53. 王国軍迎撃戦(後)
[3]
ガーター・カストールは『将』である前にひとりの『武人』でもある。
指揮を執るのも得意だが、直接剣を持って戦うのも同じぐらい得意としている。
人を殺したことも、魔物を殺したことも数多く経験しているし、自分よりずっと格上の魔物である『トロール』を相手に1時間以上にも及ぶ激闘を続け、最終的に打ち倒した事もあった。
戦いの最中に心が弱音を吐いたことなど、今までの人生で一度として無かった。
どんな劣勢に追い込まれようとも、ガーターの精神は常に高揚するばかりで、精神が挫けることなど皆無だった。だから誰に自慢したことは無くとも、ガーターは内心で自身を『勇敢な人間』だと理解してさえいた。
―――だが、それが今はどうだ。
空の遙か高みに浮かぶ、黒い衣装を纏ったひとりの少女がいる。
こうして仰ぎ見ているだけでも犇々と感じられる、少女が放つあまりの重圧に。ガーターの頬を、冷たい汗の雫が幾重にも伝わり落ちていく。
今はまだ意志を強く保てているが。一度でも膝を突いてしまえば、そのまま屈してしまいそうな―――そんな予感さえあった。
「カストール卿! あれは一体……!?」
「……おそらくは『百合帝国』の『ユリ女帝』だろう」
バッカスの言葉を受けて、忌々しげにガーターはそう回答する。
人が空を飛ぶというのは、かなり高位の魔法や魔術でもなければ、実現不可能な所業だと聞いたことがあるが。ユリ女帝はさも当然のように、空の遙か高い場所にひとりで浮遊していた。
まるで、飛ぶことぐらい出来て当然とでも言わんばかりに。
―――最初から、おかしいとは思っていたのだ。
11年前に公国を相手に行った大規模戦争の折には、少しも反対などしなかった大聖堂所属の聖職者達が、今回のニルデア奪還に関してだけは、出兵の際に猛烈な反対の意を示してきていた。
大聖堂の意見を無下にはできず、高司祭の1人が王城会議の場に招かれて発言を許されたが。会議の場で高司祭は、あろうことか敵国の女帝を『神の1柱であられる』と持ち上げ、更には『神に剣を向けるなど断じて許される所業ではない』と、堂々と王を批判する発言さえしてみせた。
高司祭は気が触れたものとされ、その件は『無かった事』として扱われたが。
こうして対峙してみると判る。否応なく、理解させられてしまう。
―――あれは人ではない。この重圧は、人が出せるものではない。
少女の皮を被った、何か全く別のものだ。
(高司祭は真実を述べただけだったのかもしれない……)
そんな風にさえ、ガーターには本気で思えた。
彼の女帝が真実『神』であるなら―――空ぐらいは飛べて当たり前だろう。
『―――エルダード王国の者達よ』
「………!」
突如として、ガーターの耳に『女帝』からの声が届く。
いや―――耳からではない。少女のものとは思えぬ程の威厳が籠められたその声は、まるで直接頭の中へ響くかのような、不思議な聞こえ方で届いた。
「カストール卿……!!」
不安げにバッカスが上げた声に、ガーターはただ頷くことで応える。
とりあえず今は、相手の出方を窺う以外に無かった。
『まずは自己紹介をさせて貰うわね。私は『百合帝国』の女帝で、ユリと言うわ』
若い少女らしい、朗らかで明るい声色。
だというのに―――なぜ少女の言葉に、恐怖にも似た感情を覚えるのだろう。
(やはり、アレが女帝か……)
空を強く睨め付けながら、ガーターは心の中で少なからず混乱する。
まさか女帝が単身で、しかも空を飛びながら現れるとは思ってもいなかった。
『あなた方は『百合帝国』の国土を侵犯している。故に、私は主権国家の長として王国軍の全員を鏖殺をもって歓迎するつもりでいるわ。
―――エルダート王国軍の大将、ガーター・カストールよ。総勢60816名の兵達の代表として、我が国に何か弁明したい言葉があるならば、今のうちに好きなだけ囀ると良いでしょう』
空の遙か高みに浮かぶ少女が、真っ直ぐにガーターのほうを直視していた。
まさか、この距離で私の居る場所を認識しているのか―――と、思わずガーターはある種の恐怖感を覚える。
しかも彼女が告げた『60816名』という数は、出兵の直前にガーターが確認した兵の数と完全に一致していた。一体どうやって女帝がそれを調べたのか、まるで見当が付かず非常に気味が悪い。
