笑う受付嬢 1
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
――この世界には勇者がいる。
俺のことだ。
いや、別に偉ぶろうってわけでもないし、自慢しているわけでもない。
だってこれは、ただの事実なんだから。
俺、ソーマ・シラヌイは、いわゆる異世界転生者だ。日本語表記だと不知火相馬。当然出身は日本。半年前にトラック同士の事故に巻きこまれて、転生の女神に会うにいたった、というわけだ。
彼女が言った。「あなたは転生勇者だ」と。だから俺は勇者なんだ。いわく、この世界の『勇者』という概念は「イレギュラーなほど強い者」というような意味だそう。多くの人はそう認識しているのだとか。一方で『転生者』という認識はない。そう口にしても、なぜか正しく理解されないのだそうだ。
で、そんなチュートリアルを経て、女神様のいた天界から地上へ。勇者は「魔王を倒す」というおおきな目的を持っているけれど、そのためには多くの経験が必要になるだろう。
ということで、現在俺は冒険者ギルドの中にいる。これから、いわゆる「登録」をするところなのだ。
(さて、いよいよか)
ここは、この国(中世ヨーロッパ風の、イギリスっぽい雰囲気の国)において、おおきめの冒険者ギルドだそうだ。床も壁も木でできている、広い空間。バスケットボールのコートが2面くらい取れそうな併設酒場では、鎧とかダブレットとかを着た人たちがせわしなく行き来している。
その一角に、職業安定所のようなブースがいくつもならんでいた。そこがギルドの受付だ。
「すまん、ギルド員の登録を頼む」
俺は舞い上がりながら、ギルドへの登録を申請した。そうなっている理由の一部は、受付の雰囲気が異世界を感じさせる物だらけだったから。
ここは現代日本にくらべてアンティークな印象の場所。当然什器はパイプ椅子とか石膏ボードとかじゃない。紙の束だって質は悪そうだし、人々の熱気をやわらげる空調もないから少々暑苦しかった。でもペンとインク瓶は細かい彫刻がされていて輝いているし、机の木目も地球では見なかったような渦巻の縞模様を刻んでいる。ついたてに金具でとめられたランタンは、おそらく魔法の品。姿勢よく背すじをのばしている炎が、緑色をしているんだから。
それになにより――
「はい、登録ですね。承知しました。ところで、冒険者ギルドははじめてですか?」
目の前にいるのも、しばしば日本の役所にいる、くたびれた服を着た公務員なんかじゃない。ところどころフリルのついたシャツと、カチッとしたベストに身をつつんだ『受付嬢』なのだ。
ふんわりとした亜麻色の長髪に、アイドルみたいなパッチリとした瞳。微笑みをうかべるととのった顔立ちは、転生時に会った女神様に勝るとも劣らない、と思う。細身なのに出るところは出ている体形もあいまって、俺みたいな25歳という年頃の男でなくっても、ロマンスを感じてしまうだろう。
白状しよう。俺が舞い上がっている理由の90パーセントくらいが、この綺麗な人からもたらされているのだ。
俺は「ええ、はじめてです」なんて無味に答えながら、心臓の鼓動が小太鼓みたいにリズムを刻む感覚を覚えてしまう。だってしょうがないじゃないか。人間、本能に逆らうことなんて、車へ「走るな」ということくらいに残酷なことなんだし。
ささやかな幸福を楽しむ俺を置いておいて、受付嬢は台帳を取り出し、さっそくお仕事をはじめるご様子。
「お名前は?」「ソーマ・シラヌイです」「ソーマ……シラヌイ様? さしつかえなければお教えいただきたいのですけれど、偽名での登録希望ですか?」「い、いえ、本名です」「そう……ですか。承知しました」、さっそくちいさな問題が発生。
まあ偽名だと思われることにかんしては予想もしていた。この世界にきて半年ほどたつが、どこも地球でいったら欧州風の文化ばかりだ。「シラヌイ」という姓はめずらしいだろうし、受付嬢が不自然に感じても不思議じゃない。ただ、
「ご出身は?」
この質問にはまいってしまった。「東京都です」なんて言えないし、言ったところで理解もされない。嘘をつくにしたって、この世界にきて半年じゃ、出身を偽装できるほど深く理解した国もありゃしない。
「あー、えー」、口が母音と長音をたれ流す。言いたくありません、というわがままが通用すればいいけれど、相手の返答が怖くって、口にするのもはばかられた。
と、――ニコリ。受付嬢は笑う。
これは意外な表情だ。
「大丈夫ですよ、ソーマ様。ここにいる半分くらいの人が、ワケアリの過去を持つ者です。わかるんですよ、私。あなたも腰の剣はずいぶん上質な物に見えますし、言えない過去を持っていても不思議じゃありませんから」
