゛普通を選んだヒトの話゛
「エンマさん、もう一度生きたいです。今になってようやく知った、知ることができた普通を紡いでみたい!手遅れだと思っていた事も、探しすぎてわからなくなっていたことも、今なら両親ときっと普通に生きられると思ったことも全部ひっくるめて、普通を生き直したい!」
もはや涙の理由もどうでもよかった。ただ差し伸べられた手にすがり、もう一度生きたいと願った。きっと酷くみじめな顔をしているであろう今の私に、エンマは『よくできました』と、小さめのマグを差し出した。
「どうぞ、カフェ・ランベルゼです。今までとこれからの続きで、改めて゛普通˝を生きることを選んだあなたへ。」
その一杯は暖かかった。少し多めの牛乳の柔らかい香り、砂糖の甘さ、控えめだが後味のキレがいいコーヒー。今の私を落ち着かせるためのエンマの思いやりだろうか、ありがたい。一口ずつ、出来るだけ味わうように、そして自分自身を落ち着かせるように飲み進めた。エンマはそんな私を優し気な顔で見ながら、調理場からカウンター脇、青い玄関の右隣の壁に向かった。
マグを空にした私はエンマの動向を見ていた、玄関ではなくその隣の壁に何があるのか。私の視線に気づいたエンマが、また『おいで、おいで』と手招きをしている。
「コーヒー、ごちそうさまでした。そこで何をするんですか?」
「君が帰るための扉を作るのさ。」
当然のように言うものだから、思わず『あぁ、なるほど』なんて相槌を打ってしまった。ふと我に返り、玄関ではダメなのかと聞いた。エンマは『君たちが生きる世界でも玄関は同じ場所にしかつながっていないでしょ?』とのこと。おっしゃる通りでございます。
エンマはまた少し笑いながら壁に玄関と同じくらいの長方形に指を滑らせ、モニターの時のように指をパチンと鳴らすと、その長方形に合わせて光り輝いた。深く、深く、渦巻くように光る゛扉˝が出来上がった。
「ここから先は光が君を運んでくれる、次に会うまで生き抜くんだよ。あ、罪人になんかならないでね?再会した君を地獄に落とすのは僕でもつらい。」
エンマが言うと笑えない、きっとそういう人間もいたのだろう。
「約束はできないけど、善処します!これから私は改めて普通を生きるんですから!」
今度は私が笑いながら、少し意地悪に言ってみた。エンマは一瞬呆気にとられたような顔をして、すぐに笑ってくれたのだった。そして
「高梨 灯利、今代閻魔羅闍の名において、黄泉帰りを汝への判決とする!」
「謹んでお受けいたします!」
穏やかに言い渡された判決のもと、光の扉に一歩を踏み出す。光が体を包みこんで、何かに引っ張られるような、高いところから落ちていくような脱力感と浮遊感を感じた瞬間、視界が黒く染まった。