08. ニルデア侵攻戦(後)
誤字報告機能にて沢山の指摘を頂き、大変助かっております。
私は誤字がかなり多い方なのでとても有難いです。お手間で無いようでしたら、今後とも誤字報告機能から指摘頂けましたら幸いです。
(特に多くの個所でラドラグルフがラドラグ[リ]フになっていた件は申し訳ありません。後から名前を変更したのに置換を実行し忘れた私の凡ミスです)
『アトロス・オンライン』の『範囲魔法』は、行使する際の魔力消費量を増やすことで、魔法の効果範囲を任意に拡大することができる。
例えば、普通に行使することで『半径1mの円状』の効果範囲を持つ魔法なら、魔力を2倍払えば効果半径が『2m』の円に拡大される。もちろん魔力を3倍消費すれば半径は『3m』に、5倍消費すれば『5m』となる。
勘の良い方ならすぐに気づくかもしれないが、この効果範囲の拡大は魔力効率の観点から見れば実に『お得』な取引だ。何故なら半径が2倍に増えるというのは、効果面積が『4倍』となることに等しいのだから。
但し、もちろん良いことばかりではない。効果範囲を拡大すると術者の魔力消費量が大きくなるのと同時に、行使する際の詠唱時間も長くなってしまう。
魔法や魔術の詠唱中は、術者は完全な無防備状態となる。長い詠唱時間を安全に消化するためには、信頼できる味方に護って貰う必要があるわけだ。
『……懲りない相手ですね』
ユリのすぐ傍で、溜息混じりにヘラがそう言葉を零した。
これでユリの額を真っ直ぐに狙う矢が飛んできたのは、もう8本目になる。
もちろんその全てがヘラの手によって『回収』されるので、ユリは一切ダメージを負ったりはしていない。……まあ、喰らってもせいぜい200ダメージ程度だろうから、別に被弾しても詠唱を中断させられることも無いけれど。
『1射だけで良いので、どうか私に反撃させて頂けないものか……!』
ギリギリと歯ぎしりしながら、『黄薔薇』の隊長であるヘンルーダが、いかにもやりきれないと言った口調でそう吐き出した。
『黄薔薇』は職業が〈天弓手〉の者で構成された部隊で、名前に『弓』の文字が入っていることからも判る通り、彼女達は弓の扱いに特化している。
ヘンルーダが射てば、今ユリを狙って来ている矢のような弱々しい射撃にはならない。1射だけで容赦無く相手の命を奪うことだろう。
『言いつけも守れぬ愚かな犬と、ご主人様に思われて宜しいならそうされては?』
『い、嫌だ! 私はユリ様の忠実な犬なんだ!』
(……うーん)
自分で言っておいて何だけど、この子たち『犬』扱いに抵抗感ゼロなのかな。
いやまあ、勝手に暴発しないでくれるなら別に良いんだけれど。
「―――全てを我が前に曝け出せ、【空間把握】!」
600秒も掛かった詠唱時間を終えて、ユリはひとつの魔法を行使する。
ユリは〈絆鎖術師〉という職業であり『空間』と『絆』を扱うことに特化している。いま行使した【空間把握】はもちろん『空間』系統に属するもので、ユリにとっては初歩的な魔法のひとつだ。
効果は『半径10mの円範囲内の空間を把握する』というもの。普通に行使する分には詠唱時間が『3秒』しか掛からず、魔力も『10』しか消費しない魔法だ。
ユリはその魔法を『200倍』に拡大して発動していた。―――いまユリの目の前にある都市の全域が効果範囲内に収まるように。
『いかがですか、姫様』
「問題無いわ。ちゃんと全て視える」
ヘラの言葉に、ユリは頷いて即答する。
【空間把握】の魔法は効果範囲内の領域を丸裸にする。術者は範囲内に存在する人物や物品の情報を全て得ることができ、地図も表示可能になる。
(―――都市の名前は『要衝都市ニルデア』。人口は全部で2万2000人か)
思ったよりも多いな、というのが正直な感想だろうか。
