2 サンドイッチ製作秘話
オーサーは翌日の朝早くに家を出ると、レストラン『魔女の牧場』へ出かけた。昨日食べた『牧場のサンドイッチ』は妻の作っていたものに間違いない。似ているとかいうレベルではない。このレストランで尋ねれば、何かしら妻の事もわかるに違いない、そうオーサーは確信したのだ。
もちろん店はまだ閉まっているが、仕込みの為に店の人間はもう居るだろう。オーサーが店の裏に回ってドアをノックしようとした瞬間、突然ドアが外向きに勢いよく開いた。彼の体は跳ね飛ばされ、地面に尻餅をついた。
すると、頭上から驚いたような声が降ってきた。
「大丈夫か? あれ? 父さん?」
その声に顔を上げると、そこには白いコック姿の息子のユーリアンが瞠目していた。
「ユーリアン? 何故こんな所にいるんだ?」
オーサーも息子以上に驚いて目を見開いた。すると、息子は笑った。
「それはこっちの台詞。何故父さんがここにいるんだい? って言うか、よく俺の事覚えていたね」
「何を言っている。自分の息子をわからない父親がどこにいるんだ!」
「ええっ? だって父さん、俺の事なんかに全く関心なかったろう? 父さんに名前を呼ばれた記憶もないんだけど」
「そ、そんな事はないだろう」
「いやいや。それに結婚式にも出席してくれなかったし、子供が生まれた時も祝いにも来てくれなかったし」
「す、すまん。お前に関心がなかったわけじゃない。ただ仕事が忙しかったんだ。
あれ、お前、その左手どうしたんだ? 仕事で火傷をしたのか?」
尻餅をついたままのオーサーは、ユーリアンの左手が目に入ったのでこう言った。息子の左手の甲全体が痛々しく引きつっていた。
「はあ?」
息子の素っ頓狂な声がして再び顔を上げると、ユーリアンは複雑そうななんともいえない顔をしていた。
「やっぱりな。そうだとは思ってたけど、罪悪感ないっていうか、本当に自分の事しか関心がなかったんだな。幸せだよな、父さんは!」
「どういう意味だ?」
馬鹿にされたような気がして、オーサーはムッとしたが、続けられた息子のこの言葉に仰天した。
「この火傷はおれが十歳の時、父さんにコーヒーぶっかけられた時の跡だよ。俺が泣き叫んでたのに、何か閃いたって、あんたは家を飛び出して研究所へ向かったよな。
妹のケイトが買い物へ行っていた母さんを呼びに行ってくれて、戻ってきた母さんが慌てて水で冷やしてくれたけどさ、時既に遅し。もっと早く手当てしていたら、こんなに跡は残らずにすんだろうって、先生が言ってたよ」
オーサーには全くそんな記憶はなかった。ユーリアンが十歳というと、二十年前、彼が三十手前の頃、過去視法や、残留思念法の研究をしていた頃だ。
彼はそれらの研究成果のおかげでいくつもの世界的な賞を受賞した。しかし、その表彰式に家族が出席しなかった事をふと思い出した。
何故家族をパーティーに呼ばなかったのだと、仲間達に批判されたが、自分が世間に認められた事に舞い上がっていて、家族の事などに気が回っていなかった。
しかし、その間、妻と子供達もまた、自分の事などには構っていられなかったのか。自分の息子の体に傷を残すなんて、なんて最低な父親なんだろう。今更ながら、オーサーは青褪めた。
「すまん。許してくれ・・・」
「許すもなにも今更だよ。それより、いい加減立ち上がったら? そして今仕込み中で忙しいからそこをどいて欲しいんだけど、何か用?」
ユーリアンにとってはもう昔の事だ。彼は淡々と父親にこう言った。
オーサーは慌て尻を叩いて、汚れを払いながら立ち上がった。
「ユーリアン、母さん、ミリアナがどこにいるか知らないか?」
「母さん? 何故そんな事知りたいの?」
「何故って、三週間前から家に戻ってこないから心配しているんだよ」
「心配ねぇ。ただ単に母さんがいなくなって困っているだけだろう? 本当に心配しているなら、とっくに警邏隊に届けを出しているだろうし」
「・・・頼む、教えてくれ!」
母親が家を出たというのに平然としている息子に、オーサーは驚きを隠せなかった。やはりこの様子だと妻のミリアナは息子の家に居るに違いない。
しかし、ユーリアンの答えにオーサーは絶句した。
「母さんなら、婚約者のところだよ。今、新居の準備で忙しくしているよ。だから、父さんと会ってる暇はないと思うよ」
