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レリウス家の裏庭会議

作者: 藤野


「よおー、俺の可愛いチビ共! 今帰ったぞ」


 養父が玄関を開けるなり大柄な背格好に相応しく介達な胴間声を上げた。

 両腕を広げる満面の笑みは“可愛いチビ共”が喜び勇んで飛び込んで来るのを待っている。

 あいにくと、もはや可愛い“チビ”ではない俺はその様をやや冷めた眼差しで出迎え、もう一人の“チビ”である俺の双子の姉に至っては養父を無視して、そのわきにいる大きな山犬に抱き付いて再会を喜んでいた。

 そのいつもの姉の姿に、はたと気付いて俺は眉根を寄せる。


「ジュダ。客が来るって言ってただろう」

「だから出迎えてる」

「ちゃんと服を着ろって意味だ」

「む?」

「……パンツ見えてる」

「おお」


 言われて理解したらしい姉はすっくと立ち上がる。

 姉の着ている黒いフード付きのパーカーはぎりぎりの丈だ。ただ立ってるだけでぎりぎり。少し動けば見える。だからもう少し長い服を着るか、ズボンなりスカートなりを穿けといつも言っているのに、聞いてくれたためしはない。


 華奢な体躯にすらりと伸びた足が美しいのは分かる。当の姉には他人に見せたがる意図がないことも知っている。ほとんど人に会うことのない田舎暮らしで、更に引きこもりの気のある姉が家の中だけでくつろいでいる姿だというのは十二分に理解している。

 むしろ「俺の姉ちゃんは美人だ」と自慢して回りたいのは俺の方だ。

 だが、お客さんの来る日はいけない。

 家族以外の人間に見せていいものではないのだ。

 絶世の美少女の生足にパンチラなど。決して。


 よいしょ、という小さなかけ声と同時にひっぱられたパーカーの裾が伸びる。

 まるで初めからそこに余分な生地がありましたよと言わんばかりに、すとん、と落ちて、あっと言う間に足首まで隠す丈のワンピースになってしまった。


 俺はいい。姉のこのワケの分からない“魔法”には慣れている。

 けどほら見てみろ。お客さん、びっくりしてるぞ。


「ジューダ」

「なんだゼフ。尻を隠せと言うから隠したのに」

「野良の魔法使いは珍しいから人前じゃやめろって言ったろ」

「魔法じゃなくて魔術。何度言えば」

「おまえの説教は高次元過ぎて俺には理解できないんだよ。それに比べて俺の説教は単純明快だろう。何度言えば分かる」

「むう。私の弟が可愛くない」

「残念だな。俺の姉は可愛いのに」


 口を尖らせていた姉を少し褒めると、機嫌よく俺に抱き付いて来た。ついでに寄って来た山犬も俺の腋に鼻先を突っ込んで構え撫でろアピールを始める。

 気まぐれな猫と大きな犬に同時に懐かれた俺は俺でやぶさかでない。

 姉の弟大好きっぷりはひたすら可愛いし、ぶんぶん振られる山犬の尻尾も可愛い。


「……いつものことだけどよお、無視すんなよ。一応お父さんだぞ?」

「ああ、そうだった。お帰り、父さん」

「軽っ。一年半ぶりくらいなのに!」


 うっかり存在を忘れかけていた養父の泣き真似に、俺の首にぶら下がったままの姉はフンと鼻を鳴らした。


「シグルド。私は厄介ごとを押し付ける時にしか帰って来ない男を父と呼ぶべきか否か、真剣に悩んでいる。五人の子の父を自称する君の意見を聞いても?」

「そっ、そんなことないぞ?! お父さんはいつでもおまえたちのことをっ」

「四半期に一度は顔を見せ、月に一度は手紙を寄越す三人の兄たちの愛情は推して知るべくもあるがな。年単位で帰らない、連絡も寄越さない、何か言って来たかと思えば“預かりものを頼みたい”? 君は私たちを倉庫番か何かと勘違いしていないか?」

「ジュダル。俺はおまえたちを心から愛している。忙しさにかまけて連絡のひとつもできていないことはすまないと思っているが、分かるだろう。俺はおまえたちを想えばこそ、仕事に心血を注いでいると」

「いかにも家庭を顧みないダメ男の台詞だ。語らずとも理解を求め察せよと、見えもしない愛情を子らに押し付け自己陶酔に浸っていれば、それは君は満足だろうとも。ある日こつぜんと家がもぬけの殻になっているタイプだな。気を付けたほうが良い」

「ぐっ、更にキレを増しているな。言葉のナイフがぐっさぐさと胸に刺さる……」


 苦しそうに呻いた養父は心臓のあたりを抑えてがくりと膝を折る。

 その前に仁王立つ姉の怒りはこの程度では治まりそうにない。


「……諦めて土下座でもすれば?」

「待て待て。俺一応、国王陛下直属の騎士団の長やってんだけど?」

「「それがなにか?」」


 俺たち双子の声がハモる。

 わふ。と俺の隣で山犬も一声上げた。

 養父の後方にいる二人のお客さんは微妙な顔で事の成り行きを見守っている。

 つまり、養父の味方は誰もいない。


「くっ、…すまん! ジュダ、ゼフ! この通りだ! 俺の、いや、国のためにどうか頼まれてくれ!」


 がばりと伏せられた養父のつむじを姉はぐりぐりと指で抑えつける。

 ハゲろ、下痢になってしまえ、と呪いを吐く姉に養父が何事か喚いているが無視しよう。

 俺は所在無げなお客さんたちに視線を移した。


「えーと。俺はギュゼフ。こっちは双子の姉でジュダル。ようこそ、レリウス家の裏庭へ」


 俺たちより少しばかり年上だろう女の人がフードをはずして小さく頷く。

 藍色の髪にやや釣り目な金の双眸がキレイだ。

 彼女は何か言いかけて、けれど声を発するのを憚るかのように口端を引いた。

 先に口を開いたのはその隣にいた金髪の男。


「私はレオ。こちらは私の……姉、レイだ。受け入れてもらえるということで、良いのだろうか」


 今の間は何だ。姉、というのはウソなのか?

