笑う魔女 8
勇者レージこと、如月寺礼二は「クール」といわれることが多かった。少なくとも生前は。
日本での人間関係については「まあ、普通だったな」と自己分析している。誰とでも仲良くなれるわけではなかったが、誰かに嫌われるようなこともなかったと。仲のいい友人も数名いたし、学校の行事――不意に仲良しグループからはずれて班を作る、なんて時にもあぶれてしまうようなことはなかった。もちろん、普段会話をしないクラスメイトに対して気まずい思いをいだくことはあったが、それはみんなそうだろう、と思う。
ただ、自覚している悪い面もあった。正直な話、おおげさな表情をして大声を出す人に対しては、蔑みの目線をむけていたことだ。たとえばクラスの中心人物のような、気が強くて会話能力の高いグループに対して。
昨晩見た動画の内容に盛り上がっている姿を見て、うっとうしいと感じることはあっても楽しそうだと思うことはなかった。別に「静かにあるべき」という確固たる信念を持つわけでもなく、学校以外の世界を知っているわけでもない。ただ、はしゃぐ人たちを「くだらないやつらだ」と切り捨てることで、欲望を自制して自分の価値を高めているのだと、そんなことを考えていた。
そしてそれは、転生後も変わることがない。
(……この世界の人間も、同じようなものに「くだらないやつ」が多い)
地上におりて1年半、ヴェルデスアイレス村の焼け落ちる建物の間。回想を終えた彼は、視界の左隅にある背の高い建物へ目線をうつす。王が王錫を掲げるがごとく、高い鐘楼を天にむける教会。まわりの建造物よりも豪華な装飾に彩られ、私は特別な存在なのだと口の端をゆがませて笑うようにも見えた。
この世界の人間たちにとっては、水や酸素のように不可欠なのだろう。教会にはいつも多くの人が集まり、社会の中心を形成しているようにすら感じる。それがクラスの中心グループに重なって……言葉でうまく表現できない嫌悪感を礼二の心に湧き立たせた。
そしてその集団が自分たちを見くだしているのに気づき、嫌悪感はいつしか敵対心へ。自分たちというのは当然、モンスターと自分からなる集団のこと。人間たち――とくに教会とその下位組織である冒険者ギルドは、モンスターのことを例外なく敵視している。
「フェフェ、お前たち亜人にも、結婚する権利や家庭を持つ権利があるはずだ」
『亜人』と口にしたのは彼なりのルールだった。会話が通用する相手に対し「化け物」などという言葉を使って語りかけたくない。彼女らは人類とは異なるが、人とほぼ同じ感情を持っている。だから人間たちが使う蔑称など、彼女らをあらわすに値しないのだ。
「レージ様……」
「なのにやつらは……」
苦虫を噛みつぶしたような表情。彼の歯にすりつぶされたのは、差別という名のエサを食い、丸々太ったゲスの味のする虫。
礼二はこの世界にきて、人間側とも友好的にいようと努力したつもりだった。しかしモンスターについての印象を聞いたすべての人が、まるで悪徳宗教家に洗脳された信者のように「あれば敵だ」と口をそろえる。冒険者たちの意見だって、一様に「駆除すべき」。そんな意見を口にする人々は目先の利益だけを追求するかのようにふるまう。同時に、未来にある友好を拒絶するようでもあった。
本当に害しかないモンスター連中もいたから、礼二はしばらく冒険者として活動をしていた。が、結局街にいる時間が苦痛になってしまう。自分の意見など誰もまじめに聞かないと考えたからだ。それは地位のある人間と話す機会があった時も同じ。「人々の中にあって孤独を感じる」とは、まさにそのことだった。
組織との確執が決定的になったのは、彼が森の中で出会ったフェフェ――はじめてのモンスターの仲間に対し、とある冒険者パーティーが言い放った言葉を聞いた時だ。
「お前の目は節穴か⁉︎ お前のとなりにいるそいつは『害獣』だぞ⁉︎」
生まれてはじめて、怒りで体が震えるという体験をした。そして、かあっと熱くなった脳であっても、存外冷静な言葉を紡げるのだと知った。
その時の会話は今でも鮮明に覚えている。
「害獣? 害獣だと⁉︎ お前らは彼女を人間じゃないって言ってるのか⁉︎」
「この世界にはな、人の姿をした人でなしが多いってこったよ! 魅了されているんなら目を覚ましやがれ⁉︎」
