64. ニムン聖国再訪(前)
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思えば異世界に来てからと言うもの、入浴と就寝の時以外には『罪業のドレス』ばかりを常に身に付けていたものだから、それ以外の衣装をわざわざ用意するのは珍しい経験かも知れなかった。
いま、ユリが私室で試着しているのは『黒蝶のドレス』という衣装だ。
普段使いにしている『罪業のドレス』はスカートの裾が長い黒のロングドレスでありながらも、どちらかというとドレスと言うより軍服に近い、やや硬めの印象を与える衣装なのだけれど。
一方の『黒蝶のドレス』は、同じ黒でも『濡羽色』を思わせる、艶やかな黒色を持つマーメイドラインが美しい女性的なドレスで、オフショルダーで背中が少し出ているなど露出がやや多めなのも特徴だ。
着ていて少しだけ恥ずかしい衣装でもあるのだけれど、『罪業のドレス』よりは間違いなく夜会に向いた衣装だと言えるだろう。
「とてもお似合いです、お姉さま!」
「そう? 変ではないかしら」
「そんなことはありません! 誰もが手放しに賞賛する、完璧な美しさです!」
試着に付き合ってくれている、今日の『寵愛当番』兼護衛のマカロンが、満面の笑みを浮かべながらユリのことを褒め上げる。
肯定して貰えるのは嬉しいが、マカロンに限らず『姫百合』に所属している子達は、少々ユリのことを全肯定しすぎる嫌いがある。
彼女には悪いが、話半分ぐらいに受け止めておいた方が良いだろう。
「ああ―――ですが、こんなに美しいお姉さまの姿は、私だけのものにしてしまいたい。有象無象などに見せるのは、もはや罪なのでは……?」
「あなたは何を言っているの……」
マカロンが誰にともなく口にした独り言を受けて、思わずユリは苦笑する。
『黒蝶のドレス』も『罪業のドレス』と同じく、『アトロス・オンライン』のゲーム内では特定のレイドボスを倒した際にドロップするアイテムだった。
もちろん貴重なアイテムなだけあって、その性能も普通ではない。
特殊な装備効果が設定されており、身に付けていると『自分よりも[魅力]の値が低い者の心を、能力差に応じて惹きつける』効果がある。
状態異常の〈魅了〉とは異なり、『心を惹く』という程度の弱い効果に留められているのがポイントだ。
高レベルの魔物は『魅了耐性』など、精神系の状態異常に対して耐性を持っていることが多いのだけれど、この『黒蝶のドレス』の効果は『状態異常ではない』扱いなので、精神系の耐性を持つ相手にも確実に効果を発揮してくれる。
心を惹きつけられている相手は他の対象に目を向けにくくなるので、例えば『敵の攻撃対象を固定する』目的の装備として利用価値がある。
『罪業のドレス』とは異なり防御性能もそれなりにあるので、守備役向けの防具だと言えるだろう。
また戦闘以外でも、心を惹いている相手とは交渉で優位に立つことができたり、好感度を稼ぎ易くなるなど、意外に使い途が多いアイテムだ。
しかもユリの職業である〈絆鎖術師〉は、魅力に特化された職業と言って良いほど、元々優れた[魅力]の能力値を有している。
レベル200のユリより高い[魅力]の数値を持つ者は、おそらく『百合帝国』の中にも殆ど存在していないだろう。
「はぁ、はぁ……。お姉さまの全て、私のモノにしたいですわ……」
「………」
『心を惹く』効果のせいなのか、はたまた彼女の本性のせいなのか―――息を荒くしているマカロンの目の色がちょっとおかしくなってきた気がするので、ユリは慌てて装備を普段の『罪業のドレス』へと切り替える。
『アトロス・オンライン』には『マイセット』と呼ばれる機能があり、装備品を身に付けた状態を予め登録しておけば、一瞬でその装備に着替えることができる。
今しがた『黒蝶のドレス』もマイセットの1つとして登録したので、あとは夜会に臨む直前までは、普段通りの格好に戻しても問題無い。
「マカロン。あなたにひとつだけ、言っておくわ」
