45. 友好国
「それにしても……。シュレジア公国はどうして『竜』が居ると判っている国に、戦争を吹っ掛けるような真似をしたのでしょうか?」
少し惜しそうな表情で、チョコレートタルトの最後の一切れを口に運びながら、エシュトアがそう口にする。
もちろんそれを見たユリは、側に控えるパルティータに目配せをして、すぐに彼女へ2皿目のタルトが提供されるように取り計らった。
ちなみにバダンテール高司祭はもう4皿目に突入している。どうやら彼の辞書に遠慮という文字は無いらしい。聖職者なのに……。
「確かに、判らないわね。勝てると踏んだのかしら?」
「それは無いと思われます。仮に勝てるとしても、竜を相手にすれば甚大な被害が出るのは必定。何を考えているのか、まるで見当も付きませんな」
「そうですね、私にも判りかねます」
ユリだけでなく、レナード高司祭とロアン高司祭の2人も首を傾げる。
すると、4皿目のチョコレートタルトを食べ終えたバダンテール高司祭が「私見で宜しければお話できますが」とユリに告げた。
ちなみに8カットのタルトなので、彼1人で1/2ホールを食べたことになる。
「それで構わないから、是非とも聞かせて欲しいわ」
「はい。そもそも『公国』とは、文字通り『公爵』を君主として戴く国であるわけですが。シュレジア公国には『公爵』の家門が3つ御座いまして。慣例によりこの3つの公爵家の合議で、どの家門を君主として戴くかを決めております。
11年前までは、シュレジア公国の君主を『テオドール家』が務めていました。テオドール公は内政能力に長け、シュレジア公国を富ませるために尽力し、成果も充分に上げておられた方だったのですが。しかし11年前に突然、友好国であったエルダード王国から戦争を仕掛けられ、シュレジア公国は敗北を喫しました。その敗戦によりシュレジア公国は領土の実に4分の1を王国に割譲させられてしまい、折角豊かになった都市を幾つも奪われております」
「ふむ……。テオドール公はその責で君主を辞した?」
「はい。戦争に敗北したことで、貴族や国民の中に『強き君主』を求める声が一気に高まりました。シュレジア公国とエルダート王国は接している国境が多いため、戦時中は同時に3箇所で争っており、それぞれの戦線を各公爵家が担っていたわけですが。他の2公があっさり王国軍に敗退させられたのに対して、ドラポンド公が担当した戦線だけは、王国軍を相手に終始優勢を保っておりました。
もともと『ドラポンド家』は武門の家柄です。しかも戦争で結果を出していたとなれば、当然貴族や国民はドラポンド公に新たな君主となってくれることを期待します。テオドール公もそれを受け容れて君主の座から退きました。以降、今日までシュレジア公国の君主を『ドラポンド家』が11年間務めているわけです」
なるほど、ありそうな話だ―――とユリは思う。
良くも悪くも国民感情というものは、短慮な思想に支配されやすいものだ。
「愚かな話ね。敗戦後にこそ、内政手腕が求められるでしょうに」
「いや、全くその通りです。シュレジア公国は敗戦以降、それまでの豊かさが嘘のように、一気に貧しい国家へと凋落することになるのですが。これは敗戦によって領土を奪われたことよりも、敗戦の後にエルダート王国の商人達がシュレジア公国の中で好き勝手に暴れ、その経済を食い物にしたことが最大の原因でした。
武門の家柄であるドラポンド家は世辞にも経済に精通しているとは言えず、公の手腕では相手国の商人に対して何の掣肘を加えることもできなかった。その結果、もともと公国内で活動していた商会の大半が廃業し、市場はエルダート王国の商人によって席巻され、公国の借金は一気に膨れあがることになりました」
「それは何とも、憐れな話ねえ……」
紅茶を啜りながら、ユリは他人事のように口にする。
事実、他国がいかに落ちぶれようと、ユリにとってはどうでも良いことだった。
「ユリ様。他人事のように感じておられる様子ですが。戦後にシュレジア公国の経済を食い物にした商人の筆頭こそ、ユリ様が懇意にされている『ロスティネ商会』でありますぞ?