ドキリ、心臓が鳴る。たしかにこの剣はちょっとした冒険の中で得た物だ。まだ駆け出しにしか見えない俺には、不釣り合いに見えるだろう。
「ですから……そうですね。ありがちですけれど『記憶喪失』と書いておきませんか? 登録という作業はギルドの決まりとして書類の欄を埋める必要があるだけで、実際のところ嘘を見抜くための儀式ではありませんから」
「ああ、助かる。そうしてくれるとありがたいよ」
「ではそのように」、彼女はどこか上機嫌に紙へ羽ペンを進めた。なんでだろう、と逡巡したけれど、俺はすぐになんとなくの答えが見えてきた。
冒険者という荒くれの中において、もしかしたら俺は「朴訥な正直者」にうつったのかも、と。つまり「善人」というめずらしい存在だ。だから彼女はこんなにも、近所のお姉さんみたいな慈愛の表情をうかべているんだろうな、なんて。
このさい、とってもありがたいな。
「では引き続き決まりごとの質問を」と彼女は続け、笑顔のまま口を開いた。でも、さっきの出身地と同じく、その質問は俺に少々の悩みをあたえるものだった。「今までになにか実績はありますか? ダンジョンに潜ってモンスター狩りをした、であるとか、戦争に兵士として参加した、であるとか」
「ああ、それならあるが……」と、俺はふたたび口ごもる。後ろめたいことがあるわけじゃない。でも、この半年間ひとりであっちこっち行っていたのだ。なんで半年もひとりで? なんて、変なやつに思われるんじゃないかと危惧してしまう。
とはいえ、やさしい受付嬢さんに、これ以上嘘をつくのも心苦しい。
ここは正直に言うべきだろう。
「ええと、ダンジョンに潜ったことはある。ここから海峡を渡って北西の国――ラヴンハイムって国だったと思うが、そこの山あいのダンジョンだ」
「なるほど。続けてください」
うながされるまま、俺はその時のことを受付嬢に話した。そこが山あいにある人工の洞窟だったこと、行ったのは興味本位だったこと。でも中で黒い人型生物に敵対されたあげく、そいつらが飼う魔獣のようなものに襲われてしまったことも。
「黒い人型生物と、魔獣ですか? それってどんな外見だったか、くわしくお教え願えませんか?」
「ああ。人型については、真っ黒な体の連中だった。印象的には闇の眷属とか、悪魔とかに見えたよ。で、俺を見つけるが早いか『侵入者だ!』って騒ぎやがった。ハンマーとか切れ味のよさそうな剣とかで武装していたな」
「闇の眷属……ですか。魔獣については?」
「でかくて黒いトカゲ、もしくは羽のない黒いドラゴンって見た目だった。洞窟の中ってそこそこ広くてさ、そんなやつと対峙する羽目になったんだ。で、俺を敵だと思ったらしい。いきなり全身から毒液らしきものをしたたらせて襲いかかってくるんだから」
そこまで話しをした時、俺は受付嬢の表情が変わったのに気づいた。潮が引くようにさぁっと、音を立てるみたいな感じで。そして信じられないといった雰囲気で言うのだ。「ど、ドラゴン種に襲われたんですか? 具体的なおおきさは?」
「家2軒分くらいかな」、俺はごまかすように、ほほをかきながら答える。いったん受付嬢から視線を外し、しばらくしてからちらり、と戻す。
端麗な顔を驚いたように、そしてあきれたようにする彼女がそこにいた。
「そのおおきさ、まちがいなく竜種ですよ……。ご存じと思いますが、出会うことすらまれな、そして強力な存在です。よくぞご無事で帰られました」
そう言いながら、彼女の表情は驚愕から心配へ。その顔のまま、こちらをいろいろな角度から観察してきた。なにしてんだろ、と思うも、すぐに意図ははっきりする。
口を開かなくても「どこか、怪我されていませんか?」と気遣ってくれているのがわかったから。
「と、ともかくお怪我はないようですね。どうやって逃げたんですか? 他の冒険者に情報共有しなくちゃ……」
「いや、倒した」
「へ?」
「倒したんだ」
――しばし沈黙。受付嬢が目をぱちくりさせながら、次の言葉を探すために必要な時間……なのかも。
「ま、またまたぁ。ご冗談を!」
「いや、証拠にやつの角を取ってきた。もしかして、高く売れるのか?」
なんだか気まずい雰囲気を感じながらも、俺は腰の道具入れ(転生時に手に入れたアイテムボックス)から、長さ1メートルもある黒い角を取り出した。それを机の上にゴロン、と置く。
約10秒間の静止を経て――
「はぁぁぁ⁉︎ 竜種を倒したんですか⁉︎ ひとりで⁉︎ どうやって⁉︎」
大声がギルドの中に響き渡る。呼応する、冒険者たちのざわざわという声と一緒に。
どうやら俺は、なにかをやらかしたようだ。
きっとこの場にふさわしくなくて、配慮に欠けていて、非常識ななにかを……。