『アトロス・オンライン』のゲーム内にある主要都市は、この都市と同じぐらいの広さでも大体1万人前後しか住んでいなかったが。
空間内に存在する人物を分類してみると、軍属者はおよそ1400名。
東門と西門の守衛に400名ずつと都市内の警邏に400名。それと都市中央にある領主館の警護にも200名が宛がわれているようだ。
それら1400名の全員を、ユリは『赤色』でマーキングする。
マーキングされた対象が存在する位置はユリ以外のギルドメンバーにも視認できるようになる。一度マーキングされればもう対象は身を隠すことさえ出来ない。
(使い途があるかもしれないから……。貴族とその家族、あとは文官や都市運営に関係している人物は、殺すのではなく捕縛するようにしましょうか)
要捕縛の対象には『黄色』でマーキングを行い、どちらの色でもマーキングされなかった残りの市民全員には『緑色』でマーキングを行った。
更にユリは都市内の総ての人に対して自身との『絆』を確立する。
先述の通り〈絆鎖術師〉の職業を持つユリは『空間』の他に『絆』を扱うことも得意としている。
絆を確立した相手に対しては様々な働き掛けを行うことが可能となり―――。
『こんにちは、要衝都市ニルデアにお住まいの皆様。突然念話を差し上げてしまい申し訳ありません。私は『百合帝国』の主、ユリと申します』
例えばこんな風に『念話』を送ることができたりする。
いまユリの声は『絆』を接続している相手全員に届いている筈だ。都市内のどこに居てもユリの声は明瞭に聞こえるし、逆に言えばたとえ両耳を塞ごうともユリの声を拒むことはできない。
但し会話は一方通行で、相手の声がユリに聞こえることはない。双方向の会話にすることも可能なのだけれど、2万2000人もの声をいちいち聞いていては、うるさくて会話にならないことだろう。
『先程、私は都市東門の守衛をしておられる―――えっと、名前は『ゴードン』と仰るようですが、その方から狙撃による一方的な攻撃を受けました。その報復と致しまして『百合帝国』は要衝都市ニルデアに対し『宣戦布告』を行い、10分後に攻撃を仕掛けることをここに宣言致します。
我々の攻撃対象は軍籍の方、および我々の都市征服を邪魔される方。それ以外は原則として攻撃致しませんので、都市内にお住まいの民間人の方はご安心下さい。できれば我々が誤って攻撃してしまわないようお子様と一緒に、家屋内などの安全な場所に避難して頂けますと助かります』
征服すると決めた以上は、無用な人まで傷つけるつもりはない。征服が完了した暁には、この都市に住む人達はユリの臣民となるのだから。
もちろん逆に、報いを与えると決めた相手にもまた容赦はしないが。
「皆、ちゃんと見えているわね?」
『はい。ユリ様が付けて下さった印が見えております』
「赤でマーキングした対象は全て殺して頂戴。但し市民に要らぬ恐怖を与えないよう、血で壁や地面を汚損することはなるべく避けるように。
黄でマーキングしている対象には多少の価値があると思われるので、殺さずに捕縛してね。民間人は緑でマーキングしているので基本的には手を出さないように。もちろん先方がこちらの征服行動を邪魔するような場合には、あなた達の判断で排除するなり殺すなりしても構いません」
『ご下命、承知致しました』
「それから、ヘンルーダ」
『はい!』
「開戦の合図役を任せるわ。戦闘行動の開始時に嚆矢を1射だけ許しましょう」
『ありがとうございますユリ様!』
ちゃんと『待て』が出来た忠犬に、許しを与えるのは飼い主の務めだろう。
いや、そもそも犬扱いを続けて良いのかは判らないけれど。……本人が嫌がっていないみたいだから、別に構わないだろうか。
「もし30分以内に完全制圧できたら、あとで皆に何かご褒美をあげるわね」
『……! 頑張ります!』
