【短編】仕事をクビになってしまったOLの、一日でたった一分の片思い
お気に入りのCDは何度も聞いたし、お気に入りの映画は何度も見たし、お気に入りじゃない服もいつの間にかお気に入りになるくらい、色んな着方を試したけど、それでもまだまだ時間がある。私には、それが不安だった。
会社をクビになった。旅行代理店の営業として働いていた私は、経営規模の縮小に伴う店舗削減の犠牲となった。
……犠牲、という言い方は少し悲劇的すぎるだろうか。もっと悲劇的なのは、きっと赤い文字で埋め尽くされた経営簿を眺める、首の回らなくなった元上司たちだと思うし。
けれどやっぱり、私も仕事がなくなって、お金を稼ぐ手段を失ってしまったわけでして。それは中々、悲劇的だと言えなくもないわけでして。
まぁ、何はともあれ、私は高校を卒業してから四年務めた会社に行かなくてよくなってしまったのだ。こういう言い方なら、少しはポジティブに聞こえるかしら。
上京してきてずっと働いていたから、私には友達も恋人もいない。この狭いワンルームには、私以外の匂いが一つもない。けれど、もしこういう状況になると分かっていたとしても、私は何か策を講じるような事はしなかったと思う。私って、そういう女だ。
今朝も、一人で食べるには聊か手の込み過ぎている朝食を拵えて、食べ終えれば、相変わらずピカピカの部屋に隅から隅まで掃除機をかけて。そして、何かお洒落な感じの曲をスピーカーから流すと、ビーズのソファに座って、ゆっくりとその時を待った。
時間は、正午。時計の短い針がカチッと動いて、二つがぴったりと重なったその瞬間、やはりいつも通りに来客を知らせるインターホンのベルが鳴り響いた。
「はぁい」
ずっと待っていたのに、努めて冷静に。足音が鳴ると恰好悪いから、極めて静かに。冷たい廊下に、靴下を滑らせるように扉まで向かった。マスクは、新品だ。
息を呑み、ガチャと部屋を開くと、新鮮な風が部屋の中へ舞い込んだ。
「お世話になります。トマト運輸です!」
「……いつも、ありがとうございます」
「今日は、これ一つですね。サイン、貰えますか?」
そう言って、ペンを差し出す配達のお兄さんの、指に少しだけ触れるように受け取った。
「……三月ですけど、まだ寒いですね」
「そうっすね~。早朝とか、たまに道が凍ってるときありますよ~」
ハツラツとした声で言うお兄さんを、私はチラと上目で見た。彼は、文字を書く私をじっと見ていたようで目が合ってしまい、私は慌てて視線を戻した。因みに、お兄さんとは言うけれど、多分私よりいくつか年下だ。
「インク出ませんか?ちょっと待ってくださいね~」
「い、いえ。多分振ったら出ますよ。……ほら」
別に、ペンの調子が悪いなんてことは全く無かった。ただ、私が彼の目に見惚れてしまっていただけだ。それ以上の事はない。
「あぁ、よかったっすよ~。寒いとたまに調子悪いっすよね」
「えぇ、すいません。時間かかっちゃって」
「別にいっすよ~。自分、お客さんで午前終わりっすから~」
「そうなんですね。お疲れ様です」
しかし、私の二文字の苗字を書くことに、これ以上の時間を割く訳にはいかない。丸い文字でサインをすると、お兄さんはピリリと段ボールから紙をはがして、私に荷物を手渡した。
「じゃあ、これで。ありがとうございました~」
「あ、ちょっと待ってください」
言うと、私は一度部屋の中へ戻って、さっき下の自動販売機で買って来た、ホットコーヒーを手渡した。
「あの、いつも届けてもらっているお礼です。温かいので、よければ」
「マジっすか!?しかもこれ、自分一番好きなヤツなんですよ~」
「そ、そうですか。なら、よかったです」
「じゃあ、いただきますね!」
言うと、彼はその場でプルタブを引いて、一口だけコーヒーをすすった。
「めっちゃうまいっすよ~。後は、車の中でもらいますね!」
「……よかったです。それでは、また」
ペコペコと頭を小刻みに振りながら、しずしずと扉を閉める。その間、お兄さんはにこやかな笑顔を私に向けて、「ありがとうございました」と言ってくれた。
段ボールを持って、元居た場所へ。座って、それをテーブルの上に置くと、横に置いてあったクッションを抱いて顔を埋めた。
「……死んじゃう」
初めて見た口元も、思っていた通りだった。あれは、ずる過ぎる。
今、私の顔はどんなだろうか。願わくば、今日のオンラインの就職面接までに治まっていて欲しいところだ。
いつもこんなん書いてます
【連載版】追放した回復術師が、ハーレムを連れて「ざまぁ」と言いに来た。
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