49. 逃さん…お前だけは…
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それからもユリは、アルトリウス教皇と様々な話を交わす。
あくまで使者の人達を送るのが目的の訪問だったとはいえ、こうしてニムン聖国の国主と面会できた以上、それは二国間協議と全く同じ意味を持つ。
友好を深める意味でも、今後は交易を活発化させることになるのだから、相手国と詰めておくべき話など幾らでもあった。
―――とはいえ、まずはやるべきことを先に消化しなければならない。
「アルトリウス教皇。実はエシュトアから、宮殿と大聖堂に【調温結界】を展開して欲しいと頼まれているのですが、どうしましょう?」
「ふむ……。すみません、私はその結界について詳しくありませんので、説明して頂いても構いませんか?」
「もちろんです」
ユリは【配下NPC召喚】のスキルを行使し、結界術を得意とする『紅梅』隊長のホタルを呼び出し、彼女と共にどんな効果がある結界かを説明する。
【調温結界】は内部空間を任意の温度に保ち続ける結界のことだ。この結界で保護された空間内は、たとえ砂漠であろうと常に快適な温度が保たれ続ける。
「宮殿と大聖堂だけでなく、都市全体に結界を張っても構いませんが~」
「……よろしいのですか? 流石にそれは、大変なのでは」
「労力的には然程でもありませんね~。ただ都市全体に張るとなると、それなりのコストは当然掛かりますが~」
「消費素材については気にしなくて良いわ。私の聖女からのおねだりなのだから、もちろん私が出す。ニムン聖国に負担を求めることは無いわ」
「あるじ様もこう言っておられますので、いかがでしょう~? どうせ都市全体に結界を張るのであれば【障壁結界】も併せて展開すると、都市内に魔物が侵入して来るのを防げますよ~?」
「魔物の侵入を防ぐ? そんなことまで可能なのですか」
ホタルの言葉を受けて、教皇とエシュトア、それから2人の高司祭が、いずれも驚きを露わにしてみせた。
話を聞いてみたところ、ニムン聖国では『禿鷲』の姿をした空を飛ぶ大型の魔物が数日に一度は姿を見せるらしい。
空を飛ぶ魔物なので、ファルラタの都市を囲む防壁は当然何の役にも立たない。一応この魔物への対策として、都市内の各所に見張り櫓を組み、弓兵も配置しているらしいのだけれど。それでも脅威を抑えることは出来ておらず、魔物が襲撃してくると、かなりの確率で国民に被害が出ているそうだ。
「民を護れるのなら、是非もありません。出来る限りの謝礼は致しますので、ファルラタの都市全体を結界で覆って頂けますと有難いです」
「判ったわ。ホタル、暗くなる前に済ませてしまいましょう」
「あいあいさ~、あるじ様~」
ユリとホタルの2人は『黒羽根の靴』を履いて空を飛びながら移動し、聖都ファルラタの都市の周囲を巡って地面に結界石を打ち込んでいき、【調温結界】と【障壁結界】の2つの結界を展開する。
これで聖都ファルラタの気温は昼でも夜でも、常に人が活動しやすい気温に保たれる筈だ。寒暑のせいに鈍っていた市民の活動も、今後は活発になることだろう。
また『紅梅』の子達の中でも、特に課金装備を満載しており、結界術が強化されているホタルが展開した【障壁結界】は、かなりの強度を持つ。
聖都ファルラタの近辺に出現する魔物が、どの程度のレベル帯なのかは知らないけれど。レベル100以下の魔物の攻撃であれば、結界に傷ひとつ付けることはできないだろう。
更には『桔梗』の子を3名召喚して、聖都の宮殿の近くの空きスペースに小さな倉庫を建てて貰い、その建物をホタルに【調温結界】で囲って貰った。
これはエシュトアと、レナード高司祭とロアン高司祭が求めていたチョコレートを保存するための倉庫だ。
【調温結界】で囲った空間は『-20度』から『60度』の間で自由に温度を設定できるので、この建物の中は最低の『-20度』で保たれるようにしている。
一般的な冷凍庫が大体『-18度』前後なので、この温度なら充分に冷凍保存ができるだろう。少なくともチョコレートが溶けてしまう心配は皆無だ。
チョコレートは冷凍すればそれなりに長期間保存できる。この倉庫になら、ある程度纏まった量を格納しておいても問題無い筈だ。
もちろん別にチョコレートの保存に限らず、普通に『冷凍庫』としても活用できるので、聖国にとっても建物の利用価値が尽きることは無い筈だ。
一仕事終えて聖都の宮殿に戻ると、すでに陽が沈み掛けていた。
