38. 夏の1日
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ルベッタとアドスを招いての会議から2日が経ち、今日は『夏月』の1日。
1年がたったの4ヶ月しかないこの世界では、月が変わるのは季節が変わることと同じ意味を持つ。しかも日数を掛けて緩やかに変化する日本の四季とは違って、この世界では『季節を跨ぐ瞬間』に気候変化が一気に訪れるのだ。
なので『春月40日』だった昨日までは『春』の気候だったのに、1日が経過した『夏月1日』の今日には、完全に『夏』の気候のそれに変化していた。
何が言いたいのかというと―――暑いのだ。
朝、目を覚ました瞬間からもう暑かった。日本の夏のように、じめじめした不快なものではないが、それでも暑いものは暑い。
お陰でユリは朝の早いうちから忙しなく行動する羽目になった。『撫子』に連絡を取り、彼女達が格納しているアイテムの中から〈温冷耐性〉の付与が掛けられているものを集めて、まだ領主館に居る『百合帝国』の皆に配布して回った。
朝の時点でも暑いのだから、昼になればもっと暑くなることは想像に難くない。月が変わった今日は、復活した魔物を『駆逐』するために都市の外へ出る子が多くいるので、彼女達が出掛ける前に準備してあげたかったのだ。
いま執務室で報告書に目を通している、ユリの右手に嵌められているピンキーリングにも〈温冷耐性〉の付与が掛けられている。
〈温冷耐性〉には『高熱』と『冷気』のダメージを大きく軽減する効果があり、この付与があると暑さ寒さ程度は全く気にならなくなる。
お陰で世界がにわかに暑くなっても、これさえあれば冷房いらずだ。むしろ身体の冷えを抑えられるという点で、ユリにとっては冷房以上に有難い。
「この暑さの中で働くニルデアの皆様は大変でしょうね」
そう告げたのは今日の『寵愛当番』である、『青薔薇』のハマルだ。
彼女は先程から、自身の指に嵌めたピンキーリングを矯めつ眇めつといった調子でずっと眺めている。どうやらユリとお揃いの指輪なのが嬉しいらしい。
「ニルデアは肉体労働の人が多いから、熱中症の人が出ないと良いけれど」
「今日は快晴ですし、ちょっと怖いですよね」
この都市が『要衝都市ニルデア』と呼ばれるのは伊達ではない。『百合帝国』により占領される以前はエルダード王国の西端に位置していた都市であり、更に西へ進めばシュレジア公国の都市に、西へ進んだ後に北上すればニムン聖国の都市へと接続される、まさに交易上の『要衝』となっている都市だ。
3国の特産品の全てが集まるニルデアには、エルダード王国の商会だけでなく、シュレジア公国とニムン聖国に本拠地を置く商会も『支店』を構えており、各商会に縁ある荷馬車がよく訪れては、また他の都市へと出発していく。
今年1年間は無税と既に発表していることもあって、現在の各商会の活動は非常に活発なものとなっている。流石に都市に入る荷馬車から徴収する『入市税』まで無料にしたわけでは無いのだが、そちらの税金もエルダート王国の統治下にあった頃よりはかなり下げているため、ニルデアを行き交いする荷馬車は本当に多い。
そんな都市なので―――ここニルデアの市民に最も多い職業は、各商会が持っている倉庫で荷馬車への積み卸しを行う『人足』だったりする。ちなみに次点は製鉄や金属加工などの職業だ。
夏場の暑い中で従事するには、辛い職業であることは想像に難くない。荷馬車の数が増えた分だけ労働に酷使されれば、熱中症などへの耐性も弱まるだろう。
「紅梅に【調温結界】でも張って貰いますか?」
「実際、それも悪くない手よねえ」
【調温結界】は内部空間を任意の温度に保ち続ける結界のことだ。
設定可能な温度は『-20度』から『60度』まで。攻撃に利用できる程の温度には設定できないので『アトロス・オンライン』のゲーム内では利用法に乏しく、もっぱら畑に展開してビニールハウスの代わりに使われるだけの結界だった。
【調温結界】は低レベルの魔法なので結界の展開や維持に掛かるコストは安い。備蓄が大量にある素材しか使わないので、都市全域を囲うように拡大展開しても、大した負担にはならないだろう。
「ま、やるなら都市の移転後にすべきでしょう」
「そうですね。いま結界を設置しても、引っ越したら無用になってしまいます」
大量に備蓄がある素材しか使わないとはいえ、無駄にするのは気が引ける。
何しろ、おそらくは再入手が不可能な素材なのだから。
「では当面は【気象操作】の魔法を使わせてはどうでしょう?」
「あ、なるほど。確かにそれでも気温は下げられるわね」
ハマルの提案を受けて、ユリは頷く。
【気象操作】は『紅薔薇』の子達が行使できる魔術だ。
