20. お金なんて要らない
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〈絆鎖術師〉のユリが行使可能な魔法に【空間把握】というものがある。
ニルデアの都市を侵攻する際にも活用した魔法で、これは『効果範囲内の空間を把握する』という効果を持つ。術者であるユリは、範囲内に存在する人物や物品の情報を全て得ることができ、地図も表示可能になるというものだ。
ユリはこの魔法を、侵攻戦のその日から未だに解除していない。
『アトロス・オンライン』では効果を維持することが可能な魔法は、原則として術者が任意に『解除』を行わない限り維持状態が継続される。
もちろん魔法の維持を続けている間ずっとユリは魔力を幾らか消費し続けるのだが、ユリは魔力の総量がかなり多く自然回復量もまた多いので、消費量より回復量が遙かに上回っているため問題は生じていない。
ゲームの時には術者がログアウトすると魔法の維持が強制解除されていたため、せいぜい丸1日しか維持を続けるというのは不可能だったわけだけれど。今は逆に『ログアウト』という行為自体が不可能となったこともあり、こうして何日も魔法を維持し続けることも可能となったわけだ。
ニルデア侵攻の際には、都市に住む『人』の位置を把握したり、軍属者かどうかを見分けたりといったことで活用された【空間把握】の魔法だが、先述の通りこの魔法は効果範囲内に存在する『物品の情報』も得ることができる。
なのでユリは事実上、都市内にある全ての書類から情報を得ることができる。
翻訳の効果を持つ魔導具さえ事前に身に付けておけば、都市内に存在するあらゆる文書を読んだりできるわけだ。
先日初めて会った『ロスティネ商会』のルベッタ・ロスティネや、『トルマーク商会』のアドス・トルマークについて、ユリが少なからず事前に情報を得ていたのもそのためだ。
商業ギルドには当然、そこに所属する会員の情報が記録されている。それらの書類を読めば、彼らがどのような人物であるかを知るのは容易なことだった。
―――とはいえ、便利な【空間把握】の魔法にも弱点はある。
効果範囲内にある『人』の情報や『物品』の情報を得ることはできても、『人が頭の中に持つ情報』までは参照できないということだ。
これで何が困るのかというと―――例えば『常識』を知ることができない。
『常識』とは頭の中にも叩き込まれていて当然のもので、人はそれをわざわざ書類に記録したりはしない。だから世の中で誰でも知っているような当たり前の情報こそ、逆にユリは手に入れられなくて苦労することになる。
その点で、先日ルベッタとアドスの二人から協力を得られたのは僥倖だった。
優秀な商人である彼らは国家について知悉しており、近隣の地図についても頭の中に入っていた。それだけに『百合帝国』が同じ大陸内には存在し得ない国家であることを察してくれて。
更には、自分たちが『異世界』から来た集団だとユリがカミングアウトしても、最終的にはその事実を信じてくれた。
なので繋がりを得てからというもの、彼らは私達を『異世界人』として接してくれる。些細なことでも知らないのを前提に詳しく説明してくれるし、当たり前のことを話す際にもちゃんと確認を取ってくれる。
これは正直に言って、とても有難い。
ユリは『撫子』に命じて交代制で毎日1人を出向させ、ルベッタとアドスの二人の仕事の手伝いをさせることにした。
撫子は誰しもが敏腕のメイドであり、人を助ける術を熟知している。優秀な商人である彼らの補助として活動させれば、確実な助けとなるだろう。
一方では、彼らと撫子を密に付き合わせることで、交わす雑談の中からこちらも情報を得ることができる。特に『常識』に関連する情報は雑談の中からこそ生まれやすく、撫子からは毎日結構な量の情報がユリの手元に届けられていた。
「1年がたったの160日しか無いというのは、流石に意外だったわね」
「そうやねえ、我々としても盲点でしたわ」
撫子から送られてきた文書を読んでユリが漏らした言葉にそう答えるのは、生産部隊の『竜胆』に所属する職人のひとりであり、また今日の『寵愛当番』でもあるユーロだ。
ユーロの職業は〈耀食師〉で、これは調理に特化した最高職業になる。
現在の『百合帝国』360名分の食事を全てを1人で賄っているという時点で、彼女の調理手腕について、もうそれ以上語る必要は無いだろう。
「しかも1週間が8日かあ……。世界が変わると色々変わるもんやねえ」
ぽりぽりと頭を掻きながら、そう告げるユーロ。
ユリとしても、その辺の違いについては何かと思い知ることばかりだ。
こちらの世界では1週間が『8日』。