『百合帝国』の皆にギルドチャットを通してユリがそう告げると、途端に全軍の士気が上がったのが肌に感じられた。
「ただ、悪いけど撫子の皆は私の護衛として残って頂戴」
『もちろんで御座います。撫子は常にご主人様のお側に』
「ありがとう。ではヘンルーダ、あと320秒経ったら射って良いわよ」
『はい!』
ヘンルーダが射つのは嚆矢、つまり『鏑矢』だ。
鏑矢とは簡単に言えば先端に鏑を取り付けた矢のことで、この鏑は内部が中空になっているため、飛ばすと笛に似た独特の音が鳴る。
矢の先端に鏑があるということは、代わりに鏃が無いと言うことなので、当然ながら殺傷力という面では殆ど期待できない。
それでも―――レベル200の〈天弓手〉が扱えば話は別だ。
「……行きます!」
ヘンルーダは自分の身の丈とほぼ同じ大きさの長弓を、容易く引絞る。
その弓の名は『ベルネ・カライド』。先月のガチャで新規追加されたばかりの、間違いなく『アトロス・オンライン』のゲーム内に於いて最強の弓だ。
〈天弓手〉は精霊の力を借りて矢を射ることを得意とする職業だ。
風と大地の上位精霊の加護を得た矢は、風・空気抵抗・重力といった射撃に際して不利益となるあらゆる要素を排除する。
ヘンルーダが放った矢は風の精霊に支援されて空を翔ける間にも弾速をどんどん積み増していき、亜音速を軽く飛び越え、やがて超音速にさえ到達する。
いかに先端が鏑で出来た矢と言えども、ライフル弾さえ超える弾速ともなれば、その凶暴性は考えるまでも無い。果たして、狙い澄ました部位へと正確に命中した鏑矢は、反応さえできなかったゴードンの頭部を胴体から一瞬で叩き落とした。
「お見事」
『ありがとうございます、ユリ様!』
今も都市全域への【空間把握】を維持し続けているユリは、一種のグロ映像のようなその惨状を明瞭に視てしまったが、それでも意外な程に何とも思わなかった。
日本で暮らしていた頃にはグロとかは苦手なほうだったのだけれど……やっぱり心が『ユリ』のものに変化したことで、その辺の事情も変わったのだろうか。
ヘンルーダの一射を契機に、ユリと撫子を除く『百合帝国』の全軍が要衝都市ニルデアへの侵攻を開始する。
ユリが『赤』と『黄』にマーキングした目標は、都市の東門と西門に集中しているけれど、都市内の全域にもそれなりに分散している。
『百合帝国』は強力無比の軍隊だけれど人数自体は所詮360名、ユリと撫子を除けばたったの287名しかいない。
マーキングした目標は『赤』が約1400名で『黄』が100名弱。
彼我の人数差が5倍もあるので、流石に都市の完全制圧が完了するまでには結構な時間がかかるだろう―――。
『お姉さま。都市の制圧が完了致しました』
―――と、そう思っていた時期がユリにもありました。
「……まだ侵攻開始から5分しか経ってないけれど?」
『5分間もお姉さまをお待たせしてしまい、本当に申し訳ありません。いつか次の機会がありましたなら、絶対にもっと上手くやってみせますわ!』
「そ、そう。期待しているわね」
僅かに狼狽しながら、パルフェからのギルドチャットにユリはそう応える。
30分以内に征服できたら上等だと思っていたけれど、まさか5分しか持たずに陥落するとは……。敵の立場から見ても何とも情けない。
(私を狙って矢を射ってたあの人が、結局レベル62で一番高かったしなあ)
【空間把握】の魔法で情報を得ていたユリは、都市内の兵士がレベル20~40程度の弱卒しかいないことは知っていた。
だから兵士側の方が人数だけは多くても、時間稼ぎぐらいにしかならないだろうとは、察しがついていたのだけれど。
(時間稼ぎにすら、ならなかったかあ……)
結局その程度の有象無象だと『百合帝国』の皆には鎧袖一触だったようだ。
お読み下さりありがとうございました。