36. 竜は『災厄』なれど
「あの……。どうしてユリ様もお二方も、密偵が送り込まれなくなったというだけで、相手が攻めて来るということが判るのでしょうか?」
そう疑問を口にしたのは『睡蓮』隊長のセラだ。
〈聖女〉の職業を持つセラの性格は、荒事とは対極的なものだ。彼女に判らないのは当然のことかもしれない。
「そもそも、いま王国が密偵を送り込んできている理由が『戦争のための下調べ』なのよ。ニルデアの都市に駐留している『百合帝国』の軍隊がどの程度の兵数で、また兵士に与えられている装備の質がどの程度のものなのか。その辺りの情報を、実際に戦う前に把握しておきたいわけね」
「はあ……。と申しましても『百合帝国』は人数だけで言うなら、全部で360人しか居ないと思うのですが……?」
「そうね、セラの言うことは事実ではあるわ。でも、相手がその情報を得ることは無いでしょうね。うちの防諜は完璧だから」
「恐れ入ります」
ユリの言葉を受けて、パルティータが小さく頭を下げた。
ニルデアの防諜は彼女の部隊である『撫子』によって担われている。
「むしろ王国は、送り込んだ密偵が悉く戻ってこないものだから。ニルデアの都市に滞在している兵士が想定以上の大軍だと、推測している頃かもしれないわね」
「そ、そうなのですか。360人なのに……」
「360人なのにねえ」
セラの言葉に頷きながら、ユリは可笑しくて笑ってしまう。
もっとも―――『百合帝国』が誇る360名は、下手な大軍など鎧袖一触に打ち負かす精強さを誇るのだから。王国がそう考えていたとしても、決して過大評価というわけでも無いのだが。
「8日前から密偵が来なくなっているのは、王国が調査を諦め、打ち切ったからと見て良いでしょう。となれば当然、あちらは段階を1つ進めてくる」
「……次の段階とは、どのようなものでしょうか?」
「王国にとってニルデアは『自国の領土であって当然』の地。奪われた以上、取り返す以外の選択肢は初めから存在しないわ。もし取り返すのを諦めでもしたなら、王国自体の名声が地に落ち、周辺国から侮られることになるでしょうしね。
だから戦争を前提とした次の行動。つまり、兵数の判らない相手と正面から戦っても、まず勝てる数の兵を揃えるべく徴兵を急ぐでしょうね。もちろん並行して、その兵に携行させる糧食の確保も行うでしょう」
ユリがそう述べると、ルベッタとアドスがゆっくり頷いてみせた。
2人が同意してくれるなら、ユリの考えも概ね間違ってはいないようだ。
「とはいえ王国が実際に用意する兵数については、私にも皆目予測が付かないのよね。その辺りについて、ルベッタとアドスはどう思うかしら?」
「そうですね……。おそらく王国が送り込む兵数は4万程度では無いでしょうか。所詮ニルデアの都市1つでは、短期間でも2万の兵を扶養できれば良い方でしょうから。その倍の兵を送れば勝てると踏むでしょう」
「私は王国の兵力を5万程度と予想しますな。ニルデアは防壁内に畑や畜舎のような食料を産出する施設が一切ありません。なので都市を封鎖されれば食料は備蓄に頼ることになりますが、ニルデアは元々人口密度が高く、そのうえ充分な兵力まで確保しているとなれば食料の消費速度はかなりのものになる―――と先方は考えることでしょう。短期決戦に持ち込むべく、都市包囲を実行できるだけの兵力を動員する場合ですと、4万では少々不安。ならば5万程度かと」
「なるほど、とても参考になるわ。では侵攻時期についてはどう予想する?」
「徴兵と糧食確保に2週間は掛かるでしょうが、あちらも何日か前から行動に移しているでしょうから……。王都からニルデアまでの移動に掛かる日数なども考慮しますと、おそらく夏月の15~20日ぐらいでは無いかと」
