203. 癒しを求めて(後)
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『神域都市』に作られた温泉施設は現在、スーパー銭湯もかくやと思える程に、広大なものとなっていた。
実際、敷地内に内湯から露天風呂、打たせ湯にサウナまで用意されているなど、その充実ぶりはこの世界の一般的な浴場とは余りに掛け離れている。
また、この温泉施設の裏口からのみ入れる一角には、この都市にお迎えした神々だけが利用できる大浴場や、『百合帝国』の関係者だけが利用できる大浴場、更には女帝であるユリが占有している小さな浴場なんてものまで存在していた。
これは別に、お迎えした神々や『百合帝国』だけを特別扱いするわけではない。
一般客とは利用する区画を明確に分けておかないと、些か問題があるから、単にそうしているだけだ。
誤解無きように言っておくと、別に浴場でいやらしい行為に耽るためでもない。
……いや、絶対に浴場の中でそういう行為に及ぶことが無いと、胸を張って宣言できるのかというと……正直、あまり自信が無かったりもするけれど。
区画を分ける必要があるのは、女帝であるユリを筆頭に『百合帝国』の子達の全員や、お迎えした神々のほぼ全員が、湯船で酒を飲むことを好んでいるからだ。
浴場で飲酒をするというのが、極めて危険な行為であることは言うまでもない。
人間の極致である『レベル200』に達しているユリ達や、レベルだけならそれを遙かに超越している神々にとっては何の問題も無いけれど。一般人が下手に湯船で酒を呷る真似をすれば、大変な事態を招く可能性がある。
少し前までは、この建造中の都市には一般人が殆ど居なかったので、衆目を気にする必要など無かったのだけれど。今はヴォルミシア帝国から移住させた元奴隷や元兵士の人達が多数居るので、彼らに悪影響を与えないよう徹底しておくのは、必要なことだと言えた。
だから浴場施設の全体には『酒類持ち込み禁止』の貼り紙もされている。
まあ、ユリの身内や神々は、全員が『アトロス・オンライン』のキャラクターなので、全員が〈インベントリ〉を利用できるから。密かに禁止物を浴場へ持ち込むことなど、造作もないわけだけれど。
というか、そもそも浴場施設のすぐ裏手に酒屋があり、そこでキンキンに冷えた酒を買うことさえできてしまうので。本当に衆目に対して隠す気があるのか無いのか、いまいちよく判らなかったりもするが。
(……ま、便利なのは確かなのだけれどね)
〈インベントリ〉は『侍女』系職業の子達が修得する〈侍女の鞄〉のスキルとは異なり、収納物の状態が保全されず、時間経過の影響を受けることになる。
だから予め冷えた酒を入れて置いても、時間が経つとぬるく戻ってしまうのだ。
ユリとしてはやはり、熱い風呂の中でよく冷えた酒を楽しみたい気持ちが強い。
その点―――ここでは浴場施設の裏手で、冷蔵庫に格納された冷用酒を購入し、すぐに裏口から浴場へ持ち込むことが出来るから。非常に『便利』で都合が良いのは、間違いの無い事実だった。
スフレと手を繋ぎながら、ユリは夜分まで営業している酒屋の中で、充分に冷えた日本酒の小瓶を1本購入する。容量は多分700mlぐらいだろうか。
この酒はカミムスヒの息子であるスクナビコナが主導して、この『神域都市』の中で開発し、醸造してくれたものだ。材料である米も全て、この都市周囲の農地で生産されたものだけを使用している。
米から作る酒は、この世界に於いて一般的なものではない。というかこの世界では、そもそも米自体があまり世間ではよく知られていない。
そのせいもあってか、スクナビコナが折角完成させてくれたこの酒は、今の所は全くと言って良い程売れていないらしいけれど。
とはいえ―――それはおそらく、本当に今だけの話だろう。誰かが『これは良い物だ』と気付けば、すぐにそれは酒好き全体の知る所になる筈だ。
酒好きを呻らせるだけの完成度を、この酒は充分に持っているのだから。
「行きましょう」
「はい、お姉さま!」
購入したばかりの冷用酒を〈インベントリ〉に収納し、再びユリはスフレの手を引いて歩く。
すぐ隣の浴場施設に裏口側から入り、ユリ専用の浴場の方へ移動する。
専用の浴場は、あくまでもユリとその連れ添いが利用する為だけの湯殿なので、それほど広い露天風呂ではないし、脱衣所も狭いのだけれど。
ユリはこの『手狭感』みたいなものが、却って心を落ち着かせてくれるようで、とても気に入っていたりする。
「「はあーっ……」」
掛け湯で身体の汚れを軽く落としてから、2人で一緒に湯船に浸かる。
全く同じだけの深い溜息がほぼ同時に吐き出され、その声が狭い露天風呂の中でまた妙に反響して。思わず2人は、顔を見合わせて噴き出してしまった。
「お姉さま専用のお風呂があることは知っておりましたが、入るのは初めてです。なんだか……この手狭さが、とても良い感じですね」
