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百合帝国  作者: 旅籠文楽
1章 -
33/370

31. 遅刻生活

 


     [1]



 最近になって、ユリは他人と約束した時間に遅刻するようになった。

 もちろんこれは意図的なものだ。嘗て現代日本で『蓬莱寺百合』として生き、社会人として暮らしていた記憶と経験を持つユリには、時間前行動の精神が染みついている。

 なのに敢えて遅刻をする理由はひとつで。待ち合わせにせよ会議にせよ、ユリが約束の時間よりも前に来てしまえば、それに付き合わされる相手はもっと早くからその場に待機していなければならなくなるからだ。

 要するに『女帝』という地位の弊害のようなものだ。立場が一番高い者が最初に姿を見せれば、それより遅れる者の立場を悪くしてしまう。だからユリは約束の時間をなるべく守らず、誰よりも遅れて場に登場しなければならない。

 ―――この事実に気がついたのは、つい最近のことだった。


 RPGにはよくある話だが『アトロス・オンライン』のゲーム内世界では現実に較べると昼夜が巡る頻度がずっと早く、1日がたったの4時間しかない。なので、現実の1日の間にゲーム内では6日もの時間が流れることになる。

 にも関わらずゲーム内には『24時間制』で時間の概念があった。

 一般的な商店ならゲーム内時間で朝の『10時』に開店し、夜の『20時』には閉店する。それ以外の時間に訪問しても当然店は閉まっていて買い物はできない。

 つまり店は1日の半分も開いてはいないのだ。せめて『7時~23時(セブン・イレブン)』ぐらいは営業してくれよ! とプレイヤーは長年不満を訴え続けているものの、この件に関しては何か拘りがあるのか、運営は全く対処する様子を見せない。

 もちろん一般的な商店以外もそうだ。クエストの都合で漁師のNPCと会話する必要があるのに、その漁師が朝の『5時』にはもう漁に出ていて街中には居ない。酒場の看板娘へ贈り物を届けるクエストを受けてみれば、酒場が夜の『19時』からしか開かないために待ちぼうけを食らう―――そんなことは日常茶飯事だ。


 なので『アトロス・オンライン』には『懐中時計』や『腕時計』といったアイテムが実装されており、このアイテムを〈インベントリ〉の中に携帯したり、あるいは装飾品として装備していると、視界の端っこのほうに常にゲーム内の時間が表示されるようになる。

 しかも任意の時間にアラームまでセットしておける多機能ぶりだ。もはや中世や近世っぽい世界観はどこへいったのかと、思わず首を傾げたくもなる。

 当然ユリは『百合帝国』の皆に懐中時計を持たせている。生産職のキャラクターでなくても作れるアイテムだったので、ユリが手ずから作成したものを過去にプレゼントしたことがあるからだ。

 また最近は生産部隊の『竜胆』が作った懐中時計を、ルベッタとアドスの2人を通して『ロスティネ商会』と『トルマーク商会』に卸している。残念ながら生活する上で『正確な時間』を知る必要自体が無いせいか、一般市民に対する売れ行きは良くないそうだが。一方で彼らの商人仲間には馬鹿みたいに売れており、既に商業ギルドの関係者には浸透しつつあるらしい。

 結局、時計は『時は金なり』を地で行く商人にこそ需要があるのだろう。


 時計を渡したことで、ルベッタやアドスと約束を取り付ける際に、正確な訪問時間を決めておけるようになったのは非常に都合が良かった。

 何しろこちらの世界の人達には時間指定が『早朝』『朝』『正午』『昼』『暗くなる頃』『夜』の6つぐらいしか通用しないのだ。これでは約束の時間を取り決める際に、何かと不便でならない。


 ある日、ユリは報告書で受けた内容について詳しく聞きたいことがあり、午後の『2時』にアドスのトルマーク商会を訪ねる約束を取り付けた。

 そして『1時40分』に訪問した。―――それがいけなかった。

 訪問した商館に会頭であるアドスは不在だった。時間までまだ間があったため、食事に出掛けていたからだ。

 数分も置かずに商館へ戻って来たアドスから、ユリは即座に頭を地に擦りつけられて謝罪される羽目になった。まだ時間前であるから、もちろんユリ自身は何とも思っていないにも拘わらず、だ。

