40. 賭け将棋
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「世界を移り住めば、それに伴って変化が生ずるのは珍しく無いことです」
さも当然のことのように『癒神』の名を冠するリュディナはそう言ってみせた。
「……そういうものなの?」
「そういうものです。嘗ての世界では『当然』だったことが、移り住んだ先の世界ではそうではなくなる。あるいは逆に、嘗ての世界では定義されていなかった事象が、移った後の世界では『当然』のこととして認められている。
世界が変われば規定も変わる。さほど珍しくも無いことです」
いまユリとリュディナが居る場所は、新緑が眩しい『神域』の庭園。
以前、ユリが初めて『神様』になった際にも訪れた場所だ。
今日のリュディナは涼しげな青のドレスを身に纏い、後ろの髪をハーフアップに纏めている。服装と髪型が作り出すお嬢様っぽい清楚さが、リュディナ自身が持つ雰囲気にとてもよく似合っているように思えた。
「これで王手ね。王手銀取り」
「待っ―――」
「別に『待った』をして貰っても構わないけれど。これで3回目になるから、その場合には事前の取り決め通り、リュディナの唇を奪わせて貰うわよ?」
「………………続行でお願いします」
ユリ達は『神域』の庭園でお茶を飲みながら、なぜか将棋を指していた。
いや、なぜも何も、今日庭園に来るや否や、リュディナが将棋盤と駒を用意した上で待ち構えていて。有無を言わさず付き合わされているわけだけれど。
リュディナは最近、ユリが元居た世界―――つまり『日本』の漫画にハマっているらしくて。ユリは神域を訪ねる度に、様々な漫画の話に付き合わされていた。
なので今回リュディナが急に『将棋』をやろうと求めてきたのも、おそらく何かしらの漫画の影響があるのだろう。たぶん『ライオン』とかその辺の。
「じゃあ、これで金将は頂くわね」
「うう……。どうしてユリはそう簡単に私の駒を取れるのです」
「日本に住んでいた頃は、たまに祖父に付き合わされて将棋を指していたから」
ユリが働いていたのは祖父が社長を務めている会社だった。ユリは仕事柄、常に事務所の中で働いていたので、祖父も将棋の相手として誘いやすかったのだろう。
もちろんユリも祖父から将棋の相手をするよう『業務時間内』に求められれば、喜んで付き合っていた。給料が出るのに不満を持つわけもないのだ。
「リュディナは金将を斜めに動かし過ぎ。なるべく控えた方が良いわよ?」
「……それは、どうして?」
「折角だから理由は自分で考えてみると良いかもね」
金将の駒は斜め前に進めるけれど、斜め後ろには戻れない。
なので一度斜め前に出すと、2手使わなければ元の場所に戻れないのだ。相手が斜め前に動かしたくなるよう誘導すれば、初心者の金将は案外取りやすい。
ちなみに現在ユリは8連勝中だったりする。
3連勝した辺りで(これは勝負になっていないな)と思ったから、本当は勝負を受けるのをやめようとしたのだけれど。リュディナには意外にも負けず嫌いな一面があるらしく、それを許してはくれなかった。
なのでユリは勝負を続行する条件として、リュディナに「もし10連勝できたらあなたを押し倒しても構わないのなら続けても良いわよ?」と提案した。
その条件を突き付けられて、リュディナはかなり迷っていた様子だったけれど。最終的には彼女が受け容れたことで、こうして今も勝負が続いている。
「ま、まあ……私もそういうことに、興味が無いこともないですし……」
先程リュディナは小さな声で恥ずかしそうに、そんな言葉を漏らしていた。
無論同性好きのユリとしては、その条件を呑んで貰えるなら勝負に否やは無い。
ちなみにユリが5連勝した辺りから、急にリュディナが『待った』を使い始めるようになったので、今は「3回『待った』をしたら唇を奪う」という条件も追加されている。
「……コホン。話を戻しますが、ユリが知っている『使役獣は殺された際に死体を残さない』という規定は、あくまでも『リーンガルド』という世界に紐付けられたものだったということでしょう。
