51. 運命の前日
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「今日はこの場所で夜営とする! 陽が落ちきる前に陣を設営し、火を焚いて食事を摂れ! 不寝番の担当がある者以外は、食後は速やかに休むように!」
ガーターが張り上げた声が魔導具によって拡散され、全軍へ伝達される。
呼応するように、3千の兵が即座に行動を開始するが。一方で、彼らと輜重兵を除いた5万2千の兵達は、背嚢を下ろして地面にへたり込むばかりだった。
(弱兵にも程がある……)
その様子を見て、ガーター・カストールは思わず溜息を零した。
予想以上の兵が集まり、要衝都市ニルデアを取り戻すための軍勢が全部で6万を超える大軍になったのは、大将としては喜ぶべきことなのだろう。
戦争は数が全て―――とは言わないが。やはりまず兵数が揃っていないことには始まらないものでもある。取れる戦略の幅にも影響するし、数で劣っている軍隊は精神面の瓦解も早い。
堅牢な防壁を備えるニルデアを攻めるとなれば、ある程度の被害が出るのは避けようがない。兵が多ければそれだけ許容可能な被害は増える。6万もの兵がいるなら無理な突撃でもしない限り、許容量を超える被害が出ることは無いだろう。
とはいえ王国はもう、かれこれ『11年間』に渡り戦争をしてこなかった。
嘗て、シュレジア公国との戦争の際にあれほど頼もしかった強兵達も、今は軍と関係無い仕事に就いている者が大半だ。当然今回の出兵にも殆ど参加していない。
今回の出兵した6万の兵のうち、王国の常備軍は僅かに3千。残りは様々な貴族が供出した8千の私兵と、今回の戦争の為に各地で徴兵された4万5千の農民兵、5千の輜重兵によって構成されている。
農民兵は武器の扱いに全く慣れていない。
剣を振るうのと鍬や鋤を扱うのとでは、全く別の技術が必要になる。農民を兵にするのは、素人を兵にするのと同じ意味しか持たない。
しかも農民兵達は国から粗末な武具が貸し出されているだけで、革鎧さえ身に付けていない。戦力として期待できるのは、最初のひと当てぐらいのものだろう。
また農民兵は体力自体はそれなりに有るのだが、集団行動に全く慣れていない。
不慣れな者に陣容を乱さず進軍するよう求めると、肉体的にも精神的にも結構な疲労を与えることになる。その結果、別に強行軍を強いたわけでもないというのに農民兵達は誰もが息が上がり、地面にへたり込んでいるのが現状だった。
「いやはや、見るに堪えぬ有様ですな……」
兵達の様子を見ながら、ひとりの将がそう愚痴を吐いた。
ビルス・バッカス伯爵だ。今回参戦する将軍の中で、公国との11年前の戦争を経験しているのは、ガーター以外にはバッカスしかいない。
今回の将軍の中で、唯一ガーターが信頼を寄せる仲間だとも言えるだろう。
「農民兵が大半とはいえ、情けない限りです」
「その農民兵より情けない者も、8千ほど居るようですがな」
バッカスの言葉に、思わずガーターは苦笑してしまう。
事実、農民兵以上に情けない醜態を晒しているのが、様々な貴族から供出された8千の私兵達であった。
彼らが優れている点は、装備がまともなことだ。
流石に貴族の私兵だけはあり、充分な武装が与えられている。武器には鉄製の槍か長剣を持ち、防具も鉄製の胸甲を着込んでいる者が多い。
―――それが唯一の優れている点だった。
8千の貴族私兵たちは地面に完全に身体を横たえて、もう動けないことを全力でアピールしている。どうやら彼らは鉄製の胸甲こそ身に付けてはいても、その防具を着用した上での行軍訓練は一切経験していないらしい。
正直、体力だけなら農民兵のほうがまだマシではないだろうか。
この様子では、武器がどの程度まともに使えるかも疑わしいものだ。『防具の分だけ農民兵より硬い』程度しか戦力として期待できないように思えた。
「こんな兵なら、誰が指揮しても一緒なのでは……?」
諦観の入り交じった溜息を吐きながら、ガーターもまた静かに愚痴を零す。
