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百合帝国  作者: 旅籠文楽
1章 -

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92. 賢明なる使者(前)

 


     [2]



 最早すっかり見慣れた、ユリタニアで泊まっている宿屋の個室の天井。

 それを見上げながらゆっくり瞼を開いた、その朝のソフィア・テオドールの目覚めは、普段とは全く違うものだった。


 いや、普段と違うという表現は、適切ではない。

 より正しく言うなら―――最近はずっと『普段とは違っていた』目覚めが、ようやく普段通りのものへと回帰したかのような、そんな心地だった。

 ソフィアは朝の目覚めは良い方だ。ベッドの上で数度の深呼吸を繰り返している内に、すぐに思考が活性化してきて―――。


「わ、私は一体、何をやっていたのですか……?」


 最近の自らの行いを振り返り、ソフィアは自らの額を押さえながら、思わずそう悲痛な声を漏らした。


 ここ半月ぐらいか―――もう少し長くて、大体直近の30日ぐらいだろうか。

 それぐらいの期間のソフィアの記憶は、どこか胡乱(うろん)なものだった。

 いや、胡乱という表現もまた、正しいものではない。意外にも記憶そのものは、はっきりとしているのだ。

 ただ、ソフィアにはどこか―――ここ30日間ぐらいの自分の行動が、あたかも自分のものでは無かったかのような。そんな違和感を覚えずにはいられなかった。


 まるで自分の身体が、自分ではない誰かに操られていたような―――そんな恐怖さえ感じられてしまう。

 少なくとも、振り返って思い出してみればみる程に。ここ30日程のソフィアの行動が、些かも『自分らしくない』ものばかりであったことは明らかだった。


 折角、百合帝国のユリ女帝へ直接の面会が叶ったのに、その機会を活かすことができなかった時にはもう、多分ソフィアはおかしかった(・・・・・・)

 思えば、あの謁見の場で。どうして自分が『痛み分け』の和睦を提案することに拘泥していたのか―――その理由さえ、今となってはソフィアには判らない。

 直接的な軍事衝突こそしていないとはいえ、公国の立場は事実上の『敗戦国』のようなものだ。それを思えば『痛み分け』という5分の提案ができる立場にないことなど、明らかであった筈なのに―――。


 百合帝国のユリ女帝は公国の宮殿にて催された先の夜会へ訪問した折に、ドラポンド公が過去に送っていた酷い挑発と侮辱が書き連ねられた親書への怒りからか、公国の首都の全域に『夏の大雪』を降らせていた。

 大雪と共に季節外れの極寒が公都デルレーンを襲い、市民に重大な被害が出た。

 積雪により公国内の各都市を行き交う行商人の動きが完全に麻痺し、塩を筆頭に様々な物品が首都で供給不足となり、市場価格は一気に高騰する羽目になった。

 また、大雪の範囲は広大であり、被害は公都デルレーンの周辺に位置する村落にまで及んだ。周辺村落で作付されていた農作物は、秋を迎える前に全滅することになり、今年の公国が深刻な食糧危機に見舞われることが目に見えていた。


 ―――不作による食糧危機は、普段であればそこまで深刻化することはない。

 国家が『人道的観点からの援助』を要請すれば、八神教がそれを拒むことは無いからだ。高司祭に援助を求めれば、公国の危機的状態が各地の八神教関連施設へと伝えられ、食料に余剰のある土地から速やかに食料が持ち込まれる。

 八神教は国家の垣根を越えて存在するため、各国の思惑がこれを掣肘することもない。平時の価格に輸送の手間賃を加えた程度の額で食料を購うことができ、特に問題とはならなかった筈だ。


 但し―――現在の公国は八神教から『破門』された状況下にある。

 『主神を蔑ろにした国家』のレッテルを八神教の教皇本人から張られた公国に、各国に設けられた八神教の大聖堂などが、救いの手を差し伸べてくれる筈も無い。


 このまま何もせずに冬を迎えたなら、公国内で日を追うごとに大量の餓死者が出ることは、火を見るよりも明らかだ。

 もはや百合帝国を相手に戦争を行うとかどうとか、そういうことを考えられる状況下にはない。公国はもう、戦わずして明らかに『()けている』のだから。

 現在の公国に出来ることは、大至急『百合帝国』に『敗戦国』としての立場から頭を下げて和睦を乞い、ユリ女帝に取りなして貰うことで八神教の教皇からも赦しを得る―――それ以外に、未来の公国へ襲い来る被害を抑える有効な術がないのは自明だった。