「婚約者って、一体誰のだ? お前もケイトももう結婚しているよな。まさか、別れてたのか?」
この父親の言葉に、さすがにユーリアンも眉を吊り上げた。
「変な事いうなよ。俺んとこもケイトんとこも、今だにラブラブだよ。婚約者って、もちろん母さんのだよ。決まってんじゃないか!」
「? ? ?」
口を開けてポカンとしている父親の顔を見て、息子もポカンとした。そして彼は少し間を明けてからおずおずとこう尋ねた。
「まさか、まさかと思うけど、離縁状に自分でサインした事も覚えてないのか? 俺達夫婦とケイト夫婦も居る前でサインしたのにさ」
「離縁状だと? 俺がそんなものにサインするわけないだろう! 離縁するつもりもないのに」
「そんな事言ったって、父さんが自らサインするのを俺達見ていたんだぞ。疑うなら、役所へ行って、離縁状のサインを自分で確認してみろよ」
息子の言葉にオーサーは真っ青になった。やってしまった・・・
彼は心の中で呟いた。そう、彼は仕事や趣味など好きな事に夢中になると、無意識にサインをする癖があったのだ。それは仕事の多忙さによって致し方なく身に付いた癖だ。
役所というものは、何にでもサインが必要なのだ。下から順番にサインをしていくのだが、上の部署の責任者になればなるほど書類の数が増えていく。従ってサインの数も増えていくのだ。
事務官でも上の立場は大変なのに、研究職は更に大変だ。自分の研究をしながら、下から上がってくる書類にサインをしなければならないのだから。
しかし、研究者は実験になると、その事に夢中になって周りが見えなくなるので、書類製作担当者はサインを貰えなくて非常に困る。
研究者達は彼らの必死のお願いが鬱陶しくて、研究対象物に目をやったまま、利き腕じゃない手でサインをするスキルを、ほとんど皆が身につけていた。
退職間近かになってオーサーは、この癖を早く直さないといつか大変な目にあいますよ、と後輩には忠告を受けていた。しかし、彼は親切な後輩の言葉に耳を傾けなかった。なんて自分は愚か者だったんだろう。
オーサーは自分の悪癖について説明したが、ユーリアンは呆れたような顔をしただけで、父親に同情するでもなくこう言い放った。
「今更何を言ってももう遅いよ。父さんがサインした事で、半年も前に二人は離縁した事になってんだ。だから二人はとっくに他人で、母さんが誰と婚約しようと父さんには何の関係ないんだ。
それでも、父さんが退職するまで食事やその他の家事をしてやったのは、母さんの優しさだ。感謝しろよ」
「そんな馬鹿な事があるんか! 大体離婚の理由は何なんだ。
私は真面目に仕事をして成果を出し、金も稼いで何不自由なく暮らさせてやった。もちろん浮気をした事もないし、暴力を振るった覚えもない。何も悪い事をしていないのに、何故離婚されなくてはいかんのだ!」
オーサーは激しい口調でこう怒鳴った。そう。彼は生まれて初めて大声で怒鳴った。こんなに怒りを感じた事は今までになかった。
彼はただ真面目に一生懸命に生きてきただけなのに、何故こんな理不尽な目に合わなければならないんだと。
オーサーが喚けば喚くほど、ユーリアンは冷静になって、冷めた目で父親を見つめていた。そして喚き疲れてはぁはぁと息を整えている父親に向かって、彼は静かにこう言った。
「息子に熱いコーヒーぶっかけてそのまま放置した事だけでも児童虐待で犯罪だよね? 俺と妹を遊園地へ連れて行って、何かを閃いたからって、一人で役所へ行ってしまったのだって、保護責任者義務違反だよね。
悪い事したつもりがなくても、すべき事をしなかった事も罪なんだよ。そんな事もわからないの?」
「・・・・・」
「俺達があんたを捨てたんじゃない。先にあんたが俺達を捨てたんだ。
あんたの関心は魔術研究の事だけで、俺達には全く無関心だったよな。
自分の両親の介護も子育ても全て母さんに丸投げして、協力どころか感謝の言葉もなかった。
母さんが自分を虐げてきた母親の介護問題で、伯父さん達と揉めて悩んでいた時だって、相談にも乗ってやらなかった。
まぁ、俺と妹の進路や結婚にも無関心だったのは、別に今更感があってどうでも良かった。だけど、母さんの尊厳を壊した事だけは絶対に許せないよ」
「尊厳?」
