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第113話 思い出


「母ちゃん!俺…自転車が欲しいんだ!」


「それなら年末のボーナスが出たら買いに行こうか」母


「ほんと!今日ね、公園に田中君が乗って来たんだけど、どんな凸凹道でも走れるようになってて軽くて分解も出来てかっこいい自転車があるんだけど、それを買ってくれる?」


「それは…ごめんね」母


パート勤めの母のボーナスはすずめの涙程だった、話を聞いた母はその自転車が高級品でボーナスでは足りない事を悟り、すぐに無理だと判断して謝った


複雑な表情を浮かべて謝った母親の顔を見て、子供心に申し訳ない気持ちになった


思わず口をついて出かかった、なぜ父親が居ないのかと…だけど寸前のところで押し殺した


大人には子供に言えない事もたくさんあるのだろうと…おもちゃも欲しかった、服も欲しかった、自転車だけじゃなくて色んな物が欲しかった、漫画やゲームも友達はみんな持っているのに自分は何も持っていなかった


みんなで同時プレイするゲームも流行った、ハードとソフトと両方買うには数万円必要だった、ショッピングモールに出かけると、何度も盗もうと思った


思ったが…捕まったら母親はきっと怒る事もなく、また涙を浮かべて微妙な顔をするのだろうと想像すると出来なかった


お金持ちの家の友達はお菓子を盗んだり文房具を盗んだりしていた、物が欲しい訳ではなくスリルを楽しんでいた、俺にも進めて来た


友達って…居なくてもいいかな


学校でも家でもひとりでいる事は怖かった、自分だけ違う生き物にでもなったような気がした


「梳李は何かあったの?元気ないね」母


「そんな事ないよ!少し眠たかったんだ」


「色々欲しい物もあるだろうけど、なにも買ってやれなくてごめんね」母


「母ちゃん!別に欲しい物なんてないよ、母ちゃんが作った美味しいご飯があればいいよ」


便利な世の中になって物が溢れると必ずこぼれる者たちは出るものだ


「おはよう!梳李!どうしたの?嫌な夢でも見たの?泣いているよ」アスコット


「子供の頃の夢を見た、あんまり良い思い出じゃなかったから」


「大丈夫?抱っこしたげるよ」アスコット


「甘えてばかりで恥ずかしいな」


「誰に見せるわけでもないからいいじゃん、私は甘えられるのも好きだし」アスコット


「どうも安らぐんだよね、ここが」


「だからさ大きい方がいいのかなあって思っちゃって」アスコット


「あればいいんだよ、大きいのが特別好きな訳じゃないからな、好きな人に甘えるから安らぐだけで、大きいのに抱かれると安らぐ訳じゃないから、何回も説明してるけどそこはわかって欲しいんだよ、アスコットだって誰にでも甘えられて嬉しい訳じゃないだろ?」


「確かにそうだね、というか他の人を胸に抱くなんて事は考えられないね」アスコット


「同じだよ、母親と繋いだ手から愛情が流れて来て、母親に信頼が戻って行くように、俺が甘えるのが好きなの事も、アスコットの気持ちが流れ込んで来て、俺からは穏やかな気持ちが戻るから、お互い心地いいんじゃないかな」


「そうかもね考えた事はなかったけど、確かに梳李が落ち着いた空気になるし、それがとても嬉しいのは間違いない」アスコット


「子供欲しいよな、少し怖いけど」


「百戦錬磨の梳李が怖いなんて珍しいね」アスコット


「結婚しないって言ってた事もそれが理由なのだけど、自分の事は自分でなんとかすればいいじゃん、だけど愛する人とか愛する子供ってさ、俺の力では何もしてあげられない時がありそうで怖いんだよな。見てる事しか出来ない時ってあるじゃん」


「確かに自分で乗り越えなければならない事は生きていたら何度もあるよね」アスコット


「当たり前の事だとわかっていてもさ、俺はそういうの苦手なんだよな」


「優しすぎるのも困ったもんだね」アスコット


「うーん…俺の言う愛の定義はそれだから仕方ないよな」


「その深い愛情で包まれている事は、私たちも普段から感じているから、良い事なのだろうけど大変だね」アスコット


「何も言わずに抱きしめられると落ち着くのは、その感情が満足するのだと思うんだよ」


「夫婦って良いね、私は梳李の奥さんで良かった、うちの両親は多分こんな感じじゃないと思う、というか絶対違う、母が父に対しても、父が母に対しても、愛情の様な姿を見た事がないもの、話をしていても仕事してるみたいだった」アスコット


「貴族は貴族で大変なんじゃないか?そういう事よりも大事な事があったんだろうさ。俺達は基本的に自由だからな」


「引退してからそう言われたら仲良くしてる気がするね、兄の夫婦も同居して居るからなんとなくとてもみんな仲がいい」アスコット


「まあ頭で考える事でもないよ!アスコット!朝焼けを見に行くぞ!」


「服を着なきゃ!」アスコット


「空から見るし誰からも見えないよ!そのままでいいさ!」


「梳李が見るじゃん!恥ずかしいよ」アスコット


「アスコットを朝焼けで照らしたいんだよ、変態って言っていいぞ!」


「変態!」アスコット


「飛べるようになってからたまに空から朝焼けを見るんだけど、綺麗だろー!」


「ほんとだね!高い所から見ると凄く遠くから朝焼けが始まるんだね」アスコット


「アスコットも綺麗だよ、したくなっちゃった」


「変態♡」アスコット


自分の子供の頃は我慢した思い出が多い事がトラウマになっているのだろうか、仕事で居ない時でも常に母親に想われている自覚はあったから寂しいと思った事はないけど


いま自分に子供が出来たら与えられない物はないけど、母さんのように俺の事だけを一生懸命に考えてくれた父親にはなれないだろうから、寂しい思いはさせてしまうかもしれない


なんでも与えるのも考えものだし、ほんと俺のような者が父親になれるのだろうか、多分みんな若い時に考えるよりも先に子供ができて、子供の成長と共に親になっていくのだろうな


きっとあの時の母親の複雑な顔は、なんて返事をしようか、どう説明しようか、色んな事を瞬時に考えたけど答えが見つからなくてあんな顔になったのだろうな


困らせてしまったと思っていたけど、大人になって自分が親になる事をふまえて考えたら、なんとなく理解できた


ほんの少しだけほっとした



第114話に続く


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