34. 育成コスト
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「ええっと……。ルベッタを黙らせちゃったから、代わりにアドスが続きを話してくれないかしら。たぶんあなたも私達よりは、神殿組織の治療制度について詳しく知っているでしょうし」
「承知致しました。そうですな、妻の持病のこともありまして神殿で治療の相談を行う機会も多かったですから、人並み以上には知悉しているかと存じますが」
「苦労なさった奥様には悪いけれど、今はその知識が有難いわ」
机に突っ伏したままのルベッタから目を逸らしつつ、ユリは話を進める。
下手に慰めても、今はたぶん逆効果になるだろう。
「簡単に言えば〈神官〉のような『天職』を得た者であっても、最初から行使できる魔法では、ごく軽度の傷ぐらいしか治療できないことが理由ですな。
深手の怪我や、もしくは病の類を治療する魔法は、『天職』を得た者自身が経験を積み、充分にレベルを上げなければ修得できないと聞いております」
「なるほど、そこまでは理解できるけれど……。レベルを上げれば解決するのに、一体何が問題となるのかしら?」
「レベルを意図的に上げるなら、魔物を狩ることが必要となりますが。治療魔法を修得する『天職』の所持者は貴重な人材ですから、あまり危険なことをさせるわけにもいきません。最大限の安全を確保するためにも、充分な力量を持つ掃討者を、何人も護衛に付けなければならないわけです」
人を雇うのには金が掛かる。それは、当然のことだ。
まして実力が保証されている者を何人も雇うとなれば、まず安くは済まない。
「つまり神殿組織は〈神官〉を育成するために掛けたコストを、治療費という形で回収しているというわけかしら」
「そう考えて頂いてよろしいと思います」
「となれば、無償治療というのは少々考えものね」
ニルデアの市民は喜んでくれるだろうが、大聖堂は〈神官〉の育成に掛けた資金を回収する機会を失ってしまう。
何の恩義もない人に対してなら、別に配慮をする必要も無いとユリは考えるが。既に睡蓮の子達が世話になったことがある以上、大聖堂を粗雑に扱うことには抵抗を覚える。
「……この件はひとまず保留ね。セラ、悪いけれど理解して頂戴」
「はい。無償奉仕を行えば少しは先方のお役に立てるだろうと、安易に考え過ぎた私が浅慮でした。私としても本件は一旦取り下げさせて頂きたいです」
「考える良い機会にはなったから、別に反省すべきことではないわ。
……先日ユークレースに行使して貰った魔法も、先方にとっては有難迷惑だったかもしれないわね」
2週間前にユリが『神様』の1柱となったあの日、ユリはそのことを確認すべくユークレースに命じて【範囲完全回復】の魔法を行使させた。
その結果、入院棟の中に居た傷病者は見事に全員が快癒したわけだけれど。結果的には先方が資金回収を行う機会を、ふいにしてしまったのかもしれない。
(あとでバダンテール高司祭には、謝罪した方が良さそうね)
先方が希望するなら、領主館に蓄えられている資金から治療費相当額を支払った方が良いかもしれない。
「………」
ユリは自身のこめかみに指先で触れながら、暫し沈思黙考する。
領主館に保管されていた資料によれば、大聖堂には『百合帝国』が都市を占領する前の時点で、既に今年1年分の運営予算が支払われていた。
大聖堂の運営自体は、都市の税金で賄われていることになる。なので治療費から回収したいのは、純粋に〈神官〉の育成コスト分だけだろう。
となれば―――そもそも〈神官〉の育成にコストが掛からなくなれば、大聖堂は治療費を取る必要を失うのではないだろうか。
「ユリ陛下には何か、妙案がありそうですな?」
思索に耽るユリを見て、アドスがどこか愉快そうにそう告げる。
「残念ながら、妙案と呼べるほどのものでは無いわね。ただ私達の方で〈神官〉のレベル上げを手伝えないか、少し考えてみただけよ」
「そうですか? 私には腹案が幾つもある顔に見えましたが」
「どうやらあなたの目は随分と曇っているようね」
苦笑しながらユリは、アドスに向けて肩を竦めてみせた。
とはいえ、これぐらい気安くものを言ってくれるほうが有難くはある。統治者と商人という立場を互いに意識した、堅苦しい関係の構築などユリは望まない。
「では次の話題に進めるわね。『屋台』に関してなのだけれど―――」
屋台関連については、決めなければならないことが幾つもあった。
まず1つ目は、商業ギルドを通して多数の商人から『屋台事業に参入したい』という旨の要望が寄せられていること。
2つ目も同じく商業ギルドを通した商人からの要望で『魔物の肉を買い取らせて欲しい』というもの。
3つ目は屋台を運営している寡婦の人達から『夜間営業を拡大する』旨の報告が来ていることと、それに伴い『屋台で酒も扱わせて欲しい』という要望が寄せられていることだ。
「3箇所の広場で行っている屋台は、そろそろ開始してから20日になるかしら。流石に目新しさも無くなって来る頃だと思うのだけれど……。3箇所全ての屋台がいずれも未だに大変賑わっていると報告を受けているわ。
