50. 死を以て安らがず
今回は繋ぎ部分なので大変短いです(すみません)
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アルトリウス教皇との会談から3日が経ち、今日は『夏月11日』。
いつも通り、領主館の執務室で午前中を過ごしているユリだけれど。今日は執務を片付けるでもなく、椅子に腰掛けたまま虚ろな視線を漂わせている。
今日の『寵愛当番』である『桔梗』のイグアスは、そのユリの表情をただ静かに眺めていた。
ユリが何をしている最中なのかは判っているので、特に心配はしていない。
ただ、こうしてユリの顔を近くでじっと見ることができる機会というのも、あまり多くは無いから。思いがけず得られた幸運を、神に感謝したりはしていた。
もっとも―――イグアスが感謝を捧げる神もまた、ユリに他ならないのだが。
やがて、20分程経つと。ようやくユリの両目に焦点が戻ってくる。
両腕を頭上に伸ばして、ユリが固くなった身体を解していると。その間に、イグアスがコジーで保温しておいたティーポットから2つのカップへ紅茶を注ぎ、その片方をユリへ差し出してくれた。
「ありがとう、イグアス」
「いえ。姐様、王国軍の様子はいかがでしたか?」
「遅くとも、あと1時間後には出兵しそうに見えたわ」
つい先程までユリが虚ろな目をしていたのは、使役獣の視覚に集中していたからだ。
〈視界共有〉というスキルを修得しているユリは、自身が召喚した使役獣が視認している景色を、自身の視界の1つとして共有認識することができる。
ユリは予め使役獣の『シルフ』を、10体ほどエルダート王国に派遣していた。
目的は言うまでもなく王国の『監視』だ。風の精霊であるシルフは、風と同化することで自身の姿を完全に消すことができる。相手に見つかるリスクをかなり抑えることができるので、偵察目的で使うには大変便利な使役獣だった。
「王国では今、ちょっとした式典のようなものをやっていたわね」
「式典、ですか?」
「ええ。一種の出兵式というか……壮行会みたいなものかしら。出兵させる兵達の前で偉い人が演説をして、兵の士気を高めようとしているみたいよ」
「へえ。そういうのって効果あるんですかねえ」
「少なくとも兵達は、疲れた顔しかしていなかったわね」
何しろ今は『夏月』なのだ。夏場の暑い陽射しの中で聞かされる、お偉方の無駄に長い演説など、兵たちにとっては苦痛でしか無い。
士気を下げる効果はあっても、高める効果などあろう筈も無かった。
「ちなみに兵数は、どの程度でしたか?」
「大体6万といった所かしら。予想していたより少し多いわね」
王国が出してくる兵数については、以前にルベッタが4万、アドスが5万と予想していたのを覚えている。彼らの予想よりは些か多めの兵が集まったようだ。
もっとも、何万の兵が来ようと、ユリにとっては大した差でも無いのだが。
「エルダート王国の首都からだと、ニルデアまで……80kmぐらいですかね?」
「そうね、大体そのぐらいの距離になるかしら。ニルデアの都市から半径20km以内の領域を『百合帝国』の国土と定めているから、うちの国土を侵犯するまでの距離なら60kmということになるわね」
「ふむふむ……。だとすると、到着まで何日掛かりますかね?」
「それは、なかなか難しい質問ね」
人は時速4kmから5kmぐらいのペースで歩くから、1日に8時間歩くと仮定するなら、大体32~40kmぐらいは毎日歩けるだろう。
―――と単純計算するのは、かなり安易で愚かな考え方だ。
実際には、人は群れれば群れるほど移動速度が遅くなる。
数万人規模の軍隊ともなれば、その進軍速度は露骨に落ちることになる。強行軍で進めたとしても、せいぜい1日に20km移動できれば良い方だろう。
王国の首都からニルデアまでは街道で繋がっているけれど、街道は馬車が2台並んで走れる程度の幅しか無い。なので軍隊の移動に利用するのは難しいだろう。
また、大勢の人が集まって行動していれば、当然付近の魔物の警戒を煽り、襲撃を受ける頻度は高くなる。それも確実に進軍を遅くする要因になる筈だ。
「……まあ、国境に着くのにも4日は掛かるのではないかしら」
「そんなに掛かりますか。のろまな亀さん達ですねー」
様々な要因も含めて考えると―――王国軍が1日に移動できる距離など、せいぜい15~16kmといった所だろう。
60kmの距離を移動するのに丸4日掛かる計算になる。今日が『夏月11日』なので、国境が侵犯されるのは『夏月15日』といった所だろう。
以前ルベッタとアドスの2人は、王国軍が来るのを『夏月の15日~20日』だと予想していたけれど。その予想は非常に正確だったわけだ。
やはりあの2人の才覚は只者ではない―――と、ユリは改めて思う。
「来るならさっさと来て欲しいものね。面倒事は早めに片付けてしまいたいわ」
「王国軍の対処には、やっぱり『究極奥義』をお使いになるんですか?」
「ええ、そのつもりよ。資源の補充にもなるし」
「そうですね。『竜胆』は喜ぶでしょう」
ユリが100日に1度だけ行使できる『究極奥義』は、超広範囲の敵を殲滅するものであると同時に、特定の貴重資源を大量に産出させる副効果がある。
武器や防具、装飾品などの生産に便利に活用できる資源なので、イグアスの言う通り『竜胆』の子達には喜ばれることだろう。
「でも、いいですねー。私も久しぶりに『究極奥義』をぶっ放したいです」
「いま『城』を造られても、困ってしまうわね」
イグアスの言葉を受けて、思わずユリは苦笑してしまう。
『究極奥義』はキャラクターのレベルが『200』に達した際に必ず修得できるスキルなので、ユリに限らず『百合帝国』の子達は全員が持っている。
イグアスが修得している『究極奥義』は【一夜城建築】というもので、名前から判る通り立派な『城』を短時間で建築することができるスキルだ。
なんと材料が不要なので、木材や石材を一切用意する必要が無い。ちなみに別に『夜間』に限らずいつでも使用できるし、そもそも『一夜』どころか10分ぐらいで築城が完了するというとんでもないスキルだ。
―――とはいえ、今は別に『城』が必要な状況でもない。
余分な城を造られても、持て余すことは目に見えていた。
「そうだ、姐様。どうせなら王国軍をやっつける際に、ラケルを同行させてはいかがでしょうか?」
「……ラケルを?」
ラケルは『黒百合』に所属する子で、副隊長の1人でもある。
礼節を重んじるところがあって、『黒百合』の中ではちょっと変わった子だ。
「ラケルの『究極奥義』なら、姐様と相性が良いと思うのですが」
「あなたも、なかなかエグいことを考えるわねえ……」
ラケルが修得している『究極奥義』は【死者の軍勢】。
これは付近で10分以内に死亡した敵を、全員纏めて任意のアンデッドとして蘇生させ、服従させる効果を持つ。しかもアンデッド化する際にレベルが30上がるため、敵だった時よりも強力な味方に『加工』できるのだ。
言うまでも無く、広域殲滅系スキルとは極めて相性が良い。
「採用しましょう。『百合帝国』の国土に6万人分の死体が残っても困るものね。死体は全てアンデッドに加工して『故郷へ帰る』ように命令しましょうか」
「あはっ。王国の各地に阿鼻叫喚が溢れそうですねー」
その光景がありありと想像できたのか、イグアスが愉快そうに笑む。
運命の1日が、すぐそこにまで迫っていた。
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