ガーターは用兵にそれなりの自信を持ってはいるが、用兵が活かされるためには兵側の練度もある程度は必要になる。
このレベルの弱兵ともなると、機能する命令などせいぜい『突っ込め』ぐらいのものだろう。ならば誰が旗を振っても同じではないだろうか。
「そう言って下さいますな。歴戦の強者であるカストール卿が、こうして大将を務めて下さっていることが、私にとって唯一の心の慰めなのですから」
「では致し方ありませんな」
11年前に轡を並べて戦った戦友がそう言ってくれるのなら、大将を続けるのも吝かでは無い。
もっとも―――ガーター自身が望むと望まざるとに拘わらず、王から直々に軍の大将を任ぜられた以上、拒否権など元より存在しないのだが。
「まあ、我々も夕食を摂りつつ休憩するとしましょう。兵に休めと命じた以上は、将が先ず模範を見せねばなりませんからな」
「はは、ではそうしましょう」
下士官が張ってくれた陣の中に2人分の食事を用意して貰い、腹の中に収める。
所詮は糧食なので美味いものでも無いが、そこは元々期待してもいなかった。
「……バッカス卿は今回の戦争について、どう思われますか?」
食後の茶をゆっくり飲む傍らに、ガーターがそう訊ねると。
バッカス卿は「ふむ」と小声で応えた上で、少し困った顔をしてみせた。
「流石にそれだけでは、質問の意図が判りませんな」
「ああ、これは失礼。敵軍についてどう思われますか?」
「―――恐るべきやり手の集団かと。侮れぬ相手であることは間違いありません」
真面目な声でバッカス卿がそう回答する。
その声色には、敵に対する一種の敬意が籠められているように思えた。
「『百合帝国』という名は、建国時にでっち上げたものでしょう。おそらく元々は遠地で活動していた、腕利きの傭兵団なのでしょうが。あの堅牢な防壁を持つニルデアの都市を、短期間のうちにあっさり陥落させた手腕はかなりのものです。兵の練度だけで言えば、王国軍の上を行くかもしれませんな」
「それ程か……」
「また、それ以上に恐ろしいのが、ニルデアの都市へ送り込んだ我が国の密偵が、ただ1人さえ戻って来なかったという事実ですな。このことから、おそらく相手の傭兵団には、かなり知恵の回る参謀も加わっていると思われます。
相手の兵数自体は、ニルデアの兵をある程度取り込んでいることを考慮しても、せいぜい5000から6000程度と思われますが。堅牢な防壁があり、練度充分で戦闘経験も豊富な兵がおり、知恵が回る参謀も付いているとするならば、攻略は容易では無いかもしれませんな」
「もしや、卿は我々が負ける可能性もあるとお考えかな?」
「それは有り得ません」
ガーターの言葉を、バッカスは即座に否定してみせた。
「ニルデアは都市面積に対して人口が多すぎます。要衝都市ですので都市内の倉庫には食料の備蓄も幾らかあるでしょうが、その蓄えだけで兵と市民を養えるのは、せいぜい半月程度でしょう。我々は5千の輜重兵に一月分の糧食を持たせていますので、包囲戦を行えば負けることはありません。
しかもニルデアの農地は都市の外にありますから、むしろ侵攻側の我等に利する資源となります。我々は畑を利用して持参した糧食の消費を抑え、一方で敵は飢えた市民がいつ暴動を起こすかに怯え続けなければならない。防衛戦というのは堅牢な防壁さえあれば上手くいくわけでもない、典型的な例ですな」
「流石はバッカス卿だ、頼りになる」
「この程度のことは大将も既にお考えでしょう?」
バッカスからあっさりそう言い切られ、ガーターは眉を落とす。
確かに、既にガーターも一度は考えたことばかりだったが。それでも信頼できる相手が自分と同じ考えを持ってくれる事実は、大いに勇気を与えてくれるものだ。
「だが、やはり包囲戦で片を付けるのが賢明か……。できれば農民兵を早めに帰らせてやりたかったのだが」