ユリには毎日の宵頃に必ずやっている仕事がある。いつもの『放送』だ。
折角ニムン聖国の首都くんだりまで来ているのだから、今日はアルトリウス教皇との対談を『放送』させて貰おう。そう思ってユリがお願いすると、教皇はすぐに快諾してくれた。
「念話を用いた『放送』ですか……。そんなことまでお出来になられるとは、ユリ様は多才な方なのですね」
「褒めてくれるのは嬉しいけれど、こんなの偶々でしか無いのよ。私が自分の力で出来ることなんて、本当に僅かしか無いのだから」
「ところでその『放送』についてですが。ニルデアの市民だけでなく、ファルラタの市民にも視聴できるようにして頂くことは可能でしょうか?」
「……可能ではありますが。宜しいのですか?」
他国の人間に『放送』を許すなど、ユリからすれば正気の沙汰とは思えないのだが。
「砂漠の夜は寒く、市民は陽が落ちた後は基本的に家から一歩も出なくなります。娯楽に飢えている筈ですので、ユリ様に『放送』を届けて頂ければ、きっと市民も喜ぶことでしょう。―――もちろん、ユリ様が【調温結界】を張って下さったお陰で、今後は夜間も精力的に市民が活動するようになるかもしれませんが」
「ふむ……。ちなみにファルラタへの『放送』は今日だけで宜しいですか?」
「ユリ様さえ宜しければ、それ以降も是非」
なんだかそういうことになって、今日からはニルデアだけでなく、ファルラタの市民にも『放送』を届けることになってしまった。
市民に放送を届ける為には『絆』を接続する必要があり、その為にはファルラタの都市にも【空間把握】の魔法を行使する必要がある。
そのせいで聖都ファルラタの人口から経済状況、軍事関連情報に至るまで、全てユリの知るところになってしまったのだけれど―――まあ、悪用しないようにユリが心懸ければ、それは構わないだろうか。
ちなみに聖都ファルラタは都市面積だけなら、ニルデアよりも大きかった。但し人口は全部で1万5000人程度しかおらず、ニルデアのほうがだいぶ多い。
2国同時放送の記念すべき初回である今日は、まずファルラタの市民に魔物の侵入を防ぐ【障壁結界】と気温を安定させる【調温結界】を張った事実を連絡した。
これらの結界はニルデアの都市にもまだ設置していないものだ。なのでニルデアの市民が不快に思うかも知れないと思い、現在の都市には設置しないものの『移転後の都市には必ず設置』する旨をニルデアの市民には確約しておいた。
いま結界を設置すると、その為に消費する素材が無駄になることも正直に伝えたので、これならばニルデア市民の理解も得られることだろう。
あとは教皇アルトリウスとの対談を放送した。それほど変わった話はしなかったけれど、そもそも市民にとっては他国の国主はおろか、自国の国主さえ滅多に見る機会が無い物なので、充分に興味を持って貰える『放送』になったと思う。
放送が終わった後は、アルトリウス教皇と今後の交易でどのような物をやりとりするかについて、夜遅くまで様々な話を詰め合った。
「何しろ聖国は国土の半分が砂漠ですので、出せる交易品もそれほど大したものは無いのですが……」
アルトリウス教皇がそう言いながら、ニムン聖国が他国とやり取りしている、主な交易品のリストを見せてくれた。
そのリストを目の当たりにして―――。つい今しがた告げられた教皇の言葉が、多大な『謙遜』に満ちたものだということをユリは理解させられてしまう。
まず一見しただけで『ヤバい』と感じたのが、『ゴム』と『没薬』の2つだ。
この2種類の素材は『アトロス・オンライン』のゲーム内にも存在していたが、どちらも原則として魔物は落とさない。地上に点在する『採取ポイント』という場所で、採取スキルを使用して獲得する素材だった。
故にこれらの素材は、ユリにとっては未だに『再獲得』が不可能な素材なのだ。それがこの世界でも調達できるというのは、正直とても有難い。
ゴムに関しては、使用用途の広さについて最早説明する必要も無いだろう。
ユリでも真っ先に思いつく利用法としては、馬車への利用だろうか。
ゴムがあれば『チューブ』を作り『タイヤ』を完成させることができる。木製の車輪をタイヤに交換するだけでも馬車の揺れが大きく軽減され、同時に制動面でも改善が期待できる筈だ。
天然ゴムからは糊を始めとした接着剤も作れる筈だ。ゴム紐は衣料によく使われる素材だし、靴への利用も欠かせない。
また、ゴムは絶縁体であり電気を通さない。なので防具や魔導具への利用についても、利用価値が高い素材なのは間違いない。
