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8.入厩

 残念ながら出発の日はちらちら小雪が降るあいにくの天気だった。うーんついてない。昨日まで数日晴れてたのに。経験上、こういうお別れの日は晴れているほうが絶対に良い。

 天気は今一だったけど、笹森牧場のみんなは晴れやかな笑顔だった。茜ちゃんと小林くんなんてもう百点満点の笑顔だよ。本当に嬉しい。

 なんでみんなが笑顔なのかというと、なんと今日は私の旅立ちの日なのだ!

 入厩できる時期になるまで笹森牧場のずっとお世話になりっぱなしだった。売買契約が済んでからかなり長い期間待たされて、年があけてさらに待って、2月上旬の今日、やっと私は美浦トレーニングセンターってところへお引越しするってわけ。

 入厩ってすぐにできるものじゃなかったのね。私本当に売れたの?って初めの数か月不安だったよ。

 まぁそれは置いておいて、そのトレーニングセンターは茨城県にあるらしい。どんなところだろう。まぁ確実に言えるのはここよりもずっと冬は暖かくて夏が暑いとこだってこと。雪もほとんどないだろうな。個人的には暑いよりは寒いほうがいいかも。私の住むところ冷房あるのかな。暑い中走り回って熱中症とかになったらどうしよう。


 って、今はそんなことよりもこれからのことだよね。

 あー今までの色んな事が思い出されちゃって、少ししんみりしちゃう。嬉しさはもちろんあるけど、寂しい気持ちももちろんあって。何せ家族みたいなものだったんだから。生まれてから今まで2年も私の世話をしてくれて、言葉には言い表せないくらいの愛情を注いでくれて、本当に感謝しかない。私の奇行に目を瞑ってくれてたことにも……。

 この先にどんなことがあるのかわからないけれど、たぶん私はこの2年の思い出だけで、頑張れると思う。


 私、みんなの期待に応えられるくらい大活躍してみせるから!TVで見ててくれよな!


 馬運車の準備ができたみたいで、私は笹森さんに引かれてトラックに乗り込む。解けたり凍ったりを繰り返した雪が氷のようになっているから気を付けないと滑っちゃいそう。どうやら笹森さんもついてくるみたいで、ちょっと嬉しい。思春期真っただ中の広大くんは無言で、何とも思っていない風を装っていたけど、私の顔を優しく叩いてくれた。それが彼なりの挨拶。それから、寒さで赤くなったほっぺの茜ちゃんが私の鼻先を名残惜しそうになでる。

「頑張ってね」

 小さく茜ちゃんの声がして、扉が閉じられそうになる。少しだけ声が震えてたかも。

 たぶんわからないだろうけど、それでもいいから、私頑張るよ!って扉が閉まる前に返事をした。ぶひひんって鳴き声だったけどね。

 茜ちゃんが、おっきな目を真ん丸に見開いて、それから小さく頷くのが見えた。それが最後。あ。小林君が後ろのほうで泣いてるのがちらっと見えたわ。

 お別れができるって素敵なことだな。


 さてさて、そんなこんなで馬生初の車移動!最初はどきどきわくわくでめちゃくちゃ興奮したんだけど、私思い出したの。バスとか電車とかにのるとすーぐ寝ちゃうこと。爆睡ですよ。途中笹森さんがご飯や水をくれるので目を覚ましたけど、それ以外道中の記憶無し!

 気づいたら美浦トレーニングセンターだったってわけ。

 笹森さんと運転手の人呆れてた。


 諸々の手続きが終わって、私は入厩することになった。

 調教師、調教助手、厩務員さんと無事に顔合わせ。

「へぇ~。これが件の眠り姫か~。なかなかの美人さんだ!」

 いかにもベテラン!って感じの調教師金森さんが私を褒めてくれる。お互い第一印象はまずまずですねぇ。やったぜ。

「ですねぇ。馬体もなかなか立派ですし、トモの張りもいい。今後の計画を立てるのが楽しみな馬ですねぇ~」

 これまた、掴みはばっちりな様子。調教助手の小松さんが私のことを絶賛してくれている。

「性格温厚、好き嫌いなし、人好き。最高ですねぇ。ん、この資料のここに書いてある独特な行動が見られるが、問題無しってどういうことですかね、笹森さん?」

 手元の資料を繰りながら厩務員の遠藤さんが、笹森さんに尋ねてる。

「あぁ、それはその……、ちょっと特殊な仔馬なんですよ、この子。たぶんすぐにわかると思いますが」

 なんでそんな尻すぼみなの笹森さん。もっと胸張って私のこと紹介してくださいよ!

「うーん、突然暴れたり、人にかみついたり、他の馬と折り合いが悪い、とかではないんですよね?」

「はい、その辺の行動は一切ないです。牧場にいたときは、ですけど。一人遊びが得意で、時々変な遊びをするんですよ。」

「へぇ。一人遊びが得意ってことは、寂しがりではないってことですね。勝手になんかするってのがどういうことかちょっとわからないですけど、一人ではしゃいで勝手に怪我されたりするのも困るんですけど」

「あー、それはどうでしょう。一応今までけがをするってことはなかったんですけど。詳しい事情につきましては後ほど小早川ご夫妻がいらしてから……」

「なるほど、わかりました。ありがとうございます」

「ふむ、一応しばらくの間は、行動をよく監視しておく必要があるか」

「ですね」

 3人が顔を突き合わせて神妙な顔をしている。監視……ですか。乙女の行動を逐一観察するのはデリカシーに欠けますよ……。


 その後、私を引きとってくれたお金持ち(だと私が勝手に思ってる)の小早川夫婦が笹森さんに挨拶にきてくれて、私にりんごを差し入れてくれた。みんなで色々話すことがあるみたいで、連れ立ってどこかへ行くらしい。

「いいか、ここは牧場じゃないんだから、変なことはしないで大人しくしてるんだぞ!」

 笹森さんが私に釘をさす。はいはいと私が適当に鳴いて返事をしたら、はいは1回!と怒られた。懐かしいこの感じ。私ははいと一声鳴いてみせた。

 小早川夫婦はくすくす笑っていて、厩舎の係員3人はちょっと驚いた顔をした。

 ばいばーい。

 私は連れ立って歩いていく6人に手を振ることはできないので、顔を振って見送った。

 私に慣れてる三人が先頭に立ち、怪訝そうな顔でこっちを振り返り振り返りする三人が後をついていく形で、遠ざかっていった。

 

 はぁ~疲れた。疲れてないけど、疲れた。

 知らない匂いが充満する厩舎。せわしなく働く知らない人たち。どこかから聞こえてくる誰か(馬)の嘶き。

 ちょっと寂しいなって思った。


「お母さん、私頑張るよ」

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