「あ……は、はい。何でしょう、お姉さま」
「貴方が私のモノなのだから。そこの所は勘違いしないで頂戴」
「し、失礼しました!」
ユリは『百合帝国』の359名全員を『嫁』として等しく愛している。
特定の誰か1人のモノになることは、今後も絶対に無いだろう。
「これで私の準備は済んだわね。悪いけれどプリムラを呼んできて貰えるかしら」
「はーい、いま呼んできますね」
ユリの言葉に応えて、マカロンが速やかにユリの私室から出て行った。
今回の公国への訪問には、マカロンだけでなく『紅薔薇』隊長のプリムラも連れていくつもりでいる。
護衛としてならマカロンだけでも充分―――というか、そもそもユリには護衛自体があまり必要では無いのだけれど。今回ユリは夜会に招待してくれた公国へ贈る『手土産』を用意するために、プリムラの力を借りるつもりでいるのだ。
自身の〈インベントリ〉に入っているアイテムを確認しながら数分ほど過ごしていると、マカロンがプリムラを連れてユリの私室へと戻って来た。
「二人とも、夜会用のドレスの準備はちゃんと済んでいるかしら?」
「はい、大丈夫です」
「姫、私も問題ありません」
「そう。では取り敢えず、一旦ニムン聖国に向かうわよ」
そう告げてから、ユリは【集団長距離転移】の魔法を行使する。
周囲の景色が短時間だけ暗転し、すぐに辺り一面が砂漠のものへと変化した。
「……お姉さま、こちらは?」
「ええっと……。確かニムン聖国の首都、聖都ファルラタの南門を出てすぐの所、だったような気がするわ」
今回ユリが転移してきたのは、前回ニムン聖国からの使節団を送る際に利用したものと同じ、覇竜ラドラグルフが記録してくれていた『転移ポイント』だ。
前回訪問した時に、聖都ファルラタの宮殿前に『転移ポイント』を変更しておけば良かった―――と、今更ながら少し後悔する。
「まあ良いわ。時間はあるのだから、歩いて宮殿に向かいましょう。他国の光景を視察しておくことも、無駄にはならないでしょう」
「そうですね、姫の仰る通りかと」
とりあえず北側に視認できる白い石壁の付近へ移動し、壁伝いに西へ向かって、聖都ファルラタの南門へと到着する。
(足止めを食わなければ良いのだけれど……)
南門を護る衛士の姿を眺めながら、ユリはそんなことを思う。
前回は聖女として聖国内に広く知られているエシュトアが同道していたお陰で、南門をフリーパス同然で通行することができたけれど。今回も同じように門を通して貰えるかどうかは、正直あまり自信が無かった。
―――結論から言えば、ユリが抱いたその懸念は、全く無用なものだった。
聖都ファルラタの門衛達は、ユリの姿を認めるや否や「ユリ陛下!」と、感嘆と喜色が入り交じった声を上げてみせたのだ。
考えてみれば、ユリはニムン聖国と友好関係を築いたその日から、毎日のように聖都ファルラタの市民にも『放送』を届けているのだから。ユリの姿が門衛の人達に知られていない筈も無いのだ。
「お仕事ご苦労様。通して頂いても構わないかしら?」
「はッ! ―――ユリ陛下のお通りだ! 全員、最敬礼!」
衛士の人達が門の左右に列を作り、手に持った槍を高く掲げてユリを歓待する。
通して貰えるだけで良かったのだけれど。―――とはいえ、ここまで歓迎の意を明確に示されれば、ユリとしても悪い気はしない。
「どうぞ、お通り下さい!」
「ありがとう。ファルラタの皆様の志、しかと胸に留めておきます」
好意を以て接されれば、ユリとしても好意で以て応えたくなる。
ニムン聖国が百合帝国の『同盟国』であるという意識が、この瞬間にもユリの心の中で、より一層強いものとなっていた。
「流石です、お姉さま。ご威光が砂漠の国にまで届いているのですね」
「相手に良く思われているというのは、嬉しいものよね」
マカロンの言葉に、ユリは笑顔でそう応える。
実際、ユリ達のことを歓迎してくれるのは、門衛だけではなかった。南門を通過して、聖都ファルラタの目抜き通りを宮殿に向けて真っ直ぐ北上していると。街中で擦れ違うあらゆる市民から、ユリ達は好意的に声を掛けられたり、あるいは頭を下げられたりして歓迎の意を示されたのだ。
