02. 蓬莱寺百合
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私―――蓬莱寺百合は同性愛者だ。
最初に恋をしたのは……確か、小学四年生の時だったと思う。
相手は同じクラスで隣の席になった女の子だ。休み時間にいつも本を読んでいるような、物静かな子だったのを覚えている。
本に熱中するその子の横顔を、よく隣から静かに眺めていた。
それだけで幸せを感じる自分を知って、私は『恋』というものを学んだのだ。
年度を跨いで小学五年生になると、クラス替えがあってその子とはクラスが離れてしまう。すると百合は、気付けばまた別の女の子に恋をしていた。
それからもクラス替えがあったり転校があったりして、好きになった相手と離ればなれになる度に、百合は何度でも新しい恋を繰り返した。
物静かな子を好きになることもあれば、活発な子を好きになることもある。
聡明な子に恋をすることもあれば、少しお馬鹿な子に恋をすることもある。
傾向は一貫しておらず、百合は様々なタイプの子を好きになったけれど。
それでも―――常に『女の子』を好きになるという点では一貫していた。
男性が嫌い、というわけではない。
事実ユリは一緒に遊ぶ『友人』としてなら、男の子とも分け隔てなく接してきたつもりだ。
それでも―――どんなに仲良くなろうとも。百合は異性に対して『好き』という感情を抱くことだけは、不思議なぐらいに無かった。
好きになる相手はいつも、自分と同性の女の子ばかり。
10を超える数の恋を繰り返して、やがて中学校を卒業する頃には。
ああ、私はそういう人間なんだ―――と。百合は自然に、自身の性的嗜好を理解するに至っていた。
この頃には、何度か好きになった女の子に『告白』をしたこともある。
……残念ながら、受け容れてくれる相手はいなかったけれど。
更には、高校生になっても大学生になっても、絶えず様々な女の子に恋することを繰り返すうちに。いつしか百合は、同時に複数の相手を『好き』になることが多くなっていった。
一時に2人や3人を好きになるぐらいなら、まだ可愛い方で。多い時には同時に10人以上もの女の子に対して、恋をしてしまうようなことさえあった。
流石にここまでくると、自分が『同性愛者』である以前に、救いようもなく『気の多い人間だ』という事実が、否応なく理解できてしまう。
それは悪く言えば『不誠実』ということでもある。この頃から百合は、夜に眠る際などに自己嫌悪に陥ることも少なくはなかった。
悪癖と判ってはいても、同時に複数の相手を好きになってしまう自分の気持ちは抑えられない。
とはいえ自分が『不誠実』な人間だと判っていながら、相手に告白することなど出来よう筈も無くて。
仕方なく百合は、自分の心の中に生まれた『好き』という想いに蓋をして、それを相手に打ち明けることを、いつしか諦めるようになっていった。
大学在学中に幾つかの資格を取得した百合は、大学卒業と同時に愛知にある実家のすぐ近くへと引っ越して、祖父が経営する造園会社でガーデンデザイナーとして働くようになった。
社員の大半が男性ばかりで百合にとっては潤いが少ない職場だったけれど。自身の悪癖を思うと、そういう場所のほうが長く続けられそうで有難くもあった。
孫娘が自分の会社へ来たのを殊のほか喜んだ祖父は、新卒の新入社員には明らかに分不相応な、破格の額の給料を奮発してくれて。また、就業中もよく目に掛けて丁寧に教育してくれたので、百合が仕事に不満を覚えることは無かった。
百合と同期で入社した有田というゲーム好きの同僚男性から、知覚没入型VRMMO-RPGの『アトロス・オンライン』について教わったのは、ちょうどその頃のことだった。
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翌日、睡眠不足からくる眠気に耐えながらも問題無く一日の仕事を終えたあと、百合はそそくさと会社を後にする。
今日は金曜日。祖父の会社は土日祝日にちゃんと休ませてくれるので、明日から二連休になる。