 まあ、養父が連れて来るくらいなのでワケありなのは確実だろうけど。


 レオが心配そうに姉――姉が二人でややこしいな。俺の姉、ジュダルに目をやる。

 ジュダは今も養父と何やら揉めている。かなり拗らせているが、あれがジュダなりの甘え方なので俺はやはり放置しようと頷く。


「問題ない。ジュダが許さなければここに来ることもできないから」

「君のお姉さんは一体……?」

「ただのチートなニートだ」

「失敬な! 私はこれでも密やかに働いている!」


 俺のざっくり姉紹介に当の姉が抗議の声を上げた。

 養父のつむじを指でぐりぐりしながら頬を膨らませている。

 相変わらず俺の姉ちゃん美人で可愛い。


「密やかすぎて俺には関知できない。つまりニートに等しい」

「説明してやるのに理解しないのはゼフの知力の問題だろう」

「俺に分かるように解説できないのはジュダの語彙力の問題じゃないか?」

「私の弟がますます可愛くない!」

「俺の可愛い姉は姉妹がほしいと言ってたろ。良かったな、期間限定だけど、姉さんだぞ」


 ほれ、とお客さんの片方を指し示す。

 金色の瞳が何やら言いたげに細められた。が、やはり何も言わない。口が利けないワケじゃなさそうだけどな……?


「確かにウチはむくつけき男共ばかり。愛らしい姉妹が増えることになんら異存はないが」


 ジュダはようやく養父のつむじを解放し、レイの前に立つ。なんと珍しいことに自らその両手をきゅっと握った。そんなに姉妹が欲しかったの?


 ジュダの紅い眼差しに真っ直ぐ見上げられている金の目は戸惑いを隠せないようだ。

 分かるよ。分かる。お姉さんも美人だけど、ウチの姉ちゃん、ほんと美人だから。そんな至近距離で見つめられちゃったら同性でもどきどきしちゃうよねー、なんて呑気に考えていた俺の耳に、知らない名前が聞こえて来た。


「――エドワードにはあまり似ていないな」


 ジュダの言葉に驚いて目を真ん丸にしたお客さん二人は、ばっと養父を見やる。

 二人の視線に養父は首をぶんぶんと横に振って「何も話してません」アピールをしていた。

 エドワード、って誰だっけ?


「なるほど。では探し人はヴェサリウスか。……面倒だが、戦ともなれば兄たちも従軍せざるを得まいしな。無意味な内乱は止めてやるか。いや、そうか。だから橋を落したのか。……しかし面倒だな」


 家族愛と労を厭う怠惰な性格がジュダの中で葛藤している。

 ちなみに俺にはジュダが何を言っているのかさっぱり分からない。

 しかし“内乱”とは穏やかでないな。


 むむむと唸るジュダにしびれを切らしたのは、両手を握られたままのレイだった。


「――どういう、意味だ。おまえは何を知っている」


 ややアルト気味の聞き取りやすい声が苛立ちを隠さずに問い放つ。

 俺は慌ててお姉さんからジュダを引き離して下がった。

 俺の姉は“話す気のないこと”を“問い詰められる”のが嫌いだ。自ら話そうと思えるまでこちらが待たねば「面倒だ」で一蹴されて絶対に教えてもらえない。

 まいったな、機嫌損ねたかなー、とジュダの顔を覗き込めば、どうやらまだ葛藤中のようだ。これは珍しい。

 そんなジュダに声をかけたのは、またもうっかり存在を忘れかけていた養父だった。


「ジュダル」

「なんだ、自称父よ」

「自称じゃねえし! いや、そんなことより、内乱と言ったか」

「そうなるだろう。君たちの誰かがヴェサリウスを見つけられるとは思えない」

「「なぜだ」」


 養父とレイの声が重なる。

 ムス、とジュダルの機嫌が下降したのが俺には分かった。

 養父よ。まだジュダの扱いを理解していないのか。


 やばいな。このままだと養父はお客さんごとこの“領域”から追い出されかねない。

 この二人のお客さんをここで匿うのが今回の要件のはずなのに。

 どうやって間に入ったものかと悩む俺を他所に、これまで黙っていたレオがジュダの前にすっと膝を折った。そしてそっとジュダの手を取り、柔らかく微笑む。

 わあ、王子様っぽい。


「申し訳ない、ジュダル殿。急に押しかけておいて、あなたには迷惑なことだろう。だが、あなたは私たちの父を知り、そして内乱の可能性を知っている。教えてもらえないだろうか。我々、国を護らねばならない立場の者に、国を乱さず護る最善を」


 金髪碧眼。絵に描いた王子様のようなレオに、ジュダルはしばし沈黙を返した。

 これは、もしかして、もしかするのでは?

 礼儀正しく温和な王子様タイプなど、これまでジュダの周りにはいなかった。養父はこうだし、三人の兄たちも似たり寄ったり。爽やか穏やか柔らか系イケメンは初めてのはず。


「……エドワードをここに。ゼフ、茶の用意を」

「え、あ、うん」


 話してくれるらしい。珍しい。

 俺が頷くのと同時に養父も踵を返す。善は急げ、ということだろう。

 レオはジュダの手を取ったまま「ありがとう」と微笑んでいる。

 ほんのり、本当にかすかーに、ジュダの頬が染まっている。気がする。

 わあ……、お赤飯でも炊こうかな?



