95. テオドール公爵邸
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その日の午後、ユリは転移魔法を用いてシュレジア公国の首都、公都デルレーンを訪ねていた。
シュレジア公国から来た使節の一行を送るためだ。シュレジア公国と百合帝国は国境を接しているとはいえ、それでも移動には数日の時間が掛かる。
転移魔法を使えば一瞬で移動できるので、ユリにとっては大した手間ではない。
先日『公国へ戻りたい時は魔法で送ってあげても構わない』と約束してしまった手前、ソフィアから使節一行を送るよう頼まれれば、嫌とは言えなかったのだ。
―――もっとも、肝心のソフィア自身の姿は、この場にはない。
新都市にて『探索者ギルド』の長を務めることになったソフィアは、明日からの開業準備を進めるために、現在も奮戦している最中なのだ。
なので今回ユリが転移魔法で公国へ運んだのは、ソフィアの護衛騎士の人達と、一団が移動に用いていた馬車や馬だけだ。
「ありがとうございます、ユリ陛下。お陰様で帰国の遅れを取り戻せそうです」
「それなら良かったわ。……ところで、テオドール公には会えるかしら?」
「不在でなければ大丈夫だと思います。屋敷までご案内致しますので、どうぞ馬車にお乗り下さい」
「ええ、ありがとう」
護衛隊長のグレイスの言葉に、ユリは頷く。
馬車に備え付けられている小窓を開いて、公都デルレーンの街並みを望みながら数分ほど移動していると。すぐに馬車は都市の中央に建つ、一軒の立派な邸宅へと到着する。
敷地内へと入った馬車が、邸宅の前で停車すると。すぐに執事らしき格好をしたやや老齢の男性と、何人かの使用人の女性達が近くへ駆け寄ってきて。
そして、ユリが馬車から降りると―――彼らは一様に瞠目してみせた。
以前参加した夜会の際に、1度だけ公都デルレーンでも『放送』を行ったので、ユリの顔は公都の市民にも割と知られていたりする。
なので彼らは、テオドール家の紋章を付けた馬車から令嬢のソフィアではなく、隣国の『女帝』であるユリが降りてきたことに、驚愕した様子だった。
「テオドール公に会うことは可能かしら?」
「―――はい、問題御座いません。すぐに主を呼んで参りますので、侍女が案内する別室にてお待ち頂けますでしょうか」
「ええ、判ったわ」
ユリが問いかけた言葉に対して、執事の男性は一瞬だけ反応が遅れたけれど。
それでも、すぐに平静を取り戻し、応対してみせたのは流石だ。老いを感じさせる年齢まで、執事を務めているだけのことはある。
邸宅内の応接室に案内されたユリは、侍女が出してくれたお茶を口にする。
今日『探索者ギルド』でソフィアが淹れてくれたお茶と全く同じ味わいがした。
もしかしたらこの茶葉は、テオドール家が管理する都市や村落で生産している、特産品のひとつなのかもしれない。
お茶を楽しみながら数分ほど待っていると。やや早足気味の足音が近づいてきたことに、ユリは気付く。
カップを置き、ソファから立ち上がってユリはこの邸宅の主を出迎えた。
「テオドール公爵家当主の、カダイン・テオドールと申します」
「百合帝国の国主をしている、ユリよ。先日の夜会でも少しだけ会ったわね」
「はい、その際には碌に会話もできなかったことが心残りだったのですが。まさかこうして当家を直接お訪ね下さいますとは、思ってもいませんでした」
部屋に入って来るなり挨拶してきたテオドール公に、ユリも応える。
テオドール公は笑顔だし、話し方も丁寧そのものなのだけれど。その言葉の裏からは『急に訪ねて来られても困る』という意志が垣間見える気がした。
まあ、敵国の国主が直接訪問してくるなど尋常のことではないし、もし他家から知られれば要らぬ誤解も招きかねない。テオドール公からすれば、あまり嬉しいことでは無いだろう。
「ユリ陛下は、当家の馬車に乗っていらっしゃったということですが……?」
「今回の訪問は、貴国から来ていた人達を送るついでなのよ」
テオドール公の言葉にユリはそう答えてから、部屋の隅に控えている護衛の人達をちらりと一瞥する。
その視線で全てを理解したのだろう。テオドール公は「なるほど」と言葉を漏らし、得心したように頷いてみせた。
「そういえばユリ陛下は転移魔法の使い手でいらっしゃいましたね。わざわざ当家の者達を送って下さいましたこと、ありがとうございます」
「私に取っては大した手間でもないから、気にしなくて構わないわ」
「ところで―――当家の娘は、どちらに?」
テオドール公がやや訝しげな声で、ユリにそう問いかける。
部屋の隅には隊長のグレイスを筆頭に、使節の護衛を務めていた全騎士が揃っている。―――にも拘わらず、この場には使節の主役であるソフィアの姿が無い。
テオドール公が疑問を抱くのも、無理からぬことだろう。
「それについては、本人から手紙を預かっているわ」
「……拝見致します。なるほど、確かに娘の字ですね」
ソフィアは『探索者ギルド』で扱う公的な文書では、とても綺麗な字で記述してくれるのだけれど。一方で父君に宛てたこの私的な手紙には、かなり達筆な崩し文字ばかりが使われている。
見る人が見れば、それがソフィアの字であることはすぐに判るわけだ。
ソフィアの手紙には、それなりの分量がある。
途中で侍女の人にお代わりを注いで貰い、お茶を飲みながらユリはテオドール公が手紙を読み終わるのを待った。
読み終わったテオドール公は、何とも複雑な表情をしていた。
事情は判ったけれど、理解ができない―――。そんな心中が、在り在りと表情に浮かんでいるかのようだ。
「よろしければ、ユリ陛下もお読みになりますか?」
「あら、私が読んでも構わないの?」
