80. オーレンス・ヘイズ
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「邪魔するよ」
ユリタニア宮殿の応接室へと案内された老齢の女性―――オーレンスは、部屋に入るなりユリに向けてぶっきらぼうにそう告げた。
国主に対する礼節を欠いたオーレンスの物言いに、彼女をここまで案内してきたシャウラが露骨に顔を顰めてみせるけれど。ユリからすれば、別に気にするようなものでもない。
「いらっしゃい、オーレンス。ヘイズ商会の会頭が私に何か御用かしら?」
「ヒヒ……。流石に娼館の経営者ぐらいは、調べてあるってことかい?」
「あら、何のお話しでしょう?」
逆に問い返してきたオーレンスの言葉を、ユリはくすりと笑って受け流す。
一目見て判ったが、この人は―――ルベッタやアドスには劣るかもしれないが、それでも間違いなく辣腕の商人だ。
この手の老獪に対して自分の感情を見せることは、害にはなっても利となることはない。だからユリは貼り付けた笑顔で応対することにした。
「しかもあんたは、見た目通りの年齢じゃあなさそうだ」
「まあ、そこは否定しないわ。それでもオーレンスよりは若いと思うわよ?」
「ヒッヒッ。こんな年嵩のババアに較べれば、そりゃあ若いだろうさ」
ユリの言葉に、愉快そうに老女は笑んでみせる。
その反応を見て、ユリはオーレンスに対して率直な好意を抱いた。
敬愛する祖父もそうだったが―――良い歳の重ね方をした人は、自身の年齢を恥じることがない。オーレンスが浮かべる笑みの中には、幾許かの謙遜こそ混じっているようだけれど、そこには人生を重ねた分だけ厚みのある誇りが感じられた。
「ところで、本日は私にどのようなご用件なのかしら? 先に断っておくけれど、周知の通り商人の方からの進物ならお断りしているわよ」
ユリタニアに移住する前の、ニルデアの領主館で執務をしていた頃からそうなのだけれど。国主であるユリの元には、やたらと進物持参で訪ねてきては、自分に対して便宜を図って貰おうと画策する商人が多かった。
いちいち対応するのがすぐに面倒になったので、ユリは放送を通じて『進物持参で領主館を訪ねてきた商人は叩き出す』旨を市民に対して周知している。
周知後に進物を持って訪ねて来た商人は、例外なく叩き出してきた。なのでオーレンスもそうであるなら、もちろんユリは同様に対処するつもりだ。
「潔癖だねえ……。いや、国主としては理想的なんだろうけどさ。
今日はあんたに礼を言いに来ただけだよ。本当は謝礼の品のひとつぐらいは用意したかったんだけれど、叩き出されそうで持って来られなかったんだよねえ」
「賢明な判断ね。持ってきていたなら、きっと叩き出していたことでしょう。
ところで―――礼というのは、一体何に対してかしら? 生憎とオーレンスから礼を言われるようなことは何も、心当たりが無いのよね」
「ヒヒッ、しらばっくれるんじゃないよ。半月ちょっと前ぐらいから、俄に娼館を利用しに来る客が増えたのは、あんたの差し金だろう?」
「……どうしてそうお思いに?」
「娼館を利用しに来る女性客ってのは、まあ普段から全く居なくはないけれどね。それでも圧倒的に少数派なのは間違いない。そんなのが日に何十人も挙って娼館に来るようになれば、流石に私だって違和感ぐらいは持つよ」
「ああ……それは、そうよね……」
元王国の密偵の人達は、全員が女性だ。元々は男性も居たのだけれど、そちらは『黒百合』の子達の養分にしたので、もう肉片も残ってはいない。
「でも、それだけでよく私の手の者だと判ったわね?」
「女性利用客の殆どが、話し方に王国特有の訛りを持っていたからね。
最初は王国の密偵がユリタニアに来て、娼館で情報収集をするつもりなのかとも考えたけれど……現状の王国にそんな余裕があるとも思えない。だったら元々王国の兵士だったヤツらを、今はこの国の主が手駒に使っている―――と考える方が、自然かと思ってね」
「よくもまあ、その程度の情報で……。オーレンスは大した慧眼の持ち主ね」
「ハッ! こんなババアを褒めたって、何も良いことなんかないよ!」
賞賛されることに慣れていないのか、むず痒そうにオーレンスがそう言い放つ。
祖父もよくそんな反応をしていたので、ユリは却って好感を抱いたけれど。
「しかしまあ、お陰で娼館の経営が持ったのは事実さ。一時期はかなりヤバくて、雇っている子達に満足な給金が払えなくなりそうだったからねえ……。
ありがとうね、あんたのお陰でとても助かったよ」
「わざわざ礼を言いに訪ねて来るなんて、オーレンスは律儀なのね」
「娼館経営ってのは、その全てが人と人との関わりでだけ成り立っている世界さ。他人に対する筋も通せない人間が、続けていけるような甘い世界じゃないんだよ」
「ふむ……。なるほど、含蓄に富んでいるわね」
娼館経営だけで長年やっている商人の言葉と思えば、なかなか重みがある。