ルベッタ、アドス。二人の商会には小まめな視察を頼んでいる筈だけれど、その辺についてはどう思うかしら?」
そろそろルベッタも復活した頃合いだろう。そう思い、ユリは話を振る。
いつしか顔を上げていたルベッタが「はい」と即座に応えた。
「私自身もアドスも、1日に何度か足を運ぶようにしておりますが。客足は衰えるどころか、未だに増し続けているようにさえ感じます。特に食事時である正午頃と陽が落ちる頃には、毎日かなりの混雑になっていますね」
「そうですな。屋台を回しておられるご婦人達も、かなり忙しなく働いておられるご様子。もっとも、忙しい分だけ稼ぎにはなりますし、やり甲斐を感じているとも口にしていたようですが」
「繁盛しているなら結構なことね」
二人の言葉を受けて、ユリは笑顔で頷く。
営業を休みたい時には自由に休んで構わないと、屋台を運営する寡婦の人達には通達してある。許容できない程の状態になれば無理はしないだろう。
「清掃を担当している人達には、今日からは少し手を抜いても構わない、と伝えておいて貰えるかしら」
「手を抜く……ですか? 混雑しているのですから、清掃担当者にはより頑張って貰う方が良いと思うのですが」
「どうせ【浄化】の魔法で綺麗になるでしょうからね」
人が集まる場所には得てして汚濁も集まるものだが、睡蓮が行使する【浄化】の魔法は、何もかもを纏めて清浄化してしまう。
今後は清掃を担当する人達には【浄化】で処理されないものだけ対処して貰えれば、それで構わないだろう。
「1つ目の『屋台事業に参入したい』と要望している商人が多数居る件についてだけれど。別に屋台自体は好きにやって貰って構わないのよ。―――但し、もちろん貴借地の範囲内だけでやってもらうけれどね」
この『貴借地』というのは、ほぼ『私有地』と同義の言葉だ。
この世界では基本的にどこの国でも、土地を所有する権利は貴族にしか認められていない。なので庶民は『貴借地』という形で、毎年一定額を納めることを約束した上で貴族から土地を借り、店舗や家屋を建てて利用することになるのだ。
ちなみにニルデアの都市内は、その全てがユリの所有する土地になる。
現在のニルデアは『百合帝国』の占領地であり、そして『百合帝国』には貴族がいないからだ。占領以前に誰の所有地であったかなどに、もはや意味など無い。
「なるほど。やるなら自分の土地でやれ、ということですな。そうなるとわざわざ屋台で営業する意味自体が殆ど無くなりますな」
「まあ、そうね。貴借地で商売するなら普通に店を建てるほうが賢明でしょうし」
結局のところ屋台というのは、土地を持たなくとも広場や道路のような場所で営業できるからこそ旨味があるのだ。
そして公共の土地での営業を認めるかどうかは、統治者であるユリの裁量内だ。下手に認めれば、広場で現在営業している屋台を場所の取り合いになったり、あるいは公道の往来を阻害する要因となりかねないため、正直ユリとしては乗り気にはなれない。
そもそも、屋台が繁盛している光景を目にして「一枚咬ませろ」と群がってきた有象無象の商人のために、わざわざユリが譲歩してやる理由も無いのだ。
「商人の要望は却下するわ。ルベッタ、アドス。何か異論はあるかしら?」
「ありません。認めたら認めたで何かしら厄介事も起こるでしょうし、賢明な判断だと思います」
「私も異論はありませんな」
「では、そのように。あ、でもルベッタとアドスの2人が屋台事業に参入したいというのであれば話は別。譲歩する用意があるから、覚えておきなさい」
ユリがそう告げると、ルベッタが僅かに驚いた顔をしてみせた。
「よろしいのですか? ああ―――いえ、私はたぶん参入しないと思いますが」
「私は身内を贔屓するほうなのよ」
何の臆面もなく、堂々とユリはそう口にする。
有象無象の商人には一切譲歩しないが、世話になっている2人のためになら幾らでも譲るつもりがある。何なら『屋台露店キット』の貸出にも応じるつもりだ。
「アドスはどう? 興味はないかしら?」
「そうですな……。正直に申し上げて、些か興味はあります。数日前に視察させて頂きましたが、現在建設中の『新しい都市』はかなり手広く作られており、土地にも余裕がある様子。移転後には少し、手を出してみたいかもしれません」
「ええ、判ったわ。そういうことであれば、都市の移転後にまた話をしましょう。甘い菓子のひとつでも手土産に持ってきてくれれば、すぐに許可してあげられると思うから覚えておいてね」
「ははっ、確かに覚えておきましょう」
愉快そうに微笑みながら、アドスが頷く。
変若水を服用していることで、見た目こそ随分と若さを取り戻しているけれど。アドスが浮かべる穏やかな微笑みには、今も好々爺のそれを思い出させるような、どこか見る人を安心させる魅力があるように思えた。
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