29. 神像の間
[5]
重厚な扉を開いて大聖堂の中に足を踏み入れると、入ってすぐのホールはかなり広めの空間となっており、どこかひんやりと涼しかった。
簡素で小さめの窓から射し込む光量は少なく、室内は少しだけ薄暗い。けれども掃除が徹底されているのか、充分な清潔さが保たれたこの空間からは、暗所ならではの陰鬱さのようなものは全く感じられなかった。
(もっと華美な所かと思っていたけれど。……シンプルでなかなか良い所ね)
周囲を見回して、ユリは少なからず好感を抱く。
質実剛健、という言葉がよく似合いそうな雰囲気が大聖堂にはあって、装飾こそ乏しいけれど、それが逆に空間全体を素朴で良いものにしている。
少なくとも占領した当初の、高価そうな調度品が無駄に沢山並べられていた領主館よりはずっと、率直に好意が持てる場所だと思えた。
信仰に余計な華美は要らない。―――この空間自体が、そう訴えかけているようにも思える。この聖堂に勤める聖職者達の意志が垣間見える気がした。
「良い場所ですね。敬意が持てます」
「ありがとうございます。ユリ陛下にそう言って頂けるのは嬉しいですな」
ユリが正直に口にした感想に、バダンテール高司祭は笑顔で応える。
装飾のない聖堂は、けれども掃除だけは徹底されているらしく、空間全体がとても清潔に保たれている。そのことがまたユリに好印象を抱かせた。
「大聖堂の最奥に『神像の間』は御座います。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます、バダンテール子爵殿」
「……よろしければ、私のことは子爵ではなく司祭として扱っては頂けませんか。王国と軋轢が生じるのは望むところではありませんので、法服貴族としての爵位を拒むようなことは致しませんでしたが。本来、我々には爵位など不要です」
「なるほど……これは失礼を致しました。バダンテール高司祭殿」
―――聖職者には地位など不要。
なるほど。その言葉が本心であることは、この大聖堂を見ればよく判る。
「そういえば『睡蓮』の子達が大聖堂で随分お世話になっているようですね。何でも毎日のように通っているとか……。働いておられる神官の方や、バダンテール高司祭殿の負担となっていなければ良いのですが」
「ああ―――そのようなことは気になさらないで下さい。所詮私どもがお教えしていることなど、些細な知識に過ぎません。それよりも、私はユリ陛下の部下である睡蓮の皆様から、もっと多くのものを学ばせて頂いております」
「多くを……ですか?」
「ええ、聖職者としてあるべき姿を学ばせて頂いております。失礼ながら『百合帝国』の皆様は、こことは別の異世界より来られた方々だと伺っておりますが」
「……セラから聞いたのですか?」
やや不思議に思いながら、ユリは『睡蓮』隊長のセラの方を振り返る。
彼女は決して口が軽い方ではないのだが。
「その……。申し訳ありません、ユリ様。私の判断で他者に明かして良い事実かは判らなかったのですが……。信仰する神様が違うことなどをバダンテール高司祭に説明する上で、どうしてもお伝えする必要がありまして」
「なるほど。セラがそう思ったのなら、もちろん話して構わないのよ」
ロスティネ商会のルベッタ会頭が送ってくれている情報によれば、少なくともこの『メキア大陸』内では、主神七神のみが信仰されているという話だ。
けれど『睡蓮』の皆が知っているのは、そして信仰しているのは『アトロス・オンライン』のゲーム内世界である『リーンガルド』の神様だけだ。
信仰する神様が全く違う者同士が話を交わせば、どうしても会話に様々な齟齬が生じることは明白だろう。結局、異世界から来た事実を明かしでもしない限りは、その食い違いの理由を上手く説明することさえ難しい。
「そもそも私は別に、口止めしていたわけでもないのだしね」
「ユリ様……ありがとうございます」
そう、別にユリは『百合帝国』の皆に口止めしているわけでもないのだ。
