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百合帝国  作者: 旅籠文楽
1章 -

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22. 地上で水中呼吸

 


     [3]



 現在『百合帝国』が拠点としているニルデアの大使館は、『紅梅』の子達が展開してくれた【浄化結界】に包まれている。

 これには『内部を自動的に浄化する』という効果があるため、結界に包まれている領主館の中にいる限りは、ニルデアの都市に蔓延る悪臭に悩まされることも無いわけだ。

 とても快適に過ごすことができるので、可能ならばニルデアの都市全域を【浄化結界】で包んでしまいたいぐらいなのだけれど。残念ながら【浄化結界】は展開や維持に掛かるコストが高めの部類に入るため、大型での運用が難しい。


 なので当然、何か用事があって領主館から出る必要がある場合には、悪臭を覚悟しなければならない筈だった。

 ―――つい昨日までは。


「おお……。凄いわ、全然臭いを感じない」

「なるほど、よう出来てるなあ」


 頑張って午前中の早い時間に執務を切り上げたユリは、ユーロと一緒に久方ぶりに【浄化結界】から一歩だけ外に出てみて。魔法の効果の高さを実感して、思わず二人揃って感嘆の声を漏らした。


「畏れ入ります。何とかユリ様の外出に間に合いまして、良かったです」


 二人の言葉を受けて、微笑みながらそう答える少女。

 森林種(エルフェア)であることが判る尖った耳を有しながらも、まるで踊り子が着る物のように被覆面積が少ない衣装からは、烙印種(ダールハッダ)の持つ最大の特徴である褐色の肌が大きく露わになっている。

 ファンタジー世界を舞台にした漫画や小説を読む人に取ってはおなじみの、いわゆる『ダークエルフ』を模した姿を持つ少女だ。


「謙遜することはないわ。まさか【水中呼吸】の魔法を活用するなんて、私には考えも付かなかったもの。着眼点からして素晴らしいわ」

「ユリ様にそう言って頂けますと、報われる思いが致します」


 そう告げて少女は―――ミザールは、なんとも魅力的な笑顔を浮かべた。

 『青薔薇(シュクレーズ)』の隊長で〈精霊踏師(ライシャルク)〉の職業(クラス)を持つ彼女は、持ち前の魅力と舞踏スキルで周囲の精霊を魅了し、使役する術に長ける。

 もちろん単純に精霊魔法の使い手としても優れており、今回は空気の精霊の力を利用した【水中呼吸】の精霊魔法をミザールが掛けてくれたのだ。


 【水中呼吸】は文字通り、自身や味方が水中でも呼吸できるようにする魔法だ。

 言うまでも無く、本来は水の中に入る際に利用する魔法なのだが―――どうやらこの魔法は、単に対象者の鼻腔や口腔を『新鮮な空気で覆い続ける』ことで呼吸を可能にするものらしい。

 つまり、こうして敢えて地上で【水中呼吸】の魔法を行使すれば。魔法によって生産される新鮮な空気だけを吸うことができるので、周囲の空気を吸わずに、即ち悪臭に悩まされずに済むというわけだ。


 ミザールがこの利用法を発見したのが、なんと僅か1時間ほど前のことだと言うのだから驚きだ。

 今日、ユリが市井(しせい)に出る用事があることを知っていたミザールが、何とか悪臭を軽減する術はないものかと、試行錯誤した結果であるらしい。

 自分のことをそこまで気を掛けてくれていたミザールの愛情の深さを、ユリは改めて思い知る気がした。


「8時間は効果が持つように拡大して魔法を掛けておきましたので、あまり夜遅くまで留まらず、遅くとも日が暮れましたら速やかに領主館へお戻り下さいね」

「判ったわ、ありがとうミザール」

「暇ならミザール姉やんも一緒に来えへん? 『試食会』やから、人数多い分には歓迎されると思うんやけど」

「そうですね、興味はありますが……今回は辞退しておきましょう。今も『撫子』や彼女達が召喚した従者が市井で働いていますから、彼女達にも【水中呼吸】の魔法を掛けてあげたいですし」