使役獣を召喚して殺すたびに幾らでも素材を得ることができていては『ゲーム』として成立しなくなりますからね」
「つまり、今は『リーンガルド』とは関係が無い世界に来たから……」
「その規定は適用されなくなった、と考えてもよろしいかと」
「なるほどね……。あ、これでまた王手ね。王手角取り」
「待っ―――。あ、いえ、何でも無いです」
〈召喚術師〉系の職業を持つキャラクターは、原則として最大『100体』までしか魔物を自身の使役獣にすることができない。
これは契約という形で魔物と『絆』を結べる数にも限界がある―――という設定が『アトロス・オンライン』のゲームにあったからだ。
但しユリが転職した最上級職の〈絆鎖術師〉は、〈召喚術師〉の持つ『絆』の能力に超特化した職業だ。
そのため〈絆鎖術師〉に転職したキャラクターは、最大『100体』までという契約上限数が取り払われ、無制限に魔物を使役獣にすることが可能となる。
あくまでも無制限に『契約』ができるというだけで、無制限に魔物を『召喚』できるわけではない。魔物を召喚している間は魔力を消費し続けるので、同時に呼び出しておける魔物の数には限界があるのだ。
なので沢山の魔物と『契約』していても、その事実がキャラクターの強さに繋がるわけでも無いのだが。
それでも―――無制限に魔物と契約できるというのは、それだけでコレクター心を強く刺激する要素になる。
〈絆鎖術師〉のキャラクターを有するプレイヤーが『リーンガルド』の世界中に存在する魔物を1体でも多く自身の使役獣にすべく、不断の努力を続けるというのは案外よくある話だった。
もちろん、ユリもまた例外ではない。
『アトロス・オンライン』を20年以上プレイし続けていたせいで、ゲーム内に存在している全ての雑魚モンスターを、ユリは自身の使役獣として各20体以上ずつ契約している。
また『アトロス・オンライン』では『ボスモンスター』も単身討伐に成功しさえすれば使役獣にすることができた。なので、ユリは課金装備と〈復讐の絆〉のスキルをフル活用することで多くのボスモンスターを単身で討伐し、自身の使役獣にすることに成功している。
この事実が何を意味するのかというと―――。
「良かったですね、ユリ。この世界で『リーンガルド』の素材を再入手できる目処がたったではありませんか」
「実際、それ自体は正直、とても有難くはあるわ……」
ユリが『リーンガルド』の使役獣を召喚して、仲間に討伐させて死体を〈解体〉して貰えば。もう二度と入手できないと諦めていた『リーンガルド』の各種素材を再び確保することができる。
最近では、『結界』の展開・維持に消費する素材を何かとケチることが多かったユリにとって、この事実自体は実際とても有難いことだった。
―――まさか、こういう形で解決するとは思ってもいなかったけれど。
「ふふ……ここが天王山ですね。飛車を前に出すとしましょう」
「ではここに香車を打って王手です。詰みですね」
「えっ?」
「これで9連勝。後が無くなりましたね、リュディナ」
「う、うう……」
かあっと、顔だけでなく耳元まで真っ赤に染め上げてみせるリュディナ。
緊張のせいか、それとも恥ずかしさのせいなのか。冷静さを欠いたリュディナと指した10戦目の結果については、もはや語るまでもなかった。
*
「ん……」
目を覚ますと、ユリの視界にはこの1ヶ月間ですっかり見慣れた、領主館の私室の天井があった。
ゆっくり身体を起こして立ち上がり、ユリは大きく身体を伸ばす。
窓の外を見てみると、ちょうど空が夕焼け色に染まっていた。
眠っていた時間は、正味3時間といった所だろうか。
あの日、癒神リュディナの提案を受け容れて『神様』になったユリは、それにより望めばいつでも『神界』を訪ねることができるようになっていた。
方法は簡単で『神界に行こうと思いながら眠る』だけで良い。
