09. 占領直後の都市放棄事案
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「あるじ様~。この都市は放棄してしまっても良いと思うのですが~」
朝、ベッドから起床して着替えた後、部屋を出た直後に『紅梅』の隊長を務めているホタルを見かけたので、彼女を誘って一緒に食堂で朝食を摂っていると。
〈神霊依姫〉職業の制服とも言える巫女服を身につけたホタルは、普段はピッと立てている自慢の狐耳を、今日ばかりはしなっとヘタらせながら弱音を吐くかのようにそう口にしてみせた。
「とうとうホタルまでそれを言い出したかあ」
その言葉に、思わずユリは苦笑させられてしまう。
ユリ達が占領した要衝都市ニルデアへと入り、都市の中央にある領主館の中で生活をするようになって今日で3日目になるけれど。この3日の間に、かれこれもう10人以上からユリは似たようなことを提案されていた。
都市を占領したこと自体について、何か問題が生じたというわけではない。
防備に絶対の自信を持っていた(らしい)ニルデアの都市を瞬く間に制圧したことと、この世界では『災厄級』と呼ばれ怖れられているらしい『竜』をユリ達が騎獣として数多く使役していること。
この2つを大変な脅威だと感じたらしく、征服者が一変したにも拘わらずニルデアの市民達は誰もが『百合帝国』に対し速やかに恭順の意を示してくれていた。
今のところ都市に混乱は見られず、都市内では喧嘩のひとつさえ起きていない。
大変平和で良いことだと思う。
ただ、混乱は無くとも別の問題はあって。
それは―――ニルデアの都市全体に蔓延する『悪臭』の酷さについてだ。
とは言っても、別にニルデアだけが特別に臭い都市というわけではないらしい。小規模な村落などは別としても、ある程度人口が過密している大都市ならば大抵は『悪臭』の問題に悩まされているそうだ。
ニルデアを含めて、この世界の都市部では排泄物や生活汚水を家庭ごとに甕の中へ保存しており、それが一杯になると回収業者に手間賃を払って甕ごと処分して貰う方式になっている。
回収業者は預かった甕を荷馬車に積んで都市外へと運び、少し離れた場所で甕ごと投棄し、土魔法で埋めることで処分しているらしい。
この甕はどの家庭でも、基本的に建物の外に設置している。
悪臭を放つものを家屋の中に置きたくないと考えるのは、誰でも同じということだろう。一応『汚物を入れる甕には必ず蓋をすること』と法律で決まっているらしいのだけれど、ちょっと乗せた蓋程度で匂いを密閉できる筈も無く、結局は都市のどこかしこからも悪臭は漏れ出している。
しかも都市内には、甕の処分費用をケチる人も結構居るという話だ。
そういう人は汚物で一杯になった甕を、自分の家から少しだけ離れた路地などに放置することで処分する。都市の大部分には街灯もないので、夜に行動すれば人目を避けて甕を処分することぐらい簡単にできてしまうのだ。
その結果、とりわけ路地の袋小路になっているような場所には、様々な家庭から不法投棄された甕で溢れかえった、汚物の吹きだまりができてしまっている。
勝手に集積された甕が風雨に晒されて割れ、悪臭の源となりながら放置される。そうしたことが都市の悪臭をより深刻化させる原因となっているようだ。
「そもそも、汚物を生まねば生きられないということ自体が、ホタルにはちょっと理解できないですけどね~」
「あはは……」
ばっさりと言い切ったホタルの言葉に、ユリはより苦笑を深める。
『百合帝国』の皆は、誰ひとりとして生きる上で排泄行為を必要としない。
何故ならユリを含む全員が『ゲームのキャラクター』だからだ。
『アトロス・オンライン』には『空腹度』の概念があり、食べ物を摂取しないとキャラクターが徐々に弱っていく。なのでユリ達はこの世界でも食べ物を摂取しなければ同じような状態に陥ることだろう。
また、ゲームからログアウトする際には宿屋などの拠点でベッドに横になる必要があるのだが、この状態を1日に6時間以上維持しないとキャラクターは『睡眠不足』の状態異常に陥る。なのでユリ達はこの世界でも1日に6時間以上の睡眠をしなければ健康なままではいられない。