もちろん自由な時間は全て『アトロス・オンライン』に充てる予定だ。
(今週のガチャ抽選率アップは騎士系の装備品だったかな? そろそろ白百合の子たちの防具を最強装備に更新してあげたいなあ)
多くのMMO-RPGがそうであるように、やはり『アトロス・オンライン』でも『最上級』の装備品はガチャの景品としてしか手に入らない。
百合は貰っている給料の6~7割を迷うことなくゲームに突っ込んでいるため、いわゆる『廃課金者』に相当するが。それでも自分も含めて360人分の装備品を揃えるというのは容易では無い。
20年以上もの長い間ゲームを継続してプレイしており、また毎月かなりの額を課金し続けていることもあって、なんとか360名全員の武器や防具、装身具などを『最上級』のレベルで揃えてはいるけれど……。
とはいえ常に最新のガチャからしか得られない『最強装備』は、せいぜい各部隊の隊長格の子にしか、装備させてあげることができないでいた。
ギルド『百合帝国』には359名もの配下NPCが所属しているので、内部では職業ごとに分類を行い、全部で12個の部隊として管理している。
攻防どちらも得意とする24名の騎士部隊『姫百合』。
特に防衛能力に優れる24名の騎士部隊『白百合』。
特に殲滅能力に優れる24名の騎士部隊『黒百合』。
範囲攻撃魔術を得意とする24名の賢者部隊『紅薔薇』。
遠距離精密攻撃を得意とする24名の射手部隊『黄薔薇』。
対魔術師戦を得意とする24名の精霊術師部隊『青薔薇』。
遊撃を得意とする24名の剣豪部隊『桜花』。
結界術を得意とする24名の巫女部隊『紅梅』。
範囲回復魔法を得意とする24名の聖女部隊『睡蓮』。
サポートと諜報を得意とする72名のメイド部隊『撫子』。
拠点や防壁の建設を得意とする24名の工作部隊『桔梗』。
武具や消耗品などの生産を得意とする47名の生産部隊『竜胆』。
工作担当の『桔梗』と生産担当の『竜胆』を除く10個の部隊の隊長と副隊長には、最新のガチャから出る『最強装備』を常に揃えている。
けれども残念ながら百合の給料では、それ以外の子達の分までは『最強装備』を揃えられないでいるのが現状だった。
もちろん最強装備よりもほんの少しだけ性能が落ちる『準最強』と呼べるぐらいの性能の装備は、全ての子達に回すようにしているけれど……。
可能であればもっと沢山のガチャを回して、全ての子達に『最強装備』を揃えてあげたいというのが、嘘偽りない百合の本心でもあった。
(……ガチャ代に回すために、せめて夕飯は安く済ませようかな)
装備面では隊長格や副隊長格の子を優遇しているとはいえ、百合はギルドに所属する359名の嫁達全員を、分け隔てなく愛しているつもりだ。
食事代を安く済ませればガチャを1~2回多く回し、自分の嫁の装備をより充実させられる可能性がある。ならば夕飯の満足度より愛している子を優先するのは、百合にとって当然のことだった。
「―――蓬莱寺さん」
「ぉ?」
ラーメン屋でも焼肉店でも、割とどんな店でも抵抗なく『おひとりさま』で入店できてしまう百合が、今日はどこの牛丼屋によって帰ろうかな―――と、そんなことを考えながら帰路を辿っていると。
不意に名前を呼ばれて、百合は立ち止まる。見るとそこには作業着を身に付けた同僚の男性、有田の姿があった。
「偶然ですね。先程会社を出られた所ですか?」
「あ、はい。そうですが、有田さんは―――ああ、そうか。今日のエクステリア施行の現場は、ちょうどこの近くでしたね。そちらも仕事終わりですか?」
百合が造園のデザインしか行わないのに対し、有田は造園作業そのものを行う造園技師。なので会社での設計作業がメインの百合とは異なり、有田は現場での作業が多い。
同じ会社に勤めていても、丸一日顔を合わせないことなんてざらにある。なので会社からの帰り道にいま出会えたのも、全くの偶然だと言えた。
「ええ、こちらも先程全行程が終わりまして、解散になりました。折角お会い出来たのですし、よろしければ夕飯をご一緒しませんか?」