「私も同意します。そのぐらいは掛かると見て良いでしょうな」
ルベッタとアドスの意見が一致するとなれば、その予測の確度は高そうだ。
まだ2週間以上も掛かるのか―――とユリは内心で溜息をひとつ吐く。面倒事は早めに終わらせてしまいたい性分なのだが、そうもいかないらしい。
いっそこちらから攻めてしまおうか、とも少し思う。
部隊を1つ送り込めば、それだけで問題無く勝てそうな気がする。こちらは空を飛んで攻め込むから移動に時間も掛からないし、1~2日で全てが終わるだろう。
(―――いえ。せっかく『放送』のネタを王国が用意してくれるのだから、それを無駄にするのは勿体ないわね)
ぶんぶんと頭を振って、ユリはその考えを振り払う。
ニルデアの市民へ毎日のように行っている『念話放送』のネタには、相変わらずとても苦心しているのだ。戦争という絶好の機会を利用しない手はない。
「そういえばユリ陛下。ニルデアの市民の間でも、そろそろ王国が戦争を仕掛けて来るのではないかという噂は、少なからず広まっているようです」
「あら、そうなの? 密偵が意図的に流した……というわけではないでしょうし。自然に広まった噂話かしらね」
「おそらくはそうでしょうな。王国が奪われた都市を取り返そうとすることぐらいは、誰にでも想像できることですから」
「ふむ……。市民が不安になっていないと良いのだけれど」
王国が攻めて来るとなれば、市民はユリ達がニルデアの防壁を利用して防衛戦を行う様子をイメージすることだろう。
『百合帝国』の軍隊が防壁の上に陣取って矢の雨を降らせ、王国はその防壁上の兵に向かって応射を行う。そうなれば当然、一部の矢は都市の中へと降り注ぎ市民に被害が出る。また王国側が範囲攻撃魔術などを行使すれば、それもまた防壁に近い場所に住む市民を巻き込む可能性が高い。
―――そのように考えた市民が、不安を覚えなければ良いのだが。
「いえ、陛下。むしろ市民は『百合帝国』が瞬く間に王国軍を蹴散らすだろうと、戦争前とは思えないほど楽観視しているようですな」
「……そうなの? 流石に意外なのだけれど」
「市民の中には『百合帝国』が竜に乗ってニルデアへ攻め込んできたのを、実際に目の当たりにした者も少なくありません。竜とは『災厄の魔物』であり、人の身には抗えぬ存在。王国がいかに大軍で攻め寄せようとも『百合帝国』が使役する竜が護ってくれると、市民達は考えているようですな」
「む……」
アドスの言葉を受けて『桜花』隊長のサクラが不満そうに声を漏らした。
いや、サクラだけではない。『姫百合』隊長のパルフェも、『白百合』隊長のヘラも、『黒百合』隊長のカシアも。見れば『百合帝国』の戦闘部隊隊長の殆どが、顔に少なからず不満の色を浮かべている。
「……皆様、いかがなさいましたかな?」
「何でもありません、アドス殿」
心底不思議そうに訊ねたアドスの言葉に、そう答える『睡蓮』隊長のセラでさえ、口調の中には僅かに不満げなものが混じっている。
(無理もないわね)
と、ユリは心の中で溜息を吐く。
多くのRPGと同じように、『アトロス・オンライン』のゲーム内でも『竜』という魔物は特別扱いされていて、強大な存在であることが多かった。
とはいえ―――覇竜ラグラドルフのように『ボスモンスター』である個体を除けば、多くの竜は『レベル300』程度の強さであることが多い。
これはレベル200の非戦闘職である撫子や桔梗、竜胆にとっては、確実に苦戦を強いられる相手だが。一方でガチの戦闘職である他の9部隊にとっては『1対1でも危なげなく勝てる』程度の相手なのだ。
市民が自分たちよりも『竜』を頼みにしている。言い換えれば『竜』よりも弱い存在だと思われていること自体が、彼女達には不快に思えるのだ。
