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北へ

「レティシアお嬢様、ジル先生とガルディウス様がいらっしゃいました」

温かな春の日差しの差し込む邸宅の廊下で、レティの側仕えであるアンリさんが彼女の扉をノックし来客を告げた。貴族街の一角にあるコートウェル家、自分は今日もディーを伴って主治医として訪れていた。


「ええ?!もう健診の時間?!…ちょ、ちょっと待って、アンリだけ入って!」

重い扉の向こうから聞こえたくぐもった声に、さんざんお声掛けしたじゃないですか!!と怒りを爆発させながらアンリさんが部屋に入って行く。


ディーと自分はそのやりとりを見送るとドカッと廊下に座り込んだ。

「今日はハズレでしたねえ。三十分ってところかな」

「俺は期待を込めて二十分と言いたい」

「見立てが甘いんですよディーは。期待と現実は分けないと」

「枯れたおっさんはこれだからいけない。期待が人を育てるんだよ」

「まったく、血気盛んさだけを売り物にしている若者は短絡的でいいですねぇ。ところで僕、いいことを思いついたんですが」

「お。さすがは亀の甲より年の劫だな」

「これから、僕たちが来る三十分前にアンリさんから嘘の呼び出しをしておいてもらうのはどうですかね」

「お前天才だな。性格の悪さが出てる、俺にはない発想だ」

「年の劫ですよ」


王立学院時代、入学式の一件のあともたびたび体調を崩す彼女を見かねて、一応主治医からの所見を聞いてみたことがある。すると、代々勤めていた医師の家系が事故で途切れて以降コートウェル家には主治医がいないらしい。

今は少なくなったものの、昔は命を狙われることもあった貴族は主治医を置くことが普通だ。ただし主治医にはその家のほぼすべてを晒すことになるため、それに値する信頼できる医師を新たに探すのは困難なのだった。


これは逆の問題も招いており、医師としては一度その家系に取り入ってしまえば、どんなに自分の腕が悪かろうと簡単には解雇されることはない。そのため、現在この王都にいる医師はほぼ全員が医師を名乗っているだけの一般人とほぼ相違ない。正しく機能している医師は、入局審査がある総統院の医師くらいだろう。


そんな状況を見かねて、僕で良ければ、と申し出た自分に何か含む気持ちがあったのかもう覚えていないが、後日彼女の両親から正式な依頼を受けた。

以後ずっと訪問診療を続けているが、本の虫である彼女は約束の時間を忘れることが稀によくあった。それを揶揄して、自分とディーはアタリの日、ハズレの日、と呼んでいる。


「久しぶりに庭をお借りして組み手でもします?」

「んー。今日はやめとく」

ガルディウスは頬杖をつき一点を見つめていた。何か話したそうな気配だが、それにしても真剣な気配をまとっている。きっとあのことだろうな、と察して水を向けてやることにする。いよいよその時が来たようだ。


「どうですか、北方遠征の方は」

「じゅんちょー。まず落ちない」

「流石ですね」

「努力してっからね」

「ええ、知ってますよ」

それはその通りだ。ガルディウスのこともレティシアと同じく王立学院からずっと見ているが、あの頃からは想像もできないほど逞しい青年に成長した。ただやんちゃに体を動かしていたあの頃から、ガルディウスの動きは洗練された騎士のそれに変わった。無駄の無い均整の取れた筋肉は一朝一夕で得られるものではない。

「もう組手で君に勝てることも少なくなってきましたからねえ…」

「つーか、一介の医師が軍人と渡り合えることがすげえんだよ。お前、普段はヘロヘロしてるくせに、スイッチ入ると厄介だからな。どこでそんな訓練したんだ?一回ジャンとも組んでみろよ」

「お、珍しく君が褒めてくれるなんて、今日は良いことがありそうです」

というところで会話を切り上げた。


…で。と心の中で一息つくとガルディウスの言葉を待った。水は向けてあげたんだから、あとは君が望んで乗り越えないといけない。自分が手助けできるのはここまでだ。


空気が次第に重くなっていくのを感じながらも、自分は身じろぎせずにじっと待つ。


ガルディウスの緊張が伝わって自分まで息苦しくなる。


「…北、に」

「…うん」

やっと絞り出してくれた言葉の、その後押しになればいいと願いながらあいづちを打つ。

「北に行きたいんだ」

「うん、知ってるよ」

「………レティシアと…」

「…うん」

予期していた最後の一言を包むように返事をし、空を仰いだ。


君が彼女と婚約した時から、君がいつかこのことに向き合わなければいけない時が来ることに自分は気づいていた。

騎士として国に貢献するため北方遠征を目指す君はその一方で、レティシアのことも真綿で包むように大事にしている。でも、その両方が同時には叶わないだろうことも君は気づいているはずだ。

幼いころからの夢であった北方遠征を取るのか。それとも最愛の婚約者を取るのか。もしくはその両方を手に入れられるのか。最後の選択肢の可能性がほぼ無いということは、今時点での自分の医師としての判断とも一致している。


とにかく、やっと話してくれて、向き合ってくれてよかった、と思う。長年胸につかえていたしこりの一つが、今、乾いた砂のようにサラサラと崩れた。

「出来るだけ、君の期待に沿えるように考えるよ。ただ、分かってると思うけど、期待はしないでほしい」

「…うん。…俺、今日は帰るわ」

「そう?僕は君がいてくれた方がありがたいんだけど」

「今、うまく笑える気しねえし…」

「そうか。じゃあまた」

ちらりと見えたガルディウスの顔は悲壮さの中に沈んでいた。がんばれディー。と心の中で思った。大丈夫、君はもう大人になったから、自分が手を差し伸べなくてもそれを乗り越えられる強さは持ってるはずだ。

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