07. ニルデア侵攻戦(前)
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『竜』というのは幻想の魔物であり、実在するかどうかも怪しいものだと。
少なくとも―――昨日までは確かにそう思っていたのだが。
「……何なんだ、これは……」
エルダード王国にて『男爵』の地位を持つ騎士であり、ここ要衝都市ニルデアの東門守衛隊を任されているアイザック・デルブルフは、天を仰ぎながら嘆く。
お伽噺の中でしかまず名を聞くことが無いような伝説の魔物が。―――『天馬』に『鳳凰』、『巌魔鳥』、そして何よりも『竜』が今アイザックが向けている視線の先に、確かに存在していた。
それも1体や2体ではない。天馬も鳳凰も、巌魔鳥も竜も。そのどれもが20体以上もの群れを成して、アイザックが守護する都市東門の正面へ降りようと、上空から滑空して来ているのだから驚きだ。
(―――これは一体、何の悪夢だ)
もはやアイザックの嘆きは言葉にもならず、心の中にだけ溢れる。
この際、天馬はまだ良い。あれは一応『Sランク』の魔物であったはずなので、同じ『Sランク』の掃討者がパーティを組めば狩猟できる相手だろうから。
しかしそれ以外の鳳凰と巌魔鳥、そして竜は『災厄級』と呼ばれる魔物であり、伝承によれば『いかなる場合でも人が戦ってはならない魔物』とされている。
言うまでもなく、その理由は勝てないからだ。
どれほど高ランクの掃討者を大量に揃えたとしても『災厄級』とは人が敵う相手ではなく、なるべく刺激しないよう努めて離れるのを待つしかないとされている。
だが、いま正に空中から地上へと降りてくる悪夢の軍隊は、その伝承とは裏腹にどう見ても人の手によって使役されている様子が窺えた。
と言うのも、遠目にもそれぞれの魔物の背に人族が騎乗している姿が見えるからだ。もっとも鳳凰だけは人族が騎乗できるほど体躯が大きな魔物でないためか、飛行する鳳凰の足にぶら下がる形で利用しているようだが。
「まさか、竜が背に人族を乗せるとは……」
アイザックのすぐ隣で、誰かがそう呟いた。
その言葉を聞いてアイザックは思わず感心してしまう。目の前に抗えぬ『災厄』が雁首を揃えているこの状況で、言葉を吐ける胆力がある男がいることに。
「……ああ、ゴードン殿か。これは頼もしい」
彼の姿を見て、少しだけアイザックも心を落ち着けることができた。
ゴードンは弓の扱いに秀でた元Aランクの掃討者で〔狙撃手〕の天職を持つ。
そのレベルは『62』と大変高く、現役の頃には『準英雄』と称される程の領域にまで達していたとか。
だが、彼は過去にとあるダンジョンを攻略する際に足に深手を負った結果、引退を余儀なくされた。現在はこのニルデアの都市守衛隊に所属しており、アイザックの副官を務めている。
直属の部下ではあるが、自分よりも優れた人間であると判っている。
なのでアイザックはゴードンに対し常に敬意をもって接するよう心懸けていた。
貴族であるにも関わらず、アイザックが平民のゴードンの名に『殿』を付けて呼称するのもそのためだ。
ゴードンは常日頃から「やめて頂きたい」と言って苦笑しながら嫌がるのだが、心から敬意を抱く相手をそう呼ぶのはアイザックにとって当然のことだった。
「どうやら平民の私を常日頃から立てて下さるデルブルフ男爵の恩義に、少しでも報いられる時が来たようですな」
「……! ゴードン殿ならば、あれらの『災厄』を倒せるのですか!?」
僅かな希望をもってアイザックがそう問うと、ゴードンは即座に頭を振る。
「いえ、それは無理というものでしょう。私の矢では彼の魔物に小さな傷でも負わせるのが限界、討伐など夢のまた夢です」
「そうですか……。『災厄』が相手では無理もありませんが」
「とはいえ私は、その乗り手にまで己の矢が通じぬとは思いませんが」
「……は?」
「あの一番巨大な竜の背に乗っている、黒衣の女性のことですよ」
そう告げながらゴードンは背中の矢筒から一本の矢を取り出して、愛用している長弓の弦に矢筈を番えてみせた。
ゴードンの言う通り目の前の『災厄』の軍隊には、明らかに一頭だけ他の個体よりも巨大な竜が混ざっている。おそらくはあの竜の背に乗っている人族こそが、この軍隊の指揮官なのだろう。
「あれほどの竜を従えるのですから、乗り手はそれ以上に強い者では?」
「そう考えてしまう我々が早計なのでしょう。人族が個の力で竜や鳳凰に及ぶ筈も無い。彼らは何か―――我等の知り得ない『魔物を支配する方法』を見出したことで力を得た軍隊なのだと私は推察します」
「な、なるほど……」
『災厄』を人が使役できる筈が無い。