確かに娼館というのは人同士が、肉体的にも精神的にも深く交わる場所だ。それを商売にしようというのであれば、商人側に相応の誠実さと理念が備わっていなければ、客にそっぽを向かれるのは早そうに思える。
「にしてもあんた―――私達みたいに世間から嫌われている商売の担い手を、わざわざ恩を着せない形で支援しようだなんて、粋なことをするじゃないかい」
「それで結果的にあなたにバレているのだから、世話がないわね」
「ヒヒッ、違いない!」
ユリが肩を竦めてみせながら応えると。
それを見てオーレンスは、くつくつと愉快そうに笑みながら肩を揺らした。
「私は別に娼婦に対する偏見は持ち合わせていないし。それに放送を見ているなら知っていると思うけれど、女性に目が無いからね。支援ぐらいはするわよ」
「なるほどねえ……。だったらいつか娼館に遊びに来な。うちの若いのにたっぷりサービスさせてあげるからねえ」
「ふむ。その娼館では、あなたを指名することも可能なのかしら?」
「………………はあ?」
ユリの言葉を受けて、オーレンスが目を丸くする。
「冗談を言うなら、もう少しは気が利いたものにしておくれよ……。流石にそんなことを堂々と言われても、ちょっと笑顔にはなり辛いねえ」
「でもオーレンスは、若い頃はかなり美人だったんじゃない?」
日本人の感覚で見ても、オーレンスの年齢は70台後半ぐらいには達してそうに見えるけれど。彼女は背筋が綺麗に伸びており、またかなりの歳を重ねているにも拘わらず、身体のラインもそこまで崩れてはいない。
無数に刻まれている皺さえなければ、顔だって相当な美人の筈だ。少なくとも、多数の同性を品定めしてきたユリの感性は、そう判断している。
「そりゃ……まあ、ね。50年も昔なら、それなりの容貌はしていたつもりさ」
「だったら何も問題無いわ。私が貴方を若返らせてみせましょう」
「冗談―――では、無さそうだね。少し前から商人ギルドに、『国と癒着している一部の商人が若返っている』という噂があるけれど、あれは本当だったのかい?」
「あら、知っているなら話が早いわ。オーレンスの言う通り『ロスティネ商会』のルベッタや、『トルマーク商会』のアドスを若返らせたのは私よ。まあ……正確に言えば、私の部下が作った薬の効能によるものだけれど。
―――オーレンス、提案があるわ。貴女の分の『若返りの薬』も用意するから、私のモノになって頂戴。もちろん仕事の意味でも、個人的な意味でもね」
ルベッタとアドスという智者を欠いている現在、辣腕の商人であるオーレンスはユリにとってかなり魅力的な相手だ。
これから新都市の『観光区画』と『迷宮区画』に娼館を用意する計画もあることも考えると、是が非でも彼女は欲しい存在だと言えるだろう。
また、完全な老婆である今のオーレンスを押し倒すのは正直抵抗があるけれど。若返ったオーレンスの姿を想像すると、ユリはとても興味を抱いてしまう。
なので『個人的な意味』でも、是非とも彼女が欲しい。
まあ―――ユリとしては老若を問わず、女性であれば大歓迎なので、別に老いたままでも構わないのだけれど。ユリの愛し方はかなり激しいものなので、老齢の女性を抱くというのは、ちょっと安全面的な意味で怖い。
何しろ日頃から鍛錬を欠かさない『白百合』の子達でさえ、翌朝は暫く起き上がれない程に体力を消耗してしまうのだから。
「ヒッヒッ。女性を相手に『若さ』の取引を持ちかけてくるなんて、とんだ悪魔がこの世にはいるもんだねえ」
「オーレンスはこれまでに、とても長い人生を生きてきたのでしょう? だったら一度ぐらい人生を悪魔に委ねてみると、新しい快楽が開けるかもしれないわよ?」
「やれやれ、ぞっとしない話だね。―――ところで、私には同年代の娼婦の親友が何人か居てね。まあ、元々はその子達が不当に扱われることが無いように、娼館を自ら経営するようになったのが、私の商人としての出発点なんだけれど」
「あら、友達思いなのね。素敵なことだわ」
「あんたの言う『若返りの薬』ってヤツを、私の親友の分も用意してくれるなら。
その条件でも良いのなら、喜んであんたのモノになってやろうじゃないか」
―――貴重な薬を、そんなに何人分も用意できるのかい?
オーレンスの表情が、雄弁にそう語っているけれど。ユリからすれば若返りの薬である『変若水』は、不良在庫と呼べるぐらい大量に備蓄されているアイテムなので、惜しむようなものではない。
「では、その条件で。契約書は必要かしら?」
「ヒッヒッ、要らないよ別に。ああ―――ただあんたに、ちょっと礼を言いに来ただけだってのに。何でこんな事になっちまったのかねえ」
「悪魔に捕まってしまったのが、運の尽きね」
「やれやれ。悪魔が主神やってるようじゃ、この世界ももうお終いだよ」
そう告げながら、オーレンスは今までで一番愉快そうに笑んでみせる。
ユリもまた信頼できる新たなパートナーを得られた喜びに、相好を崩した。
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