「そうですね……。今回のニルデア奪還戦を勝利間違いなしと見込んで、明らかにどの貴族も農民を徴兵しすぎています。このままだと秋の収穫に響くことも、おそらく判っていないのでしょうが」
今回、当初見込んだ数よりも多い4万5千もの農民兵が集まったのは、偏に王国各地に領地を持つ貴族が、それだけ農民相手に無法な徴兵を行ったからだ。
勝ち戦になれば、勝利に貢献した貴族には当然王より報酬が与えられる。そして領地を持つ貴族にとっては『戦争に兵をどれだけ供出したか』が、論功行賞の際に最も重要視される要素でもある。
それ故に、功を求める貴族達は私兵を出すだけに留まらず、こぞって農民相手に大量徴兵を強行し、戦力として送り込んできたわけだ。
農民にとって『夏』は、間違っても『農閑期』ではない。
雑草をまめに処理し、土面から水気が失われすぎないように畑を注視し、害虫が増えすぎていれば対策を施し、何かの病が発生していないか毎日綿密に調査する。そうした努力を農民たちが『夏月』の間も欠かさないからこそ、次の『秋月』に充分な恵みが齎されるのだ。
だというのに、夏期に農民を4万5千人も徴兵するなど、正気の沙汰ではない。大量徴兵を敢行した地域ほど、間違いなく今秋の収穫量は悲惨なことになる。
領地持ち貴族の多くは、農民という存在を『下等』なものと見ている。春に土地へ『種』を蒔き、秋に『収穫』を行うだけの、最も怠惰な民とさえ思っている。
実際には、農民以上に働き者な市民などそう居ないわけだが。多くの貴族がその事実を知ることはない。彼らはそもそも農民に関心自体持っていないのだから。
無知な貴族は容易く非道な振る舞いをする。今回のように農民に無理な徴兵を強いるだけでなく、農民からばかり厳しい税率で取り立てを行ったりもする。
多くの農民には『学』が無い。けれど、彼らも決して『馬鹿』ではない。
自分たちがぞんざいに扱われていると理解すれば、当然彼らは農地を捨てて他の土地へと逃げ出すことになる。
正に、そういう土地から逃げてきた農民の受け皿となっているのが、今この場で話しているガーターとバッカスの2人が治めている領地だった。
あまりに多くの農民を受け容れているために、2人は他の貴族から『他の領地の農民を拐かして自領に加えている』と、謂れなき誹謗を受けることも多い。
それだけに、もし今年の秋に他の領地の収穫量が酷い有様になれば、貴族の中にはその言いがかりを蒸し返して、ガーターやバッカスの領地から食糧支援を強請ろうとしてくる者が何人も出てくることだろう。
想像するだけで頭痛がしてくる、何とも嫌な未来予想図だった。
「『百合帝国』なる国家は確か、ニルデアの都市から5カード(※20km)以内の土地を、自国の国土とすると宣言していたな」
「はい。竜が届けた『建国宣言』の書状には、そう書かれていたとか」
「ならば明日の昼には先方彼の国土に入るか。……向こうから野戦を仕掛けてきてくれないものかな。そうすれば、速やかに戦争を終わらせられるのだが」
「ははっ。6万もの兵を相手に野戦を選ぶほど、馬鹿な相手では無いでしょうが。もし仕掛けてきてくれたなら、我等にとって喜ばしいことではありますな」
ガーターの言葉を受けて、バッカスが愉快そうに微笑む。
相手に『知恵が回る参謀』が居ると想定している以上、そんな未来がまず有り得ないことは、もちろん2人にも判っていた。
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「ふふ、大丈夫よ。ちゃんと期待に応えて、こちらから仕掛けてあげるわ」
2人の会話の一部始終を見聞きしていたユリは、執務室の中でひとり微笑む。
本日のお題は『侵攻前夜の敵国将軍の会話実況生中継』。
つまり、敵国の将軍達がたった今繰り広げていた会話は、ニルデアとファルラタの市民全員に、リアルタイムで『放送』されているのだった。
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お読み下さりありがとうございました。