それは言われてみれば確かに、何とも当たり前の事実だった。
「つまり乗り手を倒せば、魔物とは戦わずに済む可能性が……?」
「むしろ支配されていた事実に腹を立て、一時的に我々の味方となってくれるやも知れませんな。―――というのは、さすがに希望的観測が過ぎましょうか」
やや苦笑の入り交じった表情でゴードンはそう告げる。
確かに、今の我々にとっては何とも都合の良い解釈にも思えるが。それでも、絶望を目の当たりにしている現状では他に縋れるものが無いのも事実だった。
「やって下さいますか、ゴードン殿」
「掃討者として現役だった頃の私の二つ名は『一矢一殺のゴードン』でした。足を悪くして現役こそ退きましたが、弓の腕を衰えさせたつもりはありません。
―――ご下命を頂けますか、デルブルフ男爵」
「彼の『災厄』の乗り手を見事に射殺し、我々に希望を見せて頂きたい」
「はッ!」
強く引絞られた長弓から放たれた紫電が、烈破の唸りを上げて空を切り裂く。
ゴードンが放った矢は些かも風に揺らぐことなく、今まさに地上へと降り立った『災厄』の軍隊の中央、巨竜の背に乗る指揮官の額へと寸分違わず届こうとしていた。
*
『―――ユリよ』
「心配してくれてありがとう、ラドラグルフ。気付いているから大丈夫よ。ヘラ、回収して頂戴」
『はい』
ユリの嵌めている指輪のひとつには〈危険察知〉のスキルが備わっており、半径2km以内から自身に向けて攻撃を仕掛けてくる存在を装着者に教えてくれる。
なので当然ユリは、東門の城壁上から自分目掛けて矢を放った男がいることにも気付いている。被弾してもどうということはない程度の攻撃にも思えたが―――わざわざ痛い思いをする必要も無いだろう。
命じられたヘラは己の騎獣である戦竜から降りると、高速で飛来する矢がユリの額へ届かんとするその刹那に大地から跳躍し、片手でその矢を掴み取った。
「どうぞ、姫様」
「ありがとう、ヘラ」
差し出したヘラから、ユリは回収した矢を受け取る。
木製の矢柄に鏃を付けただけの、何の変哲もない矢だった。鏃は鉄製でミスリルでさえなく、毒も塗られていない。
こんな矢で殺せると思ったのだろうか。
「随分と舐められているようね」
『実力の差も判らぬ愚かさは、もはや罪悪かと。取り敢えず潰しませんか?』
「……平和的に話をしようと思ってたんだけどなあ」
ヘラの言葉にそう応えながら、思わずユリは苦笑してしまう。
都市を占領するメリットが大きいと判ってはいても、最終的には『まずは話し合いでの解決を試みよう』と内心で決めていたのに。
こんなことがあっては―――もうその方針の儘ではいられない。
『さて、ユリよ。先方から攻撃を仕掛けてきたが、どうするのじゃ?』
「そうねえ。私は別に、許してもいいんだけれど……」
―――私の嫁に一度でも剣を向けたなら、それは明確に『敵』。
先程ラドラグルフにそう答えた時と、その方針に特に変わりはない。
もっとも、今回の場合は狙撃されたのが愛する嫁ではなく『ユリ自身』なので、別に当事者としては見逃してあげても構わないのだが。
「でも『百合帝国』がそれを許すかどうかは、別問題なのよねえ」
『……周囲の殺気が凄すぎて、小水をちびりそうなんじゃが……』
ユリは『百合帝国』の皆を愛している。なればこそ、愛する『嫁』の誰か1人でも攻撃されたなら、自身の怒りを抑えることはできなかっただろう。
それと同じで―――自惚れではなくユリは『百合帝国』の皆から愛されている。
明らかにユリを狙う攻撃が行われたことで、当事者のユリ自身を除く359名の怒りが極限に達しようとしていた。
……そもそも性向が『極善』であるヘラの口から「取り敢えず潰しませんか?」という提案が出る時点で、その怒りがどれほどのものかは推察に難くない。
「セラ」
『はい、ユリ様』
「セラはどうすべきだと思う?」
『慈悲深きユリ様に弓引く愚物には、潔き死を与えるのも止むなしかと』
「……うん、よく判った」
セラは『睡蓮』の隊長を務めている子で、職業は〈聖女〉。
性向は当然ながら『極善』であり、『百合帝国』の中では最も温厚な判断ができる子なのだが。―――その聖女の口からさえ好戦的な言葉が出る以上、最早それは全体の意志と言って差し支えなかった。
「私はちゃんと『待て』ができる利口な犬が好きよ。皆、覚えておいてね?」
『……! し、承知しました』
「結構。では少しだけ待ってなさい」
今にも暴発しそうな『百合帝国』の皆を言葉で抑えてから、ユリはひとつの魔法の詠唱を開始する。
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