 それが、もう二度と時間前行動はすまい、とユリが心に決めた契機となった。


「……わざわざ遅刻しなければならないというのも、これはこれで面倒なものね」


 執務室で書類に目を通しながら、ユリはひとりごちる。

 遅刻をする必要があるが、かといって相手を待たせすぎるのも宜しくない。程良く遅刻をしなければならないというのは、単に時間前行動するより遙かに面倒だ。


「? お姉さま、何か仰いましたか?」

「いえ、気にしないで。何でも無いのよ」


 思わずユリが吐露してしまった愚痴を拾い上げたのは、今日の『寵愛当番』である『姫百合(パティア)』のスフレだ。

 彼女に愚痴っても仕方が無いことなので、ユリはすぐに頭を振る。


「……ん。そろそろ行きましょうか、スフレ」

「はい、お姉さま!」


 スフレを伴って、ユリは執務室を出る。

 時刻は『13時07分』。領主館内を移動するだけなら数分も掛からないので、出発時点で5分以上は既に遅刻していることが望ましい。

 階段を降りて1階へと移動して、ユリ達は玄関ホール脇の一室に入る。

 領主館の占領以降、主に『百合帝国』の会議室として利用している部屋だ。


 ユリが部屋に入った瞬間、僅かにあった私語が瞬時に静まった。


「少し遅刻をしてしまったわね。申し訳無いけれど、許して頂戴」


 そう告げて、ユリは小さく皆に向けて頭を下げる。

 実際には意図的に遅刻したわけだが、それはそれだ。上に立つ者が率先して謝罪するぐらいのほうが、周囲も意見しやすくなるだろう。


「それでは定例会議を始めます。今回は意見を伺うために、懇意にしている『トルマーク商会』のアドス・トルマーク殿と、『ロスティネ商会』会頭のルベッタ・ロスティネ殿の2人に来て頂いているわ」


 そう告げて、ユリは会議室の隅に座る二人に視線を送る。

 視線を受けて、まずは男性が先に席から立ち上がった。


「ご紹介に与りましたアドスと申します。『百合帝国』の為にできる限りのことはさせて頂くつもりですので、よろしくお願い致します」

「数日ぶりね、アドス。また少し若くなったわね」

「ユリ陛下から頂きました薬のお陰ですな。私もそうですが、妻も大分若々しさを取り戻しました。先日は持病の治療までして頂き、感謝に堪えません」


 深々とアドスがユリに向けて頭を垂れる。

 現在のアドスの見た目は、既に『老齢』と言えるほど老けたものではなくなっている。おそらく彼の妻も同程度には若返っていることだろう。

 老いの衰えで失った体力なども、かなり取り戻せているはずだ。最近では事業を多方面に広げつつあるとルベッタから聞いているが、そうして仕事に精が出せていることこそが、若返りが順調な証拠だろう。


「治療を得意とするうちの『睡蓮』という部隊が、やる気を持て余していてね。あなたの力になれたのなら、私にとっても嬉しいことだわ」

「このご恩は、必ずや充分な働きにて返させて頂きます」


 先日『睡蓮』の部隊は見事にその力を取り戻し、再び『神聖魔法』を行使できるようになった。

 以前ユリが予想した通り、やはりアドスの妻には何らかの重い持病があったようだけれど。無論そんなものは力を取り戻した睡蓮になら容易に治療できる。

 長年苦しめられた持病からあっと言う間に解放されたこともあり、彼の妻からは大変に感謝された。加えて若さも取り戻しつつあることで、何か『百合帝国』に恩返しをさせて貰えないかと、彼の妻からユリは何度か手紙を受け取っている。


