88. 新都市計画進捗(南部/中)
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「お姉さま。この『迷宮地』とは、一体どういう場所なのでしょうか?」
新都市南側の『迷宮区画』の、その一角に建設されているカフェを予定している店舗の一席に腰掛けて。
エシュトアが『初級者向けⅡ』の難易度に区分された迷宮地を探索するアルトリウス一行の映像を眺めながら、そうユリに問いかけた。
つい先程までは善哉を食べるのに夢中で、エシュトアはその映像を碌に見てもいなかったのだけれど。
流石に焼き餅入りのものと、白玉入りのものをそれぞれ一杯ずつ食べ終わると満足したらしく、今は一転して食い入るように映像を眺めていた。
彼女の食べっぷりがあまりに見事だったものだから(もしかすると聖職者というのは全員が健啖家なのでは?)と、ユリは一瞬だけ疑念を抱いたりもしたけれど。
流石にエシュトアは、ちゃんと加減を知っているようだ。―――少なくとも先日の屋台で善哉を6杯も平らげてくれた、バダンテール高司祭よりはずっと。
「そうね……自分の戦いたい強さの魔物とだけ戦える、便利な『訓練所』のようなものと思って貰えると良いかしら。
例えば、この『初級者向けⅡ』を探索する上での推奨レベルは『21~35』になっているのだけれど。ここの迷宮地は全部で5つの階があって『地下1階』ではレベルが『21~23』の魔物だけが、『地下2階』ではレベルが『24~26』の魔物だけが、という具合に、階ごとに決められたレベルの魔物だけが配置されているのよ」
「なるほど。つまり特定の階を探索することで『戦いたい強さの魔物とだけ戦う』ことが可能なわけですね」
「ええ。『地下1階』なら魔物のレベルがアルトリウス達とちょうど同じぐらいになるから、戦って苦戦することは少ないでしょうね。同格の魔物が相手なら、知恵が回る分だけ基本的には探索者の側が有利だもの」
「確かに猊下はここまで、全く苦戦していらっしゃいませんね」
エシュトアが善哉を食べていた間に、アルトリウス一行は既に2度の戦闘を経験している。
1戦目は3体のウルフが相手で、2戦目はゴブリン戦士1体と大蜘蛛2体が相手だった。
いずれの戦闘でも盾役のアネットが2体の敵を食い止めている間に、残る1体をアルトリウスの剣術とサルムの攻撃魔術で速やかに殲滅し、あとは人数優位を生かして危なげなく勝利している。
低レベル帯の魔物は特に、何も考えずに突っ込んでくることが多いから。事前に役割分担さえきっちり決めておけば、人間側の優位が崩されることは少ない。アルトリウス達の戦い方は、教科書に載せたいほど理想的な戦い方だと言えた。
「ところで、お姉さま。探索中の皆様の頭上に表示されている、緑色と青色の線は一体何なのでしょうか?」
「ああ、そういえば説明していなかったわね。えっと、どう説明したものかしら。
簡単に言うなら―――緑色の線は『あとどれだけ魔物の攻撃に耐えられるか』を判りやすく示したものになるわ。敵から攻撃を喰らうと、あの緑色の線が少しずつ短くなっていくのよ」
「もし緑の線が短くなり過ぎて、最後には無くなったらどうなるのでしょう?」
「死ぬわね」
「死……」
即答したユリの言葉に、エシュトアが瞬時に顔を青ざめさせた。
ちなみにこの『緑の線』とは、つまりゲームで言う『HPバー』のことだ。
視聴している人達に探索者の状況が判り易いように、ユリは『カメラ役』を務める使役獣に『竜胆』が開発した魔導具を持たせて、探索者や魔物の『HPバー』が常に視聴者からは見えるようにしている。
言うまでも無くこれは、迷宮地を探索している当人達には見えないものだ。
「もちろん都市に張っている【救命結界】が助けてくれるから、実際には緑の線が無くなっても『死なない』わけだけれどね。その場合は魔物に負けたという扱いになって、強制的に迷宮地の入口へ戻されるわ」