 現在ニルデアの都市内では、黒と青の衣装を身につけた二色のメイドが働いていることが、既に市民にはよく知られている。

 エプロンドレスの下に黒のワンピースを身に付けているメイドは『撫子』に所属する子で、青いワンピースを身に付けている方は撫子が召喚した『従者』の子だ。


 『アトロス・オンライン』ではレベル180以上に達したキャラクターだけが受注できるクエストで、〈従者召喚〉というスキルを修得することができる。

 このスキルの修得は職業を問わず、またプレイヤーかどうかも問われない。なので全員がレベル200の者で構成される『百合帝国』の面々は、当然ユリを含めた全員がこのスキルを修得していた。


 〈従者召喚〉はスキル修得時に召喚できる『従者』の種族と職業、それと人数を自由に決めることができる。召喚人数は最低1人、最大で5人まで選択可能だ。

 召喚できる従者の数はもちろん多いほうが何かと便利なのだけれど、召喚可能な人数を増やすと従者のレベルが低くなる。

 1人だけの場合は『レベル190』の従者を召喚できるのでかなり強く、充分な戦力として期待できる。一方で5人の場合だと『レベル150』まで下がるので、当然ながら従者の戦力は召喚した当人に較べて大幅に低くなる。

 質と量、どちらを選ぶかが〈従者召喚〉スキルの修得時には肝要となるわけだ。


 ちなみに撫子は従者の人数を最大に設定しており、彼女達と同じ〈神侍(テトラ)〉の職業を有する、青ワンピースのメイドを5人召喚できる。

 撫子の本分は戦闘ではないので、彼女達にとってレベルはそれほど重要では無いからだ。それよりは人数の力で、仕事を効率化できる事の方が大きい。

 現在ニルデアの都市内では、撫子が召喚したメイド従者の子達が、東門と西門の管理や市井の警邏、領主館の門衛など、様々な場所で働いてくれている。


「そうね、従者の子達も大変でしょう。どうか私に代わり労ってあげて頂戴」


 従者は自分を召喚した者に対して絶対的な忠誠心を持つ。つまり、従者にとっては召喚した撫子の者が『主人』であり、ユリは『主人の主人』という、やや迂遠な関係になる。少なくとも直接的に忠誠を捧げる相手ではない。

 とはいえ、逆に見れば撫子が召喚した従者はユリにとって『孫』のような存在とも言えた。自分の愛する相手の為に健気に尽くす従者が、ユリにとって愛しい存在で無い筈がない。

 従者の子達が悪臭に塗れて勤労してくれている現状は心が痛む。【水中呼吸】の魔法を掛けて回るのは大変かもしれないけれど、なるべく従者の子達が快適に過ごせるように、青薔薇のほうで気に掛けてあげて欲しいものだ。


「もちろんです。そのお役目、お任せ下さい」

「お願いね。青薔薇の子達にも、私自身の願いとして伝えておいて頂戴」

「間接的な従者にも、そこまで心をお配り下さるとは―――。承知しました、青薔薇の全員で力を尽くすことをお約束致します」


 ユリの言葉を受けて、ミザールが再び深々と頭を下げる。

 頭を下げていて見えなかったので、強い敬服の念が籠められた表情をミザールが浮かべている事実がユリに伝わることは、もちろん無かった。



     *



 ニルデアの都市の中央には広場が存在する。

 ただ開けた場所と言うだけで、樹木ひとつ植えられてはいない殺風景な広場は、正直あまり市民に利用されていない無駄な空間となっている。

 この広場は、同じく都市中央に近い場所にある領主館の目と鼻の先ということもあって、今日はこの場所で『試食会』を行うことになっていた。


 広場を眺めると、そこには既に何台もの見慣れた屋台の姿が見える。

 『アトロス・オンライン』の中で何度となく見たことがある『屋台露店キット』の姿に間違いない。ゲーム内で見慣れたものが、こうして異世界の景色に混じってずらりと並んでいるというのは、なかなか壮観な光景にも思えた。