『放送』の力って本当に凄いのだな―――と、改めてユリは思う。
なるほど、ユリに毎日の『放送』を継続するよう勧めてきたルベッタとアドスの慧眼は、間違いなく確かなものなのだろう。
「このファルラタの都市では、屋台が盛んなのですね」
目抜き通り沿いに散見される屋台を眺めながら、プリムラがそう口にするが。
前回ユリが聖都ファルラタを訪ねた時には、こんなものは無かった筈だ。
「お姉さま、あの露店では香を売っているようです。『竜胆』へのお土産に、没薬を買っていくというのはどうでしょう?」
「それは良い考えね」
『没薬』は高レベルの霊薬を作る際に必要不可欠な素材だ。
備蓄しておくに越したことは無い貴重素材なので、購入を躊躇う必要は無い。
「―――これはユリ陛下ではありませんか!」
「こきげんよう、店主。商売に精を出しているようね」
屋台の前に立つと、店主が即座に声を掛けて来たので、ユリも笑顔で対応する。
褐色肌にややくすんだ赤髪を持つ、大柄な女性だった。店主は驚きを露わにした顔を浮かべながらも、その声色には明確な好意が籠められている。
「ユリ陛下からお代なんて頂けません! どれでもお持ち下さい!」
「あなたの気持ちは嬉しいのだけれど、対等な同盟国から一方的に物を頂くような真似をさせないで頂戴。お代は払うから、没薬を全て頂けるかしら」
「こ、これは失礼しました! ありがとうございます!」
屋台の隅に置かれた看板に各香料の料金が記載されていたので、その値を基に適正な金額を〈インベントリ〉から取り出してユリは支払う。
「ユリ陛下が張って下さった結界のお陰で、この街は夏でも大変過ごしやすい場所になりました。市民全員がユリ陛下に感謝していると思いますよ」
購入した没薬を小袋に収めながら、店主が感謝を込めた言葉でそう告げる。
その言葉を聞いて、なるほど、とユリは得心した。
「だから前回来た時には無かった、屋台がこんなに増えているのかしら?」
「ああ―――いえ、それもあるかもしれませんが。一番の理由は、ユリ陛下が毎日届けて下さっている『放送』で見た、ニルデアの『屋台街』が羨ましかったからですね。商業ギルドの皆で打ち合わせて、ファルラタでも真似してみたんです」
「あら、そうだったのね。百合帝国の都市を模倣してくれるなんて、嬉しいわ」
『放送』によって伝えた文化が、同盟国にも広まる。
なるほど、そういうこともあるのか―――とユリは内心で感心してしまった。
「……とはいえ、残念ながらユリ陛下の国のように『飲食』を提供する屋台だと、なかなか難しくて再現できていなかったりもするんですが」
「ああ、それは仕方ないと思うわ……」
ニルデアの都市で、そしてユリタニアの都市で屋台の飲食店が容易に営業出来ているのは、偏にユリが提供した『屋台露店キット』の機能に拠る所が大きい。
普通に飲食の屋台をやろうと思えば、充分な量の水の手配、調理に使用する火の扱い、排水の処理など、多くの困難が生じるのは明白だ。
『屋台露店キット』を使えば、それらの諸問題は全て無視できてしまう。
(商業ギルドに『屋台露店キット』の提供を持ちかけるのも、悪くないかしら)
元々『アトロス・オンライン』のゲーム内では、『屋台露店キット』はガチャのハズレ景品として手に入るアイテムだった。
なのでユリは当然このアイテムを、それはもう悲しいほど大量に所持している。他国に提供したからといって困ることは無いだろう。
(……まあ、やるとするならアルトリウス教皇の許可を得てからよね)
とはいえ同盟国には、同盟国の分というものがある。
勝手を行えば、それで信を失うと言うことも有り得るのだから。やるなら正式に国主から認可を受けた上で、手を出すべきだろう。
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