60. 神都ユリタニア
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―――翌日の『夏月29日』。
本日は朝から、予定通りニルデア市民の『新都市』への移住が開始された。
ニルデアの都市中央部、領主館の正面にある広場からは『屋台街』が撤去され、代わりに『転移門』が設置されている。
『転移門』とは〈絆鎖術師〉であるユリが設置可能なワープポイントのようなもので、2点間を繋ぐ『門』の役割を果たす。
ニルデアの中央広場にある『転移門』を潜れば、誰でも新都市の中央広場にある『転移門』まで、即座に瞬間移動できるわけだ。
『転移門』は今月末の『夏月40日』まで設置する予定なので、ニルデアの市民にはそれまでの間に新都市への移住を完了して貰うよう『放送』で周知してある。
ちなみに新都市の名前には『ユリタニア』と名付けた。
これは元々『アトロス・オンライン』のゲーム内で、『百合帝国』が占領していた『東部諸島』地域の首都に付けていた名前だ。
今はもう、ゲーム内の都市とは縁が無くなってしまったから。改めてこちらの世界での支配地域の首都に―――即ち、ニルデアの新都市にその名を付けたわけだ。
新都市の名前は昨晩の『放送』で周知したので、即座に市民には広く認知されているのだけれど。実際には、市民の口からは『神都』を冠して『神都ユリタニア』という名称で呼ばれることも多いようだ。
同盟国である『ニムン聖国』の首都、『聖都ファルラタ』と対になる名称として考えられたものだろうか。誰が言い出したものかは知らないけれど―――ユリ自身が神の末席にあることを思えば、あながち的外れな名称でも無いだろう。
……とはいえユリは、神として何ひとつ仕事もしていないわけだけれど。
ニルデアの広場から撤去された『屋台街』は、今日からは新都市のユリタニアで営業される。
ユリタニアは大きい円形の都市なのだけれど、都市の外周よりも1km内側を、道幅の広い大通りが内円状に通っている。今日からはその大通りに屋台を配置して営業して貰うことになっていた。
なので今後は、今までのように広場内に固まって屋台が営業されるのではなく、大通り沿いに屋台が並ぶ形になる。『屋台街』と言うよりは『屋台通り』と言ったほうが、ニュアンス的に近いかもしれない。
最近になって、幾つかの村落を帰属させ『百合帝国』の国土が広がったことで、皆が『駆逐』を行う範囲も拡大され、狩猟される魔物の種類が増えた。
これにより提供される魔物の食材の種類がより充実し、屋台で提供される料理もバリエーションが更に豊富になったと聞いている。
また新都市のユリタニアには【調温結界】が張られているため、夏の暑さによる食欲減退の影響も皆無だ。『屋台通り』の賑わいが絶えることは、おそらく当面は無いことだろう。
(ロスティネ商会の食料店も、問題無く営業されているようね)
今朝届いた分の『撫子』からの報告書によると、ユリタニアの都市内に40店舗以上用意されている『ロスティネ商会』の食料店は、いずれも問題無く営業が開始されているらしい。
ロスティネ商会の会頭を勤めるルベッタは昨日、王国領へ向けて旅立ったわけだけれど。どうやら会頭の彼女が不在でも、問題無く商会の部下達で営業が行われるように手を回してくれていたようだ。
とりあえず食料店さえ営業されていれば、ユリタニアの市民が食料の入手に困ることは無いだろう。充分に手筈を整えてくれていたルベッタには感謝しか無い。
ちなみに報告書の中には、今日から『屋台通り』で『トルマーク商会』の屋台が10台ほど営業を開始している事実も記載されていた。
今後『トルマーク商会』は屋台事業に参入する予定で、これはその第一歩となるものだ。もちろん『屋台露店キット』に関してはユリから提供している。
会頭のアドスは既に、ルベッタと同様に王国領へ向けて旅立ったわけだけれど、こちらも『トルマーク商会』の部下の人達だけで運営が行われているようだ。
「朝に目を通す報告書の数も、随分少なくなったわね……」
今日目を通すべき書類は、全部で4枚しか無かった。
理由は判っている。ルベッタとアドスが普段領主館まで届けてくれている分の報告書が、彼らが不在にしていることで届かなくなったからだ。
「お姉さまとしては、もっと情報量が多い方がお好みですか?」
ユリの独り言に反応して、マドレーヌがそう問いかける。
今日の『寵愛当番』であるマドレーヌは、『姫百合』に所属する子だ。子供らしい性格の子が多い『姫百合』の中では、少し大人びた雰囲気を持つ子でもある。
あくまで雰囲気だけなので、体形は子供同然であり、やはり胸も無いのだが。
「そうね……。『撫子』はよくやってくれているけれど、できればもっと多角的な視点から、市井の情報を知りたくはあるからね」
『撫子』から寄せられる報告書は、どうしてもユリと同じ側の目線、つまり『為政者側の視点』に立ったものであることが多い。
この報告書から得られる情報だけでは、把握できる情報が偏ってしまう。
「では『情報を扱う人達』を用いて市井から情報を集め、毎日報告書に纏めて提出するように、要請されてはいかがでしょうか?」
「情報を扱う人達? ……それは『撫子』のことではないの?」
諜報や防諜関連に関することは、『撫子』の専売特許でもある。
他に情報関係を得意とする部隊は『百合帝国』の中には無い筈だが。
「いいえ、お姉さま。情報を扱うことを生業としておられた方々が、ユリタニアの地下にいらっしゃるではありませんか。元々は敵だった方々ですが、『黒百合』の調教により、今はとっても従順になっていると聞いていますわ」
