93. 賢明なる使者(中)
[3]
「悪かったわね、直接宿を訪ねるような真似をしてしまって」
百合帝国の首都ユリタニアの中央にある宮殿。
その応接室にて、ユリは客人―――ソフィア・テオドールに応対した。
「いえ、それは全く。ですが―――お呼び頂けましたら参上しましたのに」
「私からすると、自分で迎えに行った方が手っ取り早いのよ」
ソフィアの言葉を受けて、ユリはやや苦笑気味にそう答える。
そう―――宮殿の応接室にて客人を応対しているにも関わらず、今回相手の元を訪問したのはソフィアではなく、ユリの側だった。
転移魔法を自由に行使できるユリからすると、何かをしながら相手が来るのを待つよりも、送迎コミで自分から訪ねてしまった方が面倒が無いのだ。
「初めて体験しましたが。転移魔法というのは本当に便利ですね……。この魔法で先日の公国の夜会へもいらっしゃったのでしょうか?」
「ええ、そうよ。だからソフィアが公国へ戻りたい時には、良かったら私が魔法で送ってあげても構わないわよ? 何日も馬車で揺られながら移動するというのは、ちょっと大変でしょうから」
「それは……お手間を掛けるようで恐縮ですが、有難いかもしれません……」
ユリの提案を受けて、ソフィアが眉を下げながらそう応えた。
この世界の都市や村落を結ぶ交易路は、特に舗装されているわけでもないので、馬車で移動する際には絶え間の無い揺れに苦しめられることになると。―――そうユリは、以前ルベッタやアドスから聞かされて知っていた。
「……あ、あの。ユリ陛下」
「うん? 何かしら?」
「本日はその……。護衛の方などは、いらっしゃらないのでしょうか?」
ユリが〈インベントリ〉からティーポットやカップを取り出し、2人分のお茶を手ずからに注いでいると。
広い応接室の中に、護衛のひとりも、侍女のひとりさえ居ない事実に今更ながら気付いたらしく。護衛隊長の女性騎士が、訝しげにそう問いかけた。
公国の騎士から見れば、百合帝国にとって最上級の要人である女帝のユリが、付き添いを伴わずひとりで居ることに違和感を覚えるのだろう。
ましてソフィアの護衛騎士達は、武装の解除も行ってはいないのだ。
帯剣している自分達の目の前で、敵対関係にある国の女帝がひとりきり、しかもポットを片手に無防備な姿を晒していれば。護衛を役目とする側からすると、何か一言ぐらい言いたくなるのも無理はないかもしれない。
「護衛や侍女の者達には、外して貰っているのよ。ソフィアと少し、二人で話してみたいことがあってね」
「まあ、それは光栄です」
ユリの言葉に、ソフィアが嬉しそうに微笑む。
もちろん社交辞令的な微笑みだろうけれど、女性に微笑まれて悪い気はしない。
その笑顔を眺めながら―――ユリはソフィアのことを〈鑑定〉スキルで視る。
ソフィアの能力値は正しく本来の状態へ。即ち『3』まで落ちていた[知恵]が、現在ではちゃんと『251』まで回復しているようだ。
サキュバスによる能力吸収は永続的な効果だけれど、実行したサキュバス自身が返還を望めば、吸収した能力値を元の持ち主に返すことはできる。
なので、主である『黒百合』の子から命令されれば、その従者であるサキュバスはソフィアから能力吸収した[知恵]を返さざるを得なくなる。
どうやら昨晩の『放送』を終えた後から、今朝に至るまでの一晩中―――およそ8時間を掛けて。『黒百合』の子達24人全員に対して、ユリが充分な躾けを敢行した成果は、ちゃんと反映されているらしい。
「それでは我々も、よろしければこの場から外れましょうか?」
ソフィアと二人きりで話したい、というユリの言葉を受けた護衛騎士達が、自らそう提案してくれた。
確かに席を外してくれるなら、そのほうが好ましい。
「ふむ……。そうね、悪いけれどそうして貰えるかしら」
「はっ、承知しました」
答えると同時に、ソフィアの護衛騎士達が速やかに退室しようとする。
行動の様子がやや足早に見えるのは、おそらく彼女達にとって、武器を携行したまま他国の国主の前に居るというのが、居心地の悪いものに感じられていたからだろう。
ユリからすれば、別にレベルが『48』しかない公国の騎士風情が帯剣していたところで、それを脅威とは全く思わないのだけれど。武器ぐらいは預けさせたほうが、却って彼女達のために良かったのかもしれない。
「ああ―――ごめんなさい、退室前にひとつ訊ねても良いかしら」
「あっ、はい。何でしょうか?」
「私は確か以前、あなたにカダイン・テオドール公へ伝言をお願いしていたわね。あれはもう伝えてくれたのかしら?」
「申し訳ありません。まだあれから本国へ一度も帰還しておりませんもので……」
「いえ、まだ伝えていないのなら、その方が好都合。悪いけれど―――あの伝言は撤回させて貰っても構わないかしら?」
ユリは以前に『謁見の間』でソフィア達と面会した折に、使節の護衛隊長を務める彼女へ、テオドール公に向けての伝言―――『私はテオドール公のことを聡明な人物だと期待していたけれど、愚かにも程がある使者を当国へ寄越すあたり、無駄な期待だった』という、苛烈な言葉を預けている。
―――けれども、これは誤りだった。
面会した時点で既にソフィアの[知恵]は『黒百合』の子達による策動で奪われており、それに気づけないままに『愚か』だと一方的に断じたユリの側こそが、真に愚昧だったのだ。