曜日の概念があり、それぞれ主要な神様に関連した名前が付いているらしい。
つまり、この世界には主要な神様が『8柱』いるということだ。
いや―――いた、と過去形で語るべきだろうか。8柱居た神様の内の1柱は既に零落しており、神様としての力を失ってしまっているらしい。
とはいえ1週間を7日に変えてしまうと混乱が生じるので、その神様に関連した曜日は今も存在しており、1週間は『8日』のまま運営されているようだ。
ちなみに1週間の末日は『癒』の曜日と言い、これは『癒神リュディナ』という神様に因んだ曜日になる。
どうやらこの『癒』の曜日はユリの知る『日曜日』に相当するようで、一週間の労働で溜まった疲労を癒す曜日として認知されているらしい。肉体労働系の仕事では大抵、この曜日が休日となっているそうだ。
但し、あくまでも休むのは肉体労働系の仕事に就いている人達だけだ。この世界に住む多くの人達にとっては、基本的に休日というのは無いものらしい。
世界全体が総ブラック労働社会なのかなあ、と一瞬ユリが思ってしまったのも、致し方無い所だろう。
1ヶ月は『40日』で、ちょうど『5週間』に相当する。
各月には名前があり、それぞれ『春月』『夏月』『秋月』『冬月』と呼称する。
名前の通り月毎に季節が明確に別れており、この4ヶ月で一巡する。
なので1年は『4ヶ月』しかない。つまり『160日』だ。
先日ユリは、アドスの口から彼の年齢が『151歳』であることを知り、かなり驚かされたものだが。理由が判ってしまえば何と言うことはない。単にこちらの世界では、1年がそれだけ短かったということだ。
365日と160日を較べれば、当然2.3倍ぐらい違ってくる。
アドスの『151歳』は、ユリの感覚に直すと『65歳』ぐらいになる。老齢なのは間違いないが、後期高齢者という程ではない。
もちろんユリの知る世界でも、中世や近世の頃の寿命が短かったことを思えば、アドスの『65歳』はかなりの高齢であるとも言うことはできるが。この世界では普遍的に『治療魔法』が利用されているので、一概には比較しにくい。
副作用もなく病を治す手段があるというのは、多分とても大きなことだからだ。
「なあなあ、ユリ姉やん。そう言えばひとつ聞きたかったんやけど」
不意に、思索に耽っていたユリをユーロの一言が引き戻す。
ちなみにユリのことを『ユリ姉やん』と呼ぶのはユーロひとりだけだ。
竜胆の子達は割と、ユリに対して好き勝手な呼び方をする所がある。
「うん? どうしたの、ユーロ?」
「税収のことやけど、ホントにあれで良かったん? 1年間無税ってことは、丸々1年収入がゼロになるってことやろ? それでやっていけるん?」
そう告げるユーロの言葉は、間違いなく事実ではある。
まあ、その『1年』は思っていたよりずっと短いようだけれど。
「お金なんてあっても仕方ないでしょう?」
「なんで? こっちの世界でいっぱいモノ買えるやん」
「そもそも欲しい物が無いわよ。最高の料理も、最高の衣服も、最高の武具も、最高の道具も、全て『百合帝国』の子達が作ってくれるもの。わざわざ市井から購う必要なんて感じないわ」
結局の所、ユリがお金に頓着しないのは『必要を感じない』からに尽きる。
もちろん都市の運営にそれなりのお金が掛かることは理解しているが。ニルデアの都市を陥落させた折に、領主館の地下室に溜め込まれていたかなりの額の財貨を入手しているため、既にある程度の蓄えはある。
何年間かは無収入でも、問題無くやっていける自信はあるのだ。
「でも、お金いっぱい溜め込みたいやん……?」
「私達が財貨を溜め込んだら、そのぶん市井での流通量が減るでしょう? それは都市を富ませようと思うなら、害悪にしかならないわ」
お金は回すものだ。血脈と同じで、滞らせるのは良い結果を招かない。
ユリは税収を得るのであれば、先にその使い途を決めてからにすべきだと考えている。
流石に『ずっと無税』というのも良くないと思ったので、一応3割だけは税を取るつもりでいるけれど。それを『来年から』としたのも、事前に使い途を思案するための時間が欲しかったからだ。
「ふうん。なら、どうしてもこの世界で欲しい物ができたら、どうするん?」
「わざわざ訊く必要あるようなことかしら?」
ユーロの言葉に、ユリはくすりと微笑む。
「私の性格を考えてもみなさい? そんなの『奪う』に決まっているでしょう」
「なるほど。やったら確かに、金はいらんなあ」
お腹を押さえながら、心底愉快そうに笑ってみせるユーロ。
性向が『極悪』の者にとっては、至極当たり前の結論でしかなかった。
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