 だから若輩にも拘わらず、公国の中でも外政に実績を持つソフィアに白羽の矢が立てられ、全権大使として速やかに百合帝国を訪ねてきたのだ。

 ソフィアは父であるカダイン・テオドールから、ユリ女帝との和睦交渉へ臨むにあたって『任意の公国の都市を2つまでなら差し出しても良い』という許可が与えられている。

 任意の都市―――即ち、和睦交渉のテーブルには『公都デルレーンの割譲』さえ乗せても構わないというのだから、父の本気度が窺えるというものだ。


 先日の公国の夜会にはソフィアも参加していたけれど。夜会の場で少しだけ見たユリ女帝本人や、その周辺を固める側近の人達の姿は、理知的な人物であるように見受けられた。

 少なくとも頭を下げてきた相手を見て、増長するような人柄には見えない。

 なので公国の代表として来たソフィアが率先して頭を垂れ、自ら謝罪と共に首都を差し出す意志を述べれば、ユリ女帝から粗雑に扱われることもないだろう。

 ―――そう予測していたから。ソフィアは今回の交渉を、さほど難しいものでは無いと考えていたのに。

 なのに―――何故か『痛み分け』のみを提案してしまった、愚かな自分が居て。案の定、交渉の場から即座に追い出されてしまったのだから世話はない。


「なんたる失態でしょう……」


 思わずソフィアは、ベッドの上で頭を抱えた。

 ここ最近の自分が明らかにおかしかった(・・・・・・)とはいえ、あまりに救いようが無い。


 一体どんな顔で公国の民草や父に、結果を報告すれば良いだろうか。

 それが嫌に思えたせいなのかは判らないが―――未だにソフィアは、百合帝国の首都であるユリタニアに滞在を続けていた。


 交渉が決裂したなら、速やかに帰国して状況を国に通知するのが、使者の役目であることは言うまでも無い。

 『帰国して怒られるのが怖い』と感じるあまりにか、その程度の当たり前の行動さえできなかったというのだから―――全くここ最近のソフィア自身の精神状態は正に『異常』という他に言い表しようがなかった。


 そんな具合に、寝起き直後からソフィアが自責と後悔の念に囚われていると。

 不意に―――コンコンと、部屋のドアが二度ノックされた。


 おそらくは護衛の騎士の誰かだろう。ソフィアは個室を取っているため、使節の護衛を務めてくれている騎士達は、ソフィアの両隣に部屋を取っている。

 ソフィアが「どうぞ」と声を掛けると。案の定、すぐに使節団の護衛隊長を務めてくれている騎士、グレイスが部屋の中へと入ってきた。


「―――早朝より、も、申し訳ありません。ソフィア様、一大事です」

「一大事、ですか……?」


 百合帝国との和睦交渉が見事に決裂した現在の状況以上の一大事など、果たして存在するだろうか。―――内心でそんなことを思いながら、ソフィアはグレイスの言葉に鸚鵡(おうむ)返しに応える。