―――とはいえ、それは仕方の無いことではある。
ユリはニルデアの都市を落とす際に、市民に念話で『自宅に避難しておく』ように呼びかけている。なので市民は『百合帝国』が王国軍と戦う光景を全く見ることができなかった。
また、ユリは市民へ恐怖を与えない目的で、侵攻戦を実行する際に『百合帝国』の皆へ『敵の血で壁や地面を汚損しない』ように注文を付けている。戦闘の痕跡が都市に一切残っていないため、市民は『百合帝国』の皆が実際に戦った光景を想像できないのだ。
そうした要因が重なった結果、この世界では『災厄』として怖れられている竜が持つ、何らかの超常的な力により、ニルデアの征服は成された―――市民はそんな風に都合よく考えたのだろう。
「主君! 次の戦争は是非『桜花』に全てをお任せ下さい! 他の皆様の手を煩わせるまでもありません、我が部隊だけで皆殺しにしてやりますとも!」
「いいえ、お姉さま! 是非とも『姫百合』に命じて下さいませ! 華のある私達の部隊が戦う姿をお姉さまが『放送』すれば、市民の皆様も『百合帝国』の強さと美麗さを認める筈ですわ!」
「ユリ様、ここは私達『黄薔薇』にお任せを! 都市に近づく前に全ての敵を射貫いてしまえば、市民も私達の強さにひれ伏すことでしょう!」
「―――黙りなさい」
低い声でユリが一言告げると、一瞬で場が静まり返った。
皆の気持ちは判るけれど。ユリにも譲れないものがあるのだ。
「『百合帝国』は私の全てよ。それが市民に『竜』などより低く評価されているというのは、私自身が『竜』にも劣る存在だと侮辱されているのと同じこと。
今回ばかりは皆の手はいらない。―――私ひとりで充分よ。4万でも5万でも、やってきた全ての敵兵を一撃で潰してあげることにしましょう」
「お、お姉さま。もしかして奥義をお使いに……?」
「ええ。加減をしてあげる必要性を感じないもの」
即答したユリの言葉に、『百合帝国』の皆から感嘆の声が漏れた。
『アトロス・オンライン』ではキャラクターが極限の『レベル200』に達した際に1つだけ『究極奥義』と呼ばれる特別なスキルを修得できる。
レベルが200になった瞬間に、修得可能な『究極奥義』のリストが表示され、その中から1つを選択して修得するのだが。誰かが修得した『究極奥義』はリストから抹消され、他の人には絶対に修得できなくなる。
つまり先着順であり、特定の個人だけが持つ唯一無二のスキルとなるわけだ。
ユリの職業である〈絆鎖術師〉は『アトロス・オンライン』のゲーム開始時には存在しなかった職業だ。
実装されたのはユリがゲームを開始してから1年ほど経った頃で、ガチャのS級レア景品に『絆の書』というアイテムが追加されるのと同時だった。もちろん言うまでも無く〈絆鎖術師〉に転職するためには、この『絆の書』が必要となる。
そしてユリは〈絆鎖術師〉の職業で、誰よりも早く『レベル200』を達成したプレイヤーだった。なので当然リストには全ての『究極奥義』が記載されており、ユリは最も強力なスキルを誰よりも先んじて修得することができたのだ。
それは支援や便利系スキルがメインの〈絆鎖術師〉でありながら、他のどの職業よりも壊滅的な破壊を引き起こす―――ユリだけが行使できる、唯一にして最強の攻撃だ。
「流石にアレを見せれば、市民も私と竜のどちらが強いかは理解するでしょう」
幸いと言うべきか、ユリの『究極奥義』はそれぐらいインパクトが強いものだ。
『究極奥義』は行使時に魔力を消費しない代わりに、1度使用すると100日間は再使用ができなくなる。
なので濫用はできないが―――活用できる時には、躊躇せず使うべきだろう。
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