「ああ、わからないだろうね、あんたには。一生わからないだろうね。でももう教えてやるつもりはないよ。あんたとはもう赤の他人だ。もう二度と俺達に近づかないでくれ。
間違ってもストーカーになって、母さんを追いかけ回したりしないでね。そんな事をしたら警邏隊に言うよ。そうなったら、あんたの勲章の話も無くなっちまうから気をつけた方がいい」
ユーリアンが縋りついてきたオーサーの手を払いのけた時、騒ぎに気付いた店の者がドアから顔を覗かせた。それは、オーサーの見知った人物だった。
「オーナー、どうしたんですか?」
「マイケル伯父さん、この人追い払ってもらえますか?」
「えっ? ああ・・・ わかりました」
そう応答したのはユーリアンの伯父、つまりはオーサーの(元)妻の兄で、元同僚兼(元)義兄のマイケル=イーグルスだった。
マイケルは厨房から外に出て来ると、パニックってまだ何か喚き散らしているオーサーの腕を掴んで、彼をグイグイと表通りの方へ引っ張って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
息子のユーリアンと会ってから二週間が経った。彼は現役時代と同様に一日のほとんどを書斎で過ごした。
しかし現役時代のように研究をしていたわけではない。ただ自分の現状を確認しようと思いを巡らせていた。家政婦の買ってきてくれる『牧場のサンドイッチ』を食べながら。
あの日、オーサーはマイケルにこう言われた。
「俺もお前と同じ過ちを犯したよ。だから、お前にも忠告してやろうとしたが、何度接触を持とうとしても、忙しくて暇がないとお前に拒否された。今の自分はお前が自ら選び、望んだ結果だ。それを受け入れるしかない」
「お前も失敗したのか?」
「そうだよ。役所の仕事が忙しいと、母親の介護を妻に任せっ放しにした。妹のミリアナがたった一人で舅と姑の二人を介護できたんだから、姑一人くらい面倒みれるだろうって。
だけど俺の母親は気難しくて我儘で面倒な性格だった。親身に世話してやっても感謝もせずに文句しか言わなかった。妻に何度も悩みを相談されたが無視してた。
そして、ある日家に帰ると妻と子供はいなくなっていて、汚物まみれの母親が床に倒れていた。
俺は慌てて警邏隊に助けを求めたが、既に離縁状が出されていたので相手にされなかった。サインを確認したが、間違いなく俺のだったよ」
離縁の相談をされた時も忙しいと聞く耳を持たず、仕事中の時同様に、無意識でサインをしていたらしい、とマイケルは言った。
自分と同じだ・・・オーサーは絶望感でいっぱいになった。しかし、彼には自分はまだ幸せだと言われた。無事に定年退職できたし、研究で成果を認められ、いずれ勲章まで貰えるのだからと。
マイケルは母親の介護をする為に、定年を迎える前に役所を辞めざるをえなかった。
妻子に逃げられたマイケルは、当初はミリアナに母親の面倒をみてもらえばいいと簡単に考えていた。実の娘なんだから母親の世話をするのは当然だと思っていた。
しかし、彼は失念していた。母親と自分は幼い頃からミリアナを精神的に虐げてきた事を。
お前は能無し、役立たず、駄目人間だから、せめて料理だけでも上手くなれ、そうでなければ生きる価値もない・・・
母親とマイケルはミリアナに幼い頃からそう言い続けてきた。だから、オーサーと結婚する時も
「夫を繋ぎ留めておきたかったら胃袋を掴んでおけ!」
と言うアドバイスをした。この言葉のせいで妹がどんなに辛い思いをするかも知らないで。
何故なら、妹の夫は食事になんて全く興味がなかったのだから。この事で妹は、自分は何の価値もない人間なのだと悩み苦しむ事になったのだから。
しかし、そんな妹も自身が母親になった事で強くなった。いや、夫が家庭を全くかえりみなかったので、強くならなければ愛する二人の子供を育ててはいけなかったのだ。
久しぶりに会いに来た娘ミリアナに対して、母親はこう言った。
「これから私の面倒はお前がするんだよ。お前と違って兄のマイケルは頭が良くてエリートで、国の役に立つ仕事をしていて忙しいのだからね。それに比べてお前は暇だろう?」
母親も息子同様に娘が自分の世話をするのが当然だと思っていたのだ。ところが、娘のミリアナは冷静にこう言った。
「私が結婚してこの家を出る時、自分がなんて言ったのか覚えていないの?