「ああ、判る? 実は私もとても気に入っているのよ」
スフレの言葉に、ユリは笑顔でそう答える。
それからスフレに向けて、ちょいちょいと手で合図した。
「お姉さま……?」
「スフレ、こっちにいらっしゃい」
「えっ?」
もともと露天風呂の中で、身を寄せ合う程の近い距離に並んで座っているのだ。
その状況下で『こっちに来い』と言われる意味が判らなかったのだろう。ユリの言葉を受けて、スフレは小さく首を傾げて見せた。
「ど、どちらに行けば?」
「ここ」
露天風呂の縁に背を預けながら、ユリは自分自身の身体を指差す。
そこまでされて―――ようやくユリが求めていることが、理解できたのだろう。スフレは浴場の中でも見た目で判るほどに、顔を真っ赤に染めてみせた。
「わ、私、重いので、お勧めしませんが!?」
「あら、大丈夫よ。今は装備を外しているから、たとえどんなに重くとも女の子の身体をひとり支えられるぐらいの力はあるから」
ユリは普段[筋力]や[強靱]、[敏捷]といった身体能力値が『0』であることが多いのだけれど、これは特定の装備品の効果によるものだ。
入浴のために今は装備品を全解除しているので、当然その効果は適用されていない。そして魔法職のユリであっても『レベル200』ともなれば、女の子をひとりどころか、平気で10人ぐらいは同時に抱えられるだけの膂力が備わっているのもまた、間違いの無い事実だった。
ユリに強く望まれれば、それを拒める子など『百合帝国』には存在しない。
少しだけ抵抗してみせたスフレが、観念するのは速かった。もじもじと少し恥ずかしそうに身を捩って見せながらも。「し、失礼します……」とだけ告げてから、スフレはゆっくりとユリの身体の上に腰を下ろす。
露天風呂の縁に背を預けて座るユリの身体の上に、一回り小さいスフレの身体がぴったりと収まった。
その彼女の身体を、ユリは優しく包み込む。
「な、なるほど……。確かにこれは、子供扱いされている感覚に近い……」
「でしょう?」
まだ恥ずかしいのか、少し上ずった声でスフレが漏らした言葉に。ユリはくすりと小さく笑いながら頷いた。
傍から見たなら、まるで母親が我が子を自身の身体の上であやす体勢のようにも見えるだろう。実際、ユリはまるで我が子に触れるかのような深い愛情をもって、自分に体重を預けてくれているスフレの頭を優しく撫ぜる。
最初は少し身動ぎしていたスフレも、やがて諦めたように受け容れてくれた。
どうせ、ここはユリ専用の湯殿だ。誰が見ている筈も無いのだから、この場所で彼女が恥ずかしがる必要など有りはしない。
「我侭を言ってしまってごめんなさいね。たまに無性に、こうやって好きな子を自分の身体に乗せて、抱いていたくなることがあるのよね。その度にいつも、誰かに付き合って貰うのは心苦しくもあるのだけれど」
「……今までにも、誰かにこのようなことを?」
「ええ。主に身体が小さめの子、レンゲとかラケルとかに―――ああ、貴方の所の隊長にも付き合って貰ったことがあるわよ?」
「ぱ、パルフェ隊長にもですか!? そ、そんなこと、全然聞いてない……」
「ふふ、多分恥ずかしかったから、誰にも言わなかったのでしょうね」
『姫百合』隊長のパルフェに限った話でも無いけれど。各部隊の隊長や副隊長を務めている子達には、その役職に相応しい自分で在ろうと、あまり弱い自分の姿を、他人に見せたがらない所がある。
そんな彼女達からすれば。今みたいに、ユリの身体の上に子供同然の格好で抱きかかえられている体験というのは、絶対に人には話せないものだろう。
「ごめんなさいね、1時間ぐらいこうして付き合って貰えるかしら?」
「い、いちじかんも、ですか?」
「ええ。もちろん駄目ならもっと短くても構わないけれど」
「駄目では無いです、全然! ……幸せすぎて、頭おかしくなりそうですが……」
結局の所、ユリにとって最もリフレッシュできる瞬間というのは、愛する子達に触れていられる最中に違いなかった。
余計な布帛を介することなく、直接相手の肌に触れていられる―――今みたいな時間を過ごしていると猶更に、荒んでいた心がみるみる癒されていくのが判る。
「偶にこうして、お風呂に付き合ってくれると嬉しいわ」
「よ、喜んで!」
ユリの言葉に、即座にスフレがそう応えてくれる。
その言葉を聞けば、スフレが嫌がっていないことは判るけれど。―――おそらくまだ恥ずかしさ自体は相当に感じているのだろう。
彼女の耳は後ろから見ても、判りやすい程に赤く染まり続けていた。
先程買ったばかりの酒は、結局〈インベントリ〉の中でぬるくなってしまった。
ユリがその存在をすっかり忘れて、スフレの身体に触れ続けていたせいだ。
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