 ***



「やあ、久しいな。ジュダル、ギュゼフ。ずいぶんと大きくなった」


 六人分の茶を淹れるために火にかけた大き目のやかんが沸騰する頃、養父に連れられて現れた男には俺も見覚えがあった。

 レイと同じ藍色の髪。金色の瞳。

 ああ、そうか。この人がエドワード。


「え? あれ? 王様?」

「ああ、王様だよ?」

「……王子様っぽい人じゃなくて、王子様だったんだレオ」


 テーブルについていたレイとレオがエドワードを迎えるためか、立ち上がっている。

 苦笑するレオに俺は、絵に描いた王子様のような、という評価を、絵に描いたような王子様、と改めることにした。

 あ、じゃあレイは王女様なんだ。

 どおりで。ウチの姉とは違った意味で気が強そうだと思った。


「ゼフ。私は君の素直さは美徳だと心底そう思っている。が、時にそのバカ正直な感想は己が無知と家の程度を露呈してしまうぞ。お姉ちゃんは心配だ」

「俺に学がないのは認める。けど、初対面の人間の素性を“なんでも”知ってるお姉ちゃんのが明らかにおかしい」

「エドワードには会ったことがあるだろう。配色が同じ者同士の血縁関係は疑って然るべきだと思うが?」

「会ったことあるって、もう何年前だよ。王様の名前なんて知らないし」

「……ゼフ。国王の名くらい知っておけ」


 それはそうだな、と思ったので素直に頷いておく。

 一応俺たちはこの国の民なのだし。


「姉弟喧嘩は後にしろ。国王と王子二人、近衛騎士長を揃えておいて、まさかティータイムに呼んだとは言わんだろうな」


 レイは不機嫌を隠そうともせずジュダをねめつける。言葉が非情にとげとげしい。

 まあ、そんなことで動じる俺のお姉ちゃんではないが、ジュダに対する敵意は全てもれなく俺への敵意だ。姉を攻撃されると俺も攻撃的になっちゃうからやめてほしい。


「兄上」

「レリウスの娘でなくば締め上げているところだ」

「兄上、気持ちは分かりますがお鎮まりを。こうして父上もお運びになられたのです。ジュダル殿は可憐なお姿通りの方ではありますまい」


 レオに宥められて、レイはふんと鼻を鳴らし腰を下ろす。

 王様より先に座っちゃったけどいいの、王女様。

 っていうか兄上? 姉上じゃなくて?


 やれやれ、と王様が養父に案内されて椅子に座る。

 いつも三人の兄たちが座る席に今は王族が三人。

 なんかすごい光景だ。


 レイとレオのやり取りを胡乱気に見据えていたジュダが腕を拱く。

 お茶を配り終えた俺が席について、授業開始である。


「――さて、エドワード。ヒューバッハはなんと?」


 ジュダの直球にレイとレオは驚いた顔をする。

 ごめんね。俺のお姉ちゃん、遠慮とかしないから。


「ダメだ無理だの一点張りだよ。ティエリアの橋が落ちたのも知らぬ存ぜぬそればっかり。なんでああも頑ななのかさっぱり分からない」

「“居場所が分からない”とは言わないワケだな」

「うん。まあ、ヴェサリウスを領内に留めておくのは彼らの仕事の内だから“分からない”とは言えないだろうけど、一応調べたよ? それらしい人物も荷物も国外には出ていない」

「ふむ。これは私の推測だが、」

「わあ。君が推測って言う時は大概が確定事項ってやつだ。直に聞けるなんて」

「喜ぶのは早い。私の推測では、ヒューバッハは従わないのではなく、従えないのだと思う」

「……ヴェサリウスに何か?」

「おそらくもう生きていない」


 俺にはさっぱりワケの分からない会話の途中、ヴェサリウスさんとやらが死んじゃってるかも、と聞いた俺以外の人間は一様に絶句した。

 誰、ヴェサリウス。誰、ヒューバッハ。


「――ヴェサリウスが死んだ? 確かに高齢だったけど、魔術師ってもっと長生きするよね?」

「理由は知らん。ヒューバッハが頑なに隠匿しているのなら、遺体も見つからないだろう。ティエリア渓谷の橋が落とされたと聞いて少し辺りを探ってみたが、ゲルト城の結界が消えているのを見た。私の“眼”が容易に城内まで侵入できたのだから、間違いない。少なくとも、ヴェサリウスは魔力がカケラもない状態だ。死んでいるも同然だろう」


 家にいながらどうやって“辺りを探る”か?

 これは知っている。使い魔というやつだ。鳥や小さな獣を操って、彼らの見たままをジュダルも見ることができる「誰にでもできる簡単な魔術」らしい。


 他の固有名詞も聞いたことがある。

 王都の東側。先王の弟だったか誰だったかが治める領地へは地面が大きく裂けた谷を越えなければならない。それがティエリア渓谷。そしてその谷を越えた先にある領主の城がゲルト城と呼ばれている。正確には城ではなく砦らしいが、まあ、他の侵入を防ぐという意味ではその目的も存在意義も変わらない。


 ヴェサリウスさんが亡くなったことがかなりショックだったらしい。

 王家の皆さんは黙ったままうんともすんとも言わなくなった。

 その隙にジュダルは俺の淹れた紅茶をすすっている。お気に召したようだ。満足気な横顔に、俺も満足する。俺の姉は今日も世界一かわいい。


「国内最高位の魔術師ヴェサリウス老が死んだと知れれば、攻め入る隙があると宣伝するも同じ。ヒューバッハ卿が隠蔽に躍起になっているとしても不思議ではないが、橋を落すのはいささかやり過ぎではないか?」


 養父がなんか仕事できそうな雰囲気を纏いながら重たく呟く。

 なるほど。ヴェサリウスさんはこの国一番の魔術師だった、と。

 ヒューバッハさん家にいて結界とか張ってたけど、それが予期せず死んじゃって大わらわ、と。


「橋を落せば城からの使者は来れない。軍の往来もできない。ヒューバッハなりに全てを隠しおおした上での“内乱回避策”だったのではないか? まあ結果、逆に注目を集めるハメになっただけだが。それよりも――」


 すんとした姉がティーカップをソーサに戻す。


「王城より小規模とはいえ、ゲルト城を覆う結界が消えたことに気付ける魔術師がいないということのほうが問題だろう。見れば分かることを分からない奴らしかいないのであれば、この国は近い将来、魔術と決別して生きてゆく他あるまいな」