「あら、私を誘ってもよろしいのですか? あなたの彼氏さんから嫉妬されないといいのですが」
そう告げて百合がくすりと微笑むと。
有田もまた苦笑しながら、ぽりぽりと何度か頭の横側を掻いてみせた。
「実は連れが出張中でしてね。今日はひとりで暇していた所なんですよ」
「なるほど。食事は構いませんが……私は安いところにしか行きませんよ?」
「判ってます。お金は自分の為よりも、嫁の為に使いたいのですよね?」
「ええ、その通りです」
現場での作業が多い有田とは、会社よりもむしろゲームの中で顔を合わせることが多い。
つまり、いま百合の目の前にいる有田は、昨晩にも『アトロス・オンライン』で会ったばかりの相手『アルター』の中の人だった。
百合が『ビアン』の女性であるように、目の前の有田は『ゲイ』の男性だ。性別は違えども同じ同性愛者ということもあり、有田とは公私を問わず常日頃から交流を持っている。
有田の彼氏とも幾度か食事を共にしたことがあるし、毎日のようにスマホのアプリでメッセージをやり取りしてもいる。なので当然、有田の彼氏が出張中であることも百合は既に把握していた。
先程のセリフは、全て承知の上で有田をからかっただけに過ぎない。
「近くのファミレスでいいですか?」
「いいですね。ちょうどミラノな感じのドリアが食べたかった所です」
「……せめてドリンクバーぐらいは奢らせて下さい」
躊躇することなく安価なメニューを挙げた百合に、有田が唇の端をひきつらせながらそう告げた。
もちろん奢ってくれるというのなら遠慮するつもりはない。
ファミレスに向けて歩きながら、百合は有田と仕事の話をする。
常に会社に常駐している百合は依頼人と直接面談して意見などを窺う機会が多く、逆に有田は現場に出て作業するので実際に施行する上での気づきが多い。
なので現在進行中の案件について、互いが得た感想や知見を密に摺り合わせておくのは、より良い仕事をする上で不可欠なことでもあった。
―――黒いワンボックスカーが歩道に乗り上げてきたのは、ちょうど有田との話が弾んでいる最中のことだった。
その車は、既に夜だというのにライトを点けておらず、一車線の道路だというのに信じられないほどの速度で歩道へ―――百合たちの目の前に迫ってきて。
殆ど何も考えず、反射的に。百合は隣を歩く有田の身体を押し飛ばしていた。
有田のことも、有田の彼氏のことも、百合はよく知っている。彼らが同性愛者でありながら、いかに幸せな日々を過ごしているかをよく知っている。
なればこそ―――こんな場所で有田が事故に遭ってはいけない、と。
一瞬のうちにそう思い、百合の身体は勝手に動いていた。
人間は、咄嗟の時にだけは信じられないほどの力が出せるという。
きっとそれは本当のことだと思えた。非力な筈の百合が、自分より身長が10cmは高い有田の身体を、びっくりするぐらい勢いよく押し出せたのだ。
そうして、暴走するワンボックスカーの正面に立つのは、百合ひとりになった。
「蓬莱寺さ―――」
百合の名前を呼ぶ有田の声は、プツリと途絶えるように聞こえなくなった。
視界の全てが真っ暗になり、耳鳴りに似た不快な雑音だけが聞こえ始めてくる。
意外なほどに痛みは感じられなかったけれど、それでもはっきりと判った。
(これは死んだな)
今までに体験したことのない、自分の中から何かが剥離していくような感覚。
五感の全てが途絶えても、その感覚だけは妙に鮮明に感じられた。
(まあ、パートナーがいる有田さんよりは、独り身の私が死ぬべきだよねえ)
沈み行く意識の中で、百合は静かにそう思う。
考えた上での行動では無かったが、それでも自分のやったことに後悔は無い。
(―――ああ。でも、できればもう少しだけ。あの子達と一緒に居たかったな)
今際の際に浮かぶのは、百合が愛してやまない359人の少女たちの顔。
死ぬのは怖くないけれど。彼女達ともう会えないことだけが百合には辛かった。
《―――あなたの願いを叶えてあげましょう》
既に途絶している筈の百合の聴覚に、誰かの優しい声が聞こえた気がした。
お読み下さりありがとうございました。