笑う王様 5
王宮の尖塔の上、つまり角度がきつい円錐状の屋根の上。ずいぶんな高さだというのに、その男はそこへ器用にも腰かけて人を待っている。
長身にもかかわらず姿勢よく背すじをのばしているから、そのよく引き締まった体とあいまってよけい長身に見えた。その体の頂へ鎮座する頭は、くすんだ青色のくせ毛で飾られていた。身に着けているのはスーツベスト。この世においては紳士服飾の最先端であり、洒落者といってよかった。
その彼の青色の瞳へ、金色の糸がひとすじ映る。天界と地上をむすぶ獣、『黄金の毛皮の猪』が放つ軌跡だ。
「ようやくお帰りか」
魔王の腹心である青い乱れ髪の男はすらりと立ち上がると、尖塔の上からなにもない空間へ歩を進める。重力が「貴様はなにをしているのだ?」などと困惑しながら、彼を地面へ引き寄せていった。しかしささやかな衝突音すら残さず、男はふわりと着地してみせる。ほこりをぱっぱと払ってから、王宮の玄関口へ迎えの足を運んだ。ミスター重力が「どういうことだ?」と、疑問符を浮かべるのに気づきもせず。
「……ん?」
かわりに男の関心を引いたのは、彼が迎えに行った女だった。いや、正確には、その女の姿が王宮の正面入り口になかったことに意識を引かれた。いったいどこにいったのか、青い乱れ髪をかきながら探す。しばらくあたりをウロウロし……彼は彼女をようやく見つけた。
少女――濃紺の髪へペストマスクをくくりつけた魔王は、井戸の脇で顔をふいている。
「ふぅ、乱暴にケニングを使うものじゃないわね……」
こちらに気づいているのかいないのか、なにやらぶつぶつつぶやいている魔王へ歩を進めた男は、まず苦言を述べることに決めた。
「お疲れ様だ、魔王様。さっそくだが、聞きたいことができた」
主の足元に広がる、赤い血だまりを見ながら腕を組む。不機嫌そうな顔をしているのは、王をいさめるためのもの。
「なあにバルテリ。これだったら私の血よ? つまみ食いをしたわけじゃないわ」
忠言耳に届きそうになく、というより聞く耳を持ちそうにない。
「つまみ食いだったなら、どれだけよかったろうな。調停会議ってのは流血を回避するためのものじゃなかったか?」
バルテリと呼ばれた彼は、心配半分、あきれ半分で主人に皮肉を吐いた。我が魔王様はいつもお転婆がすぎる、荒事ならせめて俺たちがいるところでして欲しいもんだ、そんなことを思いながら。
その主人が自分に歩みより、ノコギリを鞘ごと差し出す。受けとって匂いを嗅ぐが……これからは血の香りがしない。どうやらノコギリで相手を惨殺したわけじゃなさそうだ。
気にせず歩く魔王を追って、彼は質問を続けた。
「会議はどうだったんだ? 殴り合いでもしたのか?」
「あそこはそういう場所ではないでしょ? いつもどおり平和に花をそえてきたわ」
「吐血の理由を、聞いているんだ」
「ポーカーをしてきたの。勇者を送りこむ大天使と」
「へえ、転生勇者案内人と。で、なにを賭けた?」
「命よ」
「……そういうことか」
心臓の強さには自信があった。彼も魔王とならび立っていられるほどの人物なのだ。しかし同時に、時々心に着ける鉄鎧が欲しくなる。とくに命とチップという、響きも遠ければ韻律すら違うものを、わざと取り違えてみせる少女の前では。
「なあ魔王様よ。知らなかったかもしれないが、あんたの命は、あんたの毛先ほど軽くないんだ。もてあそばれちゃ俺たちの心臓が持たねえよ」
「とっても素敵な子だったわ。敵じゃなきゃ毎年遊びに行くのに」
「聞けよ」
ふいに話を聞かない魔王がゆっくりと右手を上げた。蛇が鎌首をもたげるようなしぐさだ。バルテリが「こんどはなんだ」と目で追うと、顔の高さで指がパチンと鳴った。瞬間、目の前にはどこから出たのかジョーカーのカード。