「ユリ陛下が、ソフィア様への面会を希望しておられます」

「―――ユリ陛下が!?」


 グレイスから告げられた予想外の言葉に、ソフィアは大きく驚かされた。

 通常であれば、交渉の場から一度追い出された使者が、再び相手国の国主や重臣へ面会を願い出たところで、それが叶うことはない。

 門番の兵に相手にされず、取り次ぎ自体を行って貰えない場合が殆どだろう。


 だからソフィアはもう、交渉が決裂してしまった以上は速やかに公国へ帰国し、顛末を報告するしかないと、そう考えていた。


 けれども―――交渉相手の方から面会を希望してくれるのであれば、当然ながら話は違ってくる。再びユリ女帝と対話する機会が与えられるのだ。

 微塵も残されていなかった筈の再交渉の余地が、降って湧いた―――。


「すぐにでも宮殿を訪ねさせて頂きます、と使者の方に伝えて頂戴」


 もちろん先方からの面会希望に対し、否やがあろう筈も無い。

 失態を取り戻す千載一遇のチャンスに、ソフィアは心の中で歓喜の声を上げた。


「い、いえ。ソフィア様、それが」

「………? 報告は簡潔にお願いしたいわ?」


 普段は何事にも冷静に対処するグレイスが、しどろもどろな口調になっている。

 なんだか珍しいものを見た気がして、ソフィアは不思議な気持ちになった。


 グレイスはソフィアがもっと幼かった時分より、親交のある騎士のひとりだ。

 普段から常に冷静を保って行動するグレイスの姿を見ながら育ったソフィアは、それに憧れを抱き、そうした自分になれるよう努めながら生きてきたのだが。


「ユリ陛下が自ら―――この宿にまで、いらっしゃっています」

「………………はい?」


 女帝が自ら、他国から訪問してきた一介の使節に過ぎないソフィアへ会う為に、わざわざ宿にまで足を運んできた。

 その事実が持つ意味の大きさを瞬時に理解したソフィアは、目の前のグレイスが普段の冷静さを失うのも無理はないと思ってしまう。―――と同時に、自身もまたその冷静さを保つことができなくなった。


 それでも、ソフィアが1分ほどで混乱した思考を沈静化することができたのは。偏に、目の前にソフィア以上に狼狽しているグレイスの姿があったからだろう。


 自分以上に混乱している相手が目の前にいると、意外に冷静になれる。

 ―――そのことをソフィアが、人生で初めて学んだ瞬間だった。


「お待たせするわけにはいきません。すぐに応対致します」

「はっ! それではユリ陛下をこちらへお連れ致します」

「いえ、私自ら出ますので、陛下をご案内する必要はありません。先方が直接足を運んで下さった以上は、私が直接お迎えすることが最良の対応でしょう。

 ―――グレイス、着替えを手伝って下さい。流石に寝間着の姿のまま、応対するわけには参りませんので」

「し、承知しました!」


 手早くドレスに着替えながら、ソフィアは最近の事を可能な限り思い返す。

 ここ30日のソフィアは、まるで『自分ではなかった』かのように、愚かな思考しか出来ない人間であったようだけれど。幸いというべきか、愚かであった期間のことについても、記憶自体ははっきりとしていた。


 ソフィアは神都ユリタニアに滞在している間、ユリ女帝が『放送』している映像を毎晩のように視聴してきた。

 だから現在ではこの百合帝国を訪問してきた当初とは異なり、『放送』を通してユリ女帝の人柄についてもそれなりに知悉できているつもりだ。


 彼の女帝は―――敵味方を明瞭に区別する嫌いがあり、刃を向ける相手には苛烈な面を見せる一方で、味方に対してはとても甘い性格のようだ。

 また、女性でありながら根っからの『女好き』らしく、大人から子供まで老若を問わず、相手が『女性』でありさえすればどんな相手にも分け隔てなく愛情を向けるような節がある。


(―――ああ。だからお父さまは、私に交渉役を命じたのですね)


 今更ながらに、ソフィアはそのことを理解する。

 確証まで持っていたわけではないだろうけれど。おそらく父は何らかの伝手で、ユリ女帝が『女好き』である可能性を知り得ていたのだ。


 そうでもなければ―――今回の交渉にはおそらく、父自ら出ていたに違いない。

 ソフィアも公国の外政役としては、一定の実績を持ってはいるけれど。それでも若輩者である以上は、父カダインが過去に挙げてきた数々の外政功績に較べれば、微々たるものでしかない。

 なのに敢えて娘であるソフィアに交渉役を任せ、護衛の騎士達も全て『女性』で揃えたのは。そうすることが交渉の席で幾許かの武器になるかもしれないと、父が考えたからに違いない。


 ―――貴族の娘というものは常に『交渉材料』として使われるために存在する。

 公爵令嬢であるソフィアは、当然そのことを教育により理解していた。


 公爵家の娘として生まれた自分が、いつか何らかの形で『他国との交渉材料』として使われる未来など、ずっと昔から覚悟してきたことだった。

 そして―――それを活かすべき絶好の機会が、いま正にソフィアの目前にある。


 交渉が成功する目が、少しだけ見えてきたかもしれない―――。

 失態を取り戻す機会が巡ってきた僥倖に、ソフィアは自分を奮い立たせた。





 

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お読み下さりありがとうございました。

(年度末の多忙状態は無事に解消致しました)

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― 新着の感想 ―
[一言] お持ち帰り事案発生かな? それとも「夕べはお楽しみでしたね」かな?
[良い点] 更新乙い [一言] そして明かされる衝撃の真実
[一言] ハイパーアホの子と化した令嬢さんが留まっていた理由がまさか「叱られるのが怖かったから」だったとは。 それ知ったらユリさんめっちゃ萌えそう
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