「陛下」


 ユリの姿をいち早く見つけた老爺がひとり、即座に駆け寄ってくる。

 即座に膝を付こうとした老爺を、慌ててユリは制止した。


「こんにちは、アドス。私達に代わって寡婦の支援事業を引き受けてくれたこと、心より感謝を申し上げるわ」

「勿体ないお言葉です。こちらこそ私と妻の老化を止めて下さいました陛下には、感謝の念が堪えません」

「―――早速、少し若くなったようね。その健脚も見違えたわ」


 くすりと小さく笑いながら、ユリがそう告げる。

 もちろんその言葉は、今しがたユリの元に素速く駆け寄ってきたアドスのことを指している。ユリの言葉を受けて、アドスは少し気恥ずかしそうに笑ってみせた。


「畏れ入ります。一度失ってから取り戻すと、若くて自由に動かせる身体がいかに良いものであるかをひしひしと感じまして、動かずにはいられないのです」

「元気が有り余っているということね、良いことだわ。ところで、あなたについては良く判ったけれど、奥様の方の調子はいかがかしら?」

「妻も私と同じでまだ1本しか飲んでいないのですが、それでも数日前が嘘のように元気になりました。たった2歳若返るだけでも効果は絶大ですな」


 アドスが心底から感心した様子で、そう告げながら頻りに何度も頷いてみせる。

 一方で対照的に、その言葉を受けてユリは心底申し訳無い気持ちになった。


「アドス、私はあなたにひとつ謝罪しなければならないわ。この通りよ」


 そう告げて、ユリはアドスに対して深く頭を垂れる。

 女帝が自分の為に頭を下げる―――その姿を目の当たりにして、途端にアドスは強く狼狽することになった。


「お、おやめ下さい、陛下! 陛下が謝られるようなことは、何も!」

「いいえ、謝罪は必要よ。私はあの変若水(おちみず)を、1歳だけ若返る薬のつもりでアドスに贈ったのだから」


 アドスからは変若水を服用したことで彼の年齢が『2歳』若返り、また妻の年齢が『3歳』も若返ったのだと、既に報告を受けている。

 考えてみれば―――こちらの世界では、1年が『160日』しか無いのだから。おそらくは飲用者を『365日』ぶん若返らせる効果を持つ変若水が、こちらの世界に住む人の年齢を2~3歳若返らせるのは、充分に想像できることだ。


 別にユリの口から、変若水について『1歳だけ若返る薬』だと説明していたわけではない。アドスにしてもルベッタにしても、彼らは〔商人〕の天職により自前で持っていた〈鑑定〉のスキルで()て、その効果を把握しただけだ。

 それでも―――譲渡する際に〈鑑定〉で視えるものと実際の効果の間に齟齬があると説明していなかった以上、ユリとしては申し訳無い気持ちが先に立つ。


「恐れながら、陛下。私からしますと、頂いたあの薬に2倍以上の効果があることは歓迎すべき事態でしかありません。これで妻と二人で薬を分け合っても、かなり若い年齢まで共に身体を戻すことができますので」

「ごめんなさいね、アドス。そう言って頂けると助かるわ」

「それよりも、今日は是非『試食会』を楽しんでいって下さい。時間は限られておりましたが、集まった皆様と一緒に、精一杯の準備はさせて戴きましたので」

「ええ、楽しみね。一応言っておくけれど、私はかなり食べるわよ?」

「そのぶん陛下から材料を沢山頂戴しておりますので、遠慮は無用です。

 ―――さて、陛下。そろそろ皆にも是非、お声かけをお願い致します」


 アドスはそう告げると、周囲を見るようにユリに促す。

 その言葉に従って周囲一帯を見渡すと。既にかなりの人達からの視線が、ユリに向けて集まっていることが判った。


「あ、あら? 何でこんなに皆から見られているのかしら?」

「念話で見たことがあるので、誰もが陛下のお姿は知っておりますので」

「ああ……。なるほど、言われてみれば、それもそうね」


 ニルデアの市民に向けて発した前回の念話の際には、会話だけでなくユリ自身を映した『映像』も一緒に配信した。

 なのでニルデアの市民には、既にユリの姿は知られている。明らかに国主と判る姿の少女がそこに居れば―――なるほど、視線が向けられるのも道理だろう。





 

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