 ジュダルの言葉のナイフはキレっキレで王家の皆さんの心臓にも飛んで行く。

 ぐぅ、と唸った王様が苦し紛れに紅茶をごくごくと呷った。

 王様、そんなビールジョッキみたいに紅茶飲まないでください。


「……問題はそこじゃない」

「兄上」

「ヴェサリウスが死んだ? なら、奴は死ぬ間際に俺に呪いを残したってのか?! なんでだ! 王家に何か恨みでもあったって言うのか?! 奴は宮廷魔術師団の長だった男だぞ? 俺たちが生まれる前からずっと国に仕えて来た奴が、どうして……!」


 ダン、とレイがテーブルを叩く。

 呪い? お元気そうだけども。


「なぜ、ヴェサリウスだと?」


 訊ねるジュダに、レイは懐からペンダントを取り出してテーブルへ放った。

 中央の赤い石が割れている。壊れているようだ。


「ヴェサリウスが俺に護身用に持たせていたものだ」

「なるほど。この護符を破壊して呪いをかけられるのは当のヴェサリウスだけ、ということか」

「そう断定していたわけではないんだよ。ただ、ヴェサリウスに話は聞かねばならないと思って呼び出そうとしたら、いつの間にか内乱の危機だ。ほんと、意味が分からない」

「まあ、そうさな。君たちは前提から間違えている。それでは理解できずとも当然だろう」

「前提?」

「まずひとつ。それは護符ではなく、術式を帯びた魔道具だった」


 ジュダルがぴっと壊れたペンダントを指差す。

 やはり俺以外の皆さんは一様に驚いた顔をしている。

 きっとこの親子にとってヴェサリウスという魔術師は信頼のおける臣下だったのだろう。いつのことかは知らないが、城を辞して他領地に仕えるようになった彼を疑うことなく、レイがそのお守りを身に着け続けていたのだから、きっともうお祖父ちゃんみたいな感じだったんじゃなかろうか。

 そういえば、ウチのお祖父ちゃんは元気かな。


「そしてふたつ。ヴェサリウスが死んだことでその魔道具は効力を失った」

「なんのために、魔道具なんか」

「みっつ。そもそも、今の君は呪いや魔術の類の影響を一切受けていない」

「……は?」

「さて、答えは?」


 ヒントが三つも出された。今日のジュダは大盤振る舞いである。

 俺には答えなんぞさっぱり分からないが。


「――冗談だろう、オクタヴィア。君ってやつはなんてことを……」


 王様の深い深い嘆息に、これは只事でないなと俺もようやく少しばかり緊張して来た。

 オクタヴィアが誰かは知らないが、何かやらかした人なんだろう。

 王様が顔を覆って天を仰いでいる。


「つまり……、つまり、兄上はこのお姿が本来のものである、と?」


 絶句して完全に固まってしまったレイの代わりに、レオが答え合わせをする。

 つまり? それってつまりどういうこと?


「そうだ。ヴェサリウスはレイナートが生まれてすぐ性別反転の術を施し、それを維持する術式を付与したペンダントを護符として持たせた。おそらく事前に用意されていたのだろうな。さすがに生まれてから双方を準備していたのでは口封じが間に合わない。であれば、レイナートの母であるオクタヴィアが主犯と見てまず間違いないだろう」


 ほうほう。オクタヴィアはレイナートのお母さん。つまり王様の奥さん。

 ヴェサリウスは王妃の命令で生まれて来た赤ちゃんの性別を操作した。

 で、ヴェサリウスが死んじゃってその魔法が解けた、ということか。

 ……レイの本名はレイナートなんだな?


 王妃が「第一王子」を是が非にでも産みたい気持ちは分からないでもないが、それじゃレイがあまりにもかわいそうじゃないか?

 性別なんて、人格の根幹に関わるぞ。


「――ジュダル殿は、ヴェサリウスと同じ術を兄上に施すことは?」

「可能だ。が、断る」

「それはなぜ」

「レイナートは本来が女でしかも魔力もそれなりに強い。古来より“魔女”は他の“魔女”には干渉せず、干渉されてはならない存在だ。相手を壊すか、壊されてしまうか、互いに壊れるかしかないからな。だから私が魔術を施せる女は魔力がないか、弱い者に限られる。ほんの少しでも“抵抗できてしまう女”では、壊してしまう可能性が高い」

「壊すとはつまり、殺すと同義だろうか」

「息の根を止めてしまうまではないだろうが、どうなるかはやってみなければ分からない。性別のみ反転させる術となると細微に至る調整が必要だ。少しでも“抵抗”があると加減を誤る」

「その術を扱える魔術師は他には?」

「知らないな。魔術師の管理は王城の管轄だろう」


 沈黙が流れた。

 ジュダは飄々と紅茶をすすっている。

 俺はやはり未だに良く分かっていない。

 客人たちは悲壮感を漂わせてテーブルを睨んでいる。

 ……お茶でも淹れ直そうかな、と俺がティーポットに目をやったと同時に、レオがゆっくりと顔を上げた。


「……父上。この双子、信じても?」

「ああ。ジュダルもギュゼフも、僕らを裏切るときはきちんと説明した上で裏切ると宣言してくれるだろう」


 王様からある意味で絶大な信頼を寄せられてしまった俺は大変居心地が悪い。

 王様たちを裏切る状況ってどんなだよ。

 ジュダは「身内扱いをするなと何度言えば」とぶつぶつ言っている。


「ジュダル殿。見ていただきたいものがある」

「レオ」

「兄上。ジュダル殿が並の魔術師でないことは明らか。身内の恥を晒すようで抵抗があるのは私も同じですが、これがどうにかなれば時間稼ぎにはなりましょう」


 レイは渋い顔でふいと横を向いた。

 秘密の多い兄弟だな。いや姉弟か?

