6.やった~
部活の顧問が良く言ってたっけ。ダメだったときは次に向けてさっさと気持ちを切り替えなさいって。
いやー私もね、そうしたいのはやまやまなんだけどさ。
牧場の人たちの雰囲気がお通夜なのよ。笹森さんと小林君が分かりやすいくらいに落ち込んでるんだよね。もう1カ月近くも経っちゃったのに。あの時売れなかったの相当やばかったみたい。うーん、こっちも不安になるよ。
この後どうなっちゃうんだろ。売買ってあの一回きりなのかな?まだチャンスある??
次に向けて気持ちを切り替えるのは習ったけど、次があるかわかんない状況で気持ちを切り替える方法については教えてもらった記憶がない。
他の売れた子たちはそれぞれどっかに行ってしまって、私一人になっちゃったからなおさら余計な事考えちゃうんだよね。あ~一人遊びがはかどるぜ……。
とりあえず走るか。とりあえず走っていれば、走ることに集中して余計な事考えなくて済むし。なにより気持ちが良い!人間だったころよりも格段に速く長く走れるのが良いね~。自分の足がどれだけ速いのか、普通の馬の速度と比較できないから皆目見当もつかないけど。
昨日は、自己最長走行距離がどの程度なのかを確認するために走ったから、今日は自己最速記録を目指すか。よし。今日はその設定で行こう。
脳内で高校陸上大会の解説実況が始まる。
さぁ各選手スタートにつきました。緊張の一瞬です。よーい。スタートしました。おっと、ユキ選手、なかなかのスタートです。他の選手と比べて一歩リード。さて、先頭ははそのまま第一コーナーへと入ります。おっと、ここで笹森牧場の小林タクミ選手が一気に距離を詰めます。ぴったりと先頭背後をマークし、プレッシャーをかけます!
走者必死に走ります。第二コーナーも回って、後続の順位が入れ替わります。しかしトップを走るのはユキ選手。抜かせません!
そのまま第3コーナーそして第4コーナーを回り、仕掛けます!走者一斉にラストスパートに入りました。ラストの直線!ここからは最後のスタミナ勝負!ここが最後の踏ん張り時!後続伸びる!一気に距離が詰まります。二位の小林選手がユキ選手の隣に並びます!その後ろに三位飯田選手、四位笹森選手と続きます。
しかしあと一歩!あと一歩届きません!おっとここで、三位飯田選手が伸びる!速い!ユキ選手抜かれるか!いや、僅差でまだトップを守っている!どうなる!?どうなる!?小林選手も粘ります!ゴール!一位は……、一位は笹森牧場のユキ選手!初出場で一位をもぎ取りました!素晴らしい走り!終始リードを守り抜きました。いやぁ素晴らしい走りでしたね。これで高校二年生です。今後がますます楽しみになる選手です。おっと、ここでコーチの笹森ケイゴさんがタオルをもって駆けつけます。記録は~56秒20!56秒20です!素晴らしい記録、素晴らしい走りでした!
観客に手を振りながら退場するところまで想像していたら、ごほんと咳払いが聞こえた。振り返ると笹森さんと笹森さんの奥さんが知らない二人を連れて立っていた。
すっごいお金持ちそう!っていうのが第一印象。結構お年をめしてるかな。もうおじいちゃんおばあちゃんって感じ。真っ白な髪だけどかくしゃくとしてて、着てるものもぴしっとしてて!校長先生をさらに立派にした感じ。きっと相当えらいひとなんだろうなぁ。
もう一人のおばあちゃんは奥さんかな?上品で優しそう~。おしゃれなご夫婦だなー……。
じゃなくて!一人遊びしてるとこばっちり見られてた!
日の丸を肩にかけて悠々とトラック内を歩きながら勝利の涙を流す想像して一人で感動してるとこ全部みられた?!ここから世界陸上に出るために海外遠征するとこだったのに!笑顔で勝利インタビュー受けるつもりで顔まで作ってたのに?!
