話しかたの彼は、長いくせっ毛を手でかきながら続けた。「俺らがレージと別れたあとも、ギルドの知り合いがやつとしばらく行動をともにしていたんすけど、どうもやつの仲間がちょっと特殊みたいで」
「さっき聞いた話だと、彼の仲間というのは獣人風の人型モンスターね? 犬型の子、ゴブリン風の子、あとはアンデッドっぽい子たちだったかしら?」
「それなんすけど……なんていうか、『成長する』らしいんすよね、そのお仲間ちゃんたち」
その言葉を聞いた直後、シニッカの目つきが変わったのをイーダは見逃さなかった。ととのった顔立ちへ、眉間のしわが無遠慮に谷を刻む。
彼女のこういう表情は珍しいと感じた。いつだって――敵に殺意をむけられている時だって、シニッカは余裕そうな顔をしているのが常だ。窮地に立っても笑っていることすらある。なのに「成長する」というひとことに、床下のシロアリでも見つけたような嫌悪感を表情に出したのだ。
冒険者ロペもそれを感じ取ったのだろう。「なにかヤバイことを言ってしまったか?」といわんばかりに、バツの悪そうな顔になる。
「……くわしく聞かせてもらえる?」
魔王がそれに気をつかってくれるわけではないけど。
「え、ええ。本人たちは『クラスチェンジ』なんて言っているらしいんすけど……要はパワーアップっすかね? たとえば犬が狼に変わるような」
たしかに犬よりも狼のほうが強そうかも、イーダはそう思った。だとするとクラスチェンジというのは、戦闘力が上がる進化を指すのかもしれない。そしてそれは間違いではなかったようで、シニッカが的確に表現してくれた。
「『クラスチェンジ』は勇者がよく口にする概念よ。わかりやすく表現すれば『より強い存在に進化する』ということね。犬が狼に、ゴブリンがホブゴブリンに、キャラック船がガレオン船に、という具合」
犬やゴブリンはよくわかる。けれど、船の種類で『クラスチェンジ』を表現した言動へ、イーダ自身はピンとこなかった。ここが港町であることにちなんだのだろうかと。しかし冒険者たちや枢機卿は「なるほどな」という顔をしてうなずいている。
(たぶんキャラック船よりもガレオン船のほうがおおきな船なんだろうな)
「とにかくですね、レージは彼女らお仲間ちゃんたちを成長させたがっていたんす。そうすることでより人間に近づくんだと」
「手段は?」
「あ、ええと……」
間髪入れずにシニッカから質問されて、ロペさんは口ごもった。助け舟に入ったのは意外にも、リーダーのマルコさんじゃなくてクルス枢機卿。
「いくつかの手段もあるようですが、どうやら1番有力なのは魔石です」
(魔石⁉︎)
先日その存在を正しく把握したばかりだ。知っている知識が唐突に顔をのぞかせて、いつもなら心がはずんだだろうに……今回はうろ暗いなにかを感じずにはいられない。魔石の産地である魔界に無関係なことじゃないんだから。
「魔石をモンスターに摂取させ、その力を強化するようです。それまでとは比べものにならないほど、とくに戦闘力が向上すると聞いています」
「情報の発信源は?」
「……彼本人からです。いちどお会いしたことがあり、そこでうかがいました」
「勇者と話をする機会があったのね?」
どうやら枢機卿は勇者に会ったことがあるようだ。シニッカがそのことを追求すると、枢機卿は「結婚に関する相談を受けていた」と言った。モンスターと婚姻関係になることが可能なのかとか、そんな内容だったらしい。
「彼は高名でしたし、なにより人ならざるものと親交を深められる根底には『愛』があると思ったのです。それが恋愛であれ親愛であれ、神に仕える者として話を聞きたいと。結果は……かんばしくありませんでしたが」
「あなたはなんと答えたの?」
シニッカはいつになく積極的な質問をする。もはや追求、というより尋問といった色合いを帯びているようにも。イーダはそう思ってちらりと魔王の表情をうかがう。
(あ……)
舌を出し入れしていた。これは彼女が「楽しくなってきちゃった」証拠だ。尋問しているのではなく、答えづらい質問を相手にぶつけて反応を楽しむ、彼女の性根の悪い部分が顔をのぞかせているのだ。
そんな悪魔の少女を目の前にしても、枢機卿は言葉を続ける。
「我々が彼らを祝福するかと問われれば、答えは『否』です。ひとつは、人類に仇なす存在と人は同列にあつかえないこと。存在そのものが敵対的である者に対し、神より人類のみがあたえられた特権を適用することは教義に反します。もうひとつは、彼が複数の女性型モンスターを対象に婚姻を考えていたこと。重婚は認められません。預言天使テクラもそうお考えでしょうと、強く確信しています」
枢機卿はきっぱりと言い放つ。家の敷地に入ることを拒む、高い塀のような言いかただった。これではレージも、彼にきっぱりと断られたのだろう。
「彼はやっぱり怒ったでしょう」
「ええ。『そんな狭量な神に用はない』と」
「あらあら。そんなこと言ってしまったら、婚姻の大天使からも不興を買うでしょうね。失礼、話がそれたわ」
まるで会話の最中にコーヒーをひとくち飲んだような魔王の顔。
「いえ……」
これが会議の最中のコーヒーブレイクだとするのなら、「魔族とお茶をするのって大変なのかも」と思う。
魔王が魔石に話題を戻す。
「ともかく本人が言っていたのなら間違いないでしょう。となると、今回私たちを呼んだきっかけとなったのも魔石がらみ?」
「そのとおりです。ご存じのとおり、セルベリア王国東端の街プラドリコは、魔界ほどでないにしても魔石の産地です。彼はそこで魔石の乱掘と、冒険者への攻撃をしはじめたのです」
(……魔石ってモンスターを倒して手に入れるよね? それは対話できないタイプの相手なのかな?)