虚を衝かれ、はぁ、とひとつ、ため息が出た。
「ちゃんと聞いているわよ、バルテリ。勝ったんだからいいじゃない」
主人の手がこちらの胸ポケットにのびて、おこづかいでも渡すかのようにカードを入れる。「これで許して」とでもいうのだろうか。
「後半の部分には同意だ。祝勝会でもご準備しようか?」
「あの子の命があと11個も残ってなければ、そうして欲しいわ」
「そんなことだろうと思ったぜ」
首の後ろを手でかきながら、主人に続いて王宮入口の階段を上がる。崩れた石階段のかけらをつま先で蹴り出し、枠だけになった扉をこれ以上壊さないようにくぐり抜けた。
雷神の怒りでも買ったかのように破壊されたホールが、冷たい息を吐き出迎えてくれる。あたりには破壊の副産物である大小の黒い水晶が、空中や天井に根を張りモザイク柄に光っていた。
「疲れたわ。サウナに行ってもいいかしら」
「あいつの話を聞いてからな」
バルテリは、そこにいたひとりの男を指さした。灰色のクロークをまとい、頭の上には天使の輪、背中には白黒のまだら羽を持っている。主人が休憩を決める前に、職務を全うしてもらわなければならない。
どうせ報告を聞くだけなのだから。
「ごめんねドク。待たせたわ」
「いや、僕は今、きたところだ」
寒いホールに冷え切った手をさすりながら、ふたり目のペストマスクが振りむいた。ひとり目である魔王と違い、正しく顔に着けているから、その表情はうかがい知れない。でも、「嘘言わないの」と諭された彼は、「なんでバレたんだろうか」なんて言って首をかしげるのだ。
この男は顔が見えていようといまいと、なにを考えているのかわからない部分がある。バルテリは苦笑しながら、ドクと呼ばれた天使へ報告をうながした。
「常に嘘が下手なのは魔界でお前くらいなもんだよ、ドク。魔王様に『対抗召喚機』の話を」
「ああ、そうだね。魔王様、今日は『いい知らせと悪い知らせ』があるけれど、どちらからにする?」
「では、いい知らせから」
「対抗召喚機の修理が終わった。これでまた、勇者召喚が発生し次第こちらも連動して動くはずだ」
「本当にご苦労様。ありがとうドクター」
「どういたしまして」
――対抗召喚機。奇妙な魔術装置の一種にして、魔界の重要な物品のひとつ。
魔界が勇者の敵である所以は、天界で発生する勇者召喚に反応して動作する、この対抗召喚機があるからだ。勇者に対してさまざまな物理的対抗手段を生み出してくれる、便利な物なのだ。そもそも、なんでそんなものが存在するのかと不思議に思えるくらいだった。主人に言わせれば「インテリジェント・デザイン――神のみぞ知る」とのことだが。
「悪い知らせは?」
「いつ壊れてもおかしくない。まあ今までどおりだよ。信頼性も据え置きだ」
そして残念なことに、それは壊れやすく、動作も安定しない。勇者に対抗できるすばらしい仲間を召喚することもあれば、牛の死骸や石ころ、数ダースの腐ったリンゴといった、まったく役に立たないものを召喚することもある。
そして突然煙を吐いて、仕事を放り投げるのだ。その気分屋っぷりは、契約書を取り交わさなかった悪魔の仕事ぶりと大差ないだろう。
一番問題なのは、仮に成功したとしても、発生した勇者より常に能力が劣る者しか召喚できないことだ。勇者の強さを10だとするなら、多くて5、大体は1か2くらいの力しか持たない者が召喚される。
それでもこれを使うしかないことに、理不尽さを感じずにはいられなかった。
なぜなら、勇者は強い。無策のまま勝てる相手ではない。
この世界の外からきた彼らは、不正なほど強い能力を持っている。この世にない武術を使い、この世にない魔法を放つ。強力な個体になってくると、兵士を中隊ごと吹き飛ばし、家を区画ごと消し飛ばせる。