特にシュレジア公国内に幾度も食料の高騰を引き起こし、市場から多くの金を巻き上げて民を貧しさの中へ叩き落とし、その成果をもって『ロスティネ商会』の会頭となられたルベッタ殿は、現在でもシュレジア公国内において『魔女』と呼ばれ怖れられているという話を聞きます」
「あら、そうなの? ルベッタもやるわねえ」
ルベッタはやり手の商人だ。彼女から見れば、敗戦国という『荒らしても自分に被害が及ばない市場』など、叩けば叩くほど面白いように金が湧き出てくる、壊れたATMのようなものだろう。
(愚かなことね。商人ほど義理堅い相手も居ないというのに)
誠意を持って接すれば、商人は必ず誠意を持って応えてくれる。何故なら、彼らは他人の誠意が金で買えないことを知っているからだ。
ドラポンド公が、王国の商人をどういう風に扱ったのかは知らないけれど。国の再建に協力して欲しい旨を正直に伝え、頭を下げて真摯に頼み込めば、ルベッタも無下に扱うようなことはしなかっただろうに。
「そこまでのお話は判りましたが……。それがどうして、シュレジア公国が百合帝国に対して酷い態度を取ることに繋がるのでしょうか?」
首を傾げながら、エシュトアが静かにそう問いかける。
「簡潔に申しますなら、ドラポンド公は武を期待されて君主となったが為に、民や貴族に『弱い』姿を見せるわけにはいかないということですな。
こう申し上げるとユリ様は気を悪くされるかもしれませんが―――百合帝国には『国家』として承認されるための『正当性』がありません。今までこの地には全く存在しなかった国ですから歴史がありませんし、正当性を担保してくれる後援国家もありません。そして更に言えば、ユリ様には姓がありません。家門を持たないことは『貴族に非ず』を意味しますから、平民が頭に立つ集団が、勝手に『国家』を名乗った―――という具合に、他国からは見えるでしょう」
「なるほど……。別に私に遠慮は要らないから、話を続けて頂戴」
「はい。百合帝国を『国家』として承認することは、自分と対等の相手だと認めることを意味します。そして民や貴族に『弱い』姿を見せられないドラポンド公からすれば、正当性の欠片も持たない国家を承認できる筈も無い。
もし承認してしまえば、それを『親書を運んできた竜に臆したからだ』と周囲に侮られ、ドラポンド公の立場は確実に危うくなる。ですから公は百合帝国に対し、強気に『否』を突き付ける以外の選択肢が存在しないのです」
「つまり武を誇って君主になったばかりに、自縄自縛に陥っているということね」
「そう考えて頂いてよろしいかと」
まあ、別に国家として承認されないこと自体は構わないのだけれど。
それでも―――売られた喧嘩を看過するかどうかは、別問題だ。
「ま、近いうちに然るべき報いは与えるとしましょう」
「やはり、あの手紙に綴られた侮蔑の数々は、許せませんか」
「私が侮蔑されるのは別に構わないのよ。『卑しい女』とか『愚かなる蛮族の女』とか書かれていた気がするけれど、私自身はそれほど気にもしないし」
でもね、とユリは言葉を続ける。
「あの手紙には、私の愛する子達のことを『弱卒の兵』と書いていた。
そのことが―――私には、断じて許せない。絶対に酷き死を以て償わせる」
近いうちにエルタード王国から来ると思われる兵については、ユリが1人で全て片付けるつもりでいるけれど。
シュレジア公国に関しては、むしろユリは一切手を出さずに『百合帝国』の皆へ全てを任せるぐらいで良いかもしれない。
彼らが『弱卒の兵』と腐した相手から、せいぜい痛い目を見れば良いのだ。
「他国はともかく、ニムン聖国は『百合帝国』を国家として承認させて頂きます。教皇からその旨の手紙を預かっておりますので、どうぞお受け取り下さいませ」
「ありがとう、エシュトア。確かに受け取ったわ」
手紙を差し出したエシュトアから、直接ユリはそれを受け取る。
ここは『玉座の間』では無いのだから、わざわざ第三者を介して受け取る必要も無いだろう。
封蝋を解いて、ユリは中から手紙を取り出す。
最初に手紙の末尾を見てみると『アルトリウス』という名が署名されていた。
「教皇の名前はアルトリウスと言うのね。国主なのに姓は無いのかしら?」
「はい。教皇になった者は家門とは切り離され、個人として国と主神のために生涯奉仕する役目を担います。アルトリウス猊下も元は貴族ですので、当然姓もお持ちでしたが、教皇になった時点でそれを捨てておられます」
「なるほど。高潔なことね」
家門名を捨てると言うのは、家からの干渉を断ち切るということだろう。
自家を優遇しない姿勢を明確にするというのは、何とも気高い行為に思える。
アルトリウス教皇からの親書は、実に用紙4枚にも及ぶ量だった。
軽く流し読みしてみると、まずユリが神になったことや百合帝国の建国を祝ってくれる文面から始まり、百合帝国を国として承認すること、国を挙げてユリの信仰を後押しする用意があること、百合帝国と友好を結びたいこと、その第一歩としてまずは交易から始めたいことなどが数多く綴られていた。