「ああ―――なるほどね」
ユリタニア地下の収監施設には、以前に王国がニルデアの都市に送り込んできた『密偵』の人達が今も収監されている。
ちなみに男性の密偵は全て『黒百合』が養分に変えたので、現在収監されている密偵は女性だけの筈だ。
「良いかもしれないわね。ユリタニアには【障壁結界】を張っているから、地上に出してあげたとしても、どうせ都市内からは逃げられないでしょうし。地下で無駄飯を食わせて置くぐらいなら、地上で働いて貰うとしましょうか」
「あ、そういえば『桔梗』の方がユリタニアで『鉄道馬車』を運行したいと言っておられましたので。ついでに御者の職を与えられてはいかがでしょうか?」
「ああ……。そういえばユリタニアには『鉄道』が敷設されていたわね……」
『桔梗』はユリタニアの都市を造る際に、市民と貨物を運ぶ『足』として『水路利用による水運』と『鉄道軌道上を走る馬車』の2つを想定していたようだ。
だからユリタニアの都市内には『水路』が張り巡らされており、また『鉄道』も要所には敷設されている。
軌道走行用の馬車については既に『竜胆』が作成しているらしいし、輜重隊から鹵獲したことで『馬』も大量に手に入っている。あとは『御者』さえ手配すれば、すぐにでもユリタニアで『鉄道馬車』の運行が始められるわけだ。
「良い案ね。後で『桔梗』のメテオラとも相談して、手を回しておくわ」
「お姉さまのお役に立てましたら、何よりです」
そう告げて、マドレーヌは穏やかに微笑む。
慈愛に満ちた笑顔は、なるほど確かにちょっと『お姉さん』っぽくも見えた。
「マドレーヌ、ちょっとお茶をしましょう。正午まではまだ時間があるし」
「あら、素敵ですね。喜んでご相伴に預からせて頂きますわ」
今日の正午に『百合帝国』の皆も新都市へ移住することになっている。
流石に大勢で『転移門』を利用すると、市民の移住の邪魔になりそうで気が引けるので、ユリが転移魔法を行使して皆を連れていく予定だ。
「ニルデアもなかなか住みよい所だったわね」
「そうですね。悪臭さえなければ、特に不満も無かったのですが」
「そうねえ……」
マドレーヌの言葉に、思わずユリは苦笑する。
充分な対処を行う前に何度か嗅いだこともあるが、あれは耐え難い匂いだった。
そのまま正午までマドレーヌとお茶を楽しみながら過ごして。それからユリ達は領主館の建物の正面へと移動する。
そこには既に『百合帝国』の皆が、顔を揃えて待っていてくれた。
「集まっているのは、大体300名ぐらいかしら」
「不在の者や既にユリタニアへ行っている者も居ますから、こんなものでしょう」
皆の顔を見ながら漏らしたユリの呟きに、マドレーヌが応える。
今日から『桔梗』の子達は、ニルデアから20km南の草原で新しい『村落』を建設するための作業に従事している。だから既にここには居ないのだ。
また『撫子』には、既に新都市で活動している子も多い。なのでこの場には『百合帝国』全360名のうち、300名しか居ないようだ。
「絆を頼りに空間を繋び、我等を彼の地へと誘い給え―――」
ユリが詠唱を開始すると、足下に半径5メートル程の魔法陣が浮かび上がった。
ユリは魔法を拡大して、魔法陣のサイズを半径50メートルにまで拡げる。
転移魔法に慣れている皆は、ユリに何か言われるまでもなく、全員が速やかに魔法陣の中へと入ってきてくれた。
「―――【集団長距離転移】!」
結びの『魔術語』を唱えると、景色が新都市のものに一変する。
急に300名近い群衆が転移してきたことで、転移先の近くに居た市民達が、かなり驚愕している表情が見て取れた。
「パルティータ、案内して頂戴」
「承知致しました」
新都市の地理には、まだユリもあまり明るくない。
なので転移組に混じっていた『撫子』隊長のパルティータにお願いして、新しい領主館まで案内して貰った。
「ご主人様、あちらの建物になります」
ユリタニアの中央市街を1分ほど歩いた後に、パルティータが目の前の建物を指しながらそう告げる。
そこにあったのは、今まで住んでいた領主館よりも、遙かに巨大な建物だった。
城かと思える程の威容を持つが、城にしては建物が豪奢すぎる。
この建物は―――『宮殿』と呼ぶのが、多分最も適切だろう。
「……ここまで大きな建物が、果たして必要なのかしら?」
「全員に充分な広さの個室を割り当てますと、どうしてもこの規模の建物が必要になるのだと、以前『桔梗』隊長のメテオラが言っておりましたが」
「ああ、なるほど……それは確かに、そうかもしれないわね……」
『百合帝国』は全部で360人。
360人全員がユリにとって最愛の『嫁』であり、誰ひとりとして疎かに扱って良い者など存在しない。
確かにメテオラの言う通り、360人の全員に充分な広さの個室を割り当てるとなれば、この規模の―――『宮殿』クラスの建物が必要になることにも頷ける。
(考えてみれば、今まで皆には広い部屋に雑魚寝をして貰っていたのよね……)
ニルデアの領主館で、個室を持っていたのはユリだけだった。
他の皆には、各部隊毎に広い部屋を幾つか占有して、適当に雑魚寝をして暮らして貰っていた。
思えば―――随分と皆に、苦労をさせていたものだ。
(……頑張ってくれた皆には、ちゃんと報いないとね)
今後はようやく皆にも、まともな生活をさせてあげられるだろう。
それを思うと、新都市の建造を一手に引き受けてくれた『桔梗』の子達には、ユリとしてはただ感謝の気持ちで一杯だった。
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お読み下さりありがとうございました。