みんな戸惑ったような顔で現実にもどされる。
そんな変なものを見るような顔をしてるのは気のせいだよね?気のせいだと思いたい……。
「これが、えっと、件の仔馬になります。一歳の雌です。気性はおとなしく落ち着いています。一頭になるとちょっとその、変わった行動をするところがありますが、馬房では普通です……」
あ、笹森の奥さんに小突かれてる。たぶん余計な事言うなって釘さされたんだろうな。
「他にはどんな行動をするのかしら?気になるわ。すごい人間っぽい動きでびっくりしちゃった。馬ってこういうのなのねぇ。全然知らなかった。大きいからちょっと怖いと思ってたけど、なんだか大丈夫そうね!」
「え、いや。えっと。この子はちょっと他の馬とは違っていまして。スタンダードな馬かと言われると少し……。一人遊びが得意で、こういうことはしょっちゅうなんですけど、他の仔馬がやってるのはみたことないですねぇ」
「まぁまぁまぁまぁ。そうなのー。個性的な子なのねぇ。他にはどんなことをしたりするのかしら」
ぐいぐいくるなこの奥さん。笹森さんが気圧されてる……。
笹森さんが奥さんの方をちらりと伺うのが見えた。奥さんが額に手を当ててる!奥さんが笹森さんに話すように促すのが見えた。
「えっと、いつもというわけではなくてですね。時々、ほんとうに時々なんですけど……。昨日は似たようなことをしてましたね。まぁたぶん相当暇だったんでしょう。一頭で延々牧場の冊にそって走り続ける一人持久走みたいなことをしてました。そういうことをする仔馬は今までみたことはないですね」
「まぁまぁ。走るのが好きなのねぇ~。私にはない感覚だわー。それで、今は一人でレースをしていたってところかしら」
「さぁ、それは、わかりませんが……。一人遊びが得意なのは確かですね……」
笹森さんが何かを思い出すように遠くを見るような目をした。
あー……私の奇行を思い出してる目だわあれは。
「さしずめ今のは一人ウィニングランだったのね」
「さすがにその考えはファンタジーすぎるんじゃないか」
「あら今のは絶対そうよ~。そうとしか見えなかったわ。私見えましたもの。この子がレースで1位になってウィニングランを決めるところ!ウィニングランでいいんですのよね?でもなんで、走ってないのにウィニングランって言うのかしら。ねぇあなた?」
「さぁ……。考えたこともなかった。今度調べておくよ」
「私、この子がほしいわ」
え!
「まだ数頭しかみていないじゃないか。決めるのは早すぎるんじゃないか?ほかにも探せばまだまだあの馬の子どもたちはどこかにいるだろうし」
いえいえ旦那様!今がお買い得ですよ!買わなきゃ損ですって!大特価セール中ですよ!なんなら今ご購入いただくと、なんと無料ですよ!私が!
「だって1位になるところ私見えたんですもの。この馬しかいないわよ。ねぇ笹森さんもこの馬なら1位になると思わない?いえ、1位にこだわってるわけじゃないんですけれどね。この馬は運命だと思うのよ。先に見た子たちは全然そんな気がしなかったのよ。きっとこれから見ることになる子も同じよ」
げへへ。靴舐めましょうか奥様!
「ね、おいくらかしら?」
突然ふられた笹森さんが狼狽える。いや、しっかりしてよ!今絶対今気を抜いてたでしょ。私を売り込むチャンスでしょ。ほら奥さんから冷たい視線が飛んでますよー。
「あの、えっと、走らないとは言いませんけど、でも、この仔馬にするかどうかは、じっくり考えられた方が……」
「どうして?手放すのが惜しいくらい良い馬だからかしら?」
「いえ、えっと、その逆で……」
「どうしてかしら?白い馬だから?」
「ええ、その、お電話でもお話ししましたが、白い馬は競走馬としてはあまり走る方ではないと言われてまして……。理由はわかりませんが、経験としてそういう馬が多くて。もちろん過去に素晴らしく速い白毛の馬がいるにはいました。ですが、うちのはそういうのとは無縁の血筋でして……。私としてはこの子が売れてほしい気持ちは山々なんですけれど、下手な馬をなんの情報もなしに売ったとなっては、私どもの牧場の評判にもかかわりますので、しっかりご納得いただいてからご購入いただきたいと……」
「まぁ律儀な方なのね。素晴らしい心がけだわ。でもね、ちょっと古いんですけど、私、この子を一目みたときにビビビッて来たの!」
ほう?
「ビビビッときたのか」
「そうなのよ、あなた。ね、いいでしょう?」
「それなら仕方ないな」
ええ……。それで納得しちゃうの?旦那さん、奥さんに甘すぎませんか……?
「この馬の購入について詳しく話を詰めさせてもらいたいのだが、よろしいかな?」
まさか!本当に?うっそ。やったー!って……。
ちょっと笹森さん。ぽかーんとしてないで!
「ええ、もちろんです。では事務所の方へ。むさくるしいところですけれど。こちらです。足元にお気を付けください」
笹森さんの奥さんが頼りにならない旦那さんを後目に、そつなく対応する。
さすが笹森さんの奥さん。しっかりしてる。それに引き換え笹森さんは。まぁ気持ちはわかる。私も信じられないんだから。
でも。でも!
やったぜ神様~~~~~~~!
私は嬉しすぎてぴょんぴょんはねてしまった。それを見て、一同が目を丸くしていたが、もう私の目にはそんな様子は目にはいらないくらいに、私は浮かれてまくっていた。