それでも―――何とか精神を立て直し、ガーターは声を張り上げる。
「百合帝国の女帝ユリよ! 何故王国の都市、ニルデアを攻め滅ぼした!」
『私は弁明を許しただけで、質問を許したわけではない』
ガーターの言葉は、虚しく一蹴された。
女帝は「はあ」とわざとらしい溜息を吐いてから、言葉を続ける。
『……まあ、付き合ってあげましょうか。ニルデアを侵攻した理由はとても単純。王国軍が先に『百合帝国』を攻撃してきたから、それに応戦した結果よ』
「王国には貴国を攻撃した記録など存在しない!」
『攻撃してきたニルデアの兵達は、その場で皆殺しにしたのだから当然でしょう? 死体が記録を残せる筈もないでしょうに、随分と奇妙なことを言う』
「………!! ニルデアの都市兵を殺したのか!」
『逆に問いましょう。私を殺そうと矢を射てきた者達を、なぜ生かす必要が?』
少女の問いかけに、ガーターは何も言い返すことができなかった。
もともと剣を振ったり指揮を取ることは得意でも、舌戦は苦手な方なのだ。
そんなガーターの様子を見て、女帝がくすりと小さく嗤う。
―――ぞくりとするような恐怖が、ガーターの背筋を駆け巡った。
『こちらの問いに答えるつもりは無いようね。身勝手なこと……だったら話はこれで終わりよ。こちらから攻撃させて貰うわ』
女帝はそう言葉を言い切った後に、右腕を挙げて何かの言葉を呟く。
すると―――眩いばかりの金色の光が、少女の背後の天空に溢れた。
「な、なんだ、それは……!?」
今までに見たことがある、どんな『魔法』や『魔術』とも異なるもの。
異質な現象を目の当たりにして、思わずガーターはそう叫んでいた。
『こちらからの問いには答えない癖に、あなたからはまだ質問をするのね……。
これは私が使える唯一にして最強の攻撃で―――【星堕とし】と言うのよ』
天空から溢れた光が集まり、少女の背後に巨大な光の球体が形成される。
金色の光だけで満たされたそれは、眩しすぎて直視することさえできない。
「……それは……太陽、なのか……?」
まるで夏場の太陽のような、凄まじい光と熱を放つ球体に。
思わずそう零したガーターの言葉に、女帝は愉快そうに嗤ってみせた。
『可笑しなことを言うのね、まだ午前中よ? あなた達は東方より進軍してきたのだから、太陽なら後ろ側にあるじゃないの』
女帝の言葉を受けて、ガーターは思わず背後を振り返る。
確かに女帝の言葉通り、太陽は普段と変わらず南東の空に浮かんでいた。
では―――いま自分達の目の前にある、この太陽より眩しいものは何なのか。
『近くにあるから、太陽よりもずっと大きくて眩しく見えるかもしれないけれど。これは太陽に較べれば遙かに小さな星。それでも―――あなた達の全員を衝撃で粉砕し、猛熱で灼き尽くすのには充分でしょう』
女帝はそう告げると、上げていた右腕を王国軍の側に向けて振り下ろす。
すると―――女帝の背後に浮かんでいた『作られた太陽』が、ゆっくりと地上の王国軍に向かって降下を始めたではないか。
(―――マズい!!)
その脅威を、ガーターは一瞬で察知する。
あの『作られた太陽』には、魔術師が行使する【火球】のそれよりも、圧倒的に高い破壊力が秘められている―――そのことが、理解できてしまった。
「全軍散開! あれが当たれば一溜まりもない! 全力で逃げろ!」
ガーターの判断は速かった。即座に全軍に向けてそう指示を飛ばす。
一瞬遅れて、王国兵の全員が思い思いの方向へ、武器も投げ捨てて逃げ出した。
太陽がどんどん速さを増しながら落ちてくる。熱波がガーターの頬を灼いた。
『せいぜい頑張って逃げて下さいね。それでは皆様ごきげんよう』
女帝がスカートの裾を軽く摘んで、カーテシーのようなお辞儀をする。
それから、底冷えするような酷薄な声で、女帝は最後に一言だけ告げた。
『―――死によし』
燃え盛る巨大な太陽が、もう目の前にまで迫っている。
ガーターは数瞬の後に自身が死を迎えることを、いよいよ理解した。
もっとも―――死した後に尚、自身や兵達の亡骸がユリによって利用されることまでは、流石に思い至らなかったようだが。
-
お読み下さりありがとうございました。