でも、ユリ達には排泄行為を行う必要が無い。食べ物は必要だけど、水は摂取しなくても全く支障がない。一切眠らず、一晩中本を読んだりお喋りをしていても、ベッドに横になってさえいれば睡眠不足に陥ることもない。
何故なら、ゲーム上でそういう『仕様』になっているからだ。
日本で生活していた経験を持つユリを除けば、『百合帝国』の皆にとっては排泄行為なんて必要無いのが当たり前。
だからホタルがそれを『理解できない』とバッサリ言い切ってしまうのも、ある意味では仕方ないことではあった。
幸い、この領主館の中だけは『悪臭』の被害から護られている。
結界魔法を得意とする紅梅の子達が、占領後すぐに【浄化結界】を展開してくれたからだ。結界内ではあらゆるものが常に『浄化』されるので、この領主館の中で過ごす分には鼻が曲がるような思いをすることもない。
「ホタル、ちょっと聞きたいのだけれど。例えば【浄化結界】をこの都市の全域に掛けるようなことはできないの?」
「都市全部を結界で包むということですか~? 不可能ではないですが……」
「難しい?」
「あるじ様がやれと仰るならやりますけれど~。『蒼魔石』を大量に消費することになると思いますから、あまりお勧めしませんが~?」
「大量って、どのぐらいかしら?」
「具体的には計算してみないと判りませんが。都市全部を包むほどの規模ともなりますと、たぶん2万個は消費するかと~」
【浄化結界】は結界魔法の中でも、ややランクが高めの部類になる。そして当然ランクが高めの結界を展開・維持するためには、相応の素材が必要となる。
蒼魔石は『リーンガルド』に生息するレベル120以上の水属性の魔物を討伐した際に5%程度の確立で得られる、そこそこ希少な素材だ。
いま『百合帝国』に備蓄されている量は大体5万個。2万個という消費量は半分にも満たない量ではあるけれど……。
「再入手が難しい以上は、ちょっと許容しがたい量ね」
「ですよね~」
まだこの世界では『リーンガルド』に生息していたのと同じ魔物個体が確認されていない。しかもレベル120どころか、その半分のレベルを持つ魔物さえ確認できてはいないのだ。
つまり―――この世界では蒼魔石が新しく確保できないかもしれない。
今後ずっと備蓄分だけで遣り繰りしなければならない可能性があるので、消費に際しては慎重になる必要があるのだ。
しかし、だからといって悪臭問題は看過できる問題ではない。
そもそも『悪臭』だけで済んでいるのなら、まだ幸運な状態であることをユリは知っている。というか世界史を学んだことがあれば誰でも知っていることだ。
悪臭とは結局、都市の『不衛生』から生じる問題。不衛生な状態が続けば、それは確実に『病の温床』となる。かつて『汚物は投げ捨てるもの』精神を地で行ったパリの街が、不衛生の深刻化によってどのような末路を辿ったかは最早語るまでもないことだ。
―――とはいえ、都市を放棄するか否かの二択で考えるのはあまりに極端。
(こういう時は別視点からの意見が欲しい所ね)
素人がどんなに悩んでもなかなか解決できない物事も、ちょっとした縁で意見を頂戴した専門家が、一瞬のうちに解決してくれることなんてざらにある。
都市が抱える問題は、都市を造れる技術の持ち主に訊くのも良いかもしれない。
「メテオラ」
『はい、姐様』
「悪いけど食堂まで来てくれないかしら。あなたの意見が聞きたいわ」
『承知しました。30秒で伺います』
ギルドチャットで『百合帝国』の建築担当である『桔梗』隊長のメテオラを呼び出すと、果たして彼女は自ら宣言した通り、ちょうど30秒後に食堂へとやってきた。
種族が『地底種』であることが判る特徴的な矮躯の、どこかあどけない顔立ちの少女。普段は髪を纏めていることが多いのだけれど、今日は領主館の中でゆっくりしていたせいか、紫色の髪を腰まで垂らしているのが何とも可愛らしい。
「メテオラはこの都市について、どうすべきだと思う?」
その少女に、ユリは早速問いかける。
地底種とは、他のファンタジー小説やゲームで言う『ドワーフ』に相当する。彼の種族は『鍛冶』や『建築』について深い見識を持っている。
「はい、姐様。放棄が最も賢明かと存じます」
「……そう。あなたも同じ意見なのね」
メテオラの言葉を受けて、ユリは少しだけ落胆してしまう。