今も『使役獣の死体を〈解体〉して素材が獲得できた』件について、リュディナから話を聞くために、意図的に眠って神界を訪問してきた所だった。
寝着用の緩いローブを脱ぎ捨てて、いつもの【罪業のドレス】に着替える。
この黒いドレスに身を包んでいると、少し気が引き締まるのが好きだった。
「ユリ様、おはようございます」
「おはよう、ハマル。私が眠っている間には何も起きていないかしら?」
「はい。特に注意すべき連絡事項は来ておりません」
執務室に移動すると、今日1日護衛を務めてくれているハマルが待っていた。
本当はリュディナに会うために午睡をとる際に、ハマルからは「よければ添い寝をさせて頂けませんか」と言われていたのだけれど。好きな相手と一緒にベッドに入れば、眠ろうという意志が一瞬で挫けてしまうのは目に見えていたので、これは丁重に断っていた。
「『駆逐』に出ていた子達も、そろそろ戻って来ている頃かしら」
「いえ、それが誰1人として戻って来ていないようです」
「そうなの? 何かあったのかしら……」
「心配は無用でしょう。レベルが上がるのが楽しくて没頭しているだけかと」
ユリ自身もそうだが『百合帝国』の皆が『レベル200』に達したのは、かなり昔の話になる。
魔物を倒した際に得られるはずの経験値が、意味を為さない期間が長かっただけに。レベル上げに没頭したくなる気持ちも、判らないでは無かった。
「ところでユリ様。癒神リュディナ様は使役獣を〈解体〉できる件について、何と言っておられましたか?」
「この世界ではそれが仕様だから、好きに利用して構わないそうよ」
「それは素敵ですね。ユリ様はほぼ全ての魔物を使役獣にしておられますから、今後はリーンガルドの魔物素材に関しては使い放題も同然になりますね」
「そうね。これで吝嗇にならないで済むわ」
『アトロス・オンライン』ではゴーレム系の魔物は必ず鉱石素材をドロップするし、アルラウネやドライアドであれば植物素材を、トレント系の魔物ならば木材をそれぞれドロップする。
なので魔物から手に入れられる素材というのは、非常に多岐に渡る。欲しかった素材の大半が、今後は自身の使役獣から安定して入手できるようになりそうだ。
「最近は弱い魔物としか戦っていませんし……。素材を得るついでにで構いませんので、よろしければ『百合帝国』の皆にユリ様の召喚獣と戦う機会を与えて頂けませんでしょうか? 正直、この世界の人や魔物を相手にしているだけですと、腕が鈍ってしまいそうで……」
「なるほど、それは悪くない考えね」
自身の召喚獣に対して、ユリは一定の愛着を持っている。
なので、今後召喚獣に『素材を得るために殺される』ように命令しなければならなくなることには、少なからず抵抗を覚えてもいたのだ。
でも、いまハマルが提案してくれたように。自身の使役獣に『百合帝国』の皆と戦えと命令するだけならば、気分的には随分と楽になる。
何しろ魔物はどの個体でも、本来は人族に対して好戦的な生き物なのだから。
「そういえばハマル。悪いけれどあなたの『寵愛当番』は、明日に変えて貰っても構わないかしら?」
「それはもちろん構いませんが……。何かあったのでしょうか?」
「ええ、色々あるのよ」
今さっき、別の女性を抱いてきたところだからね。
―――なんて余計なことは、もちろんユリも口にしたりはしない。
「承知しました。では今晩はどうしましょう? 誰か別の女性を招くのでしたら、私はユリ様の私室には居ないほうがよろしいでしょうか?」
「いえ、そういうわけでは無いからハマルさえ良ければ居て頂戴な。さっき断った代わりになるかは判らないけれど、私の添い寝の相手をして貰えると嬉しいわ」
「よろしいのですか? 2日続けてユリ様と夜を一緒に過ごせるだなんて、望外の幸せに恵まれた気持ちで一杯です」
心底嬉しそうに、ハマルは満面の笑みを浮かべながらそう告げる。
その笑顔をみているだけで、ユリもまた幸せな気持ちになれた。
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