「そ、そうでしたか……。では安全ですね」
「ええ、安全よ。『死ぬほど痛い目』を見ることを除けばね」
くすりと微笑みながら、ユリがそう告げると。
エシュトアは青ざめた顔のまま「……わぁ」と小さく震えた声を漏らした。
本当は痛みを軽減する結界などを用いて、魔物から怪我を負わされたり殺された際に感じる痛みを小さなものに留めようかとも、一度ユリは考えたのだけれど。
けれど、その構想は意外なことに『人が痛みを感じること』に対して誰より敏感に反応するリュディナ本人から、明確に反対されてしまった。
彼女からすれば『迷宮地』で何度も体感したことで『死』を軽視したり、怖れない人間が出ることの方が好ましくないらしい。
だから寧ろ、迷宮地で探索者が死を迎えた場合には、容赦の無い『死の痛み』をデスペナルティとして与えて欲しいとさえ要望されていた。
リュディナは無用の苦痛に苛まれる民に救いを与える、慈悲深い女神だけれど。一方で、ただ人に甘いというわけではない。
戒めるべき所は、きっちり戒める考えを持っているようだ。
「もちろん『緑の線』が減った分は、治療魔法を掛ければ戻すことができるから。戦闘が終わった後などに、魔物から負わされたダメージを適切に治療しておくことが『死なない』為には肝要になるかしら」
「それだと〔神官〕なしで迷宮地に挑むパーティは、大変そうですね」
「今後は『天職』ではなく『職業』のほうで〈神官〉を選んで、治療魔法を使えるようになる人も増えるでしょうから、問題無いのではないかしら」
「あ、それもそうですね」
ユリの言葉を受けて、エシュトアが何度も頷いてみせた。
それに―――これはまだ『放送』では言えないことだけれど。迷宮地にランダム出現する宝箱からは、傷を治せる『霊薬』が得られやすいように設定している。
最初の頃は、貴重なものとして霊薬は高値で取引されるだろうけれど。ある程度の時間が経って、霊薬が迷宮地から安定して産出される品である事実が広まれば、それなりに入手しやすい市場価格にまでは推移する筈だ。
そうなれば市場で霊薬を都合して、治療魔法の使い手を伴わずに『迷宮地』を探索することは、ずっと容易になるだろう。
「あ、今度の敵は1体だけみたいです。運が良いですね!」
エシュトアの声を聞いて、探索映像を眺めてみると。単独行動していたウルフをアルトリウス一行が狩ろうとしている場面が見て取れた。
確かに普通ならば、数に勝った状況で戦闘を開始出来れば、圧倒的な優位を作り出すことができるだろう。
けれど―――『百合帝国』が作る『迷宮地』は、そんなに甘くはない。
「でも、すぐに一番近くにいる魔物が2体増援に駆けつけて来るわよ?」
「……えっ。そうなのですか?」
「ええ。この『迷宮地』はそういう風に作ったからね」
数の優位がある戦闘は公平ではない。
―――そう思ったので、ユリは探索者よりも魔物の側が少ない状況で戦闘が開始された場合には、自動的に最も近くに居る他の魔物が応援に向かう『仕様』を組み込んでおいたのだ。
今回は探索者が3人に対して、魔物は1体だけ。
なので個体数の差を補うために、襲われたウルフから最も近くに居る『2体』の魔物が、即座に応援に向かう。
但し、魔物が応援に向かうのは『各戦闘の開始時に1回だけ』だ。
なので応援に来る2体の魔物が到着する前に、目の前のウルフ1体を上手く倒すことができれば、数の優位を維持する事ができるし、それ以上は追加で応援の魔物が駆けつけてくることもない。
そういう意味では、やはり敵の数が少ない状況で戦闘を開始出来るというのは、相応に有利なことでもある。
「後ろから1体来ます!」
探索者パーティの後衛を務めるサルムが、悲痛な声で仲間にそう警告する。