 ウチも人のことは言えないか。


 レディの前で申し訳ない、と断ってレオが脱ぎ始めた。

 コートを脱ぎ、ジャケットを脱ぎ、シャツのボタンに手をかける。

 え。ちょっと待って。どこまで脱ぐの。

 嫁入り前の姉に何見せるつもり!


「……ゼフ。邪魔だ」


 ジュダの両目を手の平で塞いだ俺に、ジュダが抗議の声を上げる。

 いや、だって。

 俺のパンツ一丁とはワケが違うからね?

 初対面の王子様のストリップショーなんて見せられないだろ。

 って、だから王子様。どこまで脱ぐの!


「ギュゼフ殿。姉君の目を汚してしまうのは私も心苦しいのだが……」


 シャツを脱いで、肌着も脱いだレオが俺に苦笑する。

 着痩せするタイプの細マッチョだったらしい。良く鍛えられた実用的な筋肉をお持ちだ。

 上半身裸の彼の心臓の上に、何やら魔法陣のような文様が描かれている。

 それをジュダに見てもらいたいの?

 でもな。ほぼ知らない男の素肌なんてだな……。


「う。えー……。ギリ、セーフ? いや、アウトだろ。ギリアウト」

「ゼフ。何も素っ裸というわけではないだろう」

「そうだけど」

「君の尻の虫刺されに薬を塗ってやったのは誰だ」

「いや、俺の尻と王子様の裸じゃワケが違う」

「夏に全裸で泉に飛び込んでいく君たちに日陰を用意してやったのは誰だと」

「ねえ、ジュダ。俺と兄貴たちの恥ずかしい暴露話やめて?」

「はあ……。ポチ」


 ジュダに呼ばれた大きな山犬が脇腹に突っ込んで来て俺を押し倒す。

 「俺以外の言う事聞くなよ」と養父が山犬に何かぶつぶつ言っているが、それどころじゃない。

 自由になったジュダの紅い目に、上半身裸のレオの姿が映される。


「ジュダ」

「君は過保護が過ぎる、ギュゼフ」

「俺が過保護にしないで誰がおまえを保護するんだ!」

「ああ、分かった。分かったから少し黙れ」

「俺の姉が弟を軽くあしらう!」

「私の弟は姉の言う事を聞ける良い子で助かる」

「ポチどいて!」


 わふ、と応える山犬は俺の上から動く気配はない。

 さすがイヌ科。人間たちの上下関係をきっちり把握してらっしゃる。


「――雑だな」


 おまえの俺の扱いがな!

 と思ったが、見上げたジュダの表情が予想以上に険しかったのでそれに驚いて閉口する。


「魔術師の手ではないな。誰だ?」


 もっとよく見せろ、という意図を持ってジュダがレオをちょいちょいと呼ぶ。

 テーブルから少し離れた所で向かい合った二人を大人たちが神妙な面持ちで見ていた。

 俺は今だにポチの下敷きである。


「……私の母が」

「レティシアが? ある意味、息子を殺すに等しいこの呪いを?」

「レオは俺を庇った。本来なら、それは俺が受けるべきだったものだ」

「なるほど。国母の座を競った挙句にこのザマか。見る目がないな、エドワード」

「僕に選択権なんてないんだよ。二人とももういない。それでカンベンしてくれ」


 ふんと鼻を鳴らして王様から目を逸らしたジュダが、ひたりとレオの胸に、正確にはその上に描かれた魔方陣に触れる。

 数瞬だけそうしていた手指をジュダが宙に放つと、光で書かれた文字のような何かが空中に現れた。どうやらレオの魔法陣から流れ出ているように見える。

 宙に浮いたその光の文字っぽい何かを見上げ、ジュダは腕を組んで黙った。

 ああ、あの顔。話しかけたら怒られるやつ。


 俺も山犬の下から光の文字を見上げる。

 何が書かれているのかさっぱりだが、ジュダの表情は険しい。


 ジュダはこれを呪いと言った。

 レオの心臓の上。レオのお母さん、レティシアという人がレイナートを呪ったものらしい。

 オクタヴィアといい、レティシアといい。確かにお后には恵まれてないな、王様。


「これは兄上の男としての能力を絶つ呪いだと城の魔術師は言った。間違いないだろうか」

「ああ。まあ、そうなるか」

「解呪は可能だろうか」

「……無理だ」

「それは、あなたには、という意味で? それともこの呪いが解けるものではないと?」

「ざっくり呪いと言ったが、これは願いのチカラにカタチを与える術で、魔術師の行う呪術とは少々毛色が異なるものだ。王の側室が独学でここまで組み上げた執念はある意味で称賛に値するが、術としては雑で荒く、微塵も洗練されていない。だからこそ単純で強力だ。これは運が悪かったとしか言いようがないな。心臓の上でなければ、あるいは君がレイナートを庇わなければ、解呪も可能だったかもしれないが……」