「今までどおりなら『いい知らせ』だけじゃない? 安心したわ」
勇者という大剣に立ちむかうため、対抗召喚機が気まぐれに提供してくれる、ささやかなナイフ。それを手に握って分厚い鎧のすきまから心臓をえぐり出すのが、自分たちの役割だ。時にこざかしい手段で対抗して。
「そうかもな」
いつだって、ないよりはマシだ。
「ところでバルテリ。君の胸ポケットの、それはなんだい?」
ドクがトランプカードに気づいて、ペストマスクのくちばしをむける。
「ああ、これか。我が魔王様は天界で、女神たる転生勇者案内人と命の賭け合いを……」
手に取って見せたそれの絵柄は、クラブのキング。
しばし驚き、そして「ああ、ウルリカはこいつにやられたな」と察した。知らずしらずに心がおどり、口の端がじわりと持ち上がっていく。
主人を見る。
「さっきまでジョーカーだったはずだが?」
「そうだったかしら?」、はぐらかす魔王。しかしそこへドクが追撃を入れる。
「そういえば魔王様もずるは得意だったね。『ルンペルスティルツヒェンの悪魔』だったかな?『自分の所有物にかぎり、名や属性を変えられる』と、僕は記憶しているけど」
性悪な能力だ。つまりトランプが魔王の所有物ならば、その絵柄なんて自由に操作できてしまうのだ。これではチュートリアルが勝てないのも当然。おそらくさんざんもて遊んでから、余韻たっぷりにとどめを刺したのだろう。
しかしひとつ、気になることも。
「ああ、そうだったな。で、興味深いのは、なんで天界から持ち帰ったトランプがあんたのものと見なされていたかだ」
さぁね、と、とぼけた顔で立ち去ろうとする主人を、ドクがしつこく呼び止めた。
「僕はもう、今日はたくさん働いたかな。宿題を持って帰らせるのは、いじわるじゃないかい?」
ペストマスクのむこう側には、おそらくいたずらな笑みがある。そう思ってバルテリはドクの言動に言葉を重ねた。
「俺もだ。これから誰かさんの真っ赤な吐しゃ物を掃除しなきゃならないからな」
コツン、魔王の足が止まる。背すじをのばしたまま、うつむき加減にしていた彼女は、観念したように振り返った。
「……少し前、教会に行ったわ。神様にお祈りの点滴を打つためにね」
「それで?」
「トランプをそこに忘れてきたかも。天界への『我が名を刻め』にされていなければいいけれど」
楽しそうな顔をして、唇を長い舌でぺろりとなめて。
「……所有権が移動しないように、魔法で名前を刻みこんだってわけか? わざわざ供物台にささげて、そこへ性悪な言遊魔術を付与することで」
「そう、そんなところ」
「恐れ入った。相手がそのトランプを使わなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「別の手でだますわ」
なんのことはない、という振る舞いに、あらためてこの少女が自分たちの主人なのだと心に刻まれる。それが勇者という「この世で最も強い生物」を相手に、人口2万人に満たないこのちいさな国が戦いを続けられる理由なのだろう。
「質問は以上かしら?」
「いや、最後にひとつある」
この偉大なる少女もさすがに疲れているだろうから、これで解放してやろう。
手に持つカードを相手にむける。再び顔を変えたジョーカーの絵柄を、彼女に見えるようにして。
「このカード、本当はどっちなんだ? キングなのか、ジョーカーなのか」
「仕えるならどちらがいい? キングか、ジョーカーか」
そんなこと決まっている。
「俺はジョーカーたちのキングに仕えてるつもりだぜ?」
「あら、気の利いた言葉ね。ありがとう、バルテリ」
魔界の王様は満足げに笑い、こんどこそ足を休息にむけた。




