212. 蓬莱空運
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―――年の瀬も押し詰まる『冬月39日』。
この日、神域都市『蓬莱』にある淡水湖の近くにて、新たな商会『蓬莱空運』の本拠施設が完成した落成式が行われていた。
『蓬莱空運』はロスティネ商会が運営資金の大半、70%程度を拠出するため、実質的にロスティネ商会の子会社のような存在だと言える。
残り30%の資金は百合帝国の国庫から支援されるが、この運営に国が関与することはない。あくまでも『蓬莱空運』の行動指針はロスティネ商会が―――即ち、その会頭を務めるルベッタの意思によって決定される。
『蓬莱空運』には現在、その『空運』の担い手であるロフスドレイクが388頭飼育されている。
ユリが嘗てレイピア王国の防衛戦に介入し、ハイドラ王国から鹵獲したロフスドレイクはちょうど300頭。なのでその当時から較べて、現在は更に88頭増えているわけだ。
と言っても、もちろん交配によって増えたわけではない。
―――そもそも『魔物』であるロフスドレイクが、交配によってその数を増やすことが可能なのかどうかを、ユリは知らない。
増えた分の88頭は、現在は亡国となった元ハイドラ王国領の北部にあるロフスドレイクの生息地に『百合帝国』の子達を送り、新たに捕獲してきたものだ。
元ハイドラ王国領は、現在では全域がレイピア王国の国土になっているわけだけれど。ユリはレイピア王国の君主であるレイヴン王から『ロフスドレイク生息地で自由に狩猟・捕獲を行う権利』を受領しているため、彼の地に軍隊を派遣して自由にこれを捕獲することが可能となっている。
この権利はユリが、レイピア王国へ向こう1年間の食糧支援を行うことを約束した際に、レイヴン王から実質的にその謝礼として頂戴したものだ。
新規に増えた分の88頭には、現在ロスティネ商会の人員が調教を行うことで、人を襲わないようにしっかり教え込んでいる。
ロフスドレイクは好戦的な魔物ではないが、それでも一応『魔物』なので、危険が無いわけではない。どんな状況下でも絶対に人を襲わないよう、予め躾けておくのは、とても重要なことだ。
なので『蓬莱空運』は、それ以外の300頭―――元々それを飼育していたハイドラ王国の軍隊によって調教が済んでいる個体だけを用いて、最初期の運営を開始することになる。
『蓬莱空運』が行う主な商会業務は、神域都市『蓬莱』の都市内外にある湖で採れた水産物を、国内にある各都市へ新鮮なまま『空輸』することだ。
その為に必要な『竜籠』と呼ばれる運搬用の魔導具も開発した。これは『竜胆』の子達が製作したロフスドレイクの胴体部の側面に装着できる双籠で、翼の動作を阻害しない構造になっている。
魔導具である『竜籠』には必要に応じて籠に格納した物を冷蔵、または冷凍する機能が備わっているため、これを活用しながら運搬を行えば水産物を傷ませることなく運輸できるというわけだ。
「気をつけてね。無理はせず、何か不調や問題が生じた場合には戻って来なさい。
もし途中で空を飛行する魔物と遭遇した場合には、即座に撤退するように。その際には荷を捨ててしまっても、誰もあなた達を咎めることは無いわ」
「はっ! ありがとうございます!」
「「「ありがとうございます!!」」」
施設の落成式を無事に終えた後に。ユリはおよそ100名余りの『蓬莱空運』の従業員達に向けて、そう言葉を掛けた。
彼らはこれからロフスドレイクに騎乗し、国内の各都市に新鮮な魚介を『空輸』する、その第一陣を担う。
国内の『駆逐』は既に完了しているため、飛行中に他の魔物と遭遇する可能性は殆ど無いだろうけれど。それでも『駆逐』から漏れた魔物が絶対にいないとも限らない以上は、遭遇する可能性もゼロでは無い。
当たり前だけれど【救命結界】で保護されていない場所で命を落とせば、それは絶対的な『死』を意味する。なればこそ命は何より大事にして欲しかった。
―――まあ、やろうと思えば『百合帝国』には、死者を蘇生できてしまう子達も多数所属しているわけだけれど。
ユリはこれを、あまり多用すべきでないものだと考えている。だから出来れば、最初から誰も死なないで居てくれる方が望ましい。
「それでは―――往きなさい。あなた達の行いが、百合帝国の各地に棲まう人達の暮らしをより豊かにしてくれるものだと、そう私は国主として確信しています」
「はっ! それでは、行って参ります!」
「「「行って参ります!!」」」
ユリの言葉を受けた『蓬莱空運』の従業員達が、勇ましい声でそれに答える。
それから、彼らは手慣れた様子でロフスドレイクへと速やかに騎乗し、空へ舞い上がったかと思うと。それぞれに思い思いの方角へ向けて飛び立っていった。
「従業員達へ激励のお言葉を掛けて頂き、ありがとうございました」
「いいのよ。私があなたの為にできることなど、この程度でしか無いのだから」
すぐ近くに立つ女性―――ロスティネ商会の会頭であるルベッタからの言葉に、ユリは笑顔でそう答える。
『空輸』を最初に発案したのはユリだが、実際に空輸事業のみを行うための商会を興すなど、今日まで実現化の努力をしてきたのは全てルベッタの功績だ。
彼女が引き受けてきた労苦に較べれば、最後に従業員達に激励の言葉を掛けるぐらいの手間など、大したことではない。
「判っていると思うけれど『蓬莱空運』の活動は、年が明けたなら最低でも3日、できれば5日程度は停止させて頂戴ね」
「承知しております。『駆逐』が完了していない空を、部下達に飛行させるつもりはありません。彼らは商会の大事な資産です。教育にも時間が掛かりますからね」
「結構。上に立つ者から大事にされている部下達は、幸せでしょうね」
「はい。私も国主から大事にされている、臣下に近い立場にありますから。その気持ちが大変よく判りますので、真似させて頂いておりますよ」
屈託のない笑みを浮かべながら、ルベッタがそう応える。
そう言われてしまうと、確かにルベッタのことを自身の臣下であるかのように、何かにつけて頼りにしてしまっているユリとしては言葉も無かった。
「ルベッタは、これから忙しいの?」
「年の瀬ですから、やはり暇ではありませんが……。何か私に用がありますなら、時間は幾らでも都合させて頂きますが」
「いえ、そういうわけでは無いのよ。では―――年明けではどうかしら?」
食い下がるユリを見て、少しルベッタは怪訝そうな顔をしてみせたけれど。
それでもすぐに、ユリの問いには答えてくれた。
「新年祭の陣頭指揮を執らなければなりませんので、日中には少々忙しいですね。年始なら日没後か、あるいは翌日以降でしたら割と余裕も出来るのですが」
「それは良かったわ。実はこの『蓬莱』にお迎えしているスクナビコナという神が醸造してくれた酒の試作品を、色々と手元に預かっているのよ。
確かルベッタは酒がいける口だったでしょう? 良かったら年明けの夜にでも、私と一緒に飲んで、商人視点からの率直な感想を貰えないかしら?」
「ああ―――それは嬉しいお誘いですね。喜んでご相伴に預からせて頂きます」
「それと。私はその夜にあなたを帰すつもりは無いから、そのつもりでね?」
「え?」
ルベッタは暫くの間、ユリの言葉の意味が判らず目が点になっていたけれど。
やがて―――たっぷり10秒程数えた後に。ようやくユリが告げた言葉の意味を理解して。一瞬で彼女は、顔だけでなく両耳までもを真っ赤に染め上げてみせた。




