3.春
春が近づいて、にわかに牧場が忙しくなってきた風だった。
近頃私と他の仔馬たちは入念に健康状態がチェックされている。ごはんの配合も変わったような気がする。味がなんか違う。牛乳なしのシリアルを食べてる感じなのは変わらないんだけどね。
みんな少しずつ成長し、だいぶ仔馬感は薄れてきた。鏡が無いからわからないけれど、きっと私も。
飼育員の人たちがしきりに、少しでも高く買ってもらうんだぞ~とか良い人に買ってもらうんだぞ~と言いながら仔馬の世話をする姿がみられる。そうか、私たちは売られていくのか。ドナドナという歌を思い出した。
この牧場にいる仔馬は私をいれて八頭。七頭にはそんな声をかけるのに、ついぞ私はそのような声をかけられた記憶がない。みんなが私にかける声は全然違っていた。
大丈夫。
頑張ろうな。
なんとしても売れるようにするからな。
ユキは可愛いからきっと売れるよ。
もう少し愛想を良くしような。
毎日毎日誰かから言われる。特に小林君はしつこいくらいに私に声をかける。
私にはわからないが、きっと私の何かがほかの子たちに劣っているのだろうということが察せられた。
不安が押し寄せてくる。
私、売れなかったらどうなっちゃうんだろう……。
けれど、だれもその答えは教えてくれなくて。なんとなく肉付きの良さとか筋肉の付きだとか愛想の良さとかが重要なのだということは分かった。
この先に何があるのかよくわからないけれど、できることはやっておいた方がいいと思う。だから、意識してごはんをしっかり残さず食べるようにした。いつも飼葉桶の隅の方は適当に残していたから。天気のいい日の放牧では、ぼーっと時間を過ごすのではなくて、できるだけ体を動かすようにした。
策に沿って走っているとなんだか部活のトレーニングを思い出して、少しだけ気持ちが晴れるような気がした。
あぁ私ってそういえば走るのは好きだったっけって思い出した。何周も何周も、ウォーミングアップから初めて、少しずつベースを上げていって。人間だったときとは比べ物にないくらいにすいすい進むのが新鮮で楽しかった。雪のせいで全力疾走は無理だから、安全走行。
いっぱい走るとその分だけお腹が空いて、普段のごはんだけでは物足りない気がして、飼育員の人にりんごをくれーって催促しまくったりもした。
ただの強請り集りなんだけど、私から積極的に飼育員さんに絡んでいくことなんて今までなかったから、みんな不思議そうに、でも嬉しそうに笑ってた。りんごがほしいということに早々に気付いて、現金な奴だな~なんて言われたりもしたけど。
そして運命の日。
庭先取引だとかなんとかで、仔馬を買いたいという人が一堂に集まって売買が行われる日。
私は頑張った。飼育員さんもみんな太鼓判を押してくれた。私も私にできる範囲で愛想を振りまいた!
けど売れ残っちゃった……。なんで?
みんな私を見てほめてはくれる。けど、白いからなぁって。白い馬って駄目なの??物語に登場する馬は白馬って決まっているのに??誇大広告じゃん。
牧場の人はみんな目に見えて落ち込んでた。一頭売れるごとに私のこともアピールしてくれた。良い子ですよ!って。体つきも立派で、いい競走馬になりますよ!って。なんなら無料でも!って。私は通販の商品か!一つかったらおまけでこれも、ってヤツ。さすがにちょっと傷ついたけど、それが現実なのよね……。
みんな頑張ったけど、それでも残っちゃった。
私は仔馬の相場なんて全然わからなかったけれど、一頭すごい金額(個人の感想です)で売れた子が居て、笹森さんたちみんな嬉しそうだったことだけは、自分のことのように嬉しかった。優しい人は最後には必ず報われるのが物語の定番だから。
私は……、残っちゃった私は……、幸せになれない私は……?
特に小林君と茜ちゃんなんて私の為に泣いていた。ごめんよって言いながら力なく私を撫でるんだ。笹森さんも、笹森さんの奥さんも、広大くんも、飯田さんも、愛想のない安藤さんも。みんなが私のために悲しんでくれていた。
お母さんのことを思い出した。私が大会にでるための記録会で良い結果を残せなかったときのことを。まるで自分のことのように悲しんでくれて、私なんかよりもよっぽど落ち込んでいて、私の方が逆にフォローしてしまうほどだったあの時のことを。
お母さんのせいじゃないのに……。
みんなのせいじゃないのに……。
それでもみんなが私のためを思って悲しんでくれている。そのことが、私には本当に、本当に嬉しかった。ここに生まれて良かったって初めて思った。
夜、笹森さんが私にりんごを一つくれた。それはとても甘くて、信じられないくらい甘くて―――。
心の底から、ありがとうと言えたらいいのにって思った。残念なことに口からぶひひんという音しかでてこなかったけれど。
これが毒林檎だったら良かったのに。白雪姫が食べた真っ赤なりんご。甘い夢の中で死んでいくの。王子様のキスなんて今の私には与えられるべくもないから。
笹森さんが私の顔をなでる。優しく、いとおしそうに。
みんなのせいじゃないのに……。
だれのせいでもないのに……。
その時ふいに思い出した。色々な記憶が頭の中を駆け巡った。
そうだ。私は、お母さんを残して死んじゃったんだ……。高校を卒業したら、働いてお母さんを助けるから、高校は好きなことをさせてって言ったのに……。
そうしてしばらくすると売れた他の子たちはみんなどこかへ行ってしまって、厩舎の中が静かになった。
雪が解けて北国に遅い春が来た。
私は一人ぼっちになった。