応援には必ず『最も近くにいる魔物』が駆けつける。
―――つまり応援に来る魔物は、必ずしも探索者の前方から来るとは限らない。
今回はサルムがすぐに察知できたから良かったが、背後から応援に駆けつけてきた魔物に気づけなかった場合には、手痛い奇襲を貰うことも有り得るだろう。
「……もしかしてこの迷宮地って、あまり大勢で挑むと却って危険ですか?」
「あら、流石はエシュトア。察しが良いわね」
エシュトアはニムン聖国の『聖女』でありながらも、レベルを『64』まで上げた猛者でもある。戦闘経験が多い彼女には、すぐに気づくことができたのだろう。
普通であれば魔物を相手にする際には、多勢を集めた方が優位なのは間違いない事実だが。この『迷宮地』では探索者が10人纏まって潜れば、魔物側も10体を必ず揃えて戦おうとしてくることになる。
そうなれば当然、前後から挟撃されての戦闘になることも多い。
魔物に前後両面を挟まれ、退路を塞がれている精神的ストレスは尋常ではない。包囲状況下でも平静を維持して戦える探索者は少ないだろうから、それだけ危険を多く伴うことになるだろう。
「逆に言えば、1人や2人で挑むのは大いにアリだったりするわ」
「―――つまり、逆も有り得る?」
「ええ」
エシュトアの言葉に、ユリは頷きながら答える。
数の優位がある戦闘は公平ではない。―――その法則で言うなら当然、魔物の側が多勢であるのもまた、許されることではない。
なので魔物側が多勢の時には、個体数に勝る分だけ魔物が自動的に『逃げる』ような『仕様』も組み込んである。
だから単身で迷宮地へ潜る場合は、一度に2体以上の魔物と遭遇しても、1体だけを残して他の魔物は即座に撤退する。
常にタイマンで戦うことができるので、実力に自信を持っている人にとっては、下手にパーティを組んで戦うより却って楽かもしれない。
「今回みたいな3人パーティというのも、丁度良い人数かも知れないわね。前衛が2人居れば、魔物に挟まれても上手く対処できるから」
「そうですね。結局この戦闘も問題無く勝てそうです」
応援のウルフが前後から1体ずつ駆けつけてきたにも拘わらず、アルトリウスのパーティの布陣が乱れることは無かった。
元々居たウルフと、前方側から応援に来たウルフの2体をアネッサが盾を駆使して食い止めている間に、後方から来たウルフをアルトリウスが受け持ち、彼の剣術とサルムの攻撃魔法で即座に始末する。
それが終われば、後は3人掛かりでアネッサが受け止めていたウルフ2体を相手に優位を活かした戦い方ができるので、特に苦戦らしい苦戦もしなかった。
「全く危なげのない戦いをされるというのも、面白みが無いわね」
「そうですか? 猊下が実際に戦っている光景が見られるというのは、聖国の一員として、ちょっと感動的でさえあるのですが」
「ああ―――それもそうね。ごめんなさい」
確かに、普段は姿を見ることさえ滅多に叶わない国主の、それも戦闘している姿が見られるのであれば、国民からすればまたとない貴重な機会だろう。
ユリからすれば面白みに欠ける戦闘風景だけれど、聖国の臣民からすればエシュトアの言う通り、それこそ感動さえ覚えるものに見えてもおかしくはない。
「こうして映像を見ながら応援できるのって、とても楽しいです!」
「そう、それなら良かったわ」
何にしても、エシュトアが楽しんでくれるならば良いことだ。
ユリはそう思って、微妙に不満が残る自分の心を慰める。
迷宮地の中には、可愛らしい女の子の姿をした魔物も多数配置してある。
遭遇してくれれば、ユリも映像を視聴しながら全力で応援できるのに―――と、内心でそう思っていることは、もちろん口に出したりはしない。
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