「運……?」


 運、と言った。ジュダが。

 どんな結果に対しても理由を説明できてしまうあのジュダルが。

 その人の意思や努力ではどうにもならないことだ、と認めた。

 レオの運が悪かったがために、呪いは解けない。

 ――息子に何したのレティシアさん。


 ジュダが視線を外すと同時に、宙に浮かんだ光る文字っぽいものがすっと消える。

 それとほぼ同時に俺の上から山犬が退いた。


 重い沈黙が流れている。

 よし。紅茶、淹れ直そう。


「心臓の上でなければ、解呪できた、のか?」

「……もしもの話をしたところでどうにもなるまい。既に結果は出ている。であれば、対策を講じることに頭を使え、レイナート」

「俺を庇わなければ、解呪できた……?」

「――それは。……今のは私が悪いな。気にするな、というのは無理か」

「……教えてくれジュダル。全てだ。俺は誰をどう、恨めばいい」


 レイナートが何かを押し出すように深々と息を吐く。

 脱いだ服を着ながら、レオも複雑そうな顔でジュダを見た。


「聞いたところで成す術はない。耐えるべき理不尽が増すばかりだ。自ら荷を積み上げてどうする」

「それは、聞いた後で、考える」

「……はあ」


 顔色は悪い。けれどレイナートの金の眼差しは強いものだった。

 ジュダは「頑迷な」と呟きながらも、レイナートの正面の席へ戻る。


「レオナルドの、その類の呪いは物理的な排除が可能だ」

「物理的な?」

「つまり、手の甲であれば手首を切り落とせばいいし、眼であれば眼球を抉り出せばいい。呪いの刻まれた範囲を物理的に削ぐことで解呪となる」

「……なるほど。レオのあれは、心臓を抉り取らねばならないというわけか」

「根の張り方にも寄るが、おそらくはそうなるだろう」


 なるほど。

 それが「心臓の上でなければ」の理由か。

 放たれた呪いを受け止めた場所がたまたま心臓の上だったなら、確かに運が悪かったとしか言えないな。

 ふむふむと唸る俺の腋に山犬が鼻先を突っ込んで来る。

 ポチめ。撫でてなどやるか。さっきの裏切り行為を俺は忘れていないぞ。


「俺を庇わなければ、というのはどういう意味だ」

「そのままだ。レオナルドが君を庇わず、レイナート自身がその呪いを受けていれば、そもそも解呪の必要もなかったはずだ」

「……?」

「あれは男にしか作用しない。であれば、ヴェサリウスが死んだ瞬間にレティシアの呪いも意味を失くしていた」

「――俺が、女、だから……」

「そういうことだ。もっと言うなら、ヴェサリウスが君に持たせていた魔道具の効果でレティシア程度の呪いなら弾き返せていた可能性が高い」

「――っ」

「まあ、誰が一番悪いかと問われればオクタヴィアだろう。素直に王女の誕生を発表していれば、ヴェサリウスの国王第一子の性別反転などという反逆行為はなかったろうし、レティシアが“男を殺す”呪いに手を染める必要もなかった。彼女の周囲に“絶対に第一王子を産め”と言う阿呆がいなかったとも限らないが……、何を言ったところで詮無きことだな」


 授業終了とばかりに、ジュダがキッチンに立つ俺の横に歩み寄って来た。

 茶葉を蒸らしている俺に「茶請けはないのか」と要求する。何が良いのと訊けば「マフィン」と即答された。それはちょっと時間がかかるから昨日焼いたクッキーで我慢してもらおう。チョコとナッツの入ったジュダのお気に入りだ。

 皿に盛ったクッキーが一枚、ジュダの口の中に消えていく。

 お行儀が悪い。ああ、でも。その笑顔は世界一可愛い。さすが俺の姉。


「――申し訳ありません、兄上」

「……なにが」

「私が余計なことをしたばかりに、兄上に不要なご心労を」

「レオ……」


 テーブルでは四人がお通夜みたいな空気を漂わせている。暗い。重い。

 レオがレイを庇わなければ、レイはそもそも呪いを受けなかっただろうし、レオは呪いを受けずに済んだ。第一王子が実は王女だと判明した今も、第二王子が“健康体”ならきっとこんなに深刻な問題ではなかったはずだ。

 オクタヴィアとレティシア。王様の二人の奥さんはもういない、と王様が言った。

 何があったかは知らないが、きっと「ウチの子を国王に!」という骨肉相食む争いはもう起きないだろう。

 レイとレオなら、どちらが国王になっても良い国作りをしてくれると思うが、そういう話にならないということは、二人は今のところ次の王様にはなれないということだ。

 次の王様が決められない。それは大問題だ。


「……レオ。それは違うと思う」


 ひとまず俺はレオに言った。

 レオは不思議そうにやや首を傾ぐ。

 隣でジュダがクッキーを頬張りながらこくこくと頷いた。


「どんなに無駄だと分かってても家族の危機には身体が勝手に動く。そういうもんだろ」

「そうとも。姉を慕う弟が可愛くて仕方がないのが姉というものだ。君に謝られたらレイナートは君の愛情さえも無条件に受け入れ難くなってしまう」


 ちょっと驚いた顔になったレオがレイを見る。

 レイは苦笑しながら小さく頷いた。

 どうやらこの姉弟間にわだかまりは残らずに済みそうである。


「なあ、ジュダ。どうして……」

「始まったな。弟の無邪気な“どうして”に答えをやるのも姉の務め。かかってくるといい」

「レイは王様にはなれない?」

「法律上、王女は国王にはなれないな」

「……その法律って変えられないのか?」

「それは最終手段だ。王の子が娘ばかり。他に王の血統を継ぐ者が皆無。にっちもさっちも行かなくなって初めて“一代限りの特別法”とかいう限定的な法案が渋々提出される。変化を厭う老害共の腰はおそろしく重いぞ」

「それじゃ、レオは?」

「現状では立太子前の“健康診断”ではじかれるだろう」

「他は?」

「第三王子は五歳。立太子可能な年齢になるまで十年。上に二人も王子がいて十年も王太子が不在では、さすがに不安視する声も上がるだろう。そうなると王統に属する者たちが我も我もと名乗りを挙げて来て王城は人の住める場所ではなくなりそうだな」

「……ジュダは、レイは今のままがいいと思ってるよな?」

「無論。精神状態はどうあれ、レイナートの身体と魂は女だ。精神と肉体の乖離だけならば肉体をいじることも考えられたかもしれないが、不可侵の領域である魂が女である以上、精神を魂に寄せるべきだ。現状維持を推奨する」

「レオの呪いは、こう……取り出せないのか?」

「取り出す? 心臓を?」

「いつもの魔法でぱああってできないのか」

「――……レオナルドの時を止めれば可能か? しかしそうなると時間停止、無菌状態の結界維持、呪いの除去、肉体の再生術をほぼ同時に行使する必要があるな。そこまでして呪いの除去の成功率が未知数だというのが不安だ。下手をすれば心臓を一度切り取って取り出して元に戻しただけという、ただの人体実験に終わる可能性がある」