「はっ、承知致しました。私も主に伝えずに済むなら、そのほうが嬉しいです」
「ごめんなさいね、手間を掛けて」
「滅相もありません。それでは、失礼致します」
ユリの撤回を即座に了承して、護衛の騎士達が応接室の中から退室する。
話が終わるまでの間、応接室のすぐ外で待ってくれる心積もりなのだろう。
応接室の中には【遮音結界】が張られているので、部屋の外にさえ出てくれるなら、室内でした会話の内容が護衛騎士達に聞かれることはない。
「ソフィア」
「はい、何でしょうユリ陛下」
「私の臣下があなたに多大な迷惑を掛けたこと―――この通り謝罪申し上げるわ」
対面側のソファに腰を下ろしているソフィアに、ユリは頭を垂れて陳謝する。
他国の使者を相手に、ユリが自ら頭を下げるということが、容易ならざる事態であることは理解しているけれど。護衛騎士達が既に席を外しており、ソフィア以外の誰にも見られないのであれば構わないだろう。
「ゆ、ユリ陛下―――!? あ、頭をお上げ下さい!!」
突然のユリの行動を受けて、ソフィアが慌てて声を上げる。
無理もない反応だろう。こんなことをされても、ソフィアを困らせてしまうだけであることは、ユリとしても理解できてはいるのだけれど。
それでも―――最初に謝罪する意志だけは、ちゃんと明確にしておきたい。
「ソフィア。およそ一ヶ月弱もの間、あなたの身体に明確な『異常』が生じていたことは全て、私の臣下の行いによるもの。
私がそうせよと命じたわけではないけれど―――臣下の独断専行が、私の不徳に拠るものであることに違いはない。本当に、申し訳無かったわ」
「……っ!?」
ユリから謝罪されて、瞠目すると共にソフィアは言葉を失う。
ここ暫く自分が異常しかったことには、おそらくソフィア自身も気付いていたのだろう。それだけに、どう答えて良いかが判らないのだ。
「一応、昨晩その部下達にはちゃんとわからせて、ソフィアへの攻撃はやめさせた筈だけれど。もう調子は問題無く本来のものへ戻っているかしら?」
「は、はい。そうですね―――大丈夫だと思いますが」
「それは重畳。誤解しないで欲しいのだけれど、別に私はね、公国を攻撃すること自体に対して、申し訳無く思う気持ちは一切持ち合わせていないのよ。部下が勝手に行動した結果、公国の要人や民草がどれほどに惨く殺されようとも、それ自体は全く構わないことだと思っているわ。だって、我が国に宣戦布告をしてきたのは、公国の方だもの。当然よね?」
そう告げてユリがにこりと微笑むと、ソフィアは急速に顔を青ざめた。
公国の首都近辺を『大雪』で満たした前科があるだけに。この相手ならば実際にやりかねないと―――おそらく、そう思っているのだろう。
「―――けれど、いかに敵国とはいえ『使者』を攻撃するのは間違っているわ。
だから部下があなたを勝手に攻撃してしまったことについては、国主として心より謝罪を申し上げるし、相応の『詫び』を用意するつもりもある」
「わ、詫び……ですか?」
「ええ。私にして欲しいことがあるなら、何でも口に出して望んでみなさい。私にとって無理がない範囲の望みなら、あなたへの『詫び』にそれを叶えてあげるわ」
「それでは、つまり―――公国との和睦を望むことも?」
「ええ。今回ばかりはソフィアから『痛み分け』の和睦を望まれたとしても、私は快くそれに応じる心積もりがある」
『黒百合』の子達としては、公国とは戦争状態が継続される方が望ましいと考えている様子だけれど。ユリとしては他国の使者へ攻撃を許してしまった―――外交儀礼を守れなかった自戒の意味も籠め、一度は無条件に公国との和睦を受け容れるつもりでいる。
アドスの妻であるエリンから聞いた話に拠ると、この世界で国家間が和睦を結ぶ場合には、大体5年か10年の停戦期間が条項に盛り込まれることが多いらしい。
もちろんユリは、その停戦期間を遵守する意志がある。『黒百合』の子達がどうしても公国を攻撃したいのなら、停戦期間が満了するまでは待って貰うことになるだろう。
「………」
ユリの言葉を受けて、ソフィアが沈思黙考する。
それを見て(一体何を考えているのだろう?)と、ユリは訝しく思う。
公国から和睦の使者として来ている以上、彼女が望むことなど『無条件の和睦』以外には有り得ないと、そう思っていたからだ。
だから一体ソフィアが何を考え、悩んでいるのか。ユリには判らなかった。
「それではひとつ、叶えて頂きたい望みがあります」
「ええ、何でも言って頂戴」
一体何を望まれるのだろうか―――と、少しだけユリは身構える。
望みを叶えてあげると口にした以上、それを違えるつもりはない。
愛する嫁達や、自国の臣民達に害を与える類の望みであれば、流石に受け容れるわけにもいかないけれど。それ以外であれば、大抵のことは叶えられるだろう。
「是非ともユリ陛下に、私のことを貰って頂けませんでしょうか?」
「………………えっ?」
意志の籠った双眸で、真っ直ぐにユリの目を見据えながら。
そう告げてきたソフィアの言葉を受けて、ユリは思わず声を漏らす。
流石に―――『貰え』という要求は、想定外だった。
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