『今日からお前は他人だ。二度とこの家に戻ってくるな。面倒事を持ち込んだら承知しないよ』
ってあなたが言ったのよ。
それなのにどうして私が今更、他人のあなたを世話をしなくちゃいけないのかしら?」
母親と兄はミリアナの意外な言葉に驚き、怒りで口が開かなかった。それでも兄のマイケルの方がいち早く正気を取り出すと、こう反論した。
「他人って、お前・・・実の母親だぞ。大体お前は赤の他人の夫の両親の世話はしていたじゃないか!」
「あの人達は確かに血の繋がりはなかったけれど、あんたたちとは違って心の繋がりはあったのよ」
ミリアナはそう言うと、くるっと母親に背を向けると、二度と実家を訪れる事はなかった。
後になって、当時のミリアナは更年期障害による体調不良で苦しみながらも、息子がオープンしたレストランで手伝いもしていて、母親の介護が出来る余裕などなかったという事を知った。
マイケルは仕方なく介護人に母親の世話を頼んだが、母親のあまりの傍若無人振りにすぐに辞められてしまった。そして結局、マイケルは仕事を辞めて自分自身が母親の介護をする事になったのだという。
その時の母親との暮らしは壮絶なものだった。母親と二人きりになって、ようやく母親の本性を知ったという。
何故今まで妹や妻の訴えに耳を向けなかったのだろう。何故真実を見ようせず、自分が楽な方に、自分の都合の良い方ばかりに目を向けていたのだろう。
毎日が後悔の日々だったという。
三年後に母親が亡くなると、一応妹に通知はしたが、来てもらえるとも思ってもいなかったので、一人で葬儀をして埋葬した。そして家を売るとその半分を元の妻と子供達に、そして残り半分を妹に送金した。
それから暫くして、どうやって知ったのか、マイケルのアパートに甥のユーリアンがやって来た。
当時のユーリアンは母と妹に助けてもらいながら、小さなレストランを経営していた。彼は既に結婚していたが、子供達がまだ幼かったので、妻は子育てに専念していたのだ。
しかし、母親特製のサンドイッチ『牧場のサンドイッチ』をメニューに加えた途端、これが人気になって、客が爆発的に増え、人手が必要になったのだという。
調理人とフロアスタッフは、母親の意見を尊重し、未亡人や未婚で家族を扶養している女性を採用した。しかし、従業員をまとめるマネージャーには社会的な仕事の経験のある人を雇いたい。だから、伯父さんに頼めないかな、とユーリアンは言ったという。
家族に見限られて一人ぼっちになった自分を、見捨てずに使ってくれるというのだ。
マイケルは泣いた。そして心を入れ替えて誠心誠意働こうと思ったという。
「自分自身を振り返ってみろ。そして心から反省しなければ、子供達との絆は永久に切れたままだ。
そのためのヒントをやる。ミリアナが何故あの『牧場のサンドイッチ』を生み出したのかを考えろ!