「……なんか怖いからやめよう、それ」

「そうだな。やめよう。少なくとも他の人間で試してから」

「いや、他の人で試すのもなし」


 なぜだ、とジュダの目が言っている。

 ジュダにとって試し甲斐のある魔術的実験の話をふったのは俺のミスだ。「心臓が止まったくらいでは人は死なない」とかなんかワケの分からないことを言ってるが、普通の人間は心臓が止まれば死ぬ。だからやめてくれ。誰かの心臓を切ったり貼ったりするなんて。


「心臓の話は忘れてくれ。えーと。つまり。王様があと十年、王太子が決められないことをのらりくらり躱し続けないといけないってことだな?」

「第三王子に問題がないとは限らないが、エドワードの子を次の王に据えたいなら、そうなる」

「そっか。じゃあ、王様がんばって?」

「がんばれー」


 俺とジュダに次いで山犬も「わふ。」と声を上げる。

 王様は微妙な面持ちで「ありがとう」と呟くように言った。


「はあああ……。ヒューバッハとの内乱はしなくて済みそうだけど、なんか、泣きそう」

「年も身分もほぼ同じ二人の妃にほぼ同時に子を産ませたツケが回って来たと思えば、がんばらざるをえまいよ。父親とは子を守る者。応援はしてやろう」

「俺もー」


 わふ。

 王様が泣き真似をしながら「ありがとう」と呟く。

 いや、もしかして本当に泣いてる?


「……父上」

「なんだいレイナート」

「なぜ、これを野放しに? ヴェサリウスなどおらずともジュダルがいれば」

「……おまえはこの子に何か“命令”ができると思うのか?」

「レリウスの娘でしょう」

「はあああ。無知って怖い。ごめんね、ジュダル。お願いだから怒らないで」

「国王の“お願い”ならば仕方あるまい。だがエドワード。王都を数分で海に沈める術式は完成している。見てみたくなったらいつでも遠慮なく言ってくれ」


 ……この間は溶岩に沈めてやる、とか言っていた気がする。

 あ、そう。どっちもできるのね。さすが俺の姉。


 俺以外の四人は青い顔をして黙った。

 うん。ジュダのこの凄味のある笑顔ってキレイで怖いよね。


「あああ。胃が痛い」

「……俺が男のフリをし続ける、というのは?」

「不可能だろう。どこからどう見ても女の子だ」

「では私の“健康診断”の結果を改竄するというのは?」

「神殿がそれで納得してくれると思う?」

「……レイナート殿下が実は王女だった、と皆を上手く納得させられなければ、ヴェサリウス老への疑いを晴らすことができません。ヒューバッハとの戦の可能性も今のところ皆無ではありませんぞ」

「もうやめて。ハゲそう」


 王様が可哀想なくらい追い詰められていく。

 八方ふさがり。

 ジュダはもりもりクッキーを食べている。

 お茶、入ってるよ。


「ジュダ。このままだと王様の胃に穴が開いて頭がハゲ上がる」

「問題ないだろう。その程度では死にはしない」

「王様が砂糖を安く輸入してくれなくなったら、俺のお菓子作りが滞る」

「む?」

「戦争にでもなって卵が手に入らなくなったら、ジュダの大好きなプリンが作れない」

「なんと!」

「戦火が小麦畑に引火してみろ。クッキーさえも焼けなくなる」

「それはゆゆしき事態! ゼフの食糧庫は死守せねば!」

「うん。どうすれば?」

「現状に波風を立てず万人に納得を持って受け入れられ易く“こじつけ”るしかあるまい」

「できんの? そんなこと」

「私かゼフならば可能だ。しかし、そうさな。最適解はギュゼフだろうな」

「俺? 俺が?」

「結婚する」

「――結婚。誰と」

「レイナート」

「…………うん?」


 ぽん。と王様が手を打った。

 ぱああと明るくなった顔には「その手があったか!」って書いてある。

 え? なんで俺とレイが結婚すれば解決できそうなの?


「いいの? ジュダル。それでいいの?」

「背に腹は代えられない。無論、二人が結婚に同意することが最低条件だ」

「持つべきものはやっぱりジュダル! いっそ君もウチの子になろう! レイナート、レオナルド。おまえたちは暫くここに滞在させてもらって。その間に僕は表で色々準備しとくから。それまでに、ギュゼフとジュダルから結婚の承諾を得ること」


 はああ。安心したらお腹空いたなあ。と言いながら王様が立ち上がる。

 スキップでもしそうな足取りで「じゃあねー」と踵を返した。

 呆気に取られているレイとレオと養父を置き去りに、そのまま家を出て行く。

 理由とか、説明とか、そいうったことは丸っとスルーされた。

 いや、おい。息子たちの結婚問題ですよね?


