61. 公国からの手紙(29日ぶり2回目)
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「王国の密偵達は、なかなか良い仕事をするわね」
ニルデア市民の新都市への移住が開始されて3日目の、『夏月32日』の朝。
いつも通りの『撫子』からの報告書に加えて、今朝からは元々王国の『密偵』を務めていた人達からの報告書も、ユリの元へ届けられるようになった。
以前に『百合帝国』が捕獲した王国の密偵は、全部で102人。
実際には208人居たのだけれど、そのうち男性の106人は『黒百合』の子達の養分となった。なのでいま残っているのは女性だけになる。
この102人全員が、一昨日の時点で地下収監施設から解放され、ユリタニアの『準市民』として迎え入れられることになった。
もちろん『準市民』と言うぐらいなので、扱いは『市民』よりも一段劣る。
まず原則として『百合帝国』側で準備した職に就いて貰うため、職業選択の自由が無い。宛がわれた職を拒否する権利はあるが、拒否して代わりに宛がわれる職もまた『百合帝国』で用意されたものになる。
給与は普通に規定額が支払われるし、住居環境も通常のものが与えられる。この辺りには『市民』と『準市民』との差はない。
但し『準市民』にユリタニアから出る自由は無い。彼女達には『市民証』の腕輪が与えられないので【障壁結界】を通過することができず、都市の中からは絶対に出ることができないのだ。
もっとも―――普通の市民は都市からそうそう出たりはしないものなので、このペナルティは有って無いようなものではあるが。
更に『準市民』の人達には、ユリタニアの都市内で犯罪行為を行ったり、それに準ずる疑わしい行為を行った場合には、今度は『一生地下に収監する』旨を伝えてある。
身内以外に対しては絶対的な嗜虐性愛者であり、バリタチでもある『黒百合』の子達により『調教』され、これまで地下で散々可愛がられ玩ばれてきた密偵の人達は、その畏怖を身体の奥底にまで刻み込まれている。
彼女達が今後ユリタニアに対して不利益な行動をすることは、まず無いだろう。
密偵の人達の内24名には『鉄道馬車の御者』の職を与えて、残りの78名には差し当たり『屋台通りの清掃活動』をさせている。
正直、幾ら屋台の営業場所が拡大されたとはいえ、清掃人数はこんなに沢山要らない筈なので、何か彼女達に担当させたい労役が出来たら転職させる予定だ。
また、彼女達には日々の仕事に従事する傍らに、2週間に1度、ユリタニアでの暮らしで気付いたことや困ったこと、都市の問題点や改善案などを報告書形式で提出して貰うことになっている。
102人が2週間に1度提出するわけなので、ユリの手元には毎日約6通の報告書が届くわけだ。
実際に市井で暮らしているので、密偵の人達から寄せられる報告書の内容には、市民の目線により近い視点からの『気づき』が多く記載されている。
また、流石に王国で密偵をしていただけのことはあり、彼女達が提出する報告書は非常に判りやすい文章で綴られているし、報告書に記述された都市の改善案についても『こうだったらいいな』という夢想だけでなく、実現に掛かる人手やコストを想定した上で挙げてくれている。
ユリが『良い仕事をする』と評価できるだけのものを、彼女達はしっかり提出してくれているのだ。
……まあ、ユリに『無能』と判断されれば、即座に地下へ送り返して幽閉すると事前に警告してあるので。それだけ彼女達が現状で与えられた自由を護るために、必死に報告書を書いてくれているだけとも言えるが。
「―――姫。シュレジア公国から、また使者が来たそうですが」
今晩の『寵愛当番』と今日一日の護衛を務めてくれるセリカナが、執務室の中へ入って来るなり、端的にユリにそう告げた。
ユリのことを『姫』と呼ぶのは『紅薔薇』の子達ならではの特徴だ。一方でユリのことを『姫様』と呼ぶなら、それは『白百合』の子達になる。