するとメテオラは、その反応こそが心外だとばかりに話を続けた。
「どの方と同じ意見なのかは存じませんが……。この都市の悪臭問題とは、つまるところ甕の中に汚物を溜め込むという風習自体が悪であり、根本的な解決を目指すなら他の処理方法への移行を目指すべきかと愚考致します。
端的に申し上げるなら『下水道』を作れば解決する問題ですね。各家庭で生じる汚物を流した排水を一箇所に集め、その部分にのみ【浄化結界】を展開する。これならば結界魔法の展開と維持に伴う魔石素材の消費も最低限で済みます」
「あら……。ごめんなさい、どうやら私の早合点だったみたい。流石は〈建匠〉だけあって、よく考えているわね。でも、どうしてあなたは解決案まで持っているのに、都市の放棄を提案するのかしら?」
「既にある都市に後から『下水道』を追加するのは、あまりにも大変だからです。それよりは最初から上下水道を敷設した新しい都市を建造し、現在ニルデアに住んでいる市民を移り住ませるほうが、我々『桔梗』からすると楽に思えるのです」
「なるほど、とても参考になるわ。でも2万2000もの人達が移り住める都市を新たに造るとなれば、それはそれで資源の消費が結構な量にならないかしら?」
都市や建物を造る際には、当然ながら木材や石材が、場合によっては金属なども必要となる。
蒼魔石と違って、この手の資源ならこちらの世界でも調達は可能だろうけれど。そもそも一般資源については、残念ながら備蓄量自体があまり多くはない。
「えっと……お言葉を返すようで申し訳ありません。まずニルデアの人口についてですが、現在は2万400人程度まで減っております」
「……ああ、そうだったわね。ごめんなさい」
ニルデアの人口は侵攻前の時点でおよそ2万2000人だったが、そのうち軍籍に属していた1400名は殺処分することで平定したため、現在は2万400人にまで減少している。
人口が少し余分に減っているのはニルデアの『掃討者ギルド』と言う、いわゆるライトノベルに於ける『冒険者ギルド』のような役割を担う組織から、都市の守護兵に与する者が現れたためだ。
大した強さも持たない有象無象ばかりだったので、特に侵攻の妨げになるようなことは無かったけれど。当初の想定よりも余分に人的資源を失ったのは、少しだけ残念ではある。
「それと資源の消費についてですが、石造りをメインとする都市建造を行うなら、石材は巌魔鳥から補えますので消費を抑えることができます」
巌魔鳥は飛行速度が遅い上に戦闘能力も低い魔物だが、そんな魔物を『桔梗』が敢えて騎獣にしているのには、当然相応の理由がある。
巌魔鳥は『石化能力』を持つ魔物なのだ。生物であろうと無生物であろうと、魔力を消費さえすれば望む対象を『石化』させることができる。
この能力を利用すれば土砂から石材を作り出すことが可能となるので、事実上、石材に関しては使い放題になる。但し、石化能力は行使時に魔力をそれなりに多く消費するので、1日に生産できる石材の量には限りがあるが。
「良い話ね。その場合、どのぐらい時間が掛かりそう?」
「そうですね……普通に造るだけなら1ヶ月でやってみせますが。どうせなら世間の噂になるぐらい美しい都市を造ってみたいと思いますので、倍の2ヶ月を掛けて挑戦させて頂けないでしょうか」
「いいわ、やって頂戴。場所はそうね……この都市を流れる河川の、上流側が良いでしょう。どうせなら河川を巧みに利用した美観都市にして貰えると嬉しいわ」
「確かに承りました。建築に際しては竜胆にも協力頂いても?」
「許可します。クローネには私から話を通しておきましょう」
「ありがとうございます、姐様!」
『百合帝国』が誇る建築部隊の『桔梗』と、生産部隊の『竜胆』。
その合作ともなれば、ユリとしても俄然興味が湧く。2ヶ月後に一体どんな都市が出来上がるのか、今からとても楽しみだ。
「……では後2ヶ月も、この『悪臭』を耐えねばならぬのですね~」
もっとも―――期待に目を輝かせるユリとは対照的に。
あと2ヶ月『悪臭』と戦わなければならないことを察したホタルの表情は、何とも複雑そうだったけれど。
お読み下さりありがとうございました。
前話でも誤字報告機能での指摘、ありがとうございます。大変助かります。