 続いて、アドスの隣に座る女性が立ち上がって言葉を述べる。


「ルベッタ・ロスティネで御座います。私もまたユリ陛下から頂きました薬には、大変お世話になっております。何なりとご用命下さり、私にもご恩を返す機会をお与え下さい」

「ルベッタも随分若くなったわね……。周囲が放っておかないでしょう?」


 もともとルベッタは『若い』とも『若くない』とも言い難い程度の壮齢の女性であったのだが。そのルベッタの容貌が、今や少女と淑女のちょうど中間ぐらいの、何とも若々しい姿にまで返り咲いている。

 まあ―――女性に『若返り』のアイテムを渡せば、こうなるのは自明のことでもあった。なので驚きは無いと言えば無い。


「ええっと……。そんなことはありません、と謙遜を申し上げたい所ですが……」

「ルベッタ。安易に嘘を吐かない、あなたの誠実な所が好きよ」


 口籠もるルベッタを見て、ユリはくすくすと笑いを零す。

 実際、男性が見れば放っておかない程度の美貌を、ルベッタは備えているのだ。

 ユリが渡した『変若水(おちみず)』には、若返りの効果はあっても美容効果は無い。つまり今のルベッタが持つ美貌は、もともと彼女が若い頃に備えていたものだ。


「というわけで、今回はこの2人を交えて今回の会議を行うわ。意見したいことがあったら、何でも忌憚なく言って頂戴ね。

 どうしても『百合帝国』の皆は私に同調しすぎる所があるから、2人からは私の考えや判断が間違っている時にも、遠慮無く指摘して貰えると助かるわ。それを感謝こそすれ、咎めるような真似は絶対にしないから」


 ユリの言葉を受けて、ルベッタとアドスの二人がこくりと頷いた。

 有能な商人である2人からの意見には、ユリとしても期待するところが大きい。


「そうね、折角来て貰ったのだから……。議題を扱う前に、2人から何かあるかしら? 私や『百合帝国』の皆に聞きたいことがあれば、今のうちに何でも聞いてくれて構わないのだけれど」

「―――では、早速ですが私からひとつよろしいですかな」


 即座にアドスが挙手してそう述べる。

 ユリが頷くと、アドスが立ち上がって言葉を述べた。


「少し前から、ニルデアの市井には『ユリ陛下が主神の1柱になられた』という話が、まことしやかに噂されておりまして」

「あら、そうなの?」

「はい。この件について『トルマーク商会』の手の者を使い調査しましたところ、噂を率先して広めている大本が『大聖堂』であることが判りました。より具体的に言いますなら、ニルデア大聖堂で一番偉い『バダンテール高司祭』ですな。

 高司祭といえば、ニムン聖国におられる『教皇』と『総司祭』に次いで高い地位に就かれている方。その方が直々に広めているとなれば、一概にただの『噂』だと判断することも難しいのですが。ユリ陛下、この噂は―――」

「真実よ。ちょっとした経緯があって、主神のひとりになったわ」


 なってしまった、と言った方がより適切かもしれないが。


「おお……! じ、事実なのですな……」

「ではその辺のことについて、最初に少し話をしましょうか。私もリュディナから何度か話を聞いて、ようやく事情が理解できてきたところなのよ」


 現在ユリは『癒神リュディナ』を呼び捨てにするようになっている。毎晩のように会い、例の庭園で話を交わしたことで、彼女とは随分仲良くなったからだ。





 

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お読み下さりありがとうございました。

この2日間にも誤字報告機能からの指摘を沢山頂き、ありがとうございました。遅くなりましたが今から順次反映しようと思います。


[追記] 反映完了しました。多数のご指摘、ありがとうございました。

指摘頂いた箇所の修正自体はボタン1つで出来るのですが、合わせて手元のテキストファイル側も修正しなければならないため、どうしても反映が遅れる場合があります。何卒ご容赦下さい。

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[良い点] 更新乙い [一言] 偉い人待たせたら、胃が死ぬぐらいで済めばいい方だからね、仕方ないね……
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