「敵国からの使者に、わざわざ国主が応対する必要も無いでしょう。あなたが代理として手紙を受け取っておいて頂戴」
「はい、承知しました」
都市全域を【空間把握】の魔法で監視しているユリは、当然昨日の夕方頃にユリタニアへ到着したシュレジア公国の使者についても、既に把握している。
前回と同じで、公国からの使者は騎士が2人だけだ。なので今回も手紙の配達を任されただけの者達だと見て良いだろう。
本来であれば、手紙を配達しに来ただけの使者であっても、それなりの応対はすべきなのだろうけれど。前回あまりに非礼な手紙を寄越したシュレジア公国に対しては、こちらとしても礼を尽くす必要性を感じない。
むしろ、代理とはいえ手紙をちゃんと受領するだけ、まだ良好な応対だと言えるのではないだろうか。
「……へえ。掃討者ギルドには閑古鳥が鳴いている、ねえ」
指示を受けたセリカナが退室したあと、再びユリが密偵の人達からの報告書に目を通していると。報告書の内のひとつには、そんな事実も記述されていた。
『百合帝国』領土内の魔物は『駆逐』によりほぼ討伐が完了している。来月には魔物がまた復活してしまうけれど、それもまた来月の『駆逐』により討伐されることだろう。
また、現在は『百合帝国』の領土が増えたことと、友好関係を築いたニムン聖国の土地でも魔物討伐を許可されたことにより『駆逐』の範囲が拡大され、ユリタニアと近隣都市との移動中に魔物と遭遇するリスクは殆ど無くなっている。
以前は都市間を移動する場合には、必ず魔物対策に掃討者を護衛として雇う必要があったわけだけれど。現在のユリタニアでは、それもあまり必要なくなっているということだ。
『駆逐』に出ている子達には、盗賊の類も発見次第処分するようにお願いしてあるので、近隣で活動していた盗賊団は悉く壊滅状態に追い込まれている。
なのでユリタニアの近辺だけに限れば、護衛を雇わずに移動しても、魔物だけでなく盗賊に遭遇する危険性もほぼ存在しない。
護衛の需要が壊滅的に減少したことで、ユリタニアの掃討者ギルドは寂れる一方というわけだ。
―――まあ、それ自体は一向に構わない。
これまでの経緯から、ユリの中で『掃討者ギルド』は事実上の『敵』という認識になっている。
彼らの職業が成り立たなくなろうと、ユリが気に掛ける必要性は感じられない。
「娼館まで一緒に寂れるというのは、考えて無かったわね……」
とはいえ、掃討者が減少したことで、それに伴ってユリタニアの都市内で営業されている娼館までもが、客を失って寂れつつあるというのは完全に想定外だった。
要衝都市ニルデアは元々、エルダード王国が支配する中でも首都に次いで2番目に大きい都市だったと聞いている。なのでその都市内には、当然『娼館』のような店舗もあるわけだ。
ユリとしては別に『娼館』や『娼婦』に対して、悪いイメージは持っていない。当然排除なども考えていないので、彼女達が問題無く移住できるように、ちゃんと新都市にもニルデアとほぼ同じ大きさの『娼館』の店舗を用意している。
但し、報告書によれば『娼館』の主な利用客は、一定の危険を伴う肉体労働者の人達―――つまり『兵士』や『掃討者』を生業とする者達だったようだ。
嘗てはニルデアの都市で盛んに営業されていた娼館は、ユリがニルデアの都市を占領する際に兵士を悉く殺したことにより、客層を大きく削られ、営業が一気に傾くことになった。
更に最近になって、都市から掃討者の姿が消えつつあることが追い打ちを掛け、娼館を訪れる客の姿は全盛期の1割近くにまで落ち込んでいるそうだ。
当然、それで娼館の経営は立ち行く筈も無い。
ニルデアの都市内に10軒以上あった娼館が今は半数以下に減り、職場を失った娼婦は夜の路上で客引きを行う―――そんな状態にまで陥っているそうだ。
(……何らかの支援を行った方が良いのかしら)
ロスティネ商会が魔物の肉の購入代金として納めてくれている金が丸々余っているので、無税都市でありながらもユリタニアの国庫は非常に潤っている。