その時冒険者が言い放った「人の姿をした人でなし」という台詞は、『盗賊型害獣』の存在によって引き出されていたのだと思う。この世界で代表的な、人の姿と人のようなふるまいをするモンスターのことだ。
しかしそれとフェフェとではなにもかも違った。外見は攻撃的には見えなかったし、性格も攻撃的には感じない。なのにそれらを一切考慮に入れず、狭量さが服を着てまくし立てているようだった。
おかげで礼二は、むしろ彼ら自身が――
「そうかよ……。ならお前らこそ害獣じゃないか。人を人と認めない『人でなし』なんだからな!」
人ではないと錯覚するほどだった。
「会話にならねぇよ、レージ! そこを動くなよ! 俺たちが目を覚まさせてやる!」
「ふざけるな!」
大雨で水のたまりきったダムが決壊するように、怒りの感情が彼の体を強く押す。覚えているのはそこまで。その後の記憶は水にでも洗い流されたのか、どこかへ消えてしまっている。気づいた時にはすべてが終わっていた。対峙していた6名の冒険者は、元々生物であったことをわずかばかりに主張する肉塊となり果てていた。
(あの時からだ。俺がこっち側で戦おうって思ったのは)
もういちど、心に言葉を刻む。武力を使って人生を歩もうというのだから、不退転の決意が必要だ。船でたとえるのならロングシップに物資を放りこみ、大西洋を渡ったバイキングたちのよう。自分たちの足元と大海をへだてる船体はちいさくて、世界という名の海を航海するには少々心もとない。でも、甲板には武器を構える兵士がずらりとならび、たくさんのオールでむかい風であっても進める。
本当は人と亜人の橋渡しになれればよかった。両者の間を行き来して、おたがいの求めるものを運ぶ貿易船のような。しかし取引――友好的な会話を拒む者と会話をする場合、まずはこちらに顔をむけさせなければならない。船のマストへ軍艦旗、あるいは海賊旗を掲げてでも……。
と、礼二のもとにあわただしく緊張した雰囲気がおとずれた。水面に落ちた石が波紋を広げ、自分たちの乗る船をグラグラとゆらす。彼を囲む亜人たちが表情を戦士のそれに変え、まだこの村での戦いが終わっていないことを礼二に悟らせた。
波がきた方に視線をむけると、立っていたのは黒い髪と白い肌の女性。むこうが透けて見えるほど薄い緑色のドレスに、真っ赤な瞳を持った泣き女だ。
集団は戦意をいだいたのは、偵察に出ていた彼女が戻ってきたから。
「レージ。……敵、主力。……帰ってきた、みたい」
「ありがとうテイテイ。数と場所は?」
「ごめん……、もう、きてる」
指さす先は教会のほう。そこには先ほど波紋を広げた小石――全部で20名くらいの冒険者パーティーが、武器を構えて殺意をあらわにしている。胸元には水瓶の紋章。テクラ教派の冒険者ギルドから派遣された一団だ。
先頭のひとり、おそらくリーダー格の男が着こんでいるのは、細かい紋様が刻まれた半甲冑だった。ぼやっと光っているのは魔法で強化されていることをあらわす。脇を固める他の戦士たちも、同様の光を放つ長剣や長柄武器なんかを手にしていた。
高い城壁を思わせるその前衛集団の奥側には、後衛を形成する連中の姿も。クロスボウ使いがこちらに矢じりをむけ、魔術師が呪文の詠唱をはじめている。
先ほど村にいた連中に比べ、あきらかに装備の質が違う。バンシーのテイテイが言ったように、こいつらが敵の主力に違いない。
「テイテイは下がれ! それからヴィヴィ!」、仲間のひとり、ゴブリンロードの娘に声をかける。
「なにさレージ!」
「まわりこんで後衛を頼む!」
「あいよ!」
「他のみんなは俺と! 正面から行くぞ!」
おうっ! と応じる仲間の声が、戦闘開始を告げるラッパのように村へ響いた。
「行こうか、フェフェ。背中はまかせる」、ちらりと目をやりながら、最古参の相棒にひとこと声をかける。
「うん、レージ様。フェフェにまかせて。フェンリル狼の力、思い知らせてあげるんだから!」、視界の端で、彼女が手足の毛を逆立てたのが見えた。ぐっと噛みしめた口から長い犬歯がのびて、敵に殺意をむけている。
(相手は……)
礼二は視線を冒険者に戻し、様子をうかがった。魔力の波動とともに聞こえるのは、「攻撃力強化」や「防護力強化」という、冒険者特有の戦力向上魔法の詠唱だ。
あまり時間をかけるべきではないだろう。準備をさせてやる道理などない。