元を辿れば、風向きと風の強さを操作する【風操作】という魔術があって、その上位に風だけでなく天気まで操作してしまう【天候操作】という魔術がある。
【気象操作】はその【天候操作】よりも更に上位の魔術で、風と天気に加えて、気温や湿度、気圧に至るまで、付近一帯のあらゆる気象を操作することができる。
当然、かなり上位の魔術になるが。とはいえ結界系の魔法とは違い魔力しか消費せず、素材を使うわけではないのでかなり気楽に利用できる。
「ああ―――でも、それは駄目よ。農家の人達が困ると思う」
【気象操作】は元々の効果範囲が非常に広い魔術なので、ニルデアの都市の外にまで影響が出てしまう。
なので【気象操作】で『春』と同等の環境に設定すれば、農家の人達が都市の外に作っている畑もまた『春』の環境下におかれてしまう。
農家の人達は今日から『夏』になることを前提に、農業計画を行っているだろうから。畑の環境を変えてしまえば、彼らの仕事を邪魔することになりかねない。
「なかなか上手く行かないものですね」
「仕方ないわよ。ニルデアの市民には、都市の移転までは我慢して貰うことにしましょう。一応今夜の『放送』の際にはニルデアの各商会に向けて、労働者をあまり酷使しないよう呼びかけるぐらいはしておくわ」
「そういえば今夜の放送内容は何なのでしょうか? 私、ユリ様が毎夜されておられる『放送』を、いつも本当にとても楽しみにしておりまして」
目をきらきらさせながら、ハマルがユリにそう訊ねてくる。
ハマルに限らず『百合帝国』の中には、毎日の放送を心待ちにしてくれている子が結構沢山いるらしい。
「今日は週の初日だから『ユリの部屋』よ。ゲストが『黒百合』のカシアだから、正直どういう放送になるのか不安で頭が痛いわ……」
―――言うまでも無く、タマネギヘアーなあのお方が司会なことでおなじみの、某番組のパクりである。
放送のネタがあまりに浮かばないものだから、1度苦し紛れに『ユリの部屋』という『百合帝国』の子を紹介する放送を行ってみたところ、何故かこれがニルデアの市民にかなり評判が良かった。
なのでそれ以降、毎週の初日には『ユリの部屋』を放送するようにしている。適当に雑談を垂れ流し放送するだけで良いので、とても楽なのだけれど。
とはいえ―――『黒百合』のカシアがゲストの今晩ばかりは、彼女が一体どんなことを放送中に言い出すのか皆目予想できず、本当に不安しかない。
「放送が酷いことになった場合には、今晩はカシアの『折檻』に充てるから。ハマルの『寵愛当番』を明日に延期することになったらごめんなさい」
「承知致しました。延期なさった場合には、明日も護衛としてユリ様と一緒にいることができますから。それもそれで私に取っては嬉しいことでしかありません」
「そう言ってくれると助かるわ。さてと―――」
目を通し終えた書類の束を、机にトントンと打って端を揃える。
それから、ユリはおもむろに椅子から立ち上がった。
「出掛けるわよハマル。付き合って頂戴」
「もちろんです、ユリ様」
護衛のハマルを付き添わせて、領主館の3階にある露台へ移動する。
そこでユリは使役獣のワイバーンを1体召喚した。
「……ユリ様がお乗りになるのでしたら、もっと強い竜を召喚なされては?」
呼び出されたワイバーンは小柄なレベル52の個体。これは『竜』の中では最も位階が低いワイバーン種の中でも、とりわけ最弱の部類に入るほど貧弱な個体だ。
「今のニルデアの都市内には、沢山の荷馬車が走っているでしょう?」
「はい。商人達が活発に走らせておりますね」
「あまり強い竜を呼び出すと、その馬車を牽く馬が怯えるらしいのよ。なので特に必要が無い場合はなるべく弱めの竜を召喚するようにした方が良いと、ルベッタとアドスの2人から助言を受けていてね」
「なるほど、そういう事情が……」
「かなり小さい個体だけれど、一応ワイバーンだから2人ぐらいなら乗せられると思うわ。もちろんハマルが1人で飛びたいなら止めないけれど、どうする?」
「そのような役得を放棄する筈もありません。もちろん一緒に乗せて頂きます」
小さい個体のほうが、密着して乗ることができる。
ユリはワイバーンを40体ほど使役獣にしているが、その中でも特に小柄な個体を召喚した理由には、そうした下心も無いではない。
ワイバーンの背に2人乗り用の鞍を乗せて。まずユリが跨って騎乗し、その後ろにハマルが横向きに騎乗した。
「横向きに乗るのは、ちょっと不安定じゃない?」
「そのぶんユリ様の身体に強く抱き付かせて頂きますから」
「なら仕方ないわね」
背中側から強く抱き付かれると、ハマルの胸の膨らみが詳細に感じられた。
今夜、彼女の身体を好きにする時のことが、今から楽しみに思えてならない。
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