だから彼女達が話すと判断したのなら、もちろんそれで構わなかった。
「ユリ陛下にひとつお尋ねしたいのですが。もしや『睡蓮』の皆様は、私などよりも、ずっと聖職者としての位階が高い方々ではありませんかな?」
「……あら、バダンテール高司祭はどうしてそうお思いに?」
「私が先程『多くを学んでいる』と申し上げたのは、一切誇張のない事実です。睡蓮の皆様と話をしていると、彼女達が心に築いている『信仰』が、私が持つ信仰の形よりも洗練され、優れていることを痛感するのですよ。
だから何となく判るのです。僭越ながら私も、教皇より『高司祭』として認められ、それなりに高い位階にはありますが。何と言うか―――信ずる神は違えども、睡蓮の皆様が私などよりも遙かに聖職者として高みにおられる方々であるのだと、自然と理解できてしまうのです」
「なるほど」
バダンテール高司祭の言葉を受けて、ユリは頷く。
正直あまりよく判らなかったが―――要は同じ『聖職者』同士だからこそ判る、明確な差異のようなものがあるのだろう。
「『睡蓮』の職業は……こちらの世界で言う『天職』は〈聖女〉と言います。これは信仰心を高めた結果、神の使徒へと至った者のことですね」
「か、神の使徒ですか! まさか、それほどとは……」
「今でこそ世界を転移したことで力を失っていますが……。彼女達が行使する神聖魔法は、ニルデアの都市に住む全ての人達の怪我と病を纏めて治療したり、多数の死者を纏めて蘇らせることが出来るほどのものです。
こちらの世界にも同じ奇蹟を起こせる聖職者がいらっしゃるなら、睡蓮はその方と大体同格だと考えて頂ければ、よろしいのではないでしょうか」
「それは……。おそらく教皇様にさえ不可能かと……」
信じられない、といった様子でバダンテール高司祭はそう言葉を漏らすが。ユリからしてみれば(当然だろう)という気持ちのほうが強い。
20回もの転生を経てようやく至れる『レベル200』は伊達ではない。
バダンテール高司祭が告げる『教皇』なる人物がどの程度のものか知らないが、おそらくは文字通り『睡蓮』の子達とは格が違う筈だ。
「……おっと、着きましたな。こちらが『神像の間』になります」
そんな話をしているうちに、ユリ達一行は大聖堂の最奥へと到着する。
大聖堂の正面入口にあったものと同じぐらい重厚な扉だ。バダンテール高司祭が懐から一本の鍵を取り出し、扉の鍵を開けてくれた。
「本来はお1人ずつ利用頂く部屋なのですが……まあ、それは構わないでしょう。どうぞ皆様、中へお入り下さい」
バダンテール高司祭に促されて部屋の中へ一歩足を踏み入れると、魔導具か何かが設置してあるのか、自動的に部屋の照明が点灯した。
そこは円形の部屋だった。部屋の中を取り囲むように、7体の神像が安置されている。いや―――ひとつだけ空になった台座があることから、元々は8体の神像が置かれていたことがすぐに判った。
(……男神が4柱で女神が3柱、なのかな)
一通りの神像を眺めて、ユリはそう思う。
もっとも、やや中性的な顔立ちや体つきをしている神像もあるようなので、この予想は間違っているかもしれないが。
《―――ユリ》
唐突に名前を呼ばれて、思わずユリは目を瞠る。
けれどもその声は、この場に居る誰の声とも違う気がした。
それに、護衛のキリはユリのことを『主君』と呼ぶし、隊長のセラを含む睡蓮の4人であれば『ユリ様』と呼ぶ。バダンテール高司祭なら『ユリ陛下』と呼ぶだろうし……そもそも、今しがた聞こえた声は明らかに女性のものだった。
《―――また、お会い出来ましたね、ユリ》
静かに耳を澄ますと、改めてその声がユリには聞こえた。
耳が声を拾ったのではない。それはまるで念話のようにユリの頭の中へ直接語りかけてくる、落ち着いた大人の女性の声だった。
(でも、どこかで聞き覚えがあるような……)
この声を聞いていると、微かに胸が震えるのを感じる。
ユリの記憶の大事な部分が、この声を確かに覚えている。そんな気がした。
(……あなたは、誰?)