腰を落として腹に力をこめ、長くながく息を吐く。前に倒れる頭とは逆に、両肩と両ひじを持ち上げ、今にも襲いかからんとする獣のような構えをとった。
呼応するように聞こえるのは、自分の四肢が獣のそれに変形する「ミシミシ」という音。ひじから槍の先端のような長い角が生え、手には頑丈な短剣のような長い爪が生えた。
亜人の形質、固有パークの能力のひとつだ。同時に体中に魔力が満ちて、解放されるのを待っているのが心臓へ伝わってきた。
「行くぞ」、心で水門を開ける。
――ドンッ! 視界に映るすべてが、放射線状にのびる。
――ドザァ! 直後、両脚を踏みしめ停止。
一瞬で、ただの一瞬で、彼は敵の懐にいた。
「――なぁ⁉︎」
驚く相手の声など気にしない。低い姿勢のまま、両腕を翼のように振るう。
「狼の激流!」
――ドシンッ! にぶい音。
両腕の軌跡を追うように、青い刃が発生した。隊列の中央、リーダーとそのまわりの数名は、一瞬で上下に分断される。激流はそれでも止まらず、血を求めて後衛集団へ。そこに陣取っていた全員の命をズタズタに洗い流していく。
激しい音とともに教会の扉が破壊され、青い殺意の流れはようやく停止した。
(次は……)
ちらりと右どなりを見る。驚愕としか表現しようのない敵の顔が、こちらにむけられている。しかし直後――
――ガシャァン! 金属音とともに視界から消える。オークロードのヴィヴィが身の丈もあるこん棒で、敵の片翼を蹴散らしたのだ。「後衛はアタシにまかせるんじゃなかったのか!?」、ヴィヴィがそう言った直後、逆側――左側からもけたたましい音。そして叫び声。
フェフェたちが冒険者に突進し、宙に放り上げ、戦いを終わらせようとしている。
「レージ様! 先に行かないでって!」
「悪いな、ふたりとも」、そう言った時には、生き残りの最後のひとりが地面と衝突して果てた。
洪水が一瞬で街を洗い流すかのように、ほんの数秒で戦いは終わった。敵のうめき声すら残っていない。残るのは建物の焼ける音と、戦いに参加することもかなわなかった数名の仲間のあきれる声だけ。
「お三方とも、強すぎますよ。私たちの出番なんてありませんね。ともあれ、こちらのご遺体はいただいても?」
「ウチらにも、獲物を残しておいて欲しかったなぁ。でさ、これ食べていい?」
冒険者の死骸を前に、動く死体の姉妹が食欲をのぞかせる。「俺たちのいないところで食え!」と制止する、ワータイガーのかたわらで。
「いんじゃん! ウチらも早く『クラスチェンジ』したいの! フェフェたちばっかりずるい!」
わがままをいう妹のほうへ苦笑を浮かべながら、礼二は街を見まわした。
おそらく自分たち以外に生きている者はいないだろう。すでに焼け落ちた建物も、まだ燃えている建物もあるが、自分たちが立ち去った時点でここは廃墟となる。自分の駆けた場所には、道しるべのようにならぶ黒い水晶も。転生女神によるとこれはどうやっても壊せないバグモザイク。この場所が復興する時、ずいぶんと邪魔になるのかもしれない。
だが、情けなど不要だ。村といってもここは冒険者の拠点。自分たちにとっては敵対者の砦と同じなのだから。
「貴重品をまとめたら、食事にしよう。明日にはここを出るぞ」
「うん、レージ様」
「うー、めんどくさいけど……わかった」
「あの、お食事が先というわけには……」
各々好き勝手な言葉を発し、しかし結局は指示に従って行動してくれる。「……はずだよな?」と、もういちど、苦笑をひとつ。
「レージ様、はじまったんだね。ニンゲンへ、私たちのことを認めさせるんだよね?」
『フェンリル』種のワーウルフは、期待と不安が混じった声色でそう言った。未来はまだ見えないけれど、信じた道を進みはじめたと実感しているのだろう。
「ああ、そうだフェフェ。俺たちのことを無視できないようにしてやるんだ」強く肯定し、背中を押してやる。いや、腕を引いて導いてやらなくてはならない。「それが俺の、この世界での役割だ」
自分には人と亜人、その両方と対話できる力があるのだから。「うん。フェフェも一緒に」と見上げる可憐な笑顔も、もちろん守る対象のひとつだ。
(さあ、戦おう)
礼二はこの日、闘争をはじめた。これは解放のための戦いなのだと、強く確信しながら。
炎で照らされたがれきが影を作り、彼の片目に黒い影を落とした。