なので娼婦や娼館に対して、支援金などを手配することは充分に可能だ。
とはいえ―――国主であるユリが支援も吝かでないとは思っていても。世間一般から見るなら、娼館はあまり快く思われない店舗になるだろう。
彼らのために金を投じることが、『適切』かどうかの判断が難しい。
「相談したい時に居ないのだから、困ったものね……」
こういう問題は、商人であるルベッタやアドスに相談すれば、比較的簡単に解決案が得られそうなものだが。生憎2人とも王国へ旅立ってしまっている。
娼館についての相談を、聖職者であるバダンテール高司祭に持ち込んでも、多分困らせてしまうだけだろうし……。相談できる相手が居ないというのは、なかなか悩ましい問題だった。
「……とりあえず、密偵の人達に支援させておこうかしら」
間接的に支援する分には、別に問題ともならないだろう。
そう考えたユリは、密偵の人達宛てに『週に2度以上は娼館を利用する』ように通達を作成する。もちろん娼館の利用料金は『百合帝国』から支給する形だ。
密偵の人達は『黒百合』の子達によって『調教』された経験を持つため、女性でありながら女性との交わり方を躾けられている。
客が少ない現状では、娼館側も客が女性だからといって拒みはしないだろうし、幾許かの営業支援にはなるだろう。
ユリがそんなことを考えていると、護衛のセリカナが執務室へと戻ってきた。
彼女の手には封蝋が施された手紙が携えられている。
「姫、シュレジア公国の使者から手紙を受け取って参りました」
「読ませて頂戴」
「はい」
セリカナから手紙を受け取り、封蝋を剥がす。
中の手紙にざっと目を通して―――。
「ふっ……あはははははっ!」
思わずユリは、その場で声を上げて大笑いしてしまった。
「ひ、姫!? 一体どうなさったのですか?」
「ああ、あなたも読んでみるといいわ。随分と愉快なことが書いてあるわよ」
狼狽するセリカナに、ユリはそう答えて手紙を渡す。
シュレジア公国からの手紙には、こう書かれていた。
『―――不幸な擦れ違いにより、公国の敵となった百合帝国の女帝へ。
来月の初頭に、シュレジア公国では建国を記念する夜会が催される。
両国間の無用な蟠りを解消すべく、是非貴国にも参加頂きたい』
手紙の末尾には『グランツ・ドラポンド』という署名がされている。
つまり以前ユリが受け取った公国からの手紙と、差出人は一緒だ。
「前回、姫をあれ程に愚弄しておきながら、よくもいけしゃあしゃあと……!!」
「私を『女帝を騙る愚かな蛮族の女』と罵った相手と、同じ者が書いた手紙とは思えない豹変っぷりね」
手紙を読んだセリカナが、怒りを露わにするのとは対照的に。
くつくつと笑いを押し殺しながらも、ユリは今にも腹が捩れそうな思いだった。
「全力で喧嘩を吹っ掛けてくる手紙を送っておきながら、百合帝国を敵に回した経緯を『不幸な擦れ違い』と言い切る辺りには、もはや感動さえ覚えるわ」
「控えめに申し上げて、公国の王は頭が沸いているのでは?」
「あっはっは! あなたがそこまで腐すのも珍しいわね」
常に冷静さを保つ『紅薔薇』の子が、これほど露骨に他者を貶めるのも珍しい。
それが何だか可笑しくて、余計にユリは腹を抱えることになった。
「まあ、こんなに愉快な手紙を下さったのだから。いっそ招待に応じてみるのも、面白いかもしれないわね」
「応じるのですか? 罠の可能性も有ると思いますが……」
「私をどうにかできる罠を用意してくれるなら、それはそれで興味があるわ」
『百合帝国』が他国に較べて最も異質な点は、国主が最も強いということだ。
他国の王とは違い、ユリはただ権威を象徴するだけの飾り物ではない。実力面で考えても圧倒的に百合帝国の『女帝』なのだから、例え罠が用意されていようと、堂々と踏み砕くだけの力を有している。
相手が誘いを仕掛けてくるなら、敢えて乗ってみるのが興というものだろう。
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