ユリが自身の心の中で、意志を定めてそう問いかけると。
声の主は一瞬だけくすりと笑って、ユリの言葉に応えてくれた。
《覚えていないようですね、仕方ありません。ユリが以前に私の声を聞いたのは、きっと一番つらい痛みの最中だったでしょうから》
(一番辛い、痛み……?)
《ええ、そうです。ユリに思い出して頂くために、私は今一度あなたに、あの時と全く同じ言葉を贈ることに致しましょうか》
いまユリが居る『神像の間』には、全部で7体の神像がある。
その中でも、一番右にある神像。神官服のようなものに身を包んだ、肌の露出が最も少ない女神の神像から―――いまユリは、目を離すことができないでいた。
やがて、その神像は。ユリに向けてひとつの言葉を優しく口にする。
《―――あなたの願いを叶えてあげましょう》
「………!!」
思わずユリは、記憶を抉るその言葉に耐えられず、その場で膝を突いてしまう。
そうだ、どうして思い出せずにいたのだろう。この声は―――この女神の声は。あの時、悲しい別れを覚悟して心が一番辛かったあの時に、聞いた声ではないか。
「主君!? ど、どうなさったのですか!」
「ああ……。大丈夫よ、キリ。ありがとう」
護衛のキリに支えられて、ユリはその場で立ち上がる。
それからバダンテール高司祭の側へと向き直った。
「申し訳ありません、バダンテール高司祭。少し神様とお話をさせて頂きますね」
「え、ええ。もちろんです」
事前に断った上で、ユリは女神の神像に近づく。
ユリが知っているのは声だけなので、その姿はいま初めて目にしたけれど。
なるほど―――あの時のユリに救いの手を差し伸べてくれただけのことはあり、随分と優しそうな顔をした女神様だと思えた。
女神の神像まで5歩の距離に近づいたユリは、今度は自らの意志で膝を突く。
ユリにとっては大恩のある相手だ。頭を下げることに、何の抵抗があるだろう。
―――この神様は。この女神様の声は。
あの日、車に轢かれたユリが、愛する皆との別れを覚悟したあの瞬間に。
唯一、ユリに向けて救いの手を差し伸べてくれた、あの女神様の声だ。
(……私がいま、こうして生きているのは、神様のお陰なのですね)
ユリがそう問いかけると、応えるように神像が小さく明滅した。
それを見て、背後でバダンテール高司祭が「おお……!」と感嘆の声を上げる。
《どうやら思い出して下さったようですね、ユリ。ですが、残念ながら私は、あなたを助けられたわけではありません。その証拠に、いまこの場に生きているあなたは『ユリ』であって、『蓬莱寺百合』ではなくなってしまいました》
治癒の神なのに情けない話ですよね―――と、女神様は小さく笑った。
その言葉に、ユリはゆっくりと頭を振る。
(いいえ、お陰様で私は救われました。一度は別れを覚悟したのに、今もこうして愛する皆と一緒にいることができています。私は何ひとつ失ってはいません)
《……ありがとう、ユリ。そう言って頂けると、私も嬉しいです》
喜びを表現するかのように、再び神像が何度か明滅する。
それを見て、背後でバダンテール高司祭が「素晴らしい!」と歓喜の声を上げているけれど。……正直うるさいし、気が削がれるのでやめて頂きたい。
《ふふ……。ユリ、少し二人きりでお話をしませんか?》
(判りました。私はどうすれば?)
《私の像に触れて、意識を預けて下さればそれで結構です》
ユリは再び立ち上がり、神像のすぐ目の前にまで歩み寄る。
神像へと手を伸ばして―――。そこでユリの意識は、ぷつりと途切れた。
-
お読み下さりありがとうございました。




