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婚約破棄

その式典に参加していたとある貴族女性は、その時のことをこのように回想する。


「以上の五十八名を、第四十五期北方遠征隊に叙任する!」

『有難き幸せ!』

五十八名の声が礼拝堂に響くと中二階に控えていた楽隊が華々しいファンファーレを奏でた。貴族たちからの拍手と出席していた軍人らの歓声がそれに重なる。


「では、以上を以て…」

「宰相殿!僭越ながら国王陛下に一つ上奏申し上げたい事がございます」

跪拝していた騎士の一人が恐れ多くも上奏を申し出た。


「よい。申せ」

「寛大な御心に感謝申し上げます…レティ、こちらへ」

その騎士は一歩下がって立ち上がる。黒々とした髪と瞳に吊り上がった眉をしたその男は、集まった群衆の中から一人の少女を呼んだ。


「は、はい…」

花が震えるような可憐な声で返事をして中央に敷かれた赤いカーペットにしずしずと歩み出たのは、か細い体で今にも倒れそうに青白い顔をしている一人の女性だった。今日は栗色の髪を上品に結い上げている彼女が『総統院の賢人』と呼ばれていることを知る人は、その時点ではまだ限られていた。

彼女は貴族たちの好機の視線に晒され唇を震わせながらも、体にしみ込んでいるのだろう優雅な振る舞いで玉座の前までたどり着くと懇願するような視線を騎士に向け、一呼吸おいてから低頭した。


「この娘レティシア・コートウェル伯爵令嬢と、私ガルディウス・ド・マーレ侯爵令息の婚約破棄を認めて頂きたい」


「………。…はぁっ…?!」

はじめに宰相閣下が非難の声を上げると、目を丸くしていた貴族たちも口々に何かを責めるような、咎めるような声を上げる。

低頭したままのレティシアの小さな肩が、その残酷な言葉に怯えるように震えていた。


「…理由を聞こう。貴公もコートウェル伯爵令嬢も我らが国を背負うべき立場のある身分であり、国王である儂と国の祖である聖霊に国の繁栄を誓って婚姻を結んでいる。一時の感情で盟約を違えることは相成らぬ」


「彼女では私の妻は務まらないからです。例えそれが形だけの妻であろうとも」

ガルディウスは強い恨みを込めるかのように歯噛みすると、一人肩を震わせる婚約者に視線を向けた。


「私は幼いころよりこのマスタンドレア王国に永遠の安寧と平穏をもたらすべく日々研鑽してまいりました。北方平定はそのための第一歩であり、ゆくゆくは我が子孫により北方領を第二の王都にまで育て上げ、この美しき王国がより豊かで堅牢で、盤石な国となるよう献身することが務めと心得ております」

朗々と語るガルディウスの姿は堂々としていて目は自信に満ちており、まさに今、自らの手で永遠の平穏を掴まんとしているように輝いていた。


「しかし、レティシア嬢は生来の病により北方の地を踏むことは叶わない身。そんな彼女が妻では、子々孫々により北方領を守護するという悲願は達成できません。それに…氷に閉ざされた台地、いつ侵略されるとも知らない土地。そんな中では、一途に騎士の鑑でありたいと思う私だって人の温もりが恋しくなることもありましょう」

言ってから彼は視線を下げると、いやらしく口の端を持ち上げた。それは先程の輝くような姿とは打って変わって、まさに欲望を押さえきれない悪魔が顕現したような恐ろしい姿だった。ガルディウスを見つめる婦人方の視線に強い侮蔑の色がこもった。


「…嫡子がなく妾子だけが増えるのならば、いっそそんな婚約破棄したほうが理にかなっている」と彼は会場を睥睨するようにして言うと、会場は非難の声でざわめきたつ。

つまりこの男はなんだかんだ言いながらも、自らの色欲のために、北方に同行できない妻を捨てると言い放ったのだ。


「…ふむ。レティシア嬢、何か言いたいことはあるかね」

ガルディウスが、彼女の言い分など必要ないとでも言いたげに国王を見た。明らかに不敬な態度だが、寛容な国王はそれを咎めることをしなかった。

レティシアはゆっくりと顔を上げ、非情な婚約者の顔を果敢に見上げた。彼女の瞳からは涙が零れており、人知れず忍び泣いていたと知った人々の心を打った。


「この度の婚約では、私の不徳の致すところによりガルディウス様の悲願への足枷となりましたことを心よりお詫び申し上げます。


ガルディウス様は私を幼いころより護り導いてくれた、ただ一人の敬愛する、国を負って立つべき見事な騎士です。貴方様の行く先に、そして行く先で出会う人々に、果てしない恩寵と輝く未来が訪れることを心より、毎日…毎日、尽きることなく祈念しております」


衆目に晒され辱めを受けながらも、彼女から出た言葉は彼への深い慕情だった。その献身に心を打たれた人々が、会場のあちらこちらですすり泣く声が聞こえた。

そんな彼女を見たくないとでもいうように、ガルディウスは終始目を背けていた。


「…良い。婚約解消を許可する」

「恐悦至極に存じます」

彼は最後に一度跪くと、今だ頭を伏せたままの彼女を一度も見ずに悠々と後にした。


とある貴族女性のこの回想は、まことしやかな噂として、翌日には王都全体に広がっていた。

これは、そんな婚約破棄に至るまでの物語。


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