『没薬』とは特定の樹から採れる樹脂を蒸留したものだ。焚いて利用する『香』の一種で、殺菌作用があるので『薬』としての価値も持つ。
古代エジプトなどで、ミイラを作成する際に遺体に用いられた防腐剤としても広く知られている。没薬のことを『ミルラ』とも呼ぶが、これが『ミイラ』の語源になったという説もあるぐらいだ。
『アトロス・オンライン』のゲームでは、高レベルの霊薬を作る際に必要不可欠な素材だった。ユリにとって非常に魅力的な交易品であることは疑いようもない。
「品目に羊毛があるということは、羊を育てているのですよね」
「ええ。羊は砂漠でも育つ種がありますから」
日本人の感性だと『羊』と聞くと、遊牧民族が限られた土地でのみ育てていそうなイメージを持つかもしれないが。羊は環境適応能力が非常に高い動物で、実際には世界中のどこにでも適応した種が存在する。
羊が一般的でないのは、それこそ日本を始めとした、アジアの一部地域ぐらいのものではないだろうか。
砂漠地帯はもちろん、非常に急峻な山岳地帯でも、断崖絶壁ばかりの孤島でも、火山地帯でも、一年中雪に閉ざされるような場所でさえ、羊はその土地その土地に適応した種が存在する。
但し、残念ながらニルデアの近くでは飼育されていない。ニルデアの周辺地域は温暖で畜産が行いやすい環境なので、牛や豚など、人の口により好まれる家畜のほうが精力的に飼育されているからだ。
「ラノリンも交易品として出して頂くことは可能かしら?」
「えっと……。その『ラノリン』というのは、一体何でしょうか?」
「羊毛から採れる脂質、というか『蝋』のようなものなのですが」
「―――ああ。羊毛から脂を抜く際に生じる副産物のことですね。当国では蜜蝋と混ぜて、革を鞣すのに利用しておりますが」
「是非それも交易品に加えて頂けないかしら」
「それはもちろん構いませんが……」
アルトリウス教皇の顔に(一体何に使うのだろう?)と明瞭に書いてあったが、それについては敢えて無視することにした。
ラノリンは化粧品の材料に利用できる素材だ。肌に保湿効果を与えることができるので、化粧品の中でも特に基礎的な商品の材料として利用できる可能性が高い。
言うまでも無いが―――化粧品は莫大な『富』を生む商品となり得る。
なのでこの利用法については、いかにアルトリウス教皇にであっても、そう簡単に口を漏らす気にはなれなかった。
―――なお、リストに記載された交易品の中で圧倒的にヤバいのは、『ゴム』でも『没薬』でも、ましてや『ラノリン』でも無い。
もっと圧倒的にヤバい品目が、そこには記載されていたのだ。
「アルトリウス教皇。この『燃える水』というのは何でしょうか?」
「文字通り火を点けると『よく燃える液体』ですね。火力はそれほど出ませんが、長く燃えるので砂漠暮らしの夜に暖を取るために利用されます。ただ……」
「……ただ?」
「燃やすと体調を崩す気体が出るようです。なので密閉された室内などで利用すると、危険なことになる場合があります」
「ふむ……。実物を見せて貰うことは出来ますか?」
「いま持ってこさせましょう」
アルトリウス教皇の指示を受けて、部屋の隅に控えていた白い衣装の女性の1人が部屋から出て行く。更に数分ほど経つと、その女性が液体が入った容器を持って部屋へと戻ってきた。
おそらくはこれが『燃える水』だろうと思い、ユリが容器の中を覗き込むと。いわゆる温泉の匂いというか、『硫化水素』の匂いも混じった、不快な匂いがした。
(……何かしら、コレ)
見てみても判らなかったので、ユリは〈鑑定〉スキルを行使する。
そうして『燃える水』のことを視てみて―――。
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□原油/品質[98]
【油】
まだ精製加工を経ておらず、不純物の多い石油。強い匂いがある。
鉱物資源の一種であり大変貴重。一部地域では自然に湧出する。
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―――その説明文を読んだ時の感情を、一体何と言い表せば良いだろうか。
「是非ともニムン聖国とは、末永く友好関係を保ちたいものですわ」
「え、ええ。こちらこそ、是非ともよろしくお願いします」
満面の笑みでユリの側から手を差し出し、再び教皇と握手を交わす。
こんな貴重資源に満ち溢れた国を、断じて逃してなるものか―――。
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