それと、妹はようやく幸せになれるんだ。いくらお前が後悔しても復縁は無理だ。だから妹の事だけは諦めろ。
もし妹に今更関わろうとしたら、俺はユーリアンに成り代わってお前を潰すぞ! わかったな!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「何故このサンドイッチはこんなに美味いんだろうな・・・毎食食べてても飽きない」
オーサーが『牧場のサンドイッチ』を、ボーッとしながら利き手ではない方の手で掴んで食べて呟いた。すると、突然後ろからいつもの元気な家政婦の声が聞こえきた。
「それはこのサンドイッチを考案した方の愛情が籠もっていているからですよ。決まっているじゃないですか!」
「愛情?」
オーサーが驚いて振り向いた。
家政婦は腰に手を置いて、鼻息荒くこう言った。
「前も言ったと思いますが、この『牧場のサンドイッチ』はとても手間暇がかかるんですよ。
このサンドイッチにはとにかく沢山の具材が入っていますが、その事はわかりますね?
ポテトサラダ、マカロニサラダ、刻み卵サラダ、ローストビーフ、ハムカツ、トンカツ、葉物野菜、フルーツ、生クリーム、辛子バター、ピーナッツバター、色々・・・
これ、一つの具材を作るのだって大変なんですよ。わかります?」
「ああ、でも、どれも少量だよね?」
「旦那さんは馬鹿ですか? 少量だって手間と時間は大して違わないんですよ。一人分だろうが、三人分だろうが、野菜切る時間がわずかに増えるくらいなんです。作る工程や手間は量ではそう変わらないんです。
問題は料理の品目ですよ。サンドイッチって、まるで単品みたいに言われますが、その中身の具材はそれぞれ単品だけでも、立派なおかずなんです。
わざわざサンドイッチにしなければ、テーブルの上には十種類のおかずの皿が並ぶわけですよ。プロでもないのに、そんな豪華な食事を毎回作っている主婦がどこにいるんですか?」
「あ・・・・・」
「この『牧場のサンドイッチ』の栄養バランスは完璧なんです。このサンドイッチだけ食べていれば、どうにか最低限の栄養はとれるように作られているんです。しかも味も最高です。
それに今旦那さんが食べているのを見てピン!ときたのですが、多分、このサンドイッチの考案した人の旦那さんって、ゆっくりと食事の時間をとれない職業の人なんじゃないですかね? でも食事は大事です。だから、片手でも簡単に食べられる栄養たっぷりのこのサンドイッチを作ったんだと思いますよ。
うん。間違いないわ」
家政婦は自分の推理に間違いないわ!とばかりにうんうんと鼻息荒く頷いていた。
『多分その推理は当たっている』
と、オーサーは思った。結婚当初から、オーサーは家のテーブルで妻とゆっくりと食事をとることはなかった。いつも頭の中は魔術研究の事でいっぱいで、食事をするのも面倒だった。
普段は無口で物静かな妻だったが、食事の事になると口うるさくなった。
「食事は大事です。きちんとバランスのよい食事をとらないと健康を保てません」
「食事をして下さい。病気になりますよ」
あまり声を荒げる事のないオーサーがとうとう煩わしくなって、うるさい!と怒鳴っても、いつもはオドオドしているのに、妻は食事に関しては一歩も引かずにこう言った。
「食事をちゃんととらないと頭も回りません。研究を成功させたいのかもならば、もっときちんと食べるべきです」
これを聞いた時、さすがにオーサーもそれは一理あるなと思った。そこで彼は妻にこう言った。
「栄養バランスが良くて、頭にもよくて、旨くて、しかも利き手じゃなくても簡単に食べられるような食事を作れ。そんなのができたらちゃんと食べてやるよ」
その時妻は嬉しそうに、
『わかりました』
と返事をした。
ああ、あの時妻が生み出したのがこの『牧場のサンドイッチ』だったのか・・・
妻は、ミリアナは私の健康を心配して、私が研究に邁進出来るように、あんなにも手間暇のかかる『牧場のサンドイッチ』を作ってくれていたのか。
それなのに、私は彼女の気持ちなど考えた事がなかった。彼女に感謝した事も・・・
ミリアナの思いのこもったサンドイッチの残りを、オーサーは名残り惜しく思いながら完食した。いつもより塩気が多く感じたのは気のせいだろうか。
読んで下さってありがとうございます。
続けて三章も投稿しますので、引き続き読んで下さると嬉しいです。