 微妙な面持ちの養父も立ち上がって足早に王様を追う。

 一応、護衛騎士だからね。ちゃんと仕事してるらしい。


「……ジュダ、ゼフ。お父さんは反対だ。まだ早い!」

「私は結婚するとは言ってない」

「俺はなんで結婚するのか分かってない」

「そんなこと言って! 結局二人とも陛下に持ってかれるんだ! 泣くぞ俺は!」


 とかなんとか叫びながら家を出て行く。

 山犬も「わふ。」と一声上げて出て行った。

 沈黙が下りる。

 俺もレイもレオも、あまりに唐突な王様の決定に理解が追い付いていない。

 なんで「俺がお菓子作りができなくなるかも」が「俺とレイが結婚する」になったんだ。

 謎すぎる。


「……ジュダ」

「うん?」

「なんで俺とレイが結婚?」

「そうすればレイナートは君との結婚のために“女になった”と公表できる。女の身でありながら王太子であり続ける口実としてはこの上ない良策だろう?」

「……いや、意味が分からない」

「ふむ。見合いの席だ。正式に挨拶をしておくか」


 ちょいちょいとジュダが俺を手招く。

 きゅっと左手が握られたかと思ったら、ふわりと風が俺たちを撫で上がった。

 途端にずしりと身体が重くなる。どうやら着替えさせられたらしい。

 濃紺の前合わせの衣に金の糸で丁寧に刺繍が施されている。その上に色んな装飾が散りばめられた俺たちの“正装”だ。振袖のように袖に幅があり、裾は床を引き摺る長さ。


 しゃらんと微かに金属の擦れる音が鳴る。

 ジュダの豊かな黒髪を飾る金細工だ。

 目尻と唇に紅を引いた、久しぶりに見るジュダルの正装はこの世のものとは思えないくらい美しかった。


 レイナートとレオナルドの二人は驚愕に目を見開いている。

 まあ、これで俺たちの“正体”は把握できたことだろう。

 何せ、俺たちの頭には立派な竜の角が生えているのだから。


「私はジュディール・レリウス・ケルネルス・シェンロン」

「……同じくギュゼトルフ」


 しばし呆然としていた二人だが、レイナートが先にはっと気付いて腰から剣を鞘ごと抜いて膝を折った。レオナルドも慌ててそれに倣う。

 片膝立ちの二人はどこか緊張した面持ちで息を呑んだ。

 ……そんなに改まらなくても。別に取って喰いはしませんよ。


「ヴァルエハーツァ王エドワードが第一子、レイナート・レオニスと申します」

「同じく第二子、レオナルド・カルディと申します」


 恭しく頭を下げた二人に面食らったのは俺だ。

 なに、これ。俺たちそんな感じ?


「ジュダ……」

「私たちは二百年ほど前に滅びた王朝ケルネルスと竜族の末裔だ」

「知ってるけど。それってすごいの?」

「ケルネルス王の血統は私と君で最後。人間界にいる竜族も数える程度だろう」

「……すごいレアキャラってこと?」

「レアもレア。これを逃せば二度と出会えない。そんな君と結婚するためなら王太子の性別くらい変えてしまうだろう?」

「なるほど。でもいいのかジュダ。表に出たくなかったんじゃないのか?」

「背に腹は代えられないと言ったろう。ゼフのプリンが食べられなくなるのは非常に困る。レイナート。私の弟に不服があるとは思わないが、まあ、相性というのもあるしな。ここなら邪魔は入らない。結婚について二人で考えるといい」

「は……。身に余る栄誉。是非ともご縁を頂きたく存じます」


 言って下げた頭を更に下げるレイに、俺とジュダは肩を竦めた。

 少しやり過ぎたか、とジュダが右腕を軽く振る。

 一瞬で俺たちの姿は元に戻っていた。


 ジュダのパーカーも元の丈に戻っている。

 だから、生足やめろって。


「プリンのために結婚しろとか、俺の姉が横暴すぎる」

「お菓子で釣って私にあれこれしゃべらせたのは私の弟ではなかったかな」

「そうだけど。ねえ、二人とも。いいかげん顔上げて。俺たちそんなんじゃないから」

「……は。しかし、竜族とケルネルス王の末裔と言われると、どちらか片方でも畏れ多い血筋でらっしゃいますので」

「いやいや、俺もジュダもただの世捨て人だし。ほら、立って。敬語もやめて。ジュダは尻を隠せ」


 む。と気付いたらしいジュダが先ほどと同じようにパーカーの裾を引っ張って伸ばす。ロング丈になったそれに安心したのか、レオナルドがわずかに苦笑した。


「王様、ジュダとレオを結婚させる気?」

「そのようだな。一応、あの男も息子の将来を案じているのだろう」

「……その件は私から父上を説得しましょう。女性を幸せにできない私がジュダル殿ほどの方を娶る資格などありません。ギュゼフ殿が兄上…いえ、姉上との縁談を承知していただけることを切に願っております」

「……だからこその私だ」

「はい?」

「その呪いは男を殺す。正確には“女に反応しなくなる”。つまり君は相手が“女”でなければ、そう気を使って遠慮する必要がないワケだ」

「? はい。しかし」

「私は魔術的には女だが、人間的に言えば正しく“女”ではない」

「というと?」

「私はギュゼフより竜の血が濃い。ゆえに竜族の特性を強く受け継いでいる。竜族の半数は性別を持たずに生まれ、伴侶となる相手に合せて身体を変える。私がそれだ」

「つまり、ジュダル殿は私のこの呪いの範疇にない、と」

「そうなる」


 レオナルドはやや驚いた顔で黙った。

 まあ、それはそうだろう。

 目の前の絶世の美少女が、実は正確には少女ではなく、心臓に根を張る厄介な呪いをものともしない存在なのだと言われれば。


 希望に目を輝かせたのはレイナートだった。

 自分の代わりに呪いを受け、子どもを持つことが絶望的だった異母弟に降って湧いた可能性だ。

 どこか安堵の滲んだ眼差しでジュダルの手を握る。

 この姉も弟が大好きだな。


「……ジュダル殿。是非、弟をよろしく頼みます。少し男気に欠けるところはありますが、性根の優しい穏やかな男です。きっと貴殿を幸せにします」


 ジュダルの表情はものすごく微妙だった。

 面倒臭いな。でも弟に縁談を持ち上げた手前、完全拒否もできないな。という顔だ。

 期待されて困っている。そうしてほんの少し楽しそうでもある。

 これは、もしかすると、もしかするかもしれない。


「つまり俺たち、レイとレオにとって打ってつけな感じ?」

「そうだな。誂えたかのようにハマる」

「……王様が一人勝ちな気がする」

「それは気に喰わんな。ハゲる呪いでも送っておこう」

「そりゃあ確実にハゲるな。王様かわいそう」


 こうして王家の存亡をかけたレリウス家の裏庭会議は一応の決着を見た。

 なぜだか俺に縁談が持ち込まれたが、俺の作るプリンが食べられなくなる可能性を完膚なきまでに叩き潰したい姉が望むのならば仕方あるまい。


 真剣な眼差しでおそらく王様が禿る呪いを組み出したジュダルの横顔を見つめる。

 俺の姉は今日も世界一かわいい。


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