またアルトリウス教皇からの親書は、終始ユリや百合帝国に対する敬意を露わにした、下にも置かない文面ぶりで綴られていた。
いかに相手が好意を持ってくれているかが、ユリにも容易に理解できてしまう。
「アルトリウス教皇には、たまたま神の末席に加わった私や、百合帝国という新米国家のために心を砕いて下さり、深くお礼を申し上げたいと伝えて貰えるかしら」
「ありがとうございます。必ずお伝えします」
「もちろん、こちらからも親書を認めるけれど……。アルトリウス教皇から長文の書状を頂いてしまったので、私の方からも遠慮せず長々と書き綴らせて貰いたいと思うの。申し訳無いけれど使者の方々には親書が書き上がるまでの間、ニルデアに滞在して貰っても構わないかしら?」
「私達に遠慮は無用です。どうぞ急がず、ゆっくりお書き下さい」
「ありがとう、エシュトア。使者の方々に滞在して頂く屋敷は、すぐにでも部下に準備させるわ。―――パルティータ」
「はい。既に準備は完了しており、すぐにでもお泊まり頂けます」
ユリが問いかけると、パルティータが即座にそう応えた。
予め準備させていたのだから、もちろん特に心配もしていない。
「それと、親書にはまず交易から国交を始めたいとも書かれていたわ」
「実はそれについて、教皇よりユリ様に贈り物がひとつ御座います」
「あら、嬉しいわ。何かしら?」
「馬です。今回24名の聖騎士が乗ってきた馬を、そのまま贈り物としてお受け取り頂けましたらと存じます。軍馬ではありませんがその分若く、特に精強な馬ばかりを選んで参りました。いずれも砂漠育ちで暑さにも強いですので、ユリ様が懇意にする商人へ下賜して頂けましたら、両国間の交易に活躍すると思います」
「ああ―――そういえばニムン聖国には、砂漠が多いらしいわね」
ユリはそのことを、今日の午後の予習で既に学んでいた。
「はい、実に国土の半分が砂漠になります。普通の馬だとすぐに弱ってしまいますので、ホルガンという砂漠に入る前の都市までしか荷を運ぶことができませんが。この馬でしたら聖都まで荷を轢いても問題無いかと存じます」
「ふむ……。そもそも荷馬車は砂漠でも走れるものなのかしら? なんとなく砂に車輪が沈みそうなイメージがあるのだけれど……」
「交易路上を走る分には、土魔法で押し固めてありますので大丈夫だと思います。道を外れてしまった場合でも、車輪が細すぎるとか、荷重が重すぎるといったことが無い限りは、案外問題無く走れますね。
どちらかと言えば馬車に問題が出ることよりも、暑さのせいで輓獣が駄目になって立ち往生することのほうが圧倒的に多いです。普通の馬で運ぶ場合は、くれぐれもホルガンの都市より先には進まない方が賢明ですね」
「なるほど、勉強になるわね」
とりあえず、贈り物の馬はそのままルベッタに預けるのが良いだろう。
彼女なら上手く使って、両国間の交易を成功させてくれるに違いない。
「馬を頂けるのは嬉しいけれど、そうすると聖騎士の方々が足を失って、お帰りの際に困るのではないかしら?」
「それはこちらのニルデアで、普通の馬を購入して帰るつもりです。ホルガンまで移動できれば、そこから先は駱駝に乗り換えて聖都まで帰りますので」
「なるほど……。金銭の出費をさせてしまうのも申し訳無いから、そちらさえ宜しければ、私に皆様を聖都まで送らせて貰えないかしら?」
「……送る、ですか?」
「私は転移魔法を最も得意としていてね。使者の方々全員を聖都まで、一瞬で送り届けることができると思うわ」
ユリがそう告げると、エシュトアが驚きを露わにしてみせる。
いや―――エシュトアだけでなく、レナード高司祭とロアン高司祭の2人も、判りやすいぐらいに驚愕の表情を浮かべていた。
「転移魔法は、自分以外に1人か2人しか運べないと聞いていますが……」
「そうなの? 私は頑張れば1000人ぐらいまでなら一気に運べるけれど?」
その言葉を受けて、エシュトアが更に大きく目を瞠る。
やろうと思えば『転移門』を作成して、2点間で無制限に行き来できるようにすることさえ可能なのだが―――そこまで言う必要は無いだろうか。
「す、凄いのですね……。宜しければ是非、お願い致します。それほどの大魔法を体感させて頂ける機会など、そうそう無い気が致しますので……」
「別に私に取っては『大魔法』という程のものでも無いのだけれどね」
「まさかユリ様がそれほど優れた転移魔法の使い手でいらしたとは……。ユリ様に喧嘩を吹っ掛けたシュレジア公国が、心底憐れでなりません」
微笑みながら、エシュトアが小さな声でそう零した。
実際、ユリはやろうと思えばいつでも、『百合帝国』の全軍をシュレジア公国の首都に送り込むことだってできてしまう。
彼の国が愚かさの代償を払う時は、そう遠くないはずだ。
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お読み下さりありがとうございました。