「特に見られて困る内容はありませんでしたので」
テオドール公がそう勧めてくれたので、有難く読ませて貰うことにした。
手紙の文面はかなりの達筆で書かれているけれど、『翻訳』の効果を持つ魔導具を身に付けているユリには、支障なく読むことができる。
手紙には―――意外なほど、一連の経緯が書かれていなかった。
まず何よりも重要な、使者のソフィアが『百合帝国の者により攻撃され、知恵を封じられた状態にあったこと』自体からして、書かれていない。
それどころか『こちらに来て様々なことがありましたが、これについて詳細を書き記してしまうと、お父さまに百合帝国に対する余計な先入観を与えてしまうことになりかねませんので省略致します。護衛の者達にもこれについて話さぬよう厳命してありますので、問い詰めることはおやめください』とさえ書かれていた。
娘を攻撃されたことを知れば、テオドール公は当然激昂することだろう。
両国の和平の為には、それは良くないとソフィアは判断したのだろうか。
手紙の中にはソフィア自身についてのことよりも、逆に百合帝国のことに関して記載されている内容が多いように見受けられた。
百合帝国の都市がいかに高度に発達しており、市民が希望を持っているか。この国独自の文化に、いかに自分が惚れ込んだか。この国に喧嘩を売ることが、いかに愚かであるか。そうしたことが、延々と文面には連ねられている。
そして―――この国で自分の才能を試してみたい、と。そうしたソフィア自身の気持ちもまた、手紙の中には記されていた。
公爵家の娘である自分は、公国にいればいつかは『貴族令嬢の役目』を果たさなければならなくなる。
国内の他の貴族に嫁がされるのか、それとも他国の王侯貴族に嫁がされるのか、それは判らないけれど―――。
嫁いでしまったが最後。嫁ぎ先の家では『分を弁える』ことが要求され、今までのように何かを開発したり、商会を立ち上げたり、魔物と戦ったり―――そうした自由が与えられることは最早無くなるだろうと、手紙には書かれていた。
そして『お父さまや公国の民から受けた恩義は重々理解しておりますが、どうしても私は貴族令嬢のまま生き、将来的な自身の自由を失いたくはないのです』と、明確に自分の未来に敷かれているレールを否定する意志が綴られていた。
だから―――自分の身柄の使い途は、自分の意志で決めたい、と。
そう考えた末に、ソフィアは『自分を貰う』ようにユリに要求したそうだ。
(……なるほど)
ユリの臣下である『黒百合』の子達の独断により攻撃され、[知恵]を奪われた経験を持つソフィアは。却ってそのことで百合帝国の臣下に与えられている『自由』の大きさを知り、女帝であるユリに対して好感を持ったらしい。
だから自分もユリの『臣下』に―――あるいは『妻』でも『妾』でも、もしくはいっそ『奴隷』でも構わないので。ユリの手元に居ることさえ許して貰えたなら、今後も貴族の桎梏に囚われることなく、生きることが許されると期待したようだ。
また手紙の中には、これが公国の利益にも沿うことだと書かれていた。
ソフィアの説明によると『ユリ陛下自身には公国を侵略する意欲があまり無いように見受けられます』とのことだが、その一方では『臣下の方々についてはその限りではなく、むしろ積極的に公国を滅ぼし、主君に対して行われた先の侮辱の溜飲を下げたいと思っておられる方が多いようです』とも書かれていて。
更には『臣下の望みこそ自身の望みだと、ユリ陛下はお考えになるところがあるようです。なので喩え百合帝国と和睦が結べたとしても、現状のままでは停戦期間が明けた5年後や10年後に、公国が無事で済む保証はありません』とまで書かれていた。
『―――将来的な戦争を回避するためには、外から交渉を持ちかけるだけでは駄目だと思います。ですのでお父さまには、この手紙を持ってきたユリ陛下とこの場で交渉を行い、何としても10年の停戦期間を勝ち取って頂きたいのです。そうすれば私が、その10年の間にユリ陛下の寵臣となってみせます。
先にも書きました通り、ユリ陛下は決して臣の望みを無下にはなさらないお方です。私がユリ様への絶対の忠誠を示し、殿方よりも同性を愛しておられるユリ陛下よりご寵愛を賜り、更には充分な功績を挙げることができましたなら。その時には私が公国への慈悲を乞い、将来的な戦争を回避することもできましょう。
その一助になることが、公国やお父さまへの恩返しになると同時に、自由を望む私自身のためにもなると思っています。―――ソフィア・テオドール』
手紙の末尾は、そう締め括られていた。
「………」
読み終わって、ユリは何とも複雑な表情になる。
ソフィアが一体、どういう判断でユリに『貰って』と言ったのか、知りたいとは思っていたけれど。手紙に綴られている全容が思った以上に大きすぎて、ユリには容易に理解できそうには無かった。
「……娘を、どうぞよろしくお願い致します」
「あ、はい……」
まだどこか複雑そうな表情を浮かべながらも、テオドール公が頭を下げてきたので。ユリもまた似たような表情のまま、頭を下げて応じる。
どうやらテオドール公にもまた、娘の考えの全容があまり掴めていないらしい。
そう思うと、少しだけユリはテオドール公に共感を覚えた。
何だか良くは判らないけれど―――とりあえずソフィアは、百合帝国の『寵臣』となるべく功績を挙げたいと考えているらしい。
それなら有難く彼女を使わせて貰おう、とユリは思う。
発展著しい百合帝国には、才ある人材を余らせておく余裕など無いのだから。
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お読み下さりありがとうございました。