「魔石が取れるモンスターとは対話できないのかしら?」
「そう言っていました。しかし真意はわからずじまいです。そしてついに、冒険者に犠牲者が出ました。ゆえに……魔王様へご依頼する形となったのです。事前に国王カルロス6世へご報告もすませています」
「冒険者を殺してしまったのね。なら、対話の時間は終わりかしら」
(ああ、彼はすでに人を殺しているんだ)
話を聞いて、イーダの心臓が嫌な感情を湧き立たせた。首すじから頭にかけて、真っ黒い蛇がはいずり上がってくる。
不十分だった勇者と冒険者の会話、そしてけんか別れのような形で事態が発生してしまっている現実。目の前にいる人たちにも勇者の側にも都合や感情があり、それが自転車のブレーキをにぎりながらペダルをこぐ時の音――耳障りなスキール音を上げる。
感情がずるずると坂道を下っていった。泥に車輪を取られ、心のハンドルがグラグラゆれる。両手に力をこめて制御しようとするのに、ゆり返しの物理法則が出現して動揺がおさまらない。でも――
それでも転びたくない、と思った。転んだら、地面しか見えないから。
きっと今は前をむいていないといけないから。
と、イーダの後ろから肩に手が置かれる。太陽の下がよく似合う小麦色の指は、それがヘルミのものだと告げていた。
彼女はなにも言わなかったが、イーダの心に聞こえたのは「大丈夫ですよ」というやさしい言葉。おそらく自分の体は震えていたのだろう。それを気づかってくれたのだ。
「ありがとう」と口にするかわりに、ちいさくうなずいた。聖職者たちと冒険者たちの視線が自分にむけられたが、気にしないそぶりをしながら。
(私は戦わなくちゃならない、そうだよね?)
もういちど考える。今回の勇者災害に対し、決意をいだけているのか自問自答する。
(…………)
今までに数人の勇者を相手にしてきた。そしてそれを殺める任務についてきた。でもその時にはまだ自分の置かれている立場を理解するのに精一杯だったから、それしか選択肢がないと思っていたのだ。
今は違う。魔界ですごした冬の中でじっくり考える時間もあったし、世界にある程度慣れることもできた。
だからこんどこそ、暗殺という行為に対し納得できる考えを持ちたかった。相手が人殺しだから暗殺が許可される、ではなく、相手が世界にとって病害になりえるから戦うのだという、ヴィヘリャ・コカーリの信条を心から理解したかったのだ。
イーダは自身の人生において非常に重要な決意をいだこうとしていた。そしてその背中を押したのは、魔王の告げる強い懸念。
「よくわかったわ。勇者レージは強い改変能力を持っている。現実改変という名のね」
「といいますと?」
まわりの人たちは、ただでさえ曇りがちだった表情へ遠雷を聞いたかのような警戒心を乗せる。
「なにか物事が発生した時、それに対する周囲のとらえかたが変えられることを、認識改変や常識改変というわ。勇者が大なり小なり持つ力ね。現実改変っていうのはその上位にあたるもの。その名のとおり現実を変えてしまう力のことよ」
「進化なんてするはずのないモンスターが、彼の仲間になったら進化する存在に変わってしまうって意味っすか?」
「今回の場合はそうね。じゃあ、その個体が野に放たれて、在野のモンスターと交配するなりなんなりしてしまったら? そうでなくても、知恵のある害獣が、他の害獣に方法を教えられるとしたら?」
(――⁉︎ それはまずいよ!)
イーダは感電したかのように身を震わせた。遠雷を聞いていた聖職者たちと冒険者たちも、近くの梢に稲妻が落ちたかのごとく驚愕の表情に変わる。
「特殊能力を持った個体がねずみ算式に増えていく前に、ことを収拾する必要があるわ。勇者が生きていたら、そのうち多くのモンスターが進化できるように変わっちゃうかもしれない。そんなことになったら、人類は生存圏を強く脅かされてしまう。勇者の持つ『現実を変える力』というのは、それくらい恐ろしいものなのよ」
息をのむ音が聞こえた。勇者レージの力は、大陸の一地域だけでなく、すべての地方にまでおよぶ影響があることを認識したのだ。
イーダは口をきゅっとむすんだ。
(……それは絶対許しちゃいけない)
どう考えても、勇者と自分との間には決して埋められない溝が横たわっている。彼の行動は世界を病に侵す行為だ。ペストマスクをかぶり、のこぎりを持っているのは、そういったものを切り落とすためなのだ。
――この世の神をばかにしないこと。この世界を踏みにじらないこと。
足元をすくおうとする泥道へ、強く、一歩踏み出した。足はぬかるみを貫いて、硬い地面へ届く。そして大地は、イーダが転ばないように力強く応えてくれるように思えた。だから自分の行動は「踏みにじる」ものではないと、これは自分の望む道なのだと強く感じる。
(戦おう)
そのまま歩を進めた彼女は、世界にちいさな足あとを残した。
くっきりとしたその